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第二部:RE LOAD
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Chapter15 もう一度あの場所に-1

視点:山田ヒロアキ→新渡戸夕貴

 もう一度あの場所に。そこにあの娘はいなくても、あの娘が待っているはずだから


 お前の手を必要とする……あの娘が。


 少年よ、あの娘の手を引けるのは……。


  ★


 生(・)き(・)が(・)い(・)、という言葉を使ったから、きっと加賀やヒロアキには危機感を抱かせてしまったと思う。


 僕がいなければ、俺がいなければ、僕が幸せになるよりも、俺が幸せになるよりも。


 ……そんな風に、身を案じさせてしまう俺自身が、どこか気に入らない。


 ここ数日は、猫のように寝込んだり、布団は吹っ飛んで行かなかったりの擦らず揉まずのハイスピード毎日だった。


 何かを書き上げねばならないという自分に課した使命は、俺にハイスピードで筆を動かさせたが、一日の短さを嘆きながら自分の力不足を痛感する結果となった。


「ダメだー、終わらん」


 ルーズリーフに殴り書いた台本の筋が、どうにも繋がらない。


 妥協しようにも全力で搾り出そうにも加賀には辛い記憶を呼びさまさせてしまうだろう。


 メモばかりが散乱し、部屋を見渡せば目も当てられない惨状が参上。


 純粋な文化祭の舞台からの続編にするのか、全く新しく加賀の一歩を踏み出させるのか。


 俺は迷う。


 かつて、俺は死のうと思っていた。


 加賀とヒロアキ、そして高島の訪問がなければ、俺はアホきわまることに一人で腹を切って死んでいただろう。加賀とヒロアキに超超怒られながら死んでいただろう。


 恩は計り知れなくて、加賀を夕実に縛り付けていた罪も償おうと思って、俺は生きた。


 嘘という表層を剥がしたら、俺はあんなにも弱くて、こんなにも弱くて、何かに依存せずにはいられなくて。それは俺が加賀が赦すまで俺の罪を忘れないことと、とうに許してしまっている蔵野まちという存在を表向き許さないことにするという馬鹿みたいな行動だった。


 あぁ、俺はまた、加賀に嘘をついているんだな。


 もしかしたら依存している何かって、嘘、のことなのかも知れない。


 だとしたら……誰が俺という人間に近づいても、損をするだけだなって思う。


 キャスト。

 俺は天の声になるとして、高島は姫だな。

 加賀はセバスチャン。ヒロアキが颯爽と現れる謎の男。

 ……蔵野まちは、級長。魔女を、ひろみに代えれば、続編できるな。


 背景大道具とかは使えないだろう。


 心眼と小道具で埋めるしかない。


 衣装に関しては、使いまわせばいいかな。


 級長とヒロアキは……面倒だ、制服のまんまでいいだろう。


 ――続編でいこう。


 既に決めていたことを改めて心の中でそう決めて、俺は再び筆を動かす……と、


 ジリリリリリリリと出足払いの目覚ましベル。


 俺は二分くらいかけて五回、六回、溜息を吐いてから筆を置き、学校に行く準備をする。

 立ち上がって部屋の窓から見えた公園に、散歩する人や太極拳に興じる人などが見えた。


  ★


 その日の昼休み。


 いつものように机をくっつけて、教室の廊下側後列を占拠する。


「今日も山田君の家に集合なのかなぁ?」


「……さきちゃん……そんな先の事よりちゃんとイマを見つめないと」


「おい加賀。今のダジャレか?」


「ちがうよ……どこがだよ……」


 高島の名前である「さき」と「先」がダジャレというのは、ちょっと判定が厳しいと思う。


 それにしても、どことなく元気のないやり取りだった。というか、蔵野まち以外五人に漂う弛緩した空気は何事かと言えば、実は……。


「しかし、昨日が嘘のようだね」と加賀。


「そうそう。昨日の分ロッカーとかに入れておけば凌げたかも知れない」ヒロアキ。


「腹壊しそうだな、それ食ったら」俺が言う。


 昨日は十六個の弁当箱が溢れていたというのに、今日になると一個だけにまで減少したという怪奇な現象。


「この一個は誰が持ってきたんだっけ?」


「あたし……」


 高島さきのものらしい弁当が、六つの机の中央に置かれている。


 高島さきは、ちょこんと控えめに挙手して何となく申し訳なさそうな顔をしていた。


「いや僕はやっぱり、ここは持ってきたさきちゃんが全部食べるべきだと思うんだ」加賀。


「なぁ、まち、ちょっとひとっ走りコンビニまで行って何か買ってき――」ヒロアキが言いかけて、


「私をパシリにしようだなんていい度胸ね」まちがキレかけていた。


 今から校内の売店に行っても大したものは残っていないだろう。

 食堂に行っても良いのだが……。


「ちなみに俺は今日財布を持ってきていない」俺は言う。


「私も学校には持ってこない主義だ」何の主義だ、この女。


「俺も」ヒロアキ。


「僕も今日はヒロアキの家に忘れて……」加賀。


 申し合わせたかのようにそんな事態。加えて男性陣は全員徹夜明けときている。


「あたし、少しあるよ」


「さすが高島!」


「山田君に褒められても嬉しくないな」


 酷いことを言っていた。


 ヒロアキが高島のことを好きなのを知ってか知らずか特にヒロアキに対する高島の態度は厳しいと感じる。少し不憫に思えるが、それを問い詰めてやめさせるような優しさを俺は持っていないので、気にしないことにしよう。


 あぁ、こんなことを考えるエネルギーが勿体なく感じる。


「で、高島よ、金額は?」


「……あれー……もうちょっとあると思ったんだけどな……百五円……」


「前言撤回だな……」


 ええと……ここは、日本だよな。百五円でできることは……何だろう。


 何を買ってもわらしべ長者的に五人分の食料が手に入ることはなさそうだ。


 某十円棒菓子十本とか涙出てくるよな……。


「いいか、一個の弁当を六人で分けるのはあまりにも悲しいだろう。せめて二人だ」


「あ、じゃあ……」


「加賀ばっかり良い目見るのは気に入らない」俺は先回りして制した。


「むー……あたしのお弁当だよ」


「いいや、この弁当は第七帰宅部のものだ!」


「……そうなのかな……」不服そうな高島だった。


「よって、部長であるこの新渡戸夕貴のものだ!」


 俺が言うと、級長の鋭いツッコミ。


「――ないわ」


「その、また馬鹿が何か言い出したよ、みたいな視線はやめてくれ」


 沈黙が怖い……。


「そもそも級長! 何故今日は弁当がない!?」


「級長じゃない。だってヒロアキが、どうせ高島か新渡戸が作ってくるから。とか言って私が作ろうとしたのを止めたから」


「嘘つけ!」とヒロアキ。


「言ったじゃない」まち。


「確かに言ったが、作ろうとなんてしてなかっただろ?」


「気持ちの上では作る気だったの!」


「時間ギリギリまで紅茶飲んでたくせに!」


 なんか喧嘩を始めてしまったので、俺が割って入り、


「夫婦喧嘩はそれくらいにしてだな……」


「誰が夫婦だ!」

 蔵野まちに怖い顔でにらまれた。


 怒りゲージが激増した感じがする。火に油を注いだだろうか。


「とにかく、言い争っても体力を消耗させるだけだ。ここは公平にジャンケンといこうじゃないか」


 ジャンケン。

 実は俺達にとってジャンケンは公平ではない。


 本人が意識していないが、最初の一手に何を出すかが決まっている人間がいる。


 あるいは最初に絶対にこれを出す、と決めている人間がいる。


 長年に渡る統計の結果、高島さきと加賀遊規は九割の確率で初手にチョキを持ってくる。


 そのため掃除当番時のゴミ捨て係になる確率が高い。


 そして初心者であるひろみと蔵野まちは高確率でグーを出す。


 ヒロアキは俺と同じ考えに至っているはずだ。


 となればここで選択するのは、……グーだ!


 全員立ち上がって各々構える。


「ジャンケン……ポン」


 完璧……完璧だった。脳内物質がダラっと出るような感じがした。


「うそー!」

「げ」


 高島さきと加賀が仲良く脱落。


 チョキ一辺倒だからちょろいもんだ。


 残りの四人はグーだった。


「負けるが勝ちって言わない?」


「加賀、何をいっとるんだ。脱落者は座って見ててもらおうか」


「むー……」むくれる高島。


 二人は椅子に座って観客へと落ち着く。


「なるほど、チョキがああいう形なのね」

 と蔵野まちが言った。


 二回戦を前にして今の発言……その真意を考えろ。


 ……つまり蔵野まちがジャンケンをやったことがない。そしてパーを見たことがない。つまりパーを出さないということ。出せないということ?


 だとするならばグーが安全!


 ……いいや待て待て待て。


 これは、罠だ。


 蔵野まちは掃除当番ジャンケンをやったことない筈がない。


 つまりこれは俺を罠にはめようとしているということ。


 だから蔵野まちの選択はパーだ。確定。問題はこれをヒロアキがどう判断しているか、だ。ひろみはおそらくグーだろう。ここは一人でも敵を減らしていく作戦でいくべきだろう。ひろみがグーならば級長を潰しにいったときに、あいこになってしまうことは確実。


 となればここは、ひろみを負かして飯にありつく確率を上げるしかない。

 なぁ、ヒロアキ。そうだろう?


「二回戦、いいか?」


「ええ」


「ジャンケン……ピョン!」


 緩急をつけてみた。


「ピョン!?」


 変なこと言わなければよかった……きっと俺がピョンなんて言ったから、こんな予想外の展開が……。


「そんな、馬鹿な……」


 ひろみの手が、ピースサインだった。


 他三名の手は広げられていて、つまり、言ってしまえば、平和を願う心に負けたとか言ってしまおうか。……何言ってんだ俺……。


「ひろみの勝ち……?」まちは驚きの表情。


「そう、級長の負けだ」俺が言う。


「級長と呼ぶな」


「さて、弁当にありつけるのは二人、だったよな」


 そう言ったヒロアキは、勝負師の目をしていた。

 いいだろう、望むところだ。俺もヒロアキには負ける気はない。


 存分に、やり合おうじゃないか。


「ああ。あと一人。決着を……」


 俺は言って、ジャンケンの動きに入ろうとした、のだが……。


 山田ひろみは、マイペースを発揮した。

 高島さきに向かって弁当を差し出したのだ。


「さきちゃん……半分こ……しよ?」


「え? あたし!? え……え……でも……」


「お願い……」


「お、お願いされちゃしょうがないか……あはは……じゃ、いただきまーす……あ、あれ……やっぱり、駄目?」


「……いや、どうなんだろうね。これは領土問題とか並に複雑な問題だな」と俺。


「そうだな。複雑だなぁ」ヒロアキ。


 高島が昼食を口に運ぶのを指をくわえて見ている俺達。


 加賀はいつの間にか眠気に負けて机に沈没していたから三人の飢えた人間の目が高島に向いているわけで……。


「……さきちゃん……おいしい?」


「ん、うん。おいしいよ。ありがと、ひろみちゃん」


「高島、おいしい?」これはヒロアキ。


「おいしいよ……」


「さき、おいしい?」蔵野まち。


「……うん、おいしい……」


「高島、おいしいか?」俺もさらなる追い打ちをかける。


「おい……しいけど……」


 しばらく三人、無言で高島さきの食事姿を見つめ続ける。


「おいしいです! お母さんのお弁当最高です! 誰にも渡しません!」


 高島が、泣きそうになりながらそんなことを言っていた。


  ★


 また放課後になった。


 俺が家で台本書くと言ったので、今日の活動は無し、ということだった。

 まぁ普段の活動ってのは、要するに遊んでいるだけなんだが。


 俺はさっさと家に帰り、創作活動に取り掛かる。

 思ったより早く仕上がって、太陽が出ているうちに眠りに就いた。


  ★


 翌日。


「台本できたぜ」


 完成した台本をひらつかせながら加賀に言った。


「ん、おう。読ませて」


「これ」


 朝のHRが始まらないうちに読ませる。

 流し読みした加賀は、


「いいと思う」

 と言った。こいつ絶対ちゃんと読んでない。この腰抜けセバスチャンめ。


「おお、続編なんだ。楽しみ」

 と姫。


「私も出演? まぁいいけど」

 と級長。


「あれ? 俺今回天の声じゃないの?」

 と謎の男。残念ながら今回は天の声は俺、新渡戸なのである。


「……やってみる。できるかどうか、わからないけど……なんとか」

 と魔女さん。


 昼休み前に全ての出演者に了解をとった。

 全員合わせても六名だけの小規模なものだから容易だった。


  ★


 昼休み。


「よし、じゃあ、これでいくぞ」


 話し合った結果、弁当係となった蔵野まちが作ってきた弁当の前で、天の声である俺が言う。


「おー」「おー」

 高島と加賀が二人、ノリノリで返事を返してきた。お似合いカップルめ……。


 ともあれ、加賀が、新しい一歩を踏み出すための小さな舞台。


 俺も新たな一歩を踏み出せるように、精一杯作ろうと思う。そこに客がいなくとも、そこに背景がなくとも、第七帰宅部とかいう変な名前の集団の、仲間がいるから。


  ☆


 練習の日々が、はじまった。

 ヒロアキの家で読み合わせをした日、合間の休憩時にヒロアキが言った。


「なぁ、まち、いつまで俺の家に居座る気なんだ?」


「だって貴方一人だとひろみを襲いそうなんですもの」


「いや、連れて行けば良いだろう?」


「そうは言っても私一人で守り切れるかどうか」


「お前もしかして、金ないの?」


「そ、そんなわけないじゃない!」


「じゃあさっさと出て行って――」


「まぁまぁ、今は劇の練習中でしょう? そんなこと言ってる場合?」


 休憩中だから、別にどんな会話したとしても問題ない。

 ヒロアキも、


「誤魔化すな」


 と言っていた。


「何よ」


 なにやらモメていたので、そこで俺が割って入る。


「もう離婚の相談か?」


「新渡戸は黙って!」


 蔵野まちは、今までで一番怒ってたね。


 また、同じ休憩時間に、高島と加賀の間でも会話が交わされていた。秘密の会話だったのだろうが、コタツのない畳の部屋での会話を盗み聞きする悪趣味な俺がいたのだった。

 

「加賀君加賀君」


「なんだいさきちゃんさきちゃん」


「まちのこと、嫌い?」


「嫌いってわけじゃないんだ」


「じゃあどうして彼女と距離置くの?」


「それはだって……」


「みやこちゃんのこと、殺したから?」


「そうだよ」


「でも、仕方のないことだったんだよ?」


「そんな風に割り切れない程、霧野みやこのこと……その、好きだったし、そんな風に割り切れる程、蔵野まちのこと好きになれないから……」


「まちのこと好きになれないっていうのは嘘だね」


 高島は、加賀の嘘を的確に突いていく。


「かもね」


「何でそんな嘘つくの?」


「……わかんない」


「皆で仲良く、第七帰宅部とか変な名前だけど、皆で仲良くさ……」


「……もうちょっと……時間が欲しい……」


 いつかすべてのわだかまりがなくなる日が来ればいい。俺だってそう思うけれど、そんな日がくるとは思えないな。


 少なくとも、今はまだ。


  ★


 コタツから離れた山田ひろみが、台所で紅茶を淹れている。


「まっちー」と蔵野まちを呼ぶ声。


「何? ひろみ」


「まっちーお砂糖いくつ?」


「二つ」


 ひろみは、自分のカップに砂糖を手際よく入れ、そして、


「あたしは一つー……」自分で言って、自分のカップに砂糖を入れる。


 そんな風に、ひろみが蔵野まちの紅茶を淹れている様子を見ていたヒロアキが、

「まっちー……って?」

 と言った。


「急にそう呼び始めたのよ」


「まっちー」とヒロアキ。


「殺すよ?」


「すいません……」


 怒られていた。あの表情は危険すぎる。


 たぶん俺が言ったら蹴られていたな……。


  ★


 冷蔵庫をあけて中身を確かめながら、高島さきは言った。


「まちって何でそんなに料理うまいの?」


「え? そうかな?」


 蔵野まちには、そこまで料理上手だという自覚はない。


「そうだよ。あたしなんてこの間失敗して……」


「何作ってて失敗したの?」


「玉子焼きが……スペクタクルエッグに……」


「スクランブルじゃなくて……?」


「そんな可愛いものじゃなかったわ……」


 まちが、失敗料理がどんなものだったか想像するように首を傾げたところで会話が途切れ、高島はコタツのほうに舞い戻った。


「加賀君加賀君」


「なんだいさきちゃんさきちゃん」


「紅茶って、すごいと思わない?」


「何が?」


「こう、ポットにお湯をバァーーーってするじゃない?」


「……うんうん」


「そうした時にさ、葉っぱがバァーーーーって跳ねて、混沌になって、世界を色付けて沈んでいくじゃない? 何か天地開闢(てんちかいびゃく)みたいだと思わない?」


「……ん、世界の香りがするね!」


  ★


「新渡戸」


 蔵野まちが無表情で立っていた。


「何だよ、級長」


「……この級長という役の名前が気に入らない」


「ふぅん」


 やっぱそう言ってきたか。予想通りだ。


「変えろ」


「変えない」


「変えろ」


「嫌だ! 変えない」


「嫌だ! 変えろ!」


 口論になった。


「……そんなに嫌か? いいじゃねえか、級長」


「嫌だ」


「何でだ?」


「過去だからだ」


「過去を消したいのか?」


「それは……」


「お前はまだ級長のままに見えるぜ」


 嘘。大嘘だ。

 もう級長と呼んでいた頃とは違う。でも……


「……そう……でも、どうしても、変えて欲しい」


「断る」


「何で!?」


 興奮した口調。だからといって、ここは引けない。加賀のために、どうしても「級長」という役名じゃなくちゃいけないんだ。


「だから、俺にとってお前が級長でしかないってことだよ」


「……お願い……します……」


「どんな格好で哀願されてもこれだけはダメだね」


 俺は、俺だけは、まだ級長と呼ぶことにする。

 まだ、ね。


 苦々しい表情で、級長は黙った。


  ★


「まっちー」


「何?」


 ヒロアキの家、黒い魔女の衣装を纏ったひろみが蔵野まちと話していた。


「むねがきつい」


 ほほう、見れば素晴らしい巨乳が行き場を失くしているじゃないか。


「そうねぇ……どうしましょうか」


「こう、あれだ……胸の部分を開けちゃえば……」


 俺は素敵な提案をしてみたが、


「新渡戸は黙っていて」


 ひどい。


「そうねぇ……サイドを開けましょうか」


 そう言って、蔵野まちは、ハサミで縦にザクザク切った。

 どっちにしろ好感の持てる衣装になった。おっぱい万歳である。


「まっちー」


「何よ」


「なんかこの服恥ずかしい」


「我慢なさい」


 恥ずかしい……という感情がやはりあるのか……。

 霧野みやこの時も思ったが、器と人間って本当に変わらないんだな。


 ……というかちょっと待て!


 今俺の目に映っているものが真実ならば、山田ひろみは現在……ブラジャーをしていないことに!


 待て……よく見ろよ……黒衣のサイドが切られて白い肌が露になっている部分……そこにブラジャー的なものの紐的なものも何も見えないじゃないか。


 どういうことだ?


 これは一体どういう……いや、今は紐のないブラもあると聞く。


 いやいや、だがひろみや級長がそんなものを持っている気がしない。


 とにかく、ここは真っ直ぐに、ストレートに訊くしかない……。


 何故なら俺が紳士だからである!


「ひろみ……お前、ブラジャーしてないの?」


「……? ブラジャー?」


 不思議そうにカクンと首を傾げた。


「級長」


「級長と呼ぶな」


「ひろみにブラジャーさせてないのか……?」


「ブラジャーって何よ?」


「あー……あれ? お前普段その……胸どうしてるの?」


「胸?」


「ああ、そうだよ。女性の特長たる胸の膨らみだよ」


「こうしてるわ」


 そう言って上着を脱いだ体は、白い包帯のような布がぐるぐる巻かれ、恐らく晒し布というものだろうと思う。


「あーあー……そういうの漫画で見たことあるある」


「胸があると動くのに邪魔だものね。こうすることで素早く動けるのよ」


 意外と胸があった蔵野まち。


 わーい、谷間わーい。


 ――ってアホか!


 今論ずるべきはそういうことじゃない!


「高島! 高島ぁ!」


 隣の部屋で加賀たちと練習している高島を呼び寄せる。


「はーい?」


 引き戸が開いて顔を出す。


「ちょっとこっち来てくれ」


「何よ、新渡戸君。急用?」


「ああ、可及的速やかに解決しなければならない問題が発生した。これは我々の今後の活動についても関係のあることであり、プラス男性的且つ性的な何かに関係する事象であり、もちろん女性的レディ的何かに関係があり、俺としては自称ジェントルマンとして……」


「要するに何よ」


「ブラジャーについてだ」


「ちょっと! 何よそのジェントルさのカケラもないセクハラ」


「いいからちょっと来てくれ」


「何だなんだ? どうした? 俺の高島に何か用か?」ヒロアキが来た。


「あたし山田君のものじゃないよ?」


「……冗談だよ」


「どうしたの? 新渡戸」と加賀。


 加賀とヒロアキまで付いてきてしまった。

 ブラジャーという単語に誘われやがって変態め。


「いや、男性陣はいてはまずいだろうと思う。ここは隣の部屋にいてくれ」


「何で新渡戸だけいいんだよ」


「俺も事情を話したらそっちの部屋行くから!」


「よくわからんが、わかった」


「高島、こっちへ」俺が高島を連れて山田ひろみのもとへ。


「どういうこと? 新渡戸君」


「まぁ、まずあれを見てくれ」


 そう言って山田ひろみを指差した。


「ねたましい胸ね」と高島さき。


「そこじゃない。彼女は今、ノーブラだ」


「うわ、ほんとだ。そして何でまちまで脱いでるの?」


「新渡戸に命じられた」


「新渡戸君……退場!」

 そう言って高島主審がレッドカードを出すジェスチャー。


「いや、まて、誤解するなよ? 決して変なことは」


「問答無用でーす!」


 腕を引かれて隣の部屋へ押し込まれた。


「加賀君! 山田君! 懲らしめてやりなさい!」


 バダン!


 引き戸が閉まる強烈な音。


「新渡戸……お前、何したの?」


「いや、特には……」


「そして何で聞き耳立ててるの?」


「しっ」


 だまれ、おっぱい談義が聞こえないじゃないか!


 気付けば頭の上に顔が二つあり、俺の肩に加賀の手が置かれていた。


 つまり三人で扉の向こう側に聴覚を集中させる。


「……ちょっとまち、どういうこと?」


「さき、ブラジャーって何?」


「まち、それ本気で言ってるの? ほら、体育の時間にさ、着替える時皆付けてるじゃない」


「あぁ、あれのこと?」


「そう、これのこと」


「なるほど、それね」


 高島も下着姿ということか!

 エキサイティング!


「さきの胸って、あまり膨らんでいないのね」


「んな!? まち……言ってはいけないことを……」


「どうしたの? さき」


「いや、何でも?」


「それで、ひろみにブラジャーを与えていないのかと新渡戸に迫られて」


「それで脱がされたのね?」


「……ちょっと違うけどそんなところ」


「最低ね、新渡戸君たら」


 たしかに蔵野まちは嘘は言っていないけども……だけども……。

 なんか誤解が生じてる気がする。


「つまり、こういうことね? ひろみちゃんのブラジャーを奪った新渡戸君がお前のブラもよこせ、と言ってまちに迫った」


「それは違う」


「ありゃ違ったか」


 そりゃそうだ。なんで俺がそんなブラジャーコレクターみたいなことをしてることになるんだ。名誉棄損で訴えたい案件だぞこれは。


「ひろみにブラジャーを買ってあげて欲しい」と、級長。


「あたしが?」


「私じゃあどんなのがいいのか、わからないから」


「……じゃあさ、まちも一緒に行こうよ」


「私は……」


「まちも持ってないんでしょ?」


「持っていない」


「じゃあ決まりね。行こ」


「でも……」


「大丈夫大丈夫」


 高島の声が近づいてきて……。

 ガラ!

 突然戸が開いた。高島が俺たちに報告し、出かけることを伝えるために開けたのだ。


「にと……」


 俺の名を呼ぼうとして固まった高島さき。

 俺たちもまた、固まっていた。三人、縦に並んで戸に耳を向けたままの姿で。



「…………」

「…………」

「…………」


「三人とも何してるの?」


「あ、さきちゃん……えっと、新渡戸に面白いものが聞けると言われて」


「加賀君加賀君」


「え。何……か?」


 加賀が一方的に責められている。

 反論の余地はない。


「嘘でしょ?」


「はい」


「そんなに胸の大きな子が好きなんだ!」


「いや、それはないけど、何があったのかなって気になって」


「警告! 警告! 二枚合わせて新渡戸君退場!」


「俺!?」


「と、いうわけであたしたち三人は出かけてくるからね! わかった?」


 ピシャッ!

 戸が閉まる音。


  ★


「そういえばひろみちゃんは、全然頭痛がなさそうだな」加賀が言った。


 霧野みやこは、頭痛で倒れることもあったけれど、ひろみは、頭痛を訴えることすらない。


「そうね……。個人差があるのかしら」


 まちが言った。


「霧野みやこの時は三日間薬飲まなかったくらいで倒れたよな」


 俺も経験談を述べる。


「うん。その後もずっと痛みがあったみたいだし……」


「ひろみ、頭とか痛くない?」


「まっちー。ううん、痛くない……。お薬飲んでた頃は、頭の中がザァーってしてたけど、今はもう何ともない。湖みたい」


「そう……」


「加賀、どう見る?」と俺。


「可能性その一、今まで投与された薬が少なすぎて頭痛にまで至らなかった。その二、毎日摂取している栄養素のため。あるいはそれら両方……僕に考え付くのはこのくらい……」


「ひろみもだんだん話し方が、何と言えばいいのかしら、流暢になってきたわよね」級長。


「霧野さんの時もそうだったよ。何ていうか、最初は言葉を一生懸命探しながら話している感じだったけど……」


「毎日摂取してるものって何かあるか?」


 俺がきくと、すぐに級長が応える。


「紅茶ね」


「俺は過去にこんな話を聞いたことがあるんだが、脳は身体の足りない物質を摂るように指令を出すって言うんだよ。糖が足りなかったら甘いもの。血肉が足りなかったら肉肉してるもの。ビタミンが足りなかったら果物とかそう言う風に……」


 俺は豆知識を披露した。


「じゃあひろみちゃんも紅茶に含まれる何かを摂ろうと……」


「どうだろうな……物質か、あるいは香りなのか……俺達に解明できることじゃない」


「とにかく、頭痛が表れない以上、このまま様子を見ていくしかないわね」


「ああ」


 山田ひろみの茶色い瞳が俺をじっと見ていた。


  ★


 この日もヒロアキの家で読み合わせ。

 なぜかというと、外に出ると寒いから。


「新渡戸君の脚本ってさ、残酷だと思わない?」


 高島さきは、俺の書いたものについて陰口を言っていた。


「ああ、うん。すごいこと言わすよね」


 加賀も、同じような考えのようだ。


 俺は、またしても二人の会話を盗み聞きする。


「こんなこと言えないって台詞をさ、二回言わせるとか信じらんない」


「でもきっとそれは悪意なんかなくて……」


「わかってるよ。それは。……でもさぁ……」


「一緒に文句言いに行くか?」


「むりむり、新渡戸君のことだから、どうせ問答無用デースとか言われるでしょ?」


「そうだね……」


 そんなに話のわからない男だと思われてるのか。


 まぁその通りだけど。


 さて、コタツに座りながら聞き耳を立てて陰口を盗み聞きをしていたら、目の前に山田ひろみが坐っていた。


 今日も紅茶を楽しんでいる。


「ひろみ」


 俺は彼女の名前を呼んだ。


「……えっと……新渡戸君だ」


 そんな考え込んだ後思いついた顔で指差されて名を呼ばれるとショックだと言わざるを得ない。


 その後しばらく、沈黙。


 ええと、話しかけたは良いが話題が、ない!


 その後ブラジャーの調子はどうだ、とか?


 アホか!


 胸大きいね。とか?


 だめだ、これ俺だめだ……。


「えーと、ひろみ。今日の下着何色?」


「馬鹿ぁ!」

 高島に聞かれていた。

「新渡戸君! 何言ってんの? セクハラを超えたセクハラじゃない?」


「しろ」


「ひろみちゃんも答えない!」


「そうか、白かー」


「にーとーべー! ばかばかばかばか! ひろみちゃんに近づくなー!!」

 左手でペシペシ叩かれた。


「ごめん、つい……」


「つい、でそんなこと訊くかー!」


 いや、俺はもう、本当にどうかしていた。


「魔が差したとしか言いようがない。すまん」


「素直に謝ったって許さない!」


  ★


「アッキー」


 澄み切った声で、ひろみがだ誰かのことを呼んだ。


 みんなが首をかしげていたが、かまわずもう一度、今度は一人の目を見て言った。


「アッキー」


「もしかして、それ俺のこと?」ヒロアキは自分の顔を指さして、そう言った。


 こくんと大きく頷いたひろみ。


「ほう、まっちーに続いて新たな呼び名が誕生したな」と俺。


「お、ひろみ。新渡戸は何て呼ぶ?」ヒロアキが言った。


 どんな呼び名が出てくるか、内心わくわくしながらひろみの言葉を待ったが、


「変態」


「な……」


「エロ冥王」


「おい……新渡戸、お前ひろみに何したんだ?」とヒロアキ。


 大して何もしてないはずだ。だから、これは、誰かに言わされているとしか思えない。


「セクハリスト」


 追い打ちをかけるように、ひろみは俺を変な風に呼んだ。


 そんな不名誉な呼び方をしそうな人間に、一人だけ心当たりがあった。


「ふぅ、高島にそう呼べと言われたか、ひろみ」


 こくんとミルクティーを飲み込んで、こくんと大きく頷いた。


「そうよ、あたしの中で新渡戸君の評価は奈落のその下にまで落ちたわ」


 冷蔵庫の前にいた高島がてくてく歩いて来る。


「だがひろみに変な言葉教えるなよ……」


「それはあたしも反省してるわ……」


「何セクハリストって……」俺は高島をぎろりと見据える。


「いっやぁ、セクハラ競技があったら新渡戸君かなりいいとこまでいくと思って」


「アッキー……まっちー……加賀くん……さきちゃん…………変態……?」


 指差しながら確認していって、最後俺で首を傾げられてもなぁ……。


「新渡戸くんでおねがいします」心の底からお願いします。


「えっとぉ……ひろみちゃん何であたしに許可を求めるような目を向けるの?」


「いいの?」かくん、と首をかしげる。


「う、うん。新渡戸君って呼んであげてよ」


「わかった……新渡戸くん」


「高島、お前……」


「何? 新渡戸君に文句言われる筋合いないわよ? セクハリストなのは事実だし!」


「いや、それは良いんだ。ただ、ごはんつぶついてるぞ?」


「ぇ? どこ?」


「ここ」


 そう言って俺は自分の右頬を指差す。


 高島は、自分の左頬を確認して、それを回収する。


「……おぉこれか、ありがと」


「……アッキー、今のセクハラ?」


「いや、今のがセクハラだったら世界中の男が糾弾されてしまうだろう」ヒロアキが答えた。


「じゃあ、セクハラってどういうののことを言うの?」


「おい、高島ァ。純粋無垢だった山田ひろみが、セクハラに興味を持ってしまったぞ?」


「なによ、新渡戸君。あたしのせいにするの?」


「そうだろう。だから、お前が性的いやがらせについて詳しく解説してやれ」


「アッキー、これセクハラ?」


「ああ、今のはセクハラだな」ヒロアキが頷く。


「新渡戸君てやっぱり天然セクハリストよね」


 俺は少し頭にきて、高島に暴言を吐く。


「なんだよ、貧乳」


「はいセクハラ」


「天然セクハリストー?」


「ひろみ、変な言葉おぼえちゃいけません……」


 級長が母親みたいにしつけようとしていた。


 ――天然セクハリスト。


 不名誉な称号をもらってしまった。


  ★


「セバスチャン……?」


 高島の声。

 こたえるように、ゆっくりと立ち上がる加賀遊規。


 劇の練習の最中である。


「あぁ……姫……」


「セバスチャン! よかった! 生きていてくれて……。そうだ……魔女は……?」


「魔女? なんだい? それは」


「忘れ……てしまったの?」


「僕は……そうだ……。そうだ、姫。はやく戻らないと、皆心配する」


「そ、そうね……お母様も、お父様も……生きているのよね」


「当り前だろう?」


「そうね」


「さぁ、帰ろう! 僕らの城へ」


「ええ」


 そして、天の声である俺が、最後の言葉でしめくくる。


「そうしてセバスチャンは姫の手を引いて、彼女を城へと連れ帰る。……めでたしめでたし」


 いやあ、実にめでたい。きれいな終わり方だ。


 と、俺はそう思っているのだが、他のみんなは納得できないようすだった。


 まずはヒロアキ。


「……なぁ新渡戸。この終わり方でいいのか?」


「やっぱり釈然としないか?」


 次に高島。


「しないわよ。何でセバスチャン魔女さんのこと忘れるのよ?」


「まぁ、あれだ。どんな終わり方が一番セバスチャンにとって幸せだろうかって考えたんだが、やっぱ忘れてしまえることが一番かと」


「忘れたら、これまでの物語ほとんど意味ないじゃない!」


「いや、案外そんなもんさ、人生なんて」


「お前歳いくつだよ? 人生の何がわかる?」


「忘れてしまいたいことばっかりだからさ……」


 俺がぽろっとそんなことを言ったものだから、場の空気がちょっと悪くなった。


 みんな黙ってしまったので、自分から沈黙を破ってやる。


「――そして! 本当に忘れているとは限らない!」


 びしっと加賀を指差して格好よく言ってやった。


「……おお! お前すげぇな……そんな深く……」ヒロアキ。


「いや、今考えた」俺はぺろっと舌を出して見せる。


「……にしてもそうか……忘れているという嘘ねぇ……」


 ヒロアキには深く突き刺さってくれたようだった。


  ☆


 そして、全ての準備が整って、十二月になって、もう冬だなって思った。俺の部屋から見える紅葉も殆ど散り終えていた。


 さあ、本日決行。覚悟を決めろ。


 日が沈みかけている頃の、放課後の体育館。卓球部が使っている体育館。誰も使っていない舞台。無断でジャックするなんて学園的に違法かも知れない。でもそんなこと知らない。幸い顧問だとか、話のわからない大人とか学園法に詳しそうな人間は見当たらない。


 居るのは卓球部の部員三人ほどだった。


 どいて、なんて言わない。


 俺は黙ってビデオカメラをセッティング。

 その録画ボタンを押して、大きく息を吸う。


 どうか途中で邪魔が入りませんように。


 カコンカコンと卓球の球が台を打つ音。

 スマッシュの踏み込みの音と打球音。そのサウンドエフェクトを合図のようにして


 俺は声を出す。暗記した、その物語を。最初の台詞を、読み上げる。


 足元には、転々とする、オレンジ色の球い物体。

 薄暗い舞台。これ以上明るくはならないだろう。


 ――さあ始めよう。物語を。




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