片付けと梅しごと ※
片付けに追われたり梅しごとをする日々を追う7本
※一部に死の要素があります。苦手な方はご注意ください。
『受け入れる』 ※死の要素あり注意
あなたの鼓動が止まった瞬間、工事が始まった。
それは氷塊を破砕し、最終的に内包物を取り出す大仕事。
最初はアイスピックでおっかなびっくり、氷塊の一角を突っつくなんて、地道な仕事だった。
氷の表面が薄く削れただけで、終わりどころかちょっとの先も見えやしない。
けれど、あなたを収めた焼却炉の戸が閉まった瞬間、氷塊はドカン! とダイナマイトで発破されたのだ。
砕けた氷はすぐさま溶けて、私の目から溢れ、外へと流れ出る。
以降もひとりになったときや、あなたの遺品の片付けをしているさなか、なんてことないふとした瞬間にも、氷塊はパカンパカンと発破され、一部瓦解して、落ちた欠片は涙となって排出された。
そうしていつしか氷塊から転げ出たり、取り出された結晶の断片を私はいそいそと拾い、懐にしまう。
結晶は私とあなたの思い出。
ほんのひとかけらだったり、他のかけらと結びついたりと、形も大きさも色も様々で、そのいずれも眺めていると、在りし日のあなたの姿や声や言葉を見せてくれた。
あなたはもういないけれど、あなたがいた証は、今も私の心の中で輝いている。
『荷を下ろす』
特に意味もなくただ伸ばしていた髪を切った。
断つとか捧げる意図があったと自白しよう。それほどまでに不幸が続いた。
私物を持ち出し、部屋を片付け、不要品を処分し、髪を切る。
長期的に見れば、泣き続けたことも、体重が減少したことも同じ意図と言えるのか。
寄越された穢れも、留まる不幸も、偏った運気も、私から離れていったものと共に流してしまおうと思ったのだ。
我ながらなんと浅はかな。
そうまでしても不幸や不運は何一つ変わってないのかもしれない。
だが、頭も身も荷もわずかとはいえ軽くなり、気が少しは晴れた気がする。
軽くなければ、すぐに疲れてしまうよ。
髪一束分、まだ進める。
『のこりもの』
住む者がいなくなった親の実家。
流しの奥、食器棚の片隅、物置の端――いたる所から出てきた酒瓶。
いつだか開封されたブランデー、手付かずのウイスキー、変色したコルク栓で封された焼酎、何年製だか不明の果実酒。
祖母は酒に興味がなかったから、これらは二十年前、鬼籍に入った祖父の遺したものだろう。
まだあったのか、と苦笑したり呆れたり。
未開封のウイスキーと香りの良い果実酒を分けてもらった。
ウイスキーの瓶とラベルは流しの臭いが染み付いていたが、酒そのものは美味かった。
果実酒は……十年単位で長持ちするものではないと知る。
とっとと飲み干すに限るのだ。酒も、哀しい気持ちも。
『梅しごと』
若葉、青リンゴ、オカメインコ、カナリア……あとはあとは――
瑞々しい緑にタンポポみたいな黄色、ほんのり赤く色づいたり、ゴマふったような斑点をつけちゃったり。
コロリ小ちゃな実は愛らしく、驚くほど表情豊か。
虫が棲んでいないか、傷みはないか、コロコロコロコロ転がせぱ、甘酸っぱい香りが漂った。
昔、じいちゃんの植えた梅は、今年もじゅうぶんに実をつけたね。
さて、梅干し、カリカリ梅、梅酒、梅シロップ、梅サワー、甘露煮、醤油に漬けたり、味噌にしたり、どう調理してやろうかな。
長雨の直前、我が家の一角には、ズラリ並んだ瓶と甕が今か今かと出番を待つ。
『無能者』
筆を折ろうと何度思ったろう?
今こそ、利き手ごとペンを潰しちまいたかった。
賞を逃す度に唇を噛み切って、
書いてたとて読まれぬと、閲覧数0の数字に嘲笑し、
「もうやめてしまえ」と"書き手"の自分を罵倒し、
何年、十何年、何十年と、何十、何百、何千、何億、何兆と文字を書き連ねた末に、無意味だったと、不毛だったと痛感させられて。
それでも。
まだこうして書いている。
誰が見ても読んでも、私の書くものが無意味で、道端の小石よりも芥よりも無価値だとしても、この文字列が過不足のない、"私"でしかなかった。
私こそが、不毛で、無能で、無意味。
『花束』
道端の花を摘む。
私の家からあなたのいる場所まで、見つけた花を摘む。
家にあなたはいなかった。庭先に咲く小さな花を摘んだ。
あなたがよく使う道にもいない。道端の花を摘んでいく。
仕事場にもいないようだ。塀に生えた花を摘む。
お気に入りの場所もすべて行ったけど、見つからない。花だけ摘んで、次の場所へ探しに行く。
最初、指で摘まんでいた花は、片手で持ち、両手で持ち、紙で包んで腕に抱え、どんどん増えていって持ちきれなくなりそう。
萎れた花も、枯れそうな花もあったから、それらはあなたがくれた小説本に挟んだ。
やっとみつけたあなたは病院にいて、両手いっぱいの花は花瓶に生け、枕元の台に置いた。
お見舞いに、あなたがくれた本を貸してあげる。
物語の主人公が人に会い、新たな場所に行く度に、あなたは野花を見つけるでしょう。
『琥珀の世界』
瓶という名の一.八リットル世界に琥珀色の液状の海と砂と氷、そして無数の月が詰まってる。
最初はただの砂と氷と月だったのだと、世界を創った神様はおっしゃった。
「でも、詰めた途端に水が出て、二日目には池になり、三日目にはとうとう海になってしまったの」
瓶詰めの世界を眺め、神様は微笑む。
満ち充ちていたたくさんの月は海に揺蕩う内に、身が萎んでしまった。
「海に命が溶け込んでいるのね」
瓶底の砂漠の表面に滲む透明な靄が揺れるのを、うっとりと目を細めて眺めたまま動かない神様が説く。
「砂と氷がすっかり溶けて落ち着いたら、ご馳走しましょう」
琥珀色の命はどんな味か。そして、萎んだ月は何処へ行くのか。
受け入れる 2025.5.16
荷を下ろす 2025.5.18
のこりもの 2025.5.19
梅しごと 2025.5.21
無能者 2025.5.21
花束 2025.5.24
琥珀の世界 2025.5.30




