Chapter22 孤独
視点:加賀遊規→新渡戸夕貴
狭い世界。
六人組が孤立している世界。
その中でも俺は孤独だった。
皆に手を繋がせて、それを見るのが幸せと、決め付けて傍観する。いつの間にか俺は、誰かの差し伸べる手を待ってしまっていたのかも知れない。俺らしくもない。本当に俺らしくない。
親父が死んだと聞かされて、それを簡単に受け取れるほど、俺の感覚は麻痺してはいなかった。
信じられなかった。
卒業したら親父を探そうと思っていた。目をさませとぶん殴って、連れ戻すつもりでいた。その必要がなくなってしまって、ここでまた「生きがいが一つ減った」なんて本心を口走ってしまったら、面倒なことになりそうだったので、強がった。見透かされて、泣いて、優しく頭を撫でられた。
いつも俺を拒絶する山田ひろみが、
「ゆっきー」
なんて呼んで、好きだと言ってくれた。
かつて、加賀とヒロアキの手を引いて馬鹿騒ぎしていたあの頃のことが頭に走馬灯のように浮かんで消えた。
今では俺が一人で閉じこもって、皆が繋いだ手を伸ばしてくれるのを待っていた。
そのことにずっと気付かないでいて、ひろみのちっちゃな手の平がそれを気付かせてくれて……。
「俺もひろみのおっぱいは好きだ」
ひねくれた俺は最低な返し方をした。
それすら許してくれる皆を、馬鹿だと思った。
俺のような救いようのない大馬鹿を前に、五人が手を差し伸べる。ぼやけ切った視界を閉じて脳裏に浮かんだその画は、たまらなく嬉しくて、同時に寂しかった。
孤独の中の孤独に俺はいる。
夕実が死んで、霧野みやこが生まれ、「夕実夕実」と憑かれたように親父が呻きだしてから、俺と親父は親戚とも疎遠になり、狭い世界で孤立していった。
誰にも忘れられたように……。
夕実がいなくなったとき、母親に付いて行けば、全く違う未来が待っていたかも知れない、でも、失われた可能性に思いを馳せることに何の意味もなかった。
何の結果もついて来なかった。
ただあるのは、つながりがどんどん失われていく言いようのない恐怖と、嘘を吐き続けてそれがいつ暴かれるとも知れない恐怖。
本当の俺はどこかに沈み、ただ嘘を吐く機械のようになっていたような気さえしてくる。
★
加賀が、霧野みやこの葬式をしたいと言った。
俺は、霧野みやこの墓を作ろうと言った。
この家の庭に作ることにした。
家の庭に墓を作るなんてことは、法律で禁止されているのを知っていたが、それは言わないことにした。
俺に何ができるだろうと考えた結果として、庭を二人にあげることにした。
ああ、そうか、この灰色な気持ちは、俺が親父や夕実とちゃんと別れていないからそんな色なんだ。
そう思った。
ずっとフィルターが掛かったように見えなかったものが、加賀の一言から見えた気がした。
大々的に葬式をしたとして、誰が別れを告げにくるだろう?
孤立し切った俺と親父に、誰が会いに来てくれるだろう?
そう考えて、葬式はしないことにした。
親父が埋まって死んだなら、研究していた奴らもきっと全員……。
ヒロアキはそんなことは言わなかったけど、この推測は俺の中で確信に近い。
全ての死を心の中で悼むが、モヤや霧のかかった感じは晴れやしない。
いつも俺が雨を降らせようとした。
演劇を提案したり、それよりもっと以前に、何度も加賀とヒロアキの手を引いて外に飛び出した。
加賀は特に閉鎖的で、受動的で、俺が引っ張り出さないと何も動きそうになかったから、甲斐甲斐しくあろうとした。
そんな加賀が、あの霧野みやこと出会って、やっと自分の足で歩こうとしていることに気づいた時、俺は親みたいに嬉しさと寂しさを感じ、俺が雨を降らしてやる意味も、傘を貸す意味も、手を引っ張ってやる意味すらも失ったことに、最大限の孤独感を覚えた。
なんだ、俺は、加賀に依存して、嘘に依存して、馬鹿みたいに虚勢張って、本当の俺は閉じこもったまま親父と同じように「夕実夕実」と言っているだけだったんだな。
――そう、気付いた。
「人間は孤独なものだ」
色んな人がそんなことを言う。
色んな本がそんなことを言う。
加賀が第七帰宅部というものを発足させた。
俺は皆を牽引しようと、必死になってリーダーっぽくあろうとする。それは、孤独を紛らわそうとする行為にも思えた。
皆の手を一人ずつ引っ張り上げる。
加賀と高島の手を繋がせ、高島とひろみは自然に手を結ぶ。ひろみの手を取り合うようにヒロアキと蔵野まちが繋がっていく。
俺はそれを見て一人、「見ているだけで幸せだ」と自分を最大限に大きな笑いで嘲笑しながらそこにいる。
馬鹿だって思われるだろうな。
笑えてくる。
そもそも第七帰宅部なんてもの自体が非常に閉塞的だ。
六人、霧野みやこを含めれば七人。
まるで罪や罰や悲しみ、そして死で繋がれているかのようで、それを考えれば外に広がって行かないのも、ネガティブなのも無理からぬことなのかもしれなかった。
俺はその中でも孤立しようとしていて、伸ばされた手を受け取った振りをして……また嘘を吐こうとしていた。
すぐ大いなる嘘を吐いて、それを当り前のようにして、それが孤独を生んでいる。
論理はわかるが、どうしようもない。
――ロンリーな論理。
ただ俺は誰かがそれに気付いてくれるのを待っている。
なんだ……俺は加賀なんかよりもずっと閉鎖的で受動的で、救いようがない大馬鹿じゃないか。
加賀は先に進んでいく。高島と一緒に。
俺は停滞して、皆の背中に手を振るのか?
……それもいいのかも知れない。
一人、霧野みやこの墓に手を合わせる。
「お別れ、ねぇ」
ひとりごちて、心底思う。
嘘が人を引き離すことがあっても、人を繋げたりできないこと。
たとえ繋がったとしても切れ目を入れたゴムのように、簡単に裂けてしまう鎖。繋がっているように見えるのが逆に手に負えない。
「僕達は悲しいね」
いつか加賀がそんなことを言っていた。
きっと罪や罰や悲しみで繋がれた『僕達』というものに対してだろう。
俺から伸びた鎖はそれよりももっと薄っぺらくて、凶悪的に醜悪で、簡単に切れてしまう。切れなかったら切れなかったで、俺の体重よりも遥かに思い程の重量でブラックホールに吸い込まれるように皆を奈落へ飲み込んでしまうかも知れない。
――俺のせいで、皆が苦しんだりするのなら
思って、また死が頭をよぎる。
妹が死んだ。母は出て行った。多くの人と疎遠になった。妹の生まれ変わりも死んだ。父も死んだ。あの白衣の憎らしい研究員たちさえも死んだ。孤独になった。こんな広い家に一人きり、残された。
「どうして……」
俺ばかりが、どうしてこんな目に……。
被害妄想的な感情。はけ口が無い。
――俺は、悲しいね。
みんなで加賀の家に行って、味噌汁を食べた。
それはおふくろの味ではなかった。
違う。
俺の母親が作った味噌汁は――。
考えて、思いついた。
それは突然、頭の奥に閃いた。
「……あの場所に……行こう」
考えても考えても、答えなんか出ない。勇気を持って行動することが活路を拓くとどこかで聞いた。
母親が言っていたんだっけ?
記憶が、零れだした。
コップいっぱいに張り詰めた紅茶に、角砂糖を落としたように、それはほんの少し。台拭きで一瞬で元に戻ってしまうほどだったけど、決意を固めるのには充分だった。
東北にある母の実家近くには、新渡戸家先祖代々の墓がある。
元々親父もそこ出身だったから。
夕実の名も、俺の父親、健四朗という名もそこに刻まれてはいない。
でも、加賀が霧野みやこの墓に語ることで別れることができたのなら、俺も、その道を通り抜ける必要があるんじゃないだろうか。そうすれば、この不透明な曇り空が晴れるんじゃないだろうか?
★
朝十時、俺は自転車に跨った。
下り坂を漕ぎ出す。
高速で辿り着いた駅前、黄色い看板の古本チェーン店の前に自転車を放置して、横断歩道の前に立った。待ちきれずに押ボタン式と間違えて盲人用に用意されたボタンを押してしまい、白い目を向けられているように感じた。音楽が鳴る白黒の横断歩道を渡って、歩く。
駅で仙台駅までの切符と、新幹線の切符を買って、改札を抜ける。
階段を上って、丁度到着していた銀色ボディの快速電車に乗り込んだ。
地元の駅から東京駅へ。
東京駅から新幹線自由席に乗って、北へ。
眠っているうちに、仙台駅に着いた。
そこからまた一時間近く電車に揺られて、何年かぶりに、その駅に立った。
色んな思いがブラックホールに吸い込まれるように俺の中に溜まる。
運賃さえ払えば電車に揺られているだけで着いてしまうほど近い場所にあったことに気付いてみたり、相変わらず何も無い駅に懐かしさに似た感情を抱きつつ、東京よりも寒いその外気の中に身を投じた。
駅からしばらく歩く。
「こんぬづわ」
東北訛り。
「あ、こんにちは……」
すれ違った老婆が、笑顔で声を掛けてきて、俺は戸惑いながらも挨拶を返した。
道を憶えていなかったが、墓地のすぐ隣に学校があったのを憶えていたから、田んぼや雑木林だらけのその道を長いこと迷った後に辿り着くことができた。二時間かかってしまって、陽が傾きかけていた。先刻すれ違った老婆に道を訊けばよかったなとか思ったが、過ぎたことには手の加えようがない。
ようやく墓地に着いた俺は墓の前に立ってようやく、自分が何も持たずに墓の前に立っていることに気付いた。
花の一つでも、持ってくるべきだった。
そんな風に思って、その後に、無知を呪った。
どんな花を持ってくればいいとか、そういうことも、何も、知らず、考えず、ただここに立つことしか考えていなかった。
今さら花を買ったり摘んだりしていたのでは日が暮れてしまうだろう。
俺は『新渡戸家累代之墓』と刻まれた巨きな石の塊に、途中にあった水道でバケツに溜めた水を、柄杓で汲んでバシャリとかける。
随分昔に一家揃って墓参りした時にそうしたのを覚えていたからだ。周りを見渡すと、その墓は放置されていたわけではないようだ。
誰かが手を入れて管理してくれていた。
親戚にあたる新渡戸の家の人の誰かかな?
でもそんな疑問はどうでもよかった。
俺は俺の果たしに来たことをするだけだ。
俺以外に誰もいない墓地で、俺は、そこに居ない二人に語りかける。でも二人が入るはずだった場所だから……。
「夕実、親父……さよなら」
それだけ。
――それだけで、澄み渡った。
「…………」
一分くらい無言で空を眺めて、俺は全ての儀式を終えた気がした。
踵を返して歩きだす。
「こんにちは」
すれ違う着物を着た女の人に、こちらから頭を下げる。
「こんにちは」
同じように返ってきた。
高台の墓地から坂を下って、来た道を戻る。「さよなら」と、そう言うために俺はこの場所に来て、そしてまた帰っていく。
俺の居場所は、今はもう第七帰宅部。過去や先祖様から離れて孤独になろうとも、仲間がいる。
独りじゃない。
「もう一度ここに来る時には、もっと勉強して、しっかりお参りしよう」
振り返って呟く。
再会を約束するように。
俺は、何も知らない。どんな風に故人を送ればいいのかも、今は何も知らない。きっと母親も生きてどこかで幸せに暮らしている。そう願う。
色々な願いが渦巻いて、ホワイトホールから出て何処かへ飛んで行ってしまうように、一つずつ軽くなっていった。
駅に着いて、三十分待って電車に乗った。
電車から見えた紫がかった空が、とても綺麗で、車内に誰もいないのをいいことに、泣いた。
いけない。
最近涙腺がすっかり緩んでしまっている。
仙台駅で、土産に、月の形をしたお菓子と、ずんだもちと、かまぼこを買って、東京の俺達の住む駅までの切符を買う。
新幹線が走りだした頃にはもう真っ暗で、窓から見える光が退屈だったので、俺はまた往路と同じように眠ってしまった。
子供の姿の第七帰宅部の面々が、皆で手を繋いで七人八脚をするという恥ずかしい夢を見て、到着後の車内を見回っていた駅員さんに起こされて、はっと起きた。
「あ、すいません」
どうしてか涙声でそう言って、駅のホームに出た。
――うわ、恥ずかしい。
そう思った。
「あ、待って待って、これ、君のだろ? 忘れ物」
さっきの駅員が、俺が買った土産の入った袋を渡してきた。
なんというミスを……子供みたいな抜けっぷり。
「ありがとうございます」
袋を丁寧に受け取ると、頭を下げて、歩き出す。
さっきまで県を三つほど跨いだ場所に居たなんて信じられないくらいに見慣れた喧騒。
東北訛りの言葉も聴こえては来ない。
俺はそんな場所に戻ってきたことに、何だか安心した。
ああ、それにしても、何て有意義な一日だったんだろうか。放置した自転車も撤去されずに無事だったし、俺はきっと新しい一歩を踏み出せる。
加賀達と並んで歩ける。
――やっと、ここまで来られた。
さて、部長として、次に何やるか、考えないとな。




