春はおいしいものとかわいいものを連れてくる
春の訪れとおいしいものと動物のいる7本
『チョコレートの匂いに迷う』
いろんなお店の特設スペース。
食料品店のお菓子売り場。
漂う匂いで気付き、ハートモチーフの装飾やPOPを横目で見て、素通りしようとしつつも、何となく足を止めてブースを覗いてしまう。
綺麗だったり凝ったパッケージが多く並んでいるけれど、貰った人は空箱をどうするのだろう。
中身もキレイだけど、味はどうかな。味にうるさいあの人の口に合うのはあるのかしら。
チョコレートは好きじゃないみたいだし、催しに乗り気なことなんてなかったじゃないか。
そもそも、私が贈ったところで喜ぶ顔が浮かばないのだけれど。
(いいかな、あげなくても)
そう結論づけて、迷いつつブースを出ること数度。
「迷うのならあげれば? きっと喜ぶよ」
幼馴染に、友人に、きょうだいに、進言されたのなら、まあ、お父さんに。
『ゆたんぽ』
凍える夜が続く日は、店で見掛ける湯たんぽが気になった。
気にはなる。けれど、湯たんぽが盛大に水漏れして、布団がびしょ濡れになった過去の失敗を思うと、品物に伸びた手は引っ込んだ。
そんな、寒い日がまだまだ続き、商品棚の湯たんぽに目を留めたり、手を無駄にさまよわせたりを繰り返しているときに我が家に来たのが"ゆたんぽ"である。
ゆたんぽは小さめの湯たんぽサイズのときに、我が家の軒下でピャーピャー鳴いているのを家族によって発見、保護された猫だ。親猫はいないのか、見つけた時は猫一匹のみだったそうな。
ブランケットで拵えた巣の中、浅く息をする猫はひどく冷たく、凍る一歩手前だった。
私は慌てて猫グッズを買い揃え、レジに向かう途中で見掛けた湯たんぽを迷わずカートに突っ込んだ。今まで買い渋っていたのは何だったのだろうというほどの即決ぶりである。
湯たんぽで猫を温めてやり、しばらくして動けるまでに回復した猫もまるで同胞と認識したかのように、ことあるごとに湯たんぽに張り付いていた。
ゆえに猫はゆたんぽと名付けられたのである。
保護から一年経った今、ゆたんぽは湯たんぽと共に、毎日、私の寝床に潜り込んでいる。
『キナコとばあちゃん』
搗きたての餅にきな粉をまぶしたいのに切らしてた。
どうしてもきなこ餅が食べたくて、きな粉を求めて店に行く途中、おしゃべりな犬好きのおばさんに捕まって、作りすぎた漬物のお裾分けみたいな感覚で寄越されたのが子犬の"キナコ"だ。
柴犬っぽい見た目の雑種。魅惑のコロコロモチモチボディに、きな粉の上で転がったのかってくらい黄金色をしているからキナコ。
ちなみに、店に行く途中でキナコを譲られたから、きな粉は買えていない。
動物嫌いのばあちゃんは、僕がきな粉でなくキナコを連れ帰ったことに、いい顔をしなかった。合っているのは色だけじゃないか、とブチブチと文句を言われ、ぐうの音も出ない。
「獣なんて嫌いだよ」
そう言ってキナコを遠巻きにするわりに、キナコの真っ白でふくよかな腹が搗きたての餅みたいに見えることに真っ先に気付いたのはばあちゃんだ。
あと、日を追うごとにばあちゃんとキナコの距離は、ジリジリと縮んでる。
『変わりゆく星と春の足跡』
着るものは真冬のまま。けれど、寒さは緩んだと、しだれ梅を静かに揺らす風と日向のぬるさで知る。
やさしい陽光に照らされるふっくらとまるく綻んだ梅花のなんと愛らしい。
水仙は今年もまた清い香を漂わせている。
遠く、採られぬまま冬を越したみかんを突っついているのは春告げ鳥かメジロか。鶯色の雅な羽根が、みかんの橙色によく映える。
徒歩での移動に疲れて、俯きがちな視界にはいつの間にか枯れ葉色だけでなく、濃い緑と小さな青と紫が入るようになった。
オオイヌノフグリとホトケノザは一体、どうやって、自分たちの咲く時季を見極めるのだろうね。
春が訪れている。
年々、夏は長くなり、暑気は苛烈になる一方だし、冬は冬で豪雪だの渇水だのが問題になっていて、星は生き物の望む望まぬ無関係に変わっていく。それでも、春は今年も訪れた。
私たちはあと何度、春を迎えられるのか。
『抗えない魅力』
吹奏楽部の練習がまだ微かに聞こえる、夕方の通学路。どこからか、石焼き芋のうたい文句が聞こえた瞬間、隣を歩く君がソワソワし始めた。
「好きなの? 焼き芋」
「まあまあね」
そっけないわりに、目はしっかりと販売車を探してるんだもんな。
「高いよ、販売車の」
それとわかっていてもつい、追い掛けてまで買っちゃうのよと、以前、芋を頬張りながらボヤいてたのは膝の悪い母さんだ。
あのスピーカー越しの声には魔性の魅力でもあるのかもしれない。そう思う内に、石焼き芋の声は聞こえなくなった。
「焼き芋の店、この近くにあるよ」
うちの芋好きが贔屓にしてる店だから、うまいのは確実だ。
「行こ」
芋への好感度は『まあまあ』なわりにはノリ気だな、君。
まあ、そこが君の面白いところだけれど。
『買い食いするのは変わらない』
ネットで見掛けた、最近開店したというパン屋の住所に見覚えがあった。
スマホの地図アプリで確認すると、かつて住んでいた場所の近くだ。おまけに、店の前の道は通学路として当時は毎日のように通っていた。
懐かしさからつい、店の紹介サイトを訪ねてみる。
店周辺の景観が載っていて、その辺りに住んでいた当時の記憶との間違い探しをするかのような景色が更に懐かしさを呼ぶ。
そういえば、学校の近くに小さなお好み焼き屋があったはずだ。
夏は季節限定販売のカキ氷を求めて学生達が小さなお店に群がってたんだよなと、思い出に浸ったのはほんの数秒のこと。建屋の形状から、くだんのお好み焼き屋がパン屋になったことに気付くのはすぐだった。
お好み焼き屋のおばちゃんも、ソースと油の染みた鉄板も、夏に大活躍した大きなカキ氷機ももうないんだなと、ちょっぴりアンニュイ。
これからはお弁当を忘れたりおやつを求めた学生達が、パン屋に群がるのだろう。
『とくべつ』
頑張ってがんばって、それでも報われず、とうとう塞ぎ込んで号泣する。
胃が痛くて、食欲なんて微塵もなく、食事を何度か拒んだ。
泣きすぎて喉は干上がり、頭も痛い真夜中、水を求めてフラフラと台所に向かえば、蓋をされたマグカップが一個、調理台に置かれていた。添えられた短いメモ書きで、それが私用と知る。
触れるとまだ辛うじて熱を持つ器を開けてみた。
プリンだ。幼い頃、風邪を引くと母が作ってくれたものとまったく同じ。
洟を啜り、濡れた袖で涙を拭い、それでもまだ溢れる涙をそのままに、淡い黄色の中味を一匙食べる。
ほのあたたかな優しい甘さが、嗚咽を呼び起こした。
チョコレートの匂いに迷う 2026.02.14
ゆたんぽ 2026.02.19
キナコとばあちゃん 2026.02.19
変わりゆく星と春の足跡 2026.02.20
抗えない魅力 2026.02.22
買い食いするのは変わらない 2026.02.23
とくべつ2026.02.24




