九十九、反旗
「りさいくる……?」
きょとんとしたニアさんが、オウム返しに尋ねる。水龍も不思議そうに尻尾をうねらせる。
僕がポロリと漏らした禁句――『魂再生』の言葉は、どうやら現地語に翻訳されなかったらしい。
しかし、ヘンタイと名高い王子は何かを察したのだろう。
アンデッドのごとくゆらりと起き上がり、完全に僕をロックオン。半開きだった目が爛々と輝いている。
……ヤバイ、さすがにこのネタはヤバすぎる。
この魔術がホンモノなら、貴重な精霊術師を量産できてしまうかもしれない。例えば後宮のシステムにこれを組み込めば――
ダメだ、仮説を立てることすら危うい。
人の命を玩具にするなんて、それこそ神に対する冒涜だと、魂が拒絶する。
だから僕は今までどおりでいい。
偶然、目の前に死にかけている人が現れたら助ける。それだけでいいんだ。
……とはいえ、自分の能力くらいはきちんと把握しておくべきだろう。
もちろん試すならニンゲンじゃなくてタライだ、タライ……。
「――坊、何を考えている?」
「タライのことを」
「タライ?」
「はい、タライです」
「……そうか、タライか」
一気に視線が生温かくなる王子をスルーし、僕はニアさんに向き合った。
煌めくその髪の一筋を見るだけで、心臓がドクドクと激しく脈打つ。
……怖いけど、ちゃんと検証しなきゃいけない。
もしもニアさんが、ノエルやマルコさんと同じく、僕の魔術にかかってしまったのなら――
「えーと、ニアさん、つかぬことをお訊きしますが」
「なんでしょう、ユウ様?」
「子どもの作り方って、知ってます?」
……。
……。
――いったい何を言ってるんだ、僕は!
ニアさんにその質問は要らないだろ!
ノエルやマルコさんの時と違って、もう精霊術師だってハッキリ分かってるんだし!
ていうか今の僕、考えすぎてから回ってる!
焦りのあまりだくだくと冷や汗を流す僕を見て、ニアさんは涼やかな瞳をぱちくりと瞬かせ、軽く小首を傾げて。
「ユウ様……わたくしと、子どもを作りたいのですか?」
――知ってたッ?
「もしや、わたくしを引き取ろうとしてくださったのは、そのような目的が?」
――なんか話が飛躍してるッ?
「ええ……かまいませんわ。ユウ様なら……」
――なにそれプロポーズッ?
気づけば目の前にニアさんがいた。
水龍の尾が、僕の胴体にぐるりと絡み付つく。
髪や肌や瞳や唇や、全身をキラキラと輝かせた麗しい乙女が、僕の身体へふわりとしなだれかかり――
「助けて王子ッ!」
ぐりん、と首を九十度捻じ曲げるも、そこに王子の姿はない。
さらに首をよじると、王子はなぜか閉ざされた扉の前にいた。
そして涙目になる僕に向かい、一昔前のアメリカドラマの俳優みたいにパチリとウインクして、ドアの向こうへフェイドアウト……。
「いやいやいや、オカシイですって! ニアさんは王子の大事な手駒なんでしょうっ? 万が一間違いがあって、ニアさんの清らかなアレがナニしたらどーするんですかッ」
「俺の計画には“聖者”がいればいい。それより精霊術師研究家として興味がある。はたして精霊術師は子を孕むことができるのか……」
「僕を実験台にしないでください! むしろ聖者さんの方に可愛い女の子を紹介してあげて!」
魂の叫びは、どうやら王子の胸に届いたようだ。
ドアノブから手を離した王子は、なぜか足元に置かれていた僕の荷袋を持ち上げ、無造作にポイッと放り投げた。
「えっ」
「キャッ!」
瞬時に解かれた水龍の拘束。
自由になった両手でそれをキャッチしたとき、ニアさんは水龍とともに天井へ張り付いていた。結露なのか冷や汗なのか分からない謎の水滴が、上からぼたぼたと垂れてくる。
「これで契約成立だ。聖者を俺に紹介しろ」
してやったり、という笑みを浮かべる王子。呆けたままの僕は、抱えた荷袋と仁王立ちする王子を交互に見比べながら尋ねる。
「紹介するのは別にいいんですけど、なんでニアさんが荷袋で逃げるんです?」
「精霊術師は魔力に弱いんだ。魔物の怨念が詰まったその袋に、ニアがビビってるのは気づいてたからな」
「魔物の怨念……」
あらためて、僕はまじまじと荷袋を見つめる。
年季の入った艶やかな飴色の皮革、スマートな楕円形のボディ、チャームポイントは袋の口からにゅっと突き出た麗蛇丸の柄。
スニーカーに次ぐ僕の相棒であるこの荷袋には、確かに魔物の怨念がこれでもかと詰まっている。今まで殺してきた数万匹分プラス、邪竜三匹分。
正直、捕食者である僕にはその怨念とやらがさっぱり分からない。
でもアリスは「魔物の悲しみが分かる」と言っていた。怖がるというより同情的な感じで。
ノエルは魔物をそこまで怖がっていなかったけれど、街の外を出歩くのはなるべく避けているようだ。
マルコさんは「魔物かわゆす」とか言うヘンタイだから論外。
つまり――精霊術師は千差万別。
だけど、共通点がないわけじゃない。
「もしかしてニアさんは、魔力の強い人もダメですか?」
「ああ。爺は未だに近寄らせてもらえない」
「そっか……となると、北のギルマスさんは完全にアウトですね。できればニアさんを北のメンバーにも紹介したいんですが、魔石程度でこのリアクションだと顔合わせは厳しいかも……」
「魔力封じの腕輪をつけさせれば多少マシになるはずだが、北のギルドマスターは断固拒否しそうだな。なんせ命にかかわる大怪我ですら、『神殿へ行きたくないから』と放置していたくらいだ。魔力を吸われるのがよほど苦痛なんだろう」
「精力はギルマスさんのアイデンティティですからね。そこが衰えたら一気に老け込みそうです」
「なんなら“女神の涙”と交換条件にでもするか?」
「あ、いいですね。それなら百パー釣れますよ」
王子との腹黒トークに花を咲かせながらも、僕はそろりと場所を移動。大事なお宝である真珠を踏んづけないように注意しつつ、怨念バッグをドアの方へ遠ざける。
ミッションを終えて元の位置に戻ると、天井からニアさんが下りてきた。
さっきまでのエロ魔人っぷりはすっかり鳴りを潜め、借りてきた猫みたいにビクビクと。
「すみません、ユウ様。わたくし、逃げるつもりでは……」
「謝らなくていいよ。ニアさんは何も悪くない」
「ですが、人は魔力を使って子をなすと聞いております。逃げていては子作りなどできません……」
しょんぼりと肩を落とすニアさんの髪を、僕はくしゃりと撫でた。いつも僕が皆にされているように。ついでに水龍の鼻面も撫でてやる。
この手に“魔力”は一切篭もっていない。邪な欲望は、無垢な言葉の前にかき消されてしまう。
頭を撫でられ、嬉しそうに目を細める一人と一匹を見つめながら、僕は賢者タイムへ突入した。
……ちゃんと分かってる。アリスとのやりとりで嫌というほど思い知らされている。
いくら身体が大人びていても、ニアさんの中身はまだ未成熟だ。知識として『子どもの作り方』を知っていても、理解はしていない。
僕が逃げ腰のうちは無邪気に触れてきても、本気になれば――欲望をチラつかせれば、きっと態度を豹変させる。
それを“主”の命令として受け入れるというなら、そんなの奴隷と一緒だ。
自ら魔力を受け入れて、邪な欲望を抱いてくれなきゃ意味がない……。
「坊にも女を紹介するか?」
背後からかけられた同情混じりの声に、僕は思わず苦笑する。この台詞を言われるのは二度目だ。
「遠慮しときます。僕には『エア彼女』がいるんで」
「そうか」
「ちなみに王子は恋人っているんですか? 王族なら、恋人じゃなくて婚約者とか?」
「想像に任せる」
腹黒さ満載でニヤリと笑う王子。
これは百人どころか千人斬りくらいしてそうだな……と勝手な予想を立てていると。
おとなしく僕になでなでされていた水龍が、突然ぷるぷると首を横に振った。
借りてきた猫だったニアさんも、勝ち気なボス猫へジョブチェンジ。
「ユウ様、精霊はこのように申しております――虚勢を張るのは空しくないか、小童よ」
水龍から『小童』呼ばわりされ、苦虫を噛み潰したような顔をする王子。
それからニアさんが『嘘偽りを嫌う精霊の言葉』として伝えてくれた話は、僕の想像の天井を突き破るレベルで……。
「この方は、女性とそのような関係になったことがないのです。生まれてから一度も」
「えっ」
「言い寄られることは多々あれど、心を開けずに突き放すばかりの臆病者。『娼館』へ通い詰めたところで、その臆病さが改善することはなく、清らかな身体のまま現在に至ります」
「あ……」
「そのような男性のことを、神官たちは『女神の髪を失った者』と呼びます。市井では『不能者』と」
「……」
「さらに別の言い方では『童て」
「――もうけっこうです、よく分かりました!」
痛いです!
精霊さんのお言葉、グサグサ刺さります!
僕の背後で仁王立ちしていたはずの王子は、三角座りして真珠をぐりぐり指でいじっている。「どうせ俺は『できそこない』の王族だよ……」とかなんとか言ってる。
とめどなく垂れ流される独り言を拾ってみると。
そもそも王子が不能になったのは、奴隷ハーレムに溺れる悪堕ち国王により、『後宮』を見せつけられたトラウマのせいだとか……。
有能でイケメンで国民からの人気も高かったのに、不能を理由に王都を追い出されて、今この街で『辺境伯』として生きてるとか……。
その道のプロであるクロさんと知り合い、ありとあらゆるヘンタイ行為を学んだのも、ひとえに不能を治したかったからだとか……。
まさかヘンタイという噂の陰に、そんな背景があったとは!
思わずホロリと涙が零れそうになったとき、三角座りの足の間に顔を沈めた王子が、ボソッと。
「坊なら、俺の病気が治せるか……?」
「無理です」
「そうか……」
「でも僕、王子に協力します! 主治医にはなれないけど、他のことならなるべく」
「そうか、ありがとう……」
「とりあえず“聖者”を紹介すればいいですか? 一応北ギルドのメンバーにも話して、許可を取ってからになりますけど」
「ああ、よろしく頼む……」
「では今日のうちに伝えておきますね。ただ北ギルドでも王子はヘンタ……変人というか、何を考えてるかよく分からない人物だと思われてるんで、彼に会いたいなら理由を明確にしてもらった方が、話が早いのではないかと」
「理由……」
むくり。
足の間から顔を持ち上げた王子は、気持ちを入れ替えるかのように大きく深呼吸をして。
「俺はこの国が嫌いだ。王族も、貴族も、神官も、奴らの言いなりになることしかできない民や奴隷も……それを変えることのできなかった俺自身も」
淡々と語るその声は、傷ついた少年の声。
それが少しずつ、冷酷な為政者の声へと変わっていく。
「だが、この街へやって来て――“死の霧”と対峙する冒険者を見て、目が覚めた。ただ女神に祈るだけじゃ駄目なんだと気づいた。……俺は魔物への盾にされている民を助けたい。彼らとともに戦い、彼らを救えれば、俺自身も救われる気がする」
僕は無言のままうなずく。
辛辣な言葉を投げていたニアさんも、王子を小童呼ばわりした水龍も、静かに耳を傾ける。
キンと張り詰めた清廉な空気の中、王子は決定的な一言を告げた。
「俺はこの街の民とともに、新たな国を造りたい……誰にも搾取されることのない自由な国を」
――クーデター。
王族が語るその言葉の重みを感じ、僕は強く唇を噛みしめる。
これはあまりにも壮大な話だ。この世界の歴史書に記されるレベルの。
もし僕が単なる旅人としてこの場にいたなら、「そんな恐ろしい計画に巻き込まれたくない!」と尻尾を巻いて逃げ出していたことだろう。
でも、今の僕にはむしろ――最高に美味しい餌だった。
※おかげさまで100話到達!
そしてついに新曲が完成しました!
詳しくは今夜の活動報告にてお知らせいたします。