Chapter4 新渡戸の勇気_1
視点:高島さき→新渡戸夕貴
「ねぇ、おにいちゃん、あそぼ」
「俺の友達も一緒なら、かまわないぜ」
「え、友達って、ゆーきくん?」
「ああ、あいつも来るよ」
「そうなんだ」
「嬉しそうだな」
「別にー」
妹が死んだと知らされたのは、いつのことだっただろうか。
死んでなどいなかったから、忘れてしまっていた。――違う。
思い出さないように沈めていた。――いや、それすら違う……。
全ての始まりは、いつだっただろうか。
★
「新渡戸さん、よろしいんですか?」
「かまわん、息子だ。聞かせてやってくれ」
「ですが……」
「続けてくれ」
ふすまの奥から覗いていた俺を一瞥して、親父はその男に話を続けさせた。高そうなスーツに身を包んだ、いかにも胡散臭い男だった。
座布団の上に正座して、親父と話していた。
親父は畳の上にあぐらをかいて、男と向き合っていた。
「娘さんは、私たちの手違いで亡くなってしまいましたが、私たちは、娘さんを生き返らせることができるのです」
「どういう意味だ」
「幸運なことに娘さんの脳は損傷が軽微でしたので、記憶を抽出、変換します。そして――」
この時の俺は、そういえば最近夕実の姿が見えない。どこに遊びにいったんだろう。などと考えながら、ぼんやりと話に耳を傾けていた。
「――いかがですか? もちろん資金は私どもが負担いたします」
「わかった。娘をお願いします! どうか! お願いします」
「いえ、私どもの責任ですので。それで、さしあたっての条件ですが、研究所を置く場所をお借りしたいのですが」
「それなら私の店に地下室があります。お使い下さい」
「店、ですか。あまり人気の多いところだと……」
「大丈夫です。立地は最悪ですから」
「では、見学させていただけますか?」
「わかりました。今から、いいですか?」
「はい」
「では」
男は立ち上がる。
そして同じように立ち上がった親父は、俺の方に向き直り、
「夕貴、お父さんちょっと出かけてくるからな、戸締りを」
そう言いかけた。
俺は、この言葉を遮るように、
「お父さん、夕実しらない? 一昨日からいないんだ」
親父はしゃがみこんで、俺と目線を合わせ、言った。
「夕実はな、人生経験を積ませるために宮城のばあちゃんのところに一人旅なんだ」
嘘を。
「そっか。いつ、帰ってくるの?」
「すぐに帰ってくるよ」
親父はそう言うと、知らない男と車に乗って出かけていった。
それから何日後だったか、一週間か、あるいはもっと長かったか、詳しい時間の経過は覚えていない。俺は親父に連れられて、パン屋の地下に完成した研究所とやらで、妹と再会したらしい。
「ほら、夕実、おにいちゃんだよ」
親父が知らない女の子に話しかけていた。
「……………………」
女の子は喋らなかった。
ああ、あれが死んだ魚のような目というやつか、そんな目で俺を見ていた。
「きみは、だれ?」
「……………………」
無言。無感情。
喋らない。笑わない。ただ俺を見ている。モノを見るように、俺を。
「まだ記憶を入れるのはこれからです。全ての記憶を彼女に復元するのはそうですね、五年くらいですかね」
「五年? それまで夕実は戻らないと?」
「死んだ人間が五年で蘇るのです。たった、五年です」
「どの口がっ」
そのあたりの説明を受けていなかったのだろう。親父は怒りをぶつけるように言った。だけどもう、後には引けない。人類の悪事に加担してしまったのだ。
研究者らしき男は言う。
「一気に記憶や思考データ等を……複製すると、拒絶反応で死に至ります。投薬を途中で止めてもやがて死に至ります。我々が約十ヶ月胎内で過ごしたように、彼女は六十ヶ月の歳月を経て人間になるのです。全ての薬を飲み込み、浸透した時に、完成するのですよ」
つまりあいつら、研究員とかいう奴らにとって胎児は人間じゃないってことだ。
「本当だよな! 本当に夕実は戻って来るんだよな!」
もはや希望がそれしかなくなったのだろう。このとき、親父は、夕実のために、悪魔に魂を打ったのだ。
「ええ。保証しましょう」
悪魔は微笑んだ。
「本当に、頼むよ……」
「我々を追ってくる奴らに見つからなければ、の話ですが」
当時の俺でも、理解できてしまったことがある。それはとても悲しいことだっただろう。
――ああ、妹にはもう、会えないのか。あの夕実は、もう。
しかし、いつの間にか居なくなって、いつの間にか入れ替わっていたその女の子の存在が、俺の感情にフィルターをかけていた。
証拠がない。証拠がない。この時からずっと、自分に言い聞かせて、過ごしてきたんだ。
「元の名前と同じだと色々と問題が起きますので、この子に名前を」
「それは一時的なものなんだよな。五年すれば夕実と呼べるんだよな」
「それはもちろん」
嘘だ。五年後にならないとわからないだろう。そんなこと、子供にだってわかった。
「じゃあ、何でもいいか」
親父は軽々しく言った。
「あまりおかしな名前は……ああ、苗字も考えて下さい。あなたの隠し子としても構いませんがそれは……」
「じゃあ……霧野、みやこ……霧のかかった大地に、みやこ」
「霧雨の霧に野原の野ですか。ミヤコ、というのは」
「ひらがなで、みやこ。その方がやわらかそうでいい」
妹と紹介されたその子は名前を手に入れた。ほんの数秒で考えた、頭に浮かんだ事柄の中から取ってつけたような……言ってしまえば、
――愛のない名前。
「霧野、みやこ、と」
男はメモ帳のようなものに女の子の名前を書きつけるとそれを雑にテーブルに投げるように置いた。
名前を付けるという行為を、こうも簡単に、機械的に済ませてしまっていいんだろうか。今になって思えばそう。でもあの時は黙って見ているしかなかった。
それから女の子には何度も会った。
俺はその女の子とどう接していいのかわからなかった。
親父は「妹だよ」という。でも名前は「きりのみやこ」で「にとべゆみ」ではないらしい。
彼女は何も喋らない、笑わない。ただ俺を見る。
生きていないロボットのように「存在を確認しています」とでも言い出しそうだった。
言ってしまえば、怖かった。だから俺も彼女との接触を避けた。
避け続けた。
★
「アナタ、最近おかしいわよ! 夕実がどこに居るって言うのよ!」
まともな母親だったと今でも思う。
「夕実、夕実に会いに行くんだよ」
「届けは出して、まだ見つかっていないじゃない!」
夕実は、行方不明になっていたらしい。
宮城県に住んでいる親父の母の家にいたはずなのに、おかしいね。
「夕実は、生きてるんだよ!」
親父は叫んだ。
「アナタ……」
「おかあさん。夕実が、どうしたの?」
「見つからないって」
「生きてるんだよ!!」
父の振り上げた酒のビンが、天井からぶら下がった蛍光灯を砕いた。
暗転。暗くなった視界、母の悲鳴、揺れる照明器具。
「おかあさん!」
「あ、すまん……」
母は頭から血を流していた。
それから何日か経って、早朝、母に優しく起こされた俺は、寝ぼけた目をこすりながら母について外に出た。着物なんて着て、妙に綺麗な格好をしていて、母じゃないみたいだった。
「夕貴、おかあさんと来ない?」
「どこか行くの?」
「ちょっと遠いところ」
遠いのは嫌だった。誰も知らない所は怖かった。
でも、今思えば、逃げること。
それは一つの選択だったかも知れない。
「………………行かない」
俺はそう選択した。
「……そう、さよなら」
母は俺を抱きしめた。防虫剤のにおいが、嫌だったから、きっと普段の俺だったらその抱擁を拒んだに違いない。しかし、普段とは違う母の雰囲気を感じ取っていて、どうすればいいのか判断がつかず、棒立ちしていた。
母は、歩き出した。
何度も振り返りながら。
それが、母を見た最後の記憶だった。
抱きしめるくらいなら、どうして出て行ったんだろう? 後になって、そう思った。
母親は出て行ってしまったが、俺や親父が生活するのには困らなかった。研究してる奴らが、どこから出ているんだか知れない溢れるような金を持ってきたから。だからこそ俺も、頭が悪いにもかかわらず、売れないパン屋の息子であるにもかかわらず、加賀達と同じ高校に入学することができたという寸法。
「夕貴、おかあさん何処に行ったか知らないか?」
「知らない」
「本当にか?」
「遠くに行くって言ってた。夕実に会いに行ったのかな」
幼き日の俺はそう言った。
「おいおい、夕実はここにいるじゃないか」
違う。それは違うんだ。
ソレは。
それは、霧野みやこだろう。親父が名付けたんじゃないか。
「おに、いちゃん」
夕実の声じゃなかった。
ソレは、俺の、知らない、女の子だ。
「夕貴?」
父が答えるように促してきた。
「う、うん……夕……実……」
嘘を、ついた。
これが、たぶん、吐き始めだった。
ただ真っ直ぐに、俺を見る………………な。
見るな。
果てがないような、底がないような目で!
そんな目を、俺に向けるな。
――お前、誰だよ。
俺が中学に入っても、極力霧野みやこという女の子との接触は避けた。
研究している奴らの一人が言った。
「まだ学校に行かせることはできないが、いずれ自然に社会に溶け込めるように学校に通わせるかもしれない。その時は、夕貴くんの力が必要になるから」
気安く名前を呼ぶな。お前らに呼ばれる名前なんか無い。
奴らが実験しているのは、いかに自然に人間を作成できるかってこと。
でもな、奴ら奴らって言うけど、俺だって、夕実が返ってくることを、心のどこかで待っていた。
どこかどころか……ね。
とにかく、奴らを否定することは、できない。
ただ、俺は、いつの間にか夕実が死んだことを受け入れていたのかもしれないとも思う。
よくわからない。
ずっと灰色で、埃まみれのエアコンフィルターのようだった。
しばらくして、俺と夕実の幼馴染も思春期ってやつを迎えたらしい。
いっちょまえに、好きな女の子を作ったりしていた。
悪賢さにかけてはクラス筆頭だった俺は、あっさりそれを見破った。
「おい、加賀~、お前、誰か好きな奴いないの?」
「え、うーん、新渡戸になら言ってもいいかな」
「誰だれ?」
身を乗り出してきいた。
「吉田さんが、今一番……」
「ほぉ」
ごめん、加賀。
「加賀は、吉田が好きなんだってよ!」
クラスで発表した。ごめん、加賀。
「でも他にも気になる娘がいるらし――」
「新渡戸ぇ!!」
ゴン!
殴られた。ごめん、加賀。
本気で殴りやがって、かなり痛かった。
「あはは、いっちゃった」
「言っちゃったじゃねぇよばかぁ!」
結局、自分で告白する前に振られてたな。
でも、お前は、夕実と約束したろ。
他の誰かを、好きになるなよ。
★
中学は、公立だった。
二年の秋。
この頃になると親父も、悪い意味で落ち着いてきて、でも日常を日常として過ごせるようにはなった。俺はただ長いものに巻かれて、いつも心に引っかかるものを引っかけたまま日々を過ごしていた。ハンガーついたまま服着てるようなシュールな日々。
「山田、ヒロアキです。山田はありきたりな山田にカタカナでヒロアキです。よろしく」
転校性がお辞儀をしたとき、まばらな拍手。
あまりに簡素な自己紹介だったために拍手のタイミングに戸惑ったようだ。
「えーと、それじゃあ、とりあえず、席は一番後ろで……」
先生に指定された席につく。
俺の隣の席になった。
「俺、新渡戸夕貴。新しく渡来したドアが夕日を受けて高貴に光ったって覚えると……」
「おぼえにくいよ!」
いきなりのツッコミをくれた。
「よろしく、ヒロアキ」
「ああ、よろしく、夕貴」
「まて」
「なんだよ」
「俺のことは新渡戸って呼べ」
「じゃあ俺のことは山田って呼べよ」
「断る。お前はヒロアキだ」
「なんでだよ!」
「すぐわかる」
「ちょっと新渡戸くん! 会ってすぐ喧嘩しないの!」
「ちがいます先生。俺たちもう友達です」
「何でだよ!」
どことなく漫才的な出会いをした。
ヒロアキは、最初こそよそよそしくて大人しかったが、少しずつ、被っていた猫のきぐるみを脱皮するがごとく脱ぎ捨てていき、気付けば、俺や加賀と一緒に馬鹿やってた。
本当に少しの間に仲良くなって。結果的に同じ高校に行って、運命的に同じクラスになったね。半分は仕組まれたことなのかも知れないが。
だって、だって……離れたくなかった。
そういえば、転校初日にヒロアキはきいてきた。
「お前、妹とかいるか?」
急に何を。
「ああ、いるぜ。今は全寮制の私立の中学に通ってるから、もう長く会ってないけどな」
大嘘。
「あ、あぁ、そう、なんだ」
「何で急にそんなこと?」
「ああ、いや、私立行ってんなら人違いだな。知り合いに同じ苗字の人がいてさ。珍しいだろ、新渡戸なんて」
何か、知ってるのだろうかと思ったが、考えすぎだろってことで、深く考えなかった。
今になって思えば、ヒロアキは、いろんな事情を、全部知っていたのかもしれない。
真相は本人にきかなきゃわからないけど、たぶん、俺が思っている以上にヒロアキは一連の事件に大きく関わっているんだと思う。
「ところでお前って家族は?」
「俺は、親も兄弟も、いないよ」
「あ、あぁ、そう、なのか」
こういう時って何だか気まずい。
★
中学三年、冬。
皆が進路に向けてペンや体や鉛筆を動かしている頃。
俺は……まぁ俺も一応受験勉強じみたことはしていたが。
そんなある日、親父が言った。
「夕貴、行きたい高校はあるか」
「ああ、友達と一緒のとこ行く」
「加賀くんか」
「あとヒロアキな」
「ヒロアキ?」
「会ったことあるだろ? 一回」
おぼえていないようだ。
まぁ他人より少し存在感ないからな、ヒロアキは。
「勉強は順調か?」
「普通」
「そうか」
そして俺と加賀とヒロアキは、三人、同じ高校に入学した。
俺の本当の実力で合格したのかわからない。
加賀は第一志望の高校に落ちて滑り止めで今の学校に入学した。ヒロアキは、いつの間にか受けていて、いつの間にか合格していた。
ともあれ、また三人揃ったのだ。こんな風に、少しずつ日々が変わっていけばいい。
少しずつ。
少しでも少ない変化なら、きっと夕実も順応できるだろう。
加賀もいる。
★
「夕実を高校へ? ダメだ。あり得ない」
俺が高校に通い始めたころ、親父は、またも研究員に怒りをぶつけていた。
「ですが、我々が目指すのは完全な形での人間の再現です。社会で生きていけないようにしてしまっては……」
そんな気まずい一室に、俺は足を踏み入れた。
「親父……?」
「おお! いいところに来た、夕貴。こいつがな、夕実を学校に行かすと言うんだ。まだこんなに小さいのに」
親父……。
霧野みやこのことになると、こんなにも……。
もう百七十センチくらい、自分と同じくらいの体長の女に「小さい」とは。
「そうだな、夕実ももう学校に行く年頃かもな」
どうでもよかった。イライラしてしまって放った。あんなことになると思わなかったから、そんな言葉が出た。
「夕貴。まぁ、夕貴がそう言うなら」
「では、夕貴くんの高校へ放り込みましょう」
「え、な、なんで」
「それはそうでしょう。学校にまで我々が付いていくわけにはいかないですから。彼女が数時間おきに薬を飲んでいるかどうか、それを監視していてくれればいいんです。簡単でしょう?」
「登下校はどうすんだ?」
「学校近くに部屋を買います。家でもいい。そこからのルートをプログラム……設定……いえ、教え込みまして時々この研究所に来るように……」
化けの皮が、はがれてきていた。
プログラム。設定。馬鹿げてる。




