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混沌から星屑を拾う  作者: 三山 千日


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89/92

うららかな春の裏に潜む影 ※

春はうららかなものなれど、どこかしらで不穏が息衝いているかもしれない7本。

※一部に死、不穏、怪異の要素があります。苦手な方はご注意ください。

『遠足にしては遠すぎる』 ※死の要素あり注意


 此岸から橋を渡って彼岸へ向かう。

 見たところ、隣の橋は動く歩道のようだが、こちらはただの橋だ。自分は向こう岸まで歩かねばならないらしい。


 まあ、いい。今は身体のどこも辛くはなく、脚も軽い。歩くのが苦ではないなんて、何年ぶりだろう。

 それに、橋桁下の河川では白金の花を咲かせる水草の中を極彩色の魚が泳いでいて、見ていてちっとも飽きない。優雅な景色を拝みながら遠足気分でのんびりと歩く。


 たまに、前を往く人が何やら思い出した様子だとか、躊躇いなちに振り返るなどして、元来た方へ引き返す姿を見受けた。

 まだ、この橋を渡る間なら、"そういうこと"が許されるらしい。



 岸に着くと、案内に従って、虹のエスカレーターに乗る。

 昔、雨上がりに見た大きな虹にも、今の私のような人達が乗っていたのだろうか。

 虹の上から随分と遠くなってしまった地上を見下ろし、もう戻れないんだと思う矢先、誰かが虹から落ちるのが見えた。どうなるのだろう、あの人は。


 この先のエレベーターの行き先は天国か来世か、誰も教えてはくれなかった。






『遺影とごま豆腐』 ※死の要素あり注意


 穏やかに笑う人だったよと、遺影に映る兄を語る。


「お前にだけだったよ」

 法事の御膳からごま豆腐を一口分、箸で切りながら、兄の友人の一人が告げた。

 ここのごま豆腐は兄の数少ない好物だったと顧みながら、首を傾げる。

「笑顔だよ。あいつ、いつも鹿爪らしい顔してさ。少なくとも俺はあいつの笑った顔を知らん」


 ――たった一人の家族であるお前にだけさ。


 箸に摘まれ、頼りなく垂れるごま豆腐を落とさぬよう慎重に運んで、口を結ぶ。

 兄は……あいつはそうやってごま豆腐を食べたら必ず、安堵したように口を緩ませたっけ。


「俺にだけかぁ」

 そんなの俺が知るわけない。

 でも、大切にされてたのはしっかりと覚えてる。






『体の声を聞く』


 ストレッチって不思議だ。

 日常生活ではあまりしなさそうな体勢をしながら呼吸を意識しろというのだ。

 慣れない内はこれがなかなか難しく、無駄な思考をする余裕もない。


 筋を伸ばせば痛気持ちよくて。

 でも、調子に乗って強めにしたり、長時間だったり何度もやりすぎると後々、予期せぬ場所に"返り"が来る。


 地道に回数を重ねて慣れる内に、痛気持ちいいとしか感じなかった感覚が次第に変化していった。

 体勢と呼吸により、どこの筋が伸びるかわかるようになったのが面白い。


 あと、不思議なことに、ストレッチ中に腹が鳴るようになった。

 指圧や鍼灸の施術中でも同じ現象が起きるけど、外部から程よい刺激を受けることで副交感神経が優位に――つまり、リラックス状態になるんだそうな。

 緊張が解けることで内臓が活発になって蠕動運動を始め、それによって腸内部のガスや内容物が動いている音なのだとか。

 私自身はおかしな体勢をしてリラックスどころじゃないのに、体はリラックスしてるなんて、人体ってとても不思議。


 長年、使ってきたこの体は、ほんのちょっとストレッチをするだけで、本当に色んな反応が出るものだ。

 体の心地よい痛みと伸びと音が、不調のもとが何かを教えようとしている。

 ……いや、ストレッチだけじゃない。日常生活を送る上で感じていた各所の凝りや痛み、痺れ、違和感だって、この体の声に違いない。

 自分は今までずっと、この体に緊張と無理をさせていたんだろうなと、反省。






『変わりゆくものと変わらない食欲』


 ホトケノザの紫の絨毯を進み、菜の花の海を泳ぐ。

 淡い色の空を仰げば、梅や桜の彩雲が春一番に花弁を散らす。

 何年か前までは辺り一面を彩っていたソメイヨシノの薄紅は、いつからか河津桜の濃い桃色に変わりつつある。


 ソメイヨシノの寿命が迫っているのだと、世代交代の時期なのだと、真か偽りかも知れぬ情報を誰から聞いたのだっけ。

 それじゃあいつか、この足下の紫も、今掻き分けた黄色も、もっと別の色になってしまうのかしらん?


 まあ、そんないつかのことよりも、今はお腹が空いていた。

 パンも玉子もふわふわな玉子サンドと、菜花と玉子の炒め物、もひとつおまけにイチゴミルクが欲しいなと、お腹に素直なボクはお店に向かう。






『星は眠る』 ※不穏な要素あり注意


 空っぽの交差点の中央に、ひとり。

 交差点を囲む朽ちたビルディングにも、真っ黒な空にも、地中にも、命はない。

 "命だったもの"はすべて、とうに砂と化した。


 辺りは闇。月も星もない。この星に帷が下りたから、朝も昼ももう来ない。すっかり閉じた星にボクはいる。

 聞こえるのはもの悲しい風の音。そして、一町先の交差点で同僚が歌う、この星最後の鎮魂歌。


 最後の魂はこの星。

 無垢だったのに、突然現れた愚かな存在に蹂躙され、食い潰され、願望という名の呪いに芯まで冒されてしまった子。

 受けた呪いは泥となり、やがてすべての命を汚染し、絶望の下、終わらせた。


 同僚は哀れな星を慰め、ボクは穢れた星を清めるためにここにいる。

 せめて安らかに眠れますよう。






『わざわい』 ※怪異、不穏要素あり注意


 ――わたしのこえをきいて。


 冷気が薄い表皮一枚を舐める春の夜。雨音と時計の音に混じってそれは聞こえた。

 幼子の声だ。けれど、平坦で感情の欠けた囁きは、幼子のそれとは到底思えない。


 返事はしなかった。

 得体の知れぬものに応えるのは禁忌だと、教えてくれたのは蔵のいっとう古い書物だ。

 私は素知らぬ顔で本を読み耽るふりをして、耳を澄ます。


 得体のしれぬものほど、関われば高確率で痛い目を見るなんて、怪異に触れた者の間ではよくある話。先の声など無理にでも忘れてしまうのが得策なのはわかってる。だが、好奇心が許してはくれなかった。



 ――きいてくれたコには、いいものをあげる。

 ――あしたおきるわざわいにおびえなくてすむよう、いますぐに死をあげる。



 舌足らずで抑揚のない話し方。なのに、死の一文字のみ、やたらと生々しく感じられ、思わず鳥肌が立つ。


 どういうことなのだ、それは。

 『あしたおきるわざわい』とはなんなんだ。

 『死をあげる』ことがあたかも救済のように告げる、こいつは一体、何者なんだ。


 私はどうすればいい?






『magnolia』


 レースのカーテンを捲ったように、空の色が彩度を淡く上げていた。

 オオイヌノフグリを思い浮かべる、その優しい青に気付いたのは、満開のモクレンを見つけて仰いだからだ。


 空に向かって目一杯広がった枝に、縦長の真っ白な花が無数に咲く。

 ほんの一瞬、白鳩の群と見間違えた。


 少し前まで厳格な冬を耐え忍んでいた小さな硬い蕾だったのに、一度綻びると大きく、そして優雅な姿へと生まれ変わることの妙よ。

 枝に高く掲げられ、無垢な花弁を緩く広げるその様は、白鳩が今まさに空へ飛び立とうと翼を膨らましているよう。


 美しい夢を見た気分だ。

 例え、近い未来にその花弁は地に落ち、茶色く朽ち、踏み躙られた物哀しい様になろうとも。

遠足にしては遠すぎる 2026.02.24

遺影とごま豆腐 2026.02.25

体の声を聞く 2026.02.26

変わりゆくものと変わらない食欲 2026.02.28

星は眠る 2026.3.02

わざわい 2026.3.02

magnolia 2026.3.05

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