16.彼女の望み 前編
ルスランがザリーナに会いに来たのと丁度同じ時刻、遠く離れたパールサでは、ディナラ王女が禁書を漁っていた。ディナラ王女はパールサの第六皇子の後宮に入れられ、多くの愛人たちの一人という扱いで、ほとんど誰にも相手にされていなかった。
衣食住に困るわけではないが、肩身は狭く、王女としてのプライドはズタズタに引き裂かれていた。
そんな鬱屈とした日々を過ごす中で、ディナラ王女の心は怨嗟に黒く染まっていった。
「ザリーナめ!全部あいつのせいよ。ルスランは私のものなのに!あの女!……何とかあいつを殺すことはできないのかしら?……そうよ。あいつが魔術を扱うなら、私も魔術を使えばいいのだわ!」
王女はそんな思いに取りつかれ、パールサで魔術に関する書を漁り始めた。
そして、数週間かかって、今日、最悪の事態が起こった。
「ついに見つけたわ!」
王女はパールサの禁書の中で、憎い相手を呪い殺す方法を探していた。
禁書のタイトルは「魔獣の召喚」と読めた。王女は魔法使いの魔法が悪魔や魔獣に効かないことを知り、召喚魔法を使って、ザリーナを殺そうと考えていた。
「魔獣なら、ザリーナには倒せないはずよ。贄よ、贄を用意しないと。何を準備すればいいのかしら?」
王女は封印を破き、本を開いた。その瞬間、本の中心が黒く渦巻き、ライオンに似た魔獣が現れた。
王女は叫ぶ暇もなく、魔獣に食われ、魔獣の顔を何故か王女の顔に変わった。
ただならぬ気配にプシマフを含む魔導士が駆け付けた。
「マンティコア!誰が召喚したんだ!」
王女の顔を良く知らない魔導士たちはマンティコアの顔を見てもそれが誰か分からなかった。しかし、プシマフだけは違った。自分が嫌がらせのために南方葛を渡した女の顔をよく覚えていた。
「……ディナラ王女。まさか!」
ディナラ王女の顔をしたマンティコアは「ザ……リー……、ル……ラン」と唸るように呟いた。
その意味が分かったプシマフは、一気にアディーグ王国に飛んだ。
ザリーナとルスランはプシマフによって国境の外に連れ出された。パールサに近く、少し開けた見晴らしの良い場所だった。
「プシマフ!突然何よ。何があったの?」
「ディナラ王女がマンティコアを召喚して喰われた。今、マンティコアは王女の怨嗟に捕らわれてお前を喰らいにこちらに向かっている」
プシマフの端的な説明にザリーナは顔を青くした。
「マンティコアですって!」
「マン……なんだって?悪魔の名前か?」
事の重大さを一瞬で理解したザリーナに対して、ルスランは話についていけず素朴な疑問を投げかけた。プシマフはそれに対して辞典を読むかのように応えた。
「マンティコア、『人を食う者』という意味の魔獣。身体はライオンで、尾はサソリのように毒を持つ。顔は食われた人間の顔になり、悪魔と同じくこの世のものではないので、普通の武器や魔法は効かない……」
「武器も魔法も効かない⁉︎じゃあ、どうやって戦えば良いんだ?」
絶望的なその状況に、ルスランは誰に尋ねるでもなく言った。
「戦い方がないわけではない、武器が効かないと言っても、魔核にだけは物理攻撃可能だ。それは大概身体の中心にある。お前を連れて来たのはその魔核を壊させるためだ」
プシマフはルスランの肩を掴んでそう言った。ルスランは「魔核を潰す……」と呟いた後、決意したように剣を抜いた。
「ザリーナ、絶対私が守る」
「ちょっと待って、剣だけじゃないわ。私、良いもの持ってるわ」
ザリーナはそう言うと腰のマジックバッグからアトラメンタムで手に入れた拳銃二丁と銀塊を取り出した。
「魔獣には魔法は効かないけど、銀を打ち込めば動きが鈍るのよ。上手く魔核を壊せれば、当然倒せるし」
ザリーナは銀塊に魔力を通し、あっという間に銀の弾丸を作り出した。
「はい、プシマフ。使い方分かる?」
気楽に押し付けようとするザリーナにプシマフは慌てて断る。
「分かるわけがないだろう!どこから手に入れたんだそんな物騒な物」
「アトラメンタムで、海賊退治した戦利品よ。そっか、プシマフ、銃を扱ったことないのね。意外だわ」
「俺は錬金術師だ。魔法もあるのに、そんなもの必要ないだろ」
「そう?魔塔では研究対象として結構取り揃えてるわよ」
危険が差し迫っているのに、呑気に軽口を叩くザリーナに、プシマフは不機嫌になり、ルスランは「流石私のザリーナ!」と妙な感心をする。
「分かった。じゃあ、銃はお前が持て。俺は団長殿の援護に回ろう。実際魔核を壊すことは、その腕にかかっているからな」
頭が痛くなったプシマフは無駄な言い合いを避けて、とにかくルスランの支援をすることを宣言した。
ザリーナは子供の頃から弁が立つ。「一体誰に似たんだ……」と独り言のように呟き、今は亡き彼女の両親の顔を思い浮かべた。
「あっ、ルスランの剣にも銀を付与するわ」
ザリーナはもう一つ銀塊を取り出した。手の中の銀塊が霧のように細かい粒となり、瞬く間に剣が包まれ、鈍かった剣の色が、鏡のように美しい色に変わる。
「ちょっと重い?」
「いや、大丈夫。これぐらいの手ごたえがあって丁度良い」
「じゃあ、まず私が銃でマンティコアの動きを鈍らせるから、弱ったところでルスランは魔核を狙って。くれぐれも、マンティコアの爪と尾に気を付けてね。特に尾よ!猛毒なんだから!」
「承知した。さて、そろそろ来そうだな」
戦士のルスランの耳に遠くから魔獣の咆哮が届く。ルスランは剣を両手で持ち、、プシマフは蛾を集めた。
そして、ザリーナは空に上がると、南からくる大きな魔の気配に向けて銃を構えた。
グルルと喉を鳴らすような音を放ちながら、その禍々しい異形のものが姿を現した。
想像よりも大きな姿にザリーナは少し驚きと、同時に好奇心がうずいた。
ザリーナは召喚術を実行したことはなく、魔塔でも誰も行っていなかった。
魔法使いの長い歴史の中で、召喚術を好む者もいれば、そこに価値を見出さない者も多い。知の探究を自身の楽しみとする魔塔の住人にとって、悪魔を召喚して目的を果たすというのは面白みに欠けるというのが、本当の所だろうとザリーナは漠然と認識していた。
過去にはプシマフのように一度召喚術を試み、失敗して二度と関わりたくないと思った人間も多かったであろうことも予想できる。
そのため、ザリーナが魔獣を見たのも初めてだ。地竜のような怪物は実態のある、異様で珍しい生物に過ぎない。しかし、魔獣はこの世のものでない。その身体は魔法そのものであり、そのため魔法による攻撃は一切通じない。
先日のプシマフとの闘いでも全くザリーナの魔法は歯が立たなかった。
しかし、今度は最初から魔法が効かないと分かっている分、戦い方もおのずと限られた。
「生け捕りにできないのが残念だけど、お前にやられる訳にはいかないのよ!」
ザリーナは二丁の拳銃を両手に握り、続けざまに発砲した。二つの銀の弾丸は一つは魔獣の身体に当たったが、もう一つは外れてしまい、動きをわずかに鈍らせるにとどめた。
そのまま魔獣は止まらずにザリーナに向かって襲い掛かり、ものすごいスピードの鬼ごっこが始まる。
「ここまでおいで!」
ザリーナが魔獣に揶揄うように言い放つと、うつろだった王女の顔がわずかに怒りの色を帯びた。
「王女の意識があるのか?」
ルスランはまだ助けられるのなら助けたいと思った。どんなにはた迷惑な人物だとしても守るべき王族だ。救えるなら越したことはない。
「いや、意識があるわけではなく、今のマンティコアは王女の怨嗟を動機としているだけだ。ザリーナの顔を見るだけで、怨嗟が反応するのだろう」
プシマフは時々飛んでくる銀の弾丸からルスランを守りながら冷静に言った。ルスランが王女を取り戻すために、マンティコアを殺せないとか言い出す事態は避けたかった。
「じゃあ、躊躇わずに剣を突き立てられますね」
ルスランは王女への哀れみの気持ちを捨て去った。ただ魔核を一撃で壊すために意識を集中する。
しかし、マンティコアのスピードはあまりに速く、今のルスランでは到底動きを追うことはできないと感じた。
「動きがまだまだ速すぎる。このままではザリーナの魔力がもたないのでは?」
段々心配になって来たルスランの顔にわずかに焦りが浮かび、プシマフも眉根を寄せて叫んだ。
「ザリーナ!無理をするな。一旦逃げるぞ!」
「はあ?私の辞書に逃げるなんて文字はないわ!」
プシマフの声に、怒ったように叫び返すと、ザリーナはまた銀塊を一つ取り出した。
それに魔力を通して、無数の鋭い楔に変えるとそのまま、「えい!」という掛け声とともにマンティコアに向けて放った。
流石のマンティコアも避け切れずまともに浴びてしまい、少し速度を落とした。
――今だ!
ルスランはその隙を捕らえ、地面を蹴り上げ、高く舞い上がった。下から狙うのはマンティコアの胸の中心。真上に突き立てられたルスランの剣がマンティコアの魔核を貫いた。
ピタリと動きが止まったマンティコアはサラサラと砂のように崩れた。
「ルスラン!」
地面に降り立ったルスランにザリーナが駆け寄った。
「ルスラン!貴方やっぱりすごいわ!マンティコアを倒すなんて」
「いや、君がマンティコアを鈍らせてくれたからだよ」
ザリーナを抱きとめようとしたルスランの目に、信じられないものが映った。マンティコアの尾がまるで意思を持つかのようにザリーナをめがけて飛んできていた。
「ザリーナ!」
ルスランはザリーナを抱え込み、自身の背でその毒針を受けた。
一瞬で崩れ落ちるルスランに何が起こったのか理解できなかったザリーナは目を見開いた。
そして彼の背中に突き刺さった毒針が霧散した瞬間、ルスランが自分の身代わりになったことが分かり叫んだ。
「いーやあああー!」
本日2回更新です。




