第45話 森狼族、聖域の外へ
第45話 森狼族、聖域の外へ
森の空気がわずかに震えた。
聖域に吹く風とは違う、
重く濁った気配が近づいてくる。
クロが低く唸り、毛を逆立てる。
「……来たか」
ゆうは腰のポーション瓶を軽く叩き、深く息を吸う。
リュシアはすでに杖を手にしており、目は森の奥を見据えていた。
「相当な数ではありませんが、三……いえ、四。
全員、力が強い個体です」
「森狼族の追手……間違いない」
背後でティナが声を押し殺すように言った。
彼女はベッドから起き上がっていたが、足取りはまだ不安定だ。
ゆうは振り返り、ティナの肩に手を置く。
「ティナ。ここは動くな。絶対に外へ出るなよ」
ティナは唇を噛む。
「でも……私がいるから、あなたが危険に……」
「危険なのは最初からだよ。
それなら守るって言っただろ」
ティナは胸元をぎゅっと握る。
その目は、何かを必死に堪えているようだった。
⸻
外――聖域と森との境界線。
そこは目に見えないが、確かに空気が違う場所だった。
ゆうとリュシアが一歩踏み出すと、
まるで森に拒まれたような圧が肌に刺さる。
そのとき――
ザッ……
茂みをかき分けて、灰色の耳が現れた。
鋭い金色の瞳。
筋肉質でしなやかな体つき。
そして――
ティナと同じ銀灰色の尻尾。
一族だ。
「……!」
ゆうの隣でリュシアが冷静に構える。
森狼族の戦士が三人、
さらに後ろに一人、
ティナと同年代の少女らしき影が立っている。
中でも先頭の男は一際威圧感があった。
目がゆうとリュシアを一瞥し、
すぐに聖域の奥を見据える。
「そこにいるのは……ティナだな」
低い声が森に響く。
ゆうは一歩前に出た。
「ああ。でも、お前らには渡さない」
男の瞳が細くなる。
「その者は我らの“群れ”の者。返してもらう」
「ティナは戻りたくないって言ってる」
「子が何を言おうと関係ない。
群れの掟がすべてだ」
その瞬間、聖域の内側からティナの声が響いた。
「行かない!
戻ったら――もう、生きて帰れない……!」
森狼族たちの表情が一斉に変わる。
細い影――ティナと同年代の少女が前に出た。
姉のようでもあり、友のようでもある雰囲気。
「ティナ……どうして逃げたの……?」
その声には怒りよりも悲しみが滲んでいた。
ティナは震える声で答える。
「……私は、群れに必要ないって……
“役に立たない”って……ずっと言われて……」
森狼族の男が低く吐き捨てる。
「お前が弱いからだ。
我らは弱者を外へ出せぬ。
それだけのことだ」
ゆうはカッとなった。
「は? 弱いから捨てる?
ふざけんなよ……。
あんたら、それでも家族なのか?」
男の目が光る。
「人間風情が、我らの掟に口を出すな」
「掟って言えば何しても許されると思ってるのか?
俺からしたら最低だ。
ティナは――ここで生きられる。
お前らのところに戻る必要はない」
「愚か者が」
男の足元の土が盛り上がり、
獣のような気迫が森を震わせた。
リュシアがゆうの前に杖を向ける。
「ゆう、後ろへ」
「いや。これは――俺が言うべきことだから」
ゆうは前に立ち、相手の視線を真正面から受け止める。
沈黙。
そして、圧倒的な威圧。
森狼族の男が低く言った。
「ならば……力で示せ。
弱き者を守りたいのなら――その腕で証明しろ」
ゆうの背中に汗が伝う。
だが、退く気はなかった。
「上等だよ。
俺は、守りたいからここにいるんだ」
その声は震えていたが、
どこまでも真っ直ぐだった。
男がわずかに目を細める。
「……ならば試す。
人間――いや、“聖域の主”よ」
空気が震えた。
戦いの気配が、
初めてゆうの目の前に姿を見せた瞬間だった。




