第3話「慈悲深き魔王様(善意の押し付け)」
供物騒動から数時間が経過した。
俺の空腹はすでに限界を突破し、思考能力を著しく低下させていた。
玉座に座っているのもつらい。
何か食べ物はないのか。
この魔王城の厨房はどこにあるんだ。
しかし、俺が厨房はどこだと尋ねれば、世界の台所を支配するとか変換されかねない。
下手に動くこともできない八方塞がりの状況だった。
『アイテムボックスとかないのかな……』
ダメ元でそう念じてみる。
すると、目の前に半透明のウィンドウがポップアップした。
本当にあるのか、アイテムボックス。
期待を込めて中を覗き込むと、そこには信じられない光景が広がっていた。
HP回復ポーション小999。
MP回復ポーション小999。
万能薬999。
テント999。
その他、ゲーム序盤に役立ちそうなアイテムが、軒並みカンスト状態で詰め込まれていた。
『これもバグか……!』
とんでもない量のアイテム。
しかし、肝心の食料品は一つも見当たらない。
ポーションは飲めるらしいが、あれで空腹が満たされるとは思えなかった。
化学薬品みたいな味しかしなさそうだ。
がっくりと肩を落とした、その時だった。
「魔王様、ご報告申し上げます! 魔王城の北西に位置する、オークの集落が深刻な食糧難に陥っているとの情報が入りました。原因は長引く日照りによる凶作。このままでは、集落の者どもは皆、飢え死にするかと」
軍師ベルドリスが、カシャカシャと骨を鳴らしながら玉座の間にやってきた。
手には古びた羊皮紙の巻物を持っている。
『オークの集落が飢饉……? それは大変だ』
魔物とはいえ、飢えに苦しんでいると聞けば、お人好しの血が騒いでしまう。
何かしてやれることはないだろうか。
俺は自分のアイテムボックスに目を落とした。
食料はない。
だが、ポーションなら死ぬほどある。
ゲームの知識によれば、ポーションは傷を癒すだけでなく、僅かながら滋養強壮の効果もあるという。
飲めば、多少は空腹の足しになるかもしれない。
気休め程度かもしれないが、何もしないよりはマシだ。
「……そうか。ならば、これを奴らに与えよ」
俺はそう言って、アイテムボックスから大量のHP回復ポーションを取り出した。
赤い液体が入った小瓶が、玉座の前の床に次々と出現し、あっという間に小山を築く。
もちろん、この親切心から出た言葉も、魔王フィルターにかかればこうなる。
「――よかろう。我が慈悲をくれてやろう。この霊薬を、我が僕となるべき者どもに与えよ。ただし、これは恵みではない。試練だ」
『試練!? 何の!? ただのポーション配りだよ!?』
ベルドリスは、一瞬目を見開いて驚いた後、深く頷いた。
「な、なるほど……! さすがは魔王様! 我々には考えも及びませんでした! 魔王様は、飢えという絶対的な苦しみの中で、まず彼らの忠誠心を試されたのだ! そして、それを乗り越え、なお我らに救いを求める者にのみ、この奇跡の霊薬という恩恵をお与えになる! ああ、なんという深いお考え! このベルドリス、感服いたしました!」
『違う、違う、全然違う! ただの食料支援のつもりだったんだけど!』
もはやツッコミも追いつかない。
俺の善意は、どこまでも残酷で計算高い魔王の計画として塗り替えられていく。
ベルドリスは感動に打ち震えながら、部下に命じてポーションの山をオークの集落へと運ばせていった。
その様子を、俺は空腹でかすむ目で見送ることしかできなかった。
『俺の分のポーション、少し残しておいてほしかったな……』
そんなことを考えていると、今度は猛将ヴァルガスが血相を変えて駆け込んできた。
「魔王様! 大変でございます! 城の南門付近で、人間の冒険者どもが、一体のゴブリンを寄って集って痛めつけております!」
『なんだって!?』
プレイヤーが弱いモンスターをいじめている、ということか。
ゲームではよくある光景だが、現実で起きているとなると話は別だ。
弱い者いじめは許せない。
「すぐにそこへ向かう!」
俺は玉座から立ち上がり、ヴァルガスを伴って南門へと急いだ。
俺の言葉は、もちろんこう変換されていた。
「――我が出る。我が領域で塵芥が騒ぐこと、万死に値する。愚かな人間どもに、絶対的な恐怖を刻み込んでくれる」
ヴァルガスは雄叫びを上げ、興奮した様子で俺の後を追ってくる。
南門に到着すると、まさにヴァルガスの報告通りの光景が繰り広げられていた。
派手な装備に身を包んだプレイヤーらしき三人組が、小柄なゴブリンを囲み、面白半分に剣や魔法を放っている。
ゴブリンはすでにHPが残りわずかなのか、地面に倒れ伏し、か細い声で命乞いをしていた。
胸糞悪い光景に、俺の中の何かがカッとなった。
ゲームだからとか、相手がモンスターだからとか、そんなことは関係ない。
これは、ただの弱い者いじめだ。
俺は三人の前に、ずしん、と重い足音を立てて立ちはだかった。
身長2メートル超えの魔王アバターの威圧感は相当なものだったらしく、プレイヤーたちは一瞬で動きを止めた。
「な、なんだ、こいつ……!? 名前が表示されないぞ……ネームドモンスターか?」
彼らの頭上にはタカシ、マサル、ケンジという、なんとも言えないプレイヤーネームが浮かんでいる。
俺は彼らを睨みつけ、ゴブリンを庇うようにして言った。
「やめよ。その者から離れるがいい」
俺の静かな怒りは、魔王アルノス・ヴォルティスの口を通して、絶対零度の宣告となった。
「――愚かな人間どもよ。我が僕に触れること、万死に値するぞ。その汚れた手で、我が所有物に触れる不敬、その命で贖うか?」
『僕!? 所有物!? いや、このゴブリン、今初めて会ったんだけど!』
俺の発言と同時に、凄まじいプレッシャー、いわゆる王の威圧というスキルが自動で発動したらしい。
プレイヤー三人組は短い悲鳴を上げ、腰を抜かした。
一人は恐怖のあまり、その場で失禁している。
「ま、魔王……!? なんでこんなところにラスボスが……! に、逃げろぉぉぉっ!」
彼らは武器も構えずに一目散に逃げ出していった。
あっという間にその姿は見えなくなる。
後に残されたのは、俺と、そして助けられたゴブリンだけだった。
ゴブリンは、俺の足元でガタガタと震えていたが、やがておずおずと顔を上げた。
その大きな瞳には、涙と、そして強い尊敬の光が宿っていた。
「あ、ありがとうございます……! このゴブ、命の恩人様にお名前を……!」
『名前? ジンだけど……いや、アルノス・ヴォルティスって名乗るべきか?』
どう答えるべきか迷っていると、後ろに控えていたヴァルガスが誇らしげに胸を張った。
「控えよ! この御方こそ、我らが偉大なる君主! 魔王アルノス・ヴォルティス様であられるぞ!」
その名を聞いた瞬間、ゴブリンの目が見開かれた。
「ま、魔王様……! まさか、あの伝説の……! ありがとうございます! ありがとうございます! この御恩は、一族郎党、未来永劫忘れません! 我らゴブリン一族、全てを捧げて魔王様にお仕えいたします!」
ゴブリンは感涙にむせびながら、その場に額をこすりつけて何度も頭を下げ、一目散に森の奥へと走り去っていった。
おそらく、一族に報告しに行ったのだろう。
『え、ちょっと待って。そんな大事になるの?』
俺はただ、いじめられてる子を助けただけなのに。
すると、横にいたヴァルガスが、その巨体を震わせながら俺に言った。
「さすがでございます、魔王様……! 最弱の種族であるゴブリンにすら、慈悲をおかけになるとは……! そして、その恩義によって一族全てを忠実な僕とされた! このヴァルガス、魔王様の深いお考え、またしても見抜けませんでした!」
『だから考えなんてないんだって!』
俺の心の叫びは、またしても空しく魔王城に響き渡った。
後日、大量のゴブリンたちが魔王城に押しかけ、魔王軍への加入を嘆願してきた。
彼らは非常に勤勉で、城の雑用から偵察まで、文句ひとつ言わずにこなしてくれた。
そして、ポーションを届けられたオークの集落もまた、魔王の試練と恩恵に深く感銘を受け、最強の戦士たちを魔王軍に派遣してきたのだった。
俺がしたことは、余っていたポーションをあげて、いじめられっ子を助けただけ。
それなのに、俺の意図とは全く関係なく、魔王軍の戦力は着実に、そして急速に増強されていくのだった。
『もう、どうにでもなーれ……』
俺は、増え続ける部下たちを前に、ただただ遠い目をするしかなかった。




