エピソード108 非日常
歌舞伎町、昨今なにかと世間を賑わせている街。
そんな場所で実際に経験したこと聞いたこと考えたこと
そんなことを織り交ぜたノンフィクション風ファンタジーです。
一旦、リコピンの席にも戻る。
さっきのるなの言葉が、
まだ頭の中に残っていた。
ヘルプの飲み物代も、私が払うんだ。
それは、店の中では当たり前のことだ。
でも、外から来たばかりのるなには、当たり前じゃなかった。
その違和感が、妙に胸に残っている。
リコピンの席に戻ると、
リコピンはいつも通りグラスを持っていた。
「おかえり」
「ただいま」
いつもなら、そのままテキーラだの、
しょうもない話だのに流れるところだった。
でも今日は、なぜか口から変な言葉が出た。
「なぁ、ホストってなにが楽しいかなあ」
リコピンは一瞬だけ止まって、それから目を細めた。
「なに言ってんの? 奏楽がおかしくなっちゃった」
「いや、急に気になって」
「急に哲学すな」
そう言って笑うリコピンに、少しだけ救われる。
でも、俺の中ではまだ答えが出なかった。
ホストクラブは楽しい場所だ。
たぶん、そうだ。
綺麗な内装があって、かっこいい男がいて、
酒があって、褒められて、笑って、
少しだけ特別な気分になれる。
普段の生活では言われない言葉をもらえて、
普段ならできない距離感で誰かと話せる。
でも、その楽しさの横には、必ず金額がある。
担当が席を外したあとのヘルプの飲み物代も、
楽しさの一部として伝票に乗る。
当たり前みたいに。
「リコピンはさ」
「うん」
「ホストの何が楽しいの」
そう聞くと、リコピンは少しだけ考えた。
いつもならすぐにふざけて返してきそうなのに、
その時はちゃんと考えてくれた。
「んー、非日常?」
「非日常」
「うん。普通に生きてたら、こんなに大げさに扱われないじゃん」
そう言って、リコピンはグラスの氷を揺らした。
「かわいいとか、会えて嬉しいとか、来てくれて助かるとか。そういうの、普段はそんなに言われないし」
「まあ、そうか」
「あと、ちょっとだけ自分が主役っぽくなれる」
その言葉に、少しだけ納得した。
主役。
たしかに、ホストクラブでは姫が主役だ。
少なくとも、そう見せる場所ではある。
誰かが来たことで席ができて、
酒が動いて、男たちが集まって、グラスを持ち上げる。
そこには、日常ではなかなか得られない種類の熱がある。
「でもさ」
リコピンが、少しだけ口元をゆるめた。
「楽しいだけじゃ来ないよ」
「え?」
「楽しいだけなら、他にもあるじゃん。ご飯でもカラオケでも旅行でも」
「まあね」
「ホストって、楽しいだけじゃなくて、必要な時があるんだと思う」
その言い方が、意外とまっすぐで、俺は少し黙った。
「必要?」
「うん。誰かに必要とされたい時とか、誰かを必要としたい時とか」
リコピンは軽い調子で言っているようで、
その声の奥は少しだけ静かだった。
「私の場合は、奏楽が頑張ってるの見るのが楽しいし、
来たらちゃんと喜んでくれるのも嬉しいし」
「喜んでるよ」
「知ってる」
リコピンは笑った。
「だから来てるんじゃん」
その一言に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
るなが感じた違和感も、
リコピンが感じている楽しさも、
たぶんどちらも本当なんだと思った。
この店は、楽しい。
でも、少し怖い。
嬉しい。
でも、高い。
夢みたいに見える。
でも、伝票はちゃんと現実だ。
その全部を含めて、それでも来る子がいる。
「なに、初回の子になんか言われた?」
リコピンが急に核心に近いところを突いてきた。
「なんでわかるの」
「顔」
「そんな出てる?」
「出てる。今日の奏楽、ずっと考えごとしてる顔」
「ホスト失格だな」
「まあ、私はそういうとこも込みで見てるけど」
何気なく言われたその言葉が、少しだけ胸に残った。
込みで見てる。
リコピンは、俺が完璧なホストじゃないことをたぶん知っている。
揺れることも、考えすぎることも、変に優しくなることも。
そのうえで来てくれている。
「ホストの楽しいところ、わかった?」
リコピンが聞く。
俺は少し考えてから答えた。
「ちょっとだけ」
「じゃあテキーラ飲も」
「なんでそうなる」
「難しい話したから」
「リコピン理論こわ」
そう言いながら、俺はグラスを受け取った。
るなの違和感は、まだ消えていない。
でも、リコピンの言葉で少しだけ形が変わった。
ホストクラブは、ただ金を使わせる場所じゃない。
でも、金を使わせる場所であることも間違いない。
その矛盾の中で、誰かは楽しいと言い、
誰かは怖いと言い、誰かは必要だと言う。
俺はまだ、その全部にちゃんと答えられるほどのホストじゃない。
それでも、目の前のリコピンが笑っているなら、
今はその笑顔をちゃんと受け取るしかなかった。
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