Chapter2 剣を受け取る
視点:蔵野まち→山田ヒロアキ
絶対に人は生き返らない。生き返ってはいけない。絶対に人は生き返らない。殺してはいけない。自分から死んではいけない。組織にいたころ、叩き込まれた思想。
それはきっと、普通の思想だった。
★
「ねるわ」
いつの間にか好きになっていた、かつて敵だった女の子はパタンと背中から床に倒れこんだ。
将棋をして、チェスをして、そして負けたところで盤や駒を投げた。
そんな風に子供のように振舞う彼女を見るのが悲しかった。
ひろみが死んでしまって、その悲しみをどうやって埋めたらいいのか、彼女なりに考えて、自分を死んだ彼女に似せようとしているように見えて、それもまた悲しかった。
外から見れば、彼女は完全無欠の超人のように見えるかも知れない。
だけど、俺から見れば、本当はこわがりで、人一倍打たれ弱い、少女のような女の子だと思う。
床に寝るのはだらしないから、布団に寝るように言い聞かせても、まったく耳を貸そうとしない。
「うるさいわね、いいのよ」
と言って、コタツで眠るのを強行する。
「お前がよくても俺が気になるってーの」
そう言ってみたが、「おやすみ」と言って目を閉じた。
「心配してやってんのに」
「……すー……すー……」
彼女の寝息が聴こえてきた。
「はぁ……」
俺は溜息ひとつ吐いて、まちが投げて散らかった駒を片付けると、羽毛布団を彼女に掛けた。
まちの横に寝転がり、以前より少し伸びた彼女の髪を撫でる。
「……ん……ひろみ、やめなさい……」
「はは……」
泣いた。
立ち上がり、戸を開け、ひろみの部屋に入った。
音を立てないように戸を閉め、ベッドに飛び込んだ。
まちから香るような、少し甘い匂いがした。
「ひろみ……」
未だ、悲しかった。
★
物音に気付いて目を覚ました。深夜だった。
部屋にあるデジタル時計を見ると、午前三時ちょい過ぎ。
今見ていた夢を忘れて何となく起き上がり、彼女に呼びかけながらリビングルームに出る。
「まち、おはよう」
まちはいなかった。
「あれ?」
はねのけられた羽毛布団、カーテンは全開。
まちの靴はあったけど、コートがなかった。
台所には、水滴がいくつか付いたグラスがあった。
窓の鍵が開いていて、ベランダにあるはずのサンダルがなくなっていた。
「そんな、嘘だろ……」
――まちが出て行ってしまった。
そう思った。
俺に愛想をつかせたのだろうか。そうであるなら仕方のないことだと思った。
でも、もしも彼女が、「自分はここにいてはいけない存在なんだ」と思って出て行ってしまったとしたら……。
そう考えて、腹が立った。
勝手に後者だと決め付けて、新渡戸じゃないが「級長」と呼びつけて、頬の一つでも叩いてやりたくなった。
まちが行くとしたら何処だろうか?
――あの場所しかないと思った。
俺とまちで作った、レイコ達の墓。
リグレットとイノセンスが置いてある場所。
「まち……」
俺は服を着替え、靴を履き、窓の鍵は開けたままで、玄関のドアから走り出た。
「本当にもう……」
あの馬鹿、と思った。
「よし!」
いつもまちの背中に乗って見る景色を一人で走る。
寂しいと思った。寒いと思った。
それが情けなくて、またまちへの怒りに変換した。
スピードに大きな差はあれど、一人でレイコ達の墓にたどり着くことができた。
それで俺も一応強くなっているんだなということを実感しながらも、もうフラフラだったから、
――鍛錬不足よ。
といつものようにまちの声を思い出していた。
「はぁはぁ…………っん」
疲労で、目が霞んだ。霞んだ目の先に、人影が二つ見えた。
俺と……まち?
目をこすった、全然、違った。
「そうよ。岩城、森岡、松島、レイコが、ここに、眠ってるのよ」
まちが金髪の男に説明していた。
その金髪男の体躯に見覚えがあった。
「まち……」
俺は息を整えながら彼女に話しかけた。
まちは俺に背中を向けていて、振り返ってほしい気持ちと、それを少しこわがる俺がいた。
「え?」
「よかった……まち……」
安堵した。
いつもの赤いコートを着た、いつものまちだった。いつもの。
「どうして……ここに?」
でもその戸惑いにまみれた言葉は、いつものまちのような力強さやしなやかさはなくて、歯切れが悪かった。
だから、やっぱりもう俺達の家、あのマンションに帰って来る気がなかったんだと思った。腹が立った。――いや、違うか。腹が立っていたことを思い出した。
「心配、したよ」
そう言って、俺はわざとらしく金髪の男をにらみつけた。
どうしてこの男とまちが一緒にこの場所にいるのかと考えて、ある疑惑に行き着いた。
――まちが、また戦いに行ってしまうんじゃないだろうか、と。
そのために、あの〈器〉を壊して回っていた連中に自分から接触したのではないかと。
悲しみから逃げて悲しみを生む行為だと思った。
戦いが生んだのは、危機と、死と、勝利だけだ。
その先には悲哀しかなかったのに。
「何で、お前がまちとここにいるんだ」俺は言った。
「いや、偶然だ。ここに来たのは上の命令でな。器を生む者の本拠地の調査と、刀の回収、それだけだ。俺が刀見つけて出てきたところに蔵野まちがいたってだけだ」
「ええ。そして……ここに、来た」
蔵野まちという女はそう言いながら、リグレットとイノセンスを手に取った。
「きっと、まだ、戦う、運命なのね」
「まち……それは、『逃げ』だよ……」
逃避だと思った。
俺は逃げ続けることに長けているから逃げることに関しては一日の長がある。
だから、これは逃避だとわかる。
精神的に、ひろみの死という事実に背を向けて、誤魔化そうとしている。俺もそうしたくなったからわかるというのもある。
逃げるということを否定できない。肯定もできない。だけど、俺は、まちには、逃げてほしくないんだ。
押し付けや束縛に等しいこの感情と行動を、俺は抑えることができなかった。抑える気もなかった。だから「逃げ」だと言ってやった。
「何か、あったのか?」
金髪の男が俺たち二人を見ながら訊ねた。黙っていると、金髪は続けて言う。
「そうだ、あの〈器〉……じゃなかったな。名前は、たしかひろみ、山田ひろみはどうしている?」
まちが、彼女が死んだことを告げた。
★
再び戦うことを決めた蔵野まち。
白い剣を手に取った。
背中を向けて小さく手を振りながら金髪の男は去っていった。
俺が、彼女に向かって、「まちらしくない」って言った時、彼女は泣きそうな顔をして、こう言った。
「私らしいって、何?」
言われて、言葉に詰まった。俺はまちに人の理想を見ていたのかもしれないと思って、自分に腹が立った。少しの沈黙を挟んで、誤魔化すように、
「帰ろう」
と言った。
俺も逃げた。
★
帰り道、いつものようにまちの背中に乗って帰る。
どうやら、まちは、あのままどこかに消える気ではなかったらしい。
まちの背中はやっぱりどこか温かくて、心地よくて、離れたくないなと思った。
「まち」
まちの背中が、寂しそうに縮んで見えたので、俺はその背中を包み込むように抱きついて、耳元でささやく。
「まちが戦うなら、俺も、戦うから。まちが死ぬなら、俺も、死ぬから」
狂気だった。
でも、きっと、狂ってしまうほど愛していないと、繋がっていないと、悲劇になってしまう気がして、縛り付ける鎖のように、言葉を繋いだ。
一人じゃないよ、と、伝えて、強い蔵野まちを取り戻そうと思った。
閃光のように、勢いよく駆け出すまちの姿が見たかった。
線香のように、静かに燃え落ちてほしくなかった。
★
長身の金髪男は、それから三日後に俺達のマンションに来た。
「よお」
と、男は言った。
俺はまちのいるリビングに男を上げた。
「……来たのね」と、まち。
「ああ。まず、自己紹介だ」
金髪は、長い腕を広げて、そう言った。
「自己紹介? 今更そんな必要あるの?」
「ああ、あるんだ」金髪は自分の胸に手を当てて、「俺は、田山明孔っていう名前だ」
「誰かさんに似てるわね……」
「ん、俺の名前からとった?」
「はっは」明孔は乾いた笑いをして、「正解。あの時言っただろ、名前もらうぞって」
思い返すと、勝利してイノセンスを受け取った後、階段を上っているときに何か叫ぶ声が聞こえた気がしていた。あまりよくきこえていなかったので、まさか、そんなことを言っていたとは。
「あぁ……何か叫んでると思ったけども……」
「ひどいな、格好良く言ったつもりだったんだが……」
「ヒロアキとは似ても似つかないわね。改名しなさい」と、まちが不快感を表明する。
「別にいいじゃねえか」
「じゃあ金髪って呼ぶわ」
「そう呼ばれるのが苦しいと思ったから名前を持ったんだよ」
「ややこしいから金髪でいいわ」
「まち」
「何よ」
「新渡戸に、級長って呼ばれてどう思った?」
明らかに傷ついた顔をした。
「わかったわよ。田山って呼ぶわ」
「ありがとう」
はっはと笑って田山明孔はそう言った。
「……さて、じゃあ本題に入ろうか」
と、自分ばかり自己紹介を済ませて、話を進めようとした時、俺は、田山明孔の言葉をさえぎって、言うのだ。
「待ってくれ。まだ俺達の自己紹介してないだろ? 是非させてくれ」
「構わないが……」
「俺は山田ヒロアキ。天の声を経て謎の男となった第七帰宅部の名参謀だ」
「天の声? 謎の男? 第七帰宅部?」
「いや、まぁ細かいところを拾わないでくれ」
「細かいところも何も名前以外わけわからんぞ」
続いて、まちの番。
「私は、蔵野まち。級長と呼ばれ続けて、でももう級長じゃなくて、まっちーと呼ばれて、第七帰宅部の、船長よ」
「そう、まちは船長だ」
俺は頷いた。
自分から船長と言い張ってくれたのがうれしかった。
「なるほどな……第七帰宅部って、何だ?」
「第七帰宅部は第七帰宅部よ」
「そんなにいっぱい帰宅部あんのか?」と、田山は言う。
「あら、帰宅部って知ってるの?」
「俺も、学校に潜入したことくらいは何回かあるからな」
「そう、なの。派手で目立ったでしょう?」
「あぁ、この髪か? これはだって、染髪だから元々は黒いんだよ」
「あ、そうなの……そう……」
「やっぱゴールドはいいよな」
同意を求めて来たが、無視した。
「さて」田山は、手を叩き、「それじゃあ今度こそ本題に入らせてもらいましょうか」
田山明孔は俺の向かいに座っていた。
まちは窓から一番近い席。
俺の左隣。かつてひろみの姿があった場所に座っていた。
まちは立ち上がりながら、
「お茶、淹れるわね」
と言った。
「あ、俺コーヒー」
と、田山明孔。
「図々しいわね……」
「すまん……」
「コーヒーは、ごめんなさい、無いの。緑茶でいい?」
「紅茶の方が好きだな」
田山がそう言った時、
「…………わかったわ」
まちの返事が、とても苦しそうだった。
「……おいヒロアキ……」
田山明孔が小声で俺に話しかけた。台所に立ったまちに聴こえないように。
「何だよ」
俺もそれに応えて小声で返す。
「俺、今何か蔵野まちの気に障るようなこと言ったか?」
「いや……ええと、まちは今、怒ってるわけじゃないんだよ」
「え? あれでか? すげー怒ってるように見えるぞ?」
「素直じゃないから、すぐ感情隠そうとする癖があるだけ」
「じゃあ、今、どう思ってるんだ?」
ふとまちのほうを見ると、ガス台の上に置いたヤカンを焦点が定まらないような目で眺めていた。
「悲しんでる」
「何でだ」
「ひろみが、いつも紅茶を飲んでいたから」
しばし、沈黙。
「明孔」
俺は元の声に戻って、目の前の男の名前を呼んだ。
「何だ」
田山明孔も応えて通常の声に戻った。
「大事な人を失ったこと、あるか?」
新渡戸夕貴にとっての新渡戸夕実や新渡戸の父親のように。
加賀や新渡戸にとっての霧野みやこのように。
岩城、森岡、松島にとっての白石レイコのように。
俺やまち、そして新渡戸にとっての山田ひろみのように。
それを知ってどうしようと言うのだろう?
俺自身の投げたその質問の意図がわからなかった。
もしかしたら、その返答で彼と感覚を共有できるかどうか判断しようとしたのかもしれない。
俺は心の中で、きっと彼はそのような経験はないだろうと思った。
根拠は無いが、共感を得られないということを確認したかったんだろう。
――俺の心は弱かった。
まちを縛りつけ、田山明孔を精神的に遠ざけることで優越感を得ようとでもしようとするようだった。
共感されないことでまちを独占できると思ったのかもしれない。
子供っぽい、独占欲。
俺はその考えに至った時、後悔の念に駆られた。
「はっは」
しかし明孔は、また乾いた笑いを浮かべた後、無表情で言葉を繋いだ。
「あるよ。大事な人、殺した」
「え?」
訊き返してしまった。
あまりにも予想外だったから……。
「たとえば、〈器〉に恋してしまう男がいると思うか?」
「いるだろう」
加賀と新渡戸のように。
まぁ、俺も含まれるのかな。ひろみは、とても大切な家族だったし。
「俺も、そうさ。恋をした。人形に」
その時だ。
「……人形なんかいない!」
黙って話を聞いていたまちが叫んだ。
「人形なんていないのよ! 生きていたら、誰も、人形じゃないのよ。人間なのよ!」
まちの言葉には応えずに、田山は続ける。
「……その子は、〈器〉で、目が見えなくて、触覚は微かにあったが、痛覚はなかった。味覚もなかった……。あるのは、聴覚だけ。耳で音を聞いて、少しの言葉を発することができるだけだった。それでも、生きていると言えたかな? 常人が持っている、当たり前、を半分たりとも持っていない彼女を人形と言わずに何と言えたかな」
「じゃあどうして明孔はその子のことを好きになったの?」
「……わからない。だけど、きっと、欠けていたから。その少女に、人間として何かが欠けている自分を重ねて、好きになった。一種のナルシシズムにも似た感情なんじゃないんだろうかって思うね」
予想外だった。
悲しい過去なんて抱えていないと決め付けて、その確認をして愉悦しようなどという浅ましい思いが破られたことで、そんな感情が自分の中にあったことに気付かされて、よくわからない怒りがこみ上げた。
「紅茶よ」
怒ったような口調でそう言って、まちは田山、俺、まちの順にカップを置いた。
「ああ、ありがとう」
紅茶を一口飲み込んだ田山は、
「アールグレイか」
と言った。
「ダージリンだろ」
俺が言うと、
「……アールグレイよ」
まちが言った。
「変えたのか……」
「ええ……」
この利き紅茶で俺は一回も正解したことがない。鍛錬不足だ。
★
「さて、本題だが、先日、ジジイの所に一人の女が訪ねて来たらしい。そしてある依頼をした」
ジジイというのは、名前のない男。組織のトップの男のことだ。
「その女は何者なの?」
「不明だ。ジジイが言うには、その女が、ある場所に敵の研究施設があることを伝えてきたって話だ。そして『自分一人の力では手に負えそうにないから協力してほしい』と言ったらしい。〈器〉に関することは、ジジイが言うには『ある男との約束』とのことだから、その共同作戦に賛同した。罠の可能性もあったが、〈器〉の存在を許してはいけないという思想が勝った。そしてその女が嘘を吐くはずがないというのもあるらしい」
なんか話があまりよく見えなくて、わけがわからんが、そういうことらしい。
「ある男との約束って、たぶん松島のことね……」
「ああ」
松島は、〈器〉をめぐる研究をやめさせようとしていた。彼も、もうこの世にはいない。
「……作戦の説明に移るが良いか?」
「ええ」とまちが頷く。
「今回指揮を執るのは、あのジジイだ。だからなるべくあのジジイの言葉には従ってくれ。それで、実は敵の施設の詳細な情報は無い」
「どうして? 侵入した女は情報を握ってるはずでしょ?」
「それが、侵入してないらしいんだ。警備が厳重で、入り口で危険を感じて退いて俺たちのところに来たんだとさ」
「何とも言えないわね」
「……そうだな。位置的には俺たちの拠点、つまりあの白い建物に集合するのが近いからそこに集合。詳細且つ最終的な打ち合わせをしてから目的地へと向かう。俺の部下に偵察させて情報を得てから乗り込む算段だ。組織の戦闘要員ほぼ全員を出動させる大作戦になる。最終的には、俺たち五人の本部隊が敵の奥深くまで潜入し、敵を討つ。単純な作戦。そのための陽動や逃走路の確保に人数を割く予定だ」
「奥まで行く五人っていうのは?」とヒロアキ。
田山明孔は指折り数えながら、言う。
「ん、ジジイ、俺、協力を要請してきた女、山田ヒロアキ、蔵野まち、その五人だ」
「俺たちは、随分評価されてるんだな」
「当然だろ、お前ら二人は俺と同等……というかそれ以上の力を持ってるんだ。自信を持ってもらわないと困る」
「そう……」と、まち。
「決行は、三日後。体調を整えていてくれ」
「わかった」
「じゃあな……紅茶、うまかった。ありがとう」
田山明孔はそういうと足早に玄関に向かい、黒い革靴を履いた。
「じゃあ、三日後の朝に、あの施設で」
俺はそう言って、彼を見送った。慌ただしかった印象を受けた。忙しいのだろうか。
静かに扉が閉まる。まちは無言で見送った。
「ねえヒロアキ」
「何だよ」
「これ……」
まちは、鞘に入った刀を差し出した。
「ああ……」
俺はそれを両手で受け取った。
関わった者として、今度こそ最後の戦いになればいいと思う。悲しんだ者として、今度こそ悲しみの連鎖を断ち切れればいいと思う。光射す未来が、あればいいと思う。




