31.その夜
おいおいおいそれはやばい。そこはやばいって。え、誰だ?
眠りについてからどれくらい経ったのか。尻の辺りをまさぐる手の感触に俺は目を覚ました。
うっすら目を開けると、やや離れた場所で直刀を抱きしめ、座ったまま眠っているらしい焔の姿が見える。
ということは今俺のケツを触ってるのはアニか。
うーん、と考えながら、俺は再び目を閉じた。
たぶん、これは気づかなかった方がいいことだ。
そう思ったのは、アニの手が俺の尻ポケットに侵入してきたからだ。
ごそごそやって目当てのものを引き抜いたアニが、狸寝入りしている俺に向かって一瞬息を詰めた。
「――ごめん」
ぽつりと残して、立ち上がる。
そのまま立ち去る足音を聞いていると、やや遅れて焔が動き出す気配がした。
見ると恐ろしく冷えた目でアニが去った方を睨み、後を追おうとしている。
「まって」
「うわっ」
通り過ぎようとした足首をがしっ、と掴む。俺が起きているとは思わなかったのか、ちょっと可哀想なくらい驚いて焔が俺を見下ろした。
「何だお前。気づいてたのか」
「んー。うん。ちょっと前に目が覚めて」
離せ、と焔が掴まれた足を目で示す。
「取り返してくる。抜かれただろう、六文銭」
ちゃき、と刀を握り直す焔が物騒で、俺はちょっと苦笑した。
アニが俺の尻を弄って持って行ったのはあの古銭だ。通常のプリントされた六文銭よりも価値があると言っていた、あの。
「いいよ」
焔の足を捕まえたまま、首を振る。文字なら大騒ぎしそうなところだが、睡眠中なのか脳内は静かだった。
「いいんだ。見逃して」
「ハア?」
理解不能、と言いたげな表情で焔が俺を見下ろす。
ごめん、と呟いたアニの声を思い出しながら、俺は頑なに首を振った。
「アニが持って行くなら、きっとどうしても必要だからだ」
「そりゃそうだろうけど、あのな」
「俺、ここまであいつにいっぱい助けてもらってるんだ。あいつはいい奴だよ。だからいい」
呆れた顔で、焔がため息をつく。
「人の金盗っていくような奴がいい奴なわけないだろ」
「そんなことない。アニはずっと俺に警告してた」
この世界では、人でさえ信用はできない、と。人目に触れさせてはいけないほど価値のある古銭を持っていると。
ご老体ズに説明していた、道中仲間になった男に盗られた、という嘘も、もしかしたらこれから自分が行おうとしていることについて暗に注意を促していたのかもしれない。
「アニにだって、迷いがあったのかもしれない。半分俺に同情して、気づかれたら諦めようって、そう思ってたのかもしれないよ。そうじゃなきゃ、寝てるとはいえ、お前だっている場所で俺の尻ポケットに直接手突っ込むなんて無謀なことしないだろ」
良心と罪を天秤にかけて後者を取ったのなら、その決断は重かったはずだ。
少なくとも、俺が六文銭に執着する気持ちよりもずっと。
「金なんて、必要な奴が持っていればいいんだよ」
ね、と焔を説得する。
アニの去った方と、俺を見比べて、焔が短く唸った。
「お前だってそのうち必要になるぞ。金がないと三途の川も渡れないんだ。絶対に困る」
「そんな未来のことなんて分からないよ。今は、俺よりアニの方が必要なんだろ。俺はそれでいい」
はああああ、と長いため息をついて、焔がその場に座り込む。
「頑固。お人好し。馬鹿」
俺は知らないぞ、と怒ったような声で言う焔に俺はちょっと笑った。
「俺のために取り返しに行ってくれようとしてありがとな」
「うるさい」
暴言を吐いて焔が顔を背ける。こいつも底なしにいい奴だ。
焔の足を離して仰向けに転がる。昨日と変わらない、真っ黒な空が満天に広がっていた。
ごめん、と呟いたアニの声を思い出す。
低く、乾いて寂しそうだった。
もういいから、どうせなら気にせず使ってくれ。それで次に会った時、笑い話にでもしてくれたら俺も安心できる。
「またどこかで会えたらいいなあ」
誰にともなくこぼすと、お人好しも大概にしろ、とやっぱり怒った声で焔が呆れた。
ひとまずここで一部完結です。
伏線を張りまくる一部になったので(回収編はこれから)、長くなってしまいました。
このお話は前後章を抜いて約四部で完結のお話になる見通しです。今後も二部、三部と付け足して行く予定ではいますが、次の部まではしばらく間が空くと思いますので、一旦これで完結といたします。
読んでくださった皆様、ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございました。




