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惑星ボルタの記録 ――異星人少女と僕は絶望の中で戦い続けた――  作者: 霧島 高


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第3章 機械ゾンビの群

(これで終わり、かな)

 アラーム音が鳴り響く。それに()かれたかのように、通路からは無数のゾンビが溢れてきた。目聡く僕を見つけたその一体が、金属の階段を重い脚を使ってゆっくりと上がってくる。ガキンガキンと金属同士がぶつかり合う音を響かせながら。まるで終末の鐘を叩くように。そして僕はじりじりと後退し、追い込まれていく。

 僕は無力だ。けれど、もしここにそれを覆すだけの強力な武器があったところで、きっと何の役にも立たないだろう。僕にはそれをまともに持つことさえできないのだから。

 だけど。

(ティナだけでも逃げることができて良かった)

 ある意味で僕は満足していた。僕なんかよりもずっと彼女のほうが有用で、そして彼女が逃げ切ることさえできれば、希望はきっと潰えない。

 誰かが、そう誰かが、この惨状を何とかしてくれるはずだ。

 何もできない僕の代わりに。

 これ以上はもう下がれない。部屋の奥の壁にぶち当たった。そして僕は丸腰だ。だから迫りくる様々なゾンビたちをぼうっと眺めることしかできない。

 僕は目を閉じた。瞼の裏に銀色の妖精が浮かび上がる。無表情な少女は笑っていた。僕の勝手な想像の中で。

「さよなら」

 彼女の綺麗な紅い瞳に向けてそう呟き、僕は暗闇の中でその時を待った。


 ※


「先住民の存在か。この20年、我々は戦争に明け暮れて碌な調査をしてこなかった。本国にはすでにデータを送信したが、すぐには返答はないだろう。このまま資源探査ミッション自体は継続するしかあるまい」

「司令官、よろしいでしょうか」

「なにかな、伍長」

「あの大型生物については、どうなさるおつもりで?」

「ああ、俄かには信じがたいが、記録映像を見たよ。重火器類の持ち込みはすべて許可しよう。それから今後の探索は2分隊の共同で行う。あれとぶつかり合ったのが君の隊でよかった。他の隊なら全滅していたところだろう。できればサンプルを手に入れたいところだな」

 指令室では今後の対応について話が進んでいた。なんどもいうけれど僕はただの一等兵だ。伍長は分隊を率いた現場指揮官なのだしまだわかるけれど、僕は必要なかったんじゃないかなあ。

 でも仕方ない。僕は付き従わなければならないのだ。目前に佇む小さな背中。クラカロイドからの派遣武官であるコルティナ少尉の従卒として。いや、本当は指令室の外で待機すべきなのだ。けれどこの場にいる誰もが僕の同席を許可した。というより拒否しなかった。

「クラカロイドへ連絡は?」

「もちろん済んでいるよ。ただすまないが、少尉からも改めてお願いしてもいいかね。そのほうが向こうも安心するだろう」

「わかった。通信機を借りる」

 そうして惑星探索行の報告は終わり、ティナと僕は大型スクリーン前に並ぶコンソールへ向かい歩き出した。

 およそ30台のコンソールを前に、それと同じぐらいの人数が作業をしている。何をしているのかは具体的にはわからないけれど、例えば先ほどまでの僕たちのように惑星降下している部隊との連絡を取ったり、あるいはすでに建設済みの地上基地との間で、はたまた別星系や母星系ともやりとりをしているといったところだろう。あるいは惑星ボルタやこの星系の情報を収集しそして分析していたりするのだろう。

 僕はその周囲にいる中で一番階級の高い、管理担当者の中尉に断りをいれて、端末を1つ借りた。

「どうしたらいい?」

 1つだけある椅子に僕が座り、コンソールを調整する。そしてその横で立ったままのティナが顔を近づけてくる。僕はまだまだその近さには慣れないでいる。

「え、ええと、ちょ、ちょっとまってね」

 僕はコンソールと自分のリストバンドを接続し、バンドから起動したホログラムコンピュータを操作しながら、その内容を読み取っていく。

「うーん、クラカロイドの基地との通信チャンネルの確立までは自動化できてるみたい。えーっと、じゃあどうすればいいかっていうと……」

 僕は考えた。司令官の話ではすでにテラノイドとしてのデータは送ったらしい。つまりテラノイド基準で作成されたデータだ。だけどクラカロイド基準で作られたデータを送る必要があって、そのためには彼女が経験したデータをそのまま送るのが一番で、つまり、その方法は――。

「ねえティナ。まずは着替えないといけないみたい」

「ん」

 ごねられたらどうしようなんて考えたけれどそれは杞憂で、ティナは素直に僕の言葉を聞き入れてくれた。少し前ならこの場でボディスーツを脱いでいてもおかしくないと思う。だから僕の言いたいことを察してくれたんだろう、きっと。テラノイドの常識について、ほんのわずかにでも学んでくれたことに、僕はとても嬉しくなった。

 要するに、彼女の有線通信用端子は(へそ)の、その奥にあるということで。

 変換ケーブルを、僕が彼女をメンテナンスするのに必要なあれを使えば、直接通信データを送ることができる。一旦僕自身を中継する必要はあるけれど。

「機体検査も」

「……わかってるよ」

 僕は惑星降下前に行った、2度目の機体検査を思い出した。

 そしてボディスーツではなく、テラノイド仕様の上下に分かれた軍用服を着させたのは、実は失敗だったのかもしれない、と思い返す。い、いや、彼女の裸を見たいというわけじゃない。服を着たままその下に僕が手を入れて、ケーブルの接続先をまさぐって探すというのが、実に背徳的な感じがしてならないのだ。それに結局、太ももの間については腰の部分あるいは裾から手を入れて試してみたけれどうまくいかず、結局脱いでもらうことになったから、最初の時と何も変わらなかった。

 どうしてか、彼女は動きづらいという理由で下着を穿くことを拒否した。それさえあれば服を脱いでもらっても構わないというのに。いやまて、なんだか僕はおかしいことを言っている気がする。

「マサキ?」

「ひゃ、ひゃい」

 彼女に呼ばれて僕は、なんとかやるべきことを思い出し、一旦コンソールから離れ、彼女の部屋に向かうのだった。

 ああ、でも今回みたいな場合、つまり通信端子だけを必要とするなら、新しい服でよかったのかもしれないな。


 

「せっかくコイツを持ち出せたってたのに、今回は出番なしかよ。もったいねえ」

 ガシャンガシャンと音を立てながら、フル装備のウォーリー兵長が宇宙艇の前で愚痴る。もはやトレードマークである機械化した両腕両脚がまったく見えなくなるほどの超重装備だ。そしてその手には、あの巨大生物対策として今回より携行が許可されることとなったガトリング銃を持ち、それをまるで飲み物をシェイクするようにしきりに上げ下げしていた。

「あいつ一匹しかいないってことなのかねえ」

 モーリア上等兵も、少しばかり不満気だ。どうにもこの二人は血の気が多すぎる。冗談めいているんだけど、少しぐらいは本気が混じってそうだ。

「戦うことが任務じゃないんですからね。いいことですよ」

 エルンスト上等兵が2人を(たしな)めていた。階級的にはウォーリー兵長が1つ上なのだけれど、この3人は戦友という絆でずいぶん結ばれているらしい。少し羨ましい気がする。

「ウォーリー」

 その時珍しく、ティナがウォーリー兵長に声を掛けた。珍しいというのは別に誰かと話すのを嫌がっているのではなく、単純に彼女の口数が少ないからだ。彼女がクラカロイドだからがゆえ、なのだろうか。

「おう、どうした、嬢ちゃん」

 ついこの前までは敵同士。それなのにこの分隊の隊員たちは、特段ティナに対してあたりが強いわけではない。いろんなことを割り切れる、優秀な兵たちなのだ。だから僕はここに配属され、そしてティナが同行することになったのだろう。

 しかし少尉に向かって「嬢ちゃん」と呼ぶのはどうなんだろう。本人は気にしないだろうけど。

「それ、使ってみたい」

「ん? ああ、ガトリングか。試射するか? いいかい、隊長?」

「構わん。ただし補給係の許可は取れよ」

「よっし、早速いくぜ。ついてきな」

 さて、僕はどうするかな。うーん、たぶんティナについていくべきだろうなあ。そのあとはいつもの機体検査が待っているし。そんなことを考えつつ、彼女の後を追おうとしたのだけど。

「一等兵は俺と一緒に指令室だ。今回の報告をしにいく」

「はっ、わかりました」

「というわけで、少尉、借りていきますよ」

「ん、ちゃんと返して」

「もちろんです」

 いつのまにか僕は完全の彼女のモノ扱いだ。別にいいけどね。


「サイトウ伍長ならびにクサカ一等兵、参上しました」

 指令室の前、いつものドア、変わらぬ口上。小型用格納庫から時計回りに120度、似たり寄ったりの金属床を普段通りに歩いてきた。

 今回の探索では怪物のような生物に出会うことはなかったけれど、旧ボルタ人――仮称でこう呼ぶことになったらしい――の痕跡がいくつか見つかった。洞窟の奥に落ちていた、石を割って造ったと思われる槍の穂先やナイフだ。ただの石ころではないことは、素人の僕でもわかった。

 彼らはいったいどこにいったのか。これはたぶん意味のない質問だ。地上には旧ボルタ人のその後を示す痕跡らしきものは一切ない。コンクリートの残骸までとはいわないが、建物を支える石の土台ぐらいあってもよさそうだけど、それもない。つまり石器時代で止まってしまったということ。これはまあ、隊長や司令官が話しているのを横で聞いていたことの受け売りだけど。

 つまりは旧ボルタ人という存在はすでに滅び去っているということだろう。ティナはそんなことありえないと言っていたけれど、地球だってすべての人類種が生き残ったわけじゃない。駆逐され残らなかった種だっていた。だからありえない話じゃない。僕を除いた隊員とティナでなんとか撃退できた、あの怪物みたいなのがこの惑星にわんさかいるんだったら、充分ありえることで現実にそうなったわけだ。もし地球に今も恐竜が生き残っていたら、僕たちテラノイドだって生まれることはなかっただろう。それこそありえない話ではあるのだけど。

「……む?」

 そのときサイトウ隊長が訝し気な声を上げ、余計な思考に陥っていた僕ははっとした。

「こちら、サイトウ伍長。応答願う」

『……』

 一歩前に進んだ隊長が、インターコムに向けてもう一度問いかけるものの、それは一切反応せず無音を貫いていた。「しばし待て」とも「入室を許可する」とも言ってこない。それはとてもありえないことだ。

「何か、あったんでしょうか?」

 何か緊急事態が起きたために慌ただしく、こちらに応答する暇もない? いやそれはおかしい。そんなに緊急ならばむしろ逆にすぐに応答があるはずで、そしてもっと基地内自体が緊張に包まれているはず。

 僕はリストバンドに触れ、ホログラムコンピュータを起動する。基地内通信は何もインターコムだけじゃない。通常時は無線による会話も可能だ。僕はクラカロイドからやってきた少女の従卒なので、彼女とは常に連絡を取れるようにする必要があり、彼女にはテラノイド製のインカムを付けてもらっている。

「繋がりませんね」

 けれど基地内無線通信システム自体に繋がらなかった。それを制御しているのはまさしく僕たちが入ろうとして立ち往生している指令室なのだ。

「ならば仕方あるまい」

「隊長?」

「一等兵、解除できるか? 責任は俺が持つ」

「……いいんですか?」

「ああ、やってくれ」

 僕は隊長と場所を入れ替わり、インターコムの前に立つ。その下には制御パネルがあり、スキャナー装置が取り付けられていて権限を持つ人物、つまりは許可なく入室できるかどうかを判定しているのだ。司令官は当然として、指令室で働くオペレーター要員なのかどうかを。

 パネルの蓋を外し通信端子をむき出しにすると、リストバンドからケーブルを引っ張り出して接続する。ホログラムコンピュータにプロンプトが現れ、僕はそこで一旦深呼吸をした。

 僕専用に製造されたこのリストバンドの内側には別の極細ケーブルが隠れていて、それは僕の神経系と繋がっている。生体コンピュータとして機能する僕の身体は、ホログラムコンピュータの外部演算装置としての役割を果たす。意識を集中し、制御装置の内部構造を超高速で読み取り、すべての防壁を迂回し、ダミーデータつまり今回は隊長のデータを滑り込ませる。

「開きます」

 成功を確信した僕は、ホログラムコンピュータの入力装置にコマンドを打ち込んだ。対話型インターフェースに対してはどうしてもこれを使わないといけない。

 プシューという空気の抜ける音がして、扉を抑えていた圧力が開放されていく。僕は何かを達成したことで高揚感を抱いていたけれど、それを聞くと気持ちが冷めていくのを感じた。なんだろう、違和感が拭えない。

 カツンと音を立てて、隊長がそこに足を踏み入れる。僕もその後ろに続く。もうすでに幾度も入ったことがある場所なのに、まるで初めてかのような不安な気持ちが溢れてくる。とても、静かだ。

「誰か!」

 声を張り上げた隊長。返って来たのはやはり静寂。おかしい。

 いつもならば何人ものテラノイドがここで忙しく作業をしている。けれどその気配は一切感じられず、いつも明るく何かを映しているはずの巨大ディスプレイは沈黙し、それがゆえに周囲は一段と薄暗かった。

 僕たちは丸腰だ。基地内では武装できる人間は限られている。僕たちレベルの一般兵には許可されていない。当然暗視装置付きのヘルメットなんて被っていない。僕は起動したままのホログラムコンピュータを使い、その心許ないライトで周囲を照らした。

「司令?」

 ほんのりと浮かび上がる、指令室の中央。いつもの回転椅子、こちらに背を向けて、ブラウン司令官は座っていた。明晰な頭脳を持ち、いつも的確な指示をこの場所から出してくる、遥かな高みにいる士官殿。

 カツン、カツンと音を鳴らし、隊長がゆっくりとした足取りで慎重に司令官の元へ近づいて行く。いつものよりも遠く長く感じる。僕は足が(すく)み、扉から一歩進んだところで動けなくなっていた。本能が(ささや)いていた。そこで止まっていろと。

「司令……?」

 いつもの距離で隊長が足を止め、そしてもう一度呼びかける。返事はない。静寂の中で僕の心臓が鼓動を早め、その音だけが耳に響いてくる。

「失礼します」

 隊長が回転椅子の背もたれに手を掛けた。ぐるりと反転させる。いつもなら司令自ら行うことを、隊長が行った。

(なっ!)

 僕は声を上げずに叫んだ。

 ブラウン司令は、明らかに死んでいた。

 だらしなく手足が垂れ下がり、頭は首を傾げるように倒れ、力なく椅子の中で崩れ落ちるように。

「どうなっている⁉」

 あのサイトウ隊長が驚いた声を上げ、そして一歩後ろに下がった。

 その時、僕は確かに見た。

 ブラウン司令の目がかっと開き、そこに一瞬生気が戻ったことを。

 でもそれは決して生気なんかじゃなかった。

「ぐっ!」

 跳ね上がるように椅子から飛び出したブラウン司令の死体が、サイトウ隊長に襲い掛かる。抱き着くように、あるいは絡みつくようなそれを隊長は腕を使って振り払おうとする。隊長は歴戦の勇士であり、どんな異常事態であっても素早く反応できる。この時もそれは存分に発揮されていたはずだった。

 それは成功し、けれど同時に失敗した。隊長はそれに近すぎたのだ。殴りつけるのではなく、振り払うことしかできなかった。

 ブラウン司令は隊長がぶんと音を立てそうな勢いで振るった右腕にしがみついたまま、それに歯を立てた。

 それはとても浅く、けれど僅かに隊長を傷つけた。そんな程度では隊長を怯ませるに到底至らない。そのはずだった。

 隊長は左の拳を使い司令だったもの、その頭を殴りつけてそれを引き剥がすと、それだけで司令は動かなくなった。力を使い果たしたかのように身体が(しぼ)み、床に張り付いたかのように動かなくなった。

「隊長っ⁉」

 僕は思わず叫んだ。わけがわからなかった。

「一等兵」

 隊長が、いつものような覇気が感じられない声で、こちらに背中を向けたまま僕のことを呼んだ。

「すまん……逃げ、ろ」

 隊長がこちらを振り向いた。

 僕はそれを見て一歩下がった。

 先ほどまで竦んでいた足が、勝手に動いた。

 恐怖が僕を勝手に動かしていた。

「う……」

 吐き気がする。そんな場合じゃないのに。

 僕はもう一歩下がった。

 さらに一歩。

 さらに。

 そして脱兎のごとく走り出した。カンカンカンと大きな音がやけに耳に響く。

 僕の見た、隊長の顔は。その顔は。

 それは内部に蛆がたかったかのようにぼこぼこと泡立っていた。下へ下へと波打つように広がりながら、その全身を侵食するかのように。

 思い出すな。とにかく走れ。逃げろ。

 背後で、ガン、ガン、ガン、と大きな金属音が響く。何の音かわからないけれど、それは僕に近づこうとしているのは間違いない。

 いいや、本当はそれが何の音かはわかっている。

 隊長の両脚は機械だ。

 僕は振り向いた。

 隊長はもう、いつもの隊長ではなくなっていた。

 

 『緊急事態発生。戦闘要員は防衛にあたれ』

 自動音声と共に通路上部の赤いパトライトが点灯し、目の前で隔壁が閉鎖されていく。防衛? 防衛だって?

 敵が攻めてきたっというのか? そんなはずはない。

 敵? あれは味方だ。少なくとも少し前までは、それ以前からずっと。

 テラノイド、だったもの。

 隊長、だったもの。

 機械化された兵士、だったもの。

 なぜだかわからないけれど、僕を襲おうとするもの。

「隊長、なんで……」

 迫りくるその姿は、もはやテラノイドとしての原型をとどめていない。生身の上半身は腐り、乾き、さながら映画に出てくるゾンビのよう。けれど機械の下半身にそんなことはなく。ただ無情に僕のことを追い詰めていく。そして僕を追いかけるサイボーグゾンビは、逃げれば逃げるほどに増えていく。

 そのうち一体が四つ足で駆けてくる。間一髪のところを本能のままに(かわ)し、目玉が腐り落ちているのにこちらを覗き込んでくる眼窩に怯えながらそれを蹴りつけ、必死な思いで逃げる。

 僕はどこに向かうべきか。そんなもの決まっている。仲間の元へ。そして彼女の元へ。

 さっきまでいた格納庫ヘ向かうしかない。僕ひとりではなにもできない。悔しいけれど助けを求めるしかない。

 目の前の通路は隔壁で閉鎖され、後ろにはじりじりと迫りくる機械のゾンビたち。四足ゾンビはいつのまにかいなくなっていて、他のゾンビたちだけがゆっくりと近づいてきていた。そう、ゆっくりと。なぜだろう。まるで電池が切れかけた玩具のようにぎこちない動きになっている。楽観的に考えて良いならば、もしかしたらタイムリミットがあるのかもしれない。もしそうなら逃げ続ければ――。

 いや、ダメだ。この基地に一体何人のテラノイドが、機械化した人類がいるのかを思い出せ。映画に出てくるゾンビは、加速するようにどんどん増えていくんだ。あの隊長だって不意を突かれて少し組み付かれただけで、あんなことになってしまった。映画のように、噛まれたことが原因なのだろうか。それすらもわからない。そもそも近づかれたこと自体が原因かもしれない。

 何もわからない。

 ええい、余計なことは考えるな。今がチャンスだ。あの隔壁をこじ開けて、ティナの元へ向かうんだ。

 隔壁制御パネルと繋がって、管理者権限を一時的に奪い、強制的に開放する。1分にも満たない時間の操作。すぐに開いていく隔壁を前に、僕は振り返らずに飛び込んだ。

 そして起きたほんのわずかの間の出来事に、僕は恐怖と歓喜を繰り返すことになった。

 目の前の通路に並ぶ新たなゾンビたち。後ろからじわじわと迫るゾンビたち。僕は追いこまれへたり込み、ここで為すすべもなく朽ちると諦めたときに、彼女が救いの女神としてそこに現れた。

「伏せなさい」

 言われた通りにした僕の頭上を掠めていく弾丸の嵐に、僕はまだ生きているんだと実感したのだ。


「ねえ、ティナ。他のみんなは?」

「格納庫で応戦中。わたしはあなたを探しにきた」

 ダン、と音がして連環通路から目の前に飛び出してきたゾンビの頭が撃ち抜かれた。いまさら飛び散る脳漿やらなにやらなんて気にしていられない。そこらかしらに似たようなものがすでに転がっているからだ。僕と合流するまでにティナがやったものもあれば、基地の保安要員によってやられたものもあるのだろう。最終的には保安要員だったテラノイドもまたゾンビとなっているのは、身に着けている装備を見れば一目瞭然だ。

「マサキは?」

「……司令官は死んでた、ように見えた。でも隊長が襲われて、あんなふうに、同じようになってしまって。僕は逃げることしかできなくて」

「あなたが無事なら、いい」

 僕たちは短く情報交換をする。じっくりと話し合う時間はない。時折こちらを見つけ襲い掛かってくるゾンビを撃退しながらになるから。ティナが。僕は何もできず彼女の陰に隠れるだけ。

 ティナたちもまた格納庫横の射撃練習室にいたところ、格納庫内が騒がしくなって向かってみれば、阿鼻叫喚の最中だったというわけ。いや彼女は淡々とした口調だったから、これは僕の悲観的な想像による印象だ。

 ともかく偶然にも武器を手にしていたティナと3人の隊員は、基地の仲間たちだったものに対してそれを向けた。相手はもはや動く死体でしかないことは一目瞭然で、格納庫内の作業員が次々と同じように変わっていく様をみれば、テラノイドの持つ治癒能力も一切効果がないこともわかった。幸いなのは、整備員は兵士ではなく、そのために機械化しているものがほとんどいなかったことであり、死線を何度も潜り抜けた隊員たちの敵ではなかった。

 格納庫を確保し、数人の生き残りとともに立て籠もっている状況というわけで、そして彼女は単独で僕と隊長を追いかけて指令室に向かってきた。それができるのはクラカロイドであり、個の戦闘員として無類の強さを誇る彼女をおいて他にいないから。

「ともかく、指令室は全滅して一切機能していない。僕たちも格納庫に早く戻ろう」

「わかった」

 この後どうすればいいかなんて、わからない。蠢くゾンビたちをすべてやっつけて、それではいおしまい、とはならないだろう。いや、もしかしたらティナと隊員のみんながいればそれも可能かもしれない。

 僕は淡い期待を抱いた。

 楽観的に過ぎたのは、言うまでもない。


 そうして格納庫に戻った僕たちを、出迎えたのは。

 いいや、誰も出迎えてはくれなかった。

 それでもそれは、まだマシな再会だったのかもしれない。

「ダメだったんだね……」

 朽ち果て倒れ伏すゾンビたちの向こう側に、よく知る三人の姿があった。ただし変わり果てた姿となって。

 モーリア上等兵。隊唯一の女性兵。僕なんかよりもずっと兵士らしく、快活で好戦的で、姉御肌の誰からも好かれる兵士。豪放にいつも呵々として笑っている彼女の顔は、頭ごと万力で押しつぶされたかのように潰されていた。

 ウォーリー兵長。両腕両足をすべて失いながらも戦い続けた、屈兆な戦士。あの怪物と力比べができるほどの巨漢。モーリア上等兵をその体で抱えるように座り込んでいた。その機械の手で彼女の頭部を包みながら。そして彼自身の頭は正面から撃ち抜かれていた。

 エルンスト上等兵。丁寧な物腰で、ややもすればすぐに突撃したがる二人を窘める損な役目を淡々とこなす、冷静な兵士。壁際にもたれかかり座っている。その脚元には彼の愛用する狙撃銃が、ウォーリー兵長にその銃口を向けて置かれていた。手には拳銃が握られていた。こめかみには穴が開いていて、血はすでに固まりかけていた。

「マサキ」

「うん……」

 サイトウ隊長を含め、短い付き合いだった。だけど、そう、だけど。こんな役立たずの僕を受け入れて、一緒に笑い合ってくれたかけがえのない仲間たちだった。

「ティナ、ここを出よう」

 けれど泣いている暇なんてない。激しい戦いの後が残る格納庫では、僕たちの他には誰もいない。ゾンビたちは皆地に伏して、静寂を保っている。

 だけどいつまたそれらが流れ込んでくるかわかったもんじゃない。

「ん」

 彼女の表情には一切感情が読み取れない。いつもどおりに平坦な声で短く答えるだけ。でもそれでいい。なぜだろう、そのほうがとても安心する。

「わたしのを使う」

 ティナは格納庫の一画を指差した。その先には黒く塗られた戦闘機が、他のクラカロイド仕様の宇宙艇の中でその存在を誇示するかのように居座っていた。

 僕たちが惑星ボルタから帰還する際に使ったシャトルはそこにはなく、おそらく何人か生き残りがそれに乗って脱出したのだろう、とそう信じたかった。

「うん。どのみち僕はパイロットじゃないから」

 結局はここでも彼女に頼るしかない。

「行く」

 彼女は、クラカロイド製のコル型専用宇宙戦闘機に向かい、歩き出す。名前がないと不便だ。無事脱出できたら名前を考えてもいいかもしれないな。

 そう無事に脱出できたら。

「僕はエアロックを開けてくるよ。準備をお願い」

「……わかった」

 僕は格納庫内の制御室を仰ぎ見た。格納庫の壁際、金属階段を30段ほど登った場所にある。宇宙船を出入りさせるための外と繋がる大きな扉は、あそこからじゃないと操作できない。

 階段の下に、緊急用の脱出ポッドがたったひとつだけ残されているのを見つけた。いくつか並んでいたはずのうち最後のひとつだ。他のポッドでも誰か脱出者がいるのかもしれない。シャトルがそれを回収できていればいいんだけど。宇宙空間に放り出されて助けなく待ち続ける状況というのは、とてもじゃないけど想像したくない。

 階段の一段ずつ昇りながら、僕は祈った。

 祈るしかなかった。

 僕は知っていた。

 エアロックを開放するときには、安全のためにそれを知らせるアラームが大音量で流れるのだ。

 もちろんティナも知っているだろう。

 おそらく僕は、あの脱出ポッドへ飛び込むことになる。彼女が僕を回収してくれることを信じた上で。

 きっとそうしてくれると信じていた。


 制御室のコンソールを操作するには、当然のごとく権限が必要だった。僕はそんなものを持っていない。だけど関係ない。いままでどおりやればいい。こんな緊急事態だ、だれにも咎められたりはしない。

「やるぞ」

 いつもどおりの作業。ケーブルを引っ張り出して繋ぎ、権限チェックをすっ飛ばして直接操作する。実に簡単だった。さほど厳重に管理されてはいない。

 そうして鳴り響くアラーム。

『エアロック開放中。作業員は注意せよ』

 アラーム音と共にゴゴゴ、という地響きに似た震動が伝わってくる。格納庫側の扉が開き始めたのだ。エアロックとはいえ少しばかりどうしようもない気圧差があって、そよ風というには強めの風が大扉に向かって吹き始める。

(行かないと)

 ケーブルを引き抜き、僕は制御室から出て階段を降りようとした。ベストはこのままティナの戦闘機に辿り着くこと。最低でも階段下の脱出ポッドに飛び込むこと。

 でもね、そんなに世の中は甘くなかった。

「……あっ」

 制御室への階段からは、リング通路からの出入口がよく見えた。その扉はすでに破壊され、誰でも通行可能な状態。だからわかっていた。

 大音量に惹かれてやってくるものたちがいることは。それらがここへ辿り着くまでに、僕は脱出しなければならなかった。

 でも予想以上に早く、やつらはやってきた。なぜならアラーム音がやつらを呼び寄せたわけじゃなかったから。

 まず最初に入ってきたのは、生き残りのテラノイドがひとり。彼はゾンビに追いかけられながら必死に逃げていた。まるで僕のように。だから彼を咎めることも、恨むことも僕にはできない。

 そして目聡く残った脱出ポッドを見つけると、彼はそれに飛び込んだ。僕が乗るつもりだったそれに。あっという間の出来事だった。

(ああ、そんな)

 僕の悲嘆は、彼にそれを奪われたことじゃない。彼にはそれしか生き残る道がなかったのだ。僕と同じで。だからそれは、そう、仕方のないことだ。諦めるしかないことだ。

 だけど、僕は見た。見てしまった。

 その脱出ポッドの扉が閉まり切る前に、一体のゾンビが中に滑り込んでいったことに。その後どうなったか想像はしたくない。脱出ポッドは定められたシーケンスに従って自動的に射出されていった。もうこれ以上は、どうにもならない。

 そしてすべてが手遅れになった。

 階段上部で固まっていた僕は、はっとなって下を見た。もうすでにゾンビがそこを昇り始めていた。カン、カン、という音がやけにゆっくりと耳に響く。地獄へのカウントダウンが始まったというわけだ。

「は、ははっ」

 己の迂闊さを呪わずにはいられない。立ち止まらず何も考えず走り降りるべきだったか。いやそれでも間に合ったとは思えない。この高さを飛び降りるべきか。あっという間にゾンビに囲まれて終わるだけだ。みんな僕を待ち構えているんだ。

 僕は後ずさりながら、制御室にまた戻って来た。さらに後退し、そして壁際まで来てやっと足が止まる。ほぼ無意識な行動。少しでも生き永らえるためにと、本能が勝手にしたことだ。

 ああ、でも。

(ティナだけでも逃げることができて良かった)

 なんだろう。この感情は。役立たずの僕だったけれど、最期の最期には誰かの役に立てた気がする。それがテラノイドのためではなく、クラカロイドのためであっても、彼女の、ティナのためであるならばそれでいい。恐怖はあれど、同時に満足感もある。

 時間がゆっくりと流れていく気がした。制御室の入り口に、ゾンビの姿が見え始めた。生理的嫌悪を催すはずのその崩れた頭部を見ても、もはや何も感じなくなっている。この1時間程度の間に、いろいろな死体を見過ぎたせいかもしれない。

 ブラウン司令、サイトウ隊長、ウォーリー兵長、モーリア上等兵、エルンスト上等兵、みんな死んでしまった。

 だけど。

 彼女はまだ生きている。目を瞑り、瞼の裏に彼女の姿を思い浮かべる。銀色の綺麗な髪を揺らしながら彼女が振り向いて、その紅い瞳で僕を見つめながらにこやかに笑っていた。

「さよなら」

 小さく口の中で呟けば、充足感に包まれていき――。

『伏せなさい』

 インカム越しに聞こえたその声は、僕を即座に動かした。ああ、ほんの少し前にも同じことがあったなあ、と呑気に考えながら、僕は前のめりになって倒れるようにその場に伏せた。

 ブン、という音とともに風圧が何度も僕を掠める。続くバリンとガラスの割れる音や、ギリギリと金属の軋むような音が繰り返し鳴り止まず、僕を揺らしていた。

 どれぐらい続いただろう。とても長く感じた。実際にはほんのわずかな時間に過ぎなかった。おそらく。

『乗って』

 僕は顔を上げ、制御室の、ガラスが粉々に吹き飛んだ窓越しにそれを見た。

 ティナの乗る真っ黒な戦闘機は、変形していた。

 二足歩行型になったそれは、バーニアを吹かして宙に浮きながら、その手に巨大な赤く輝くブレードを持ち、こちらを見下ろしていた。

「ははっ、すごいや」

 僕はまたそうやって助けられたのだ。


 ※


「これからどこに向かうの?」

「候補はふたつ。ひとつは惑星ボルタ」

「念のため聞くけど、もうひとつは?」

「クラカロイドの基地」

「まあ、そうだよね」

 真空の中へ命からがら脱出した僕たちは――いや、危機的だったのは僕だけだった――は、そのまま闇の中を漂うわけにもいかず、どこかに向かわなければならない。

「跳躍粒子は搭載されていない」

 つまりは現実的な時間で星系外へと渡ることはできず、この閉じた系の中で選択せざるを得ない。

「基地に行く」

「大丈夫、かなあ」

「問題ない」

「だといいけど」

 大勢のクラカロイドのなかに、テラノイドの僕がたったひとり飛び込んで、無事に済むのだろうか。いや、ティナはひとりでテラノイドの基地に来たんだった。だけど彼女は強い。僕は強くない。

「それにしても、ものすごく……狭いんだね」

「わたし専用だから」

「そう、だね」

 ティナ専用機のコックピットは、当然だがティナだけがパイロットとして乗り込むことが前提だ。それにしたってこれが二足歩行ロボットに変形するとは思わなかった。これもまた、戦争に間に合わなかった機体なのかもしれない。いや、そんなことはどうでもいい。今問題にすべきは別のことだ。

「マサキがあんまり大きくなくてよかった」

「そうだね……」

 旅行鞄の中にぎりぎり入るか入らないかという具合の荷物をなんとか押し込めるように。いやそれよりは少しはましか。苦しくはないから。隙間が少しぐらいある。ほんのわずかだけど。

「基地まで、どれぐらいかかるの?」

「約1時間」

「そっか」

 その間ずっと、僕は彼女の膝に乗ったまま、彼女と向き合って抱き着くような姿勢を保たねばならない。

 完全なる密着状態。彼女が呼吸を必要としなくてよかった。もしそうだったなら、その息が僕の胸に触れるたび、心臓がどうにかなってしまうところだった。僕の腹部を押してくる2つのささやかな膨らみについては意識してはいけない。

「ねえ、ティナ」

「なに?」

「ありがとう」

「……どういたしまして」

 共に過ごした仲間の墓所となってしまったテラノイドの基地を脱し、そうして僕たちはクラカロイドの基地へと向かう。

 何が起きたか、あるいは何が起きているのか、何も理解できないままに。

 そしてこれから何が起きるのか、一切想像のつかないままに。

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