幻影を追って
午前九時、アラームが鳴った。
ピピピッピピピッという規則的な優しい電子音ではない。
ジリリリリッ! というベルを叩いて生じさせた音が部屋中に響き渡る。それはヘッドホンを通して、蒼太の自室にも響いていた。
「うっさ! 早く止めろ」
「うわわわ!? どうやって止めるんだ!?」
アナログな時計を手に持つが、そもそもそこにはスイッチがなかった。
てっきり、こちらでアラーム解除をするのかと蒼太は考えたが、画面には何も変化がない。右上に手紙マークのアイコン、左上にリュウガのHPとSTの表示、下に五つのアイテム欄があるだけだ。細かく言えばメニューを開くためのアイコンがあったりするのだが、今はどうでもいいことだった。
(この宿はあっちの物って言ってたから……アラームを止められるのもあっちだけか。だが、これぐらいなら、キャラクターにも止める手段が用意されてるはず)
「リュウガ……それは置いといて、近くを探せ。どこかに止めるためのスイッチがあるはずだ!」
「おう!」
自爆スイッチを探させるかのようなセリフをリュウガに言って、蒼太もカメラを動かして部屋全体を見回した。何の変哲もないただの部屋だった。
(何か見落としてるな。どこだ?)
蒼太がそんなことを真剣に考えていると突然、音は止んだ。
「スイッチはここにあるんですよ」
そんな女の子の声が聞こえてきて、蒼太は画面を動かした。赤い髪の少女がドアの横にあった古臭い電気スイッチに手をかけていた。
蒼太にも見覚えはあったし、鍵を開けることが出来るのはただ一人。その少女はおそらくミキという名前なのだろう。
アラームの爆音の――ついでに、カメラが逆方向を向いていた――せいで入室の気配に気づけなかったようだ。
(あれがアラーム解除スイッチ!? まさか、照明のスイッチに見せかけるとはな……)
完全に盲点である。あの位置にあるのは現実で言えば、電気スイッチ。蒼太はそれを風景の一部としてしか情報を受け取れず、それがそうであるとは思えなかった。見落としていたのはここだった。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「おはよう。どうだろうね。アラームの設定が間違ってたのかな。無理やり起こされたよ」
リュウガはやれやれ、といった様子でちらりとカメラを見た。どうやらその先に設定を間違えてしまったアラームがあるらしい。
「ちっ! 起こして悪かったな」
「間違ってましたか? いえ、でもさっき……あ、そういうことですか」
ミキは悩んだ素振りを見せたかと思えば、得心が行ったと相好を崩した。
「うん。そういうこと」
「それは良かったです」
柔らかな笑顔のミキ。華があるとはこういうことを言うのだろうか。数々の惑星を照らす太陽を蒼太は幻視していた。ただし、それはあくまで美しい芸術作品に対する感想であり、蒼太に恋愛感情などはなかった。
「それで、その……どうでしたか?」
少し不安げな声だった。フレンド登録がどうなったのかが気になるようだ。
(やっぱりフレンドってそんな重要なことなのか!?)
と蒼太の方が不安になってしまう。しかし、これに関してはもう結論は出てる。
「大丈夫だってさ」
ミキはホッと胸を撫で下ろした。
「そうですか。では、さっそくフレンド登録を済ましてしまいましょうか」
「そうだな。それじゃあよろしく」
「ああ」とリュウガに返事をした蒼太は、まず手紙マークのアイコンをクリックする。
その先には【受信BOX】と【送信BOX】、それに【メール作成】という三つの項目があった。
初めてとは思えないほど迷いなく【メール作成】をクリックし、送信先を決定しようとしたところでメールを受信した。相手の方が早かったのだ。
もしかしたら既に申請メールを送る用意をしていたのかもしれない。
「終わったぞ」
フレンド申請を受諾し、そのことを伝える。
それと同時にフレンド一覧を見れば、キロとミキの二人の名が乗っていた。
フレンドになることの恩恵はほとんどない。相手のレベルがわかることと、フレンドメールができるぐらいだ。だから、蒼太もあっさりとフレンド登録を許可したのだが。
今に思えば、これは連絡先に近かった。往来のゲームなら普通のことだが、キャラクター達にとっては違う感覚なのだと蒼太は考えた。
ちなみに、ミキのレベルは12と意外に低かった。キロもレベルは6。やはりこのゲームはレベルを上げるのが大変なのかもしれない。
リュウキのレベルは50を超えてない可能性が出てしまった。
(ああ言った手前、もうちょっとレベル低いかもなんて言えない。普段馬鹿にしてるリュウガなら尚更だよな)
蒼太は自分の発言を少し後悔しながら、フレンド一覧を映すウィンドウを閉じた。
リュウガが言った。
「ん、改めてよろしく」
「はい。よろしくお願いします」
ミキは太陽のような笑顔で、リュウガは照れくさそうにしていた。
そこはとにかく明るく、蒼太は思わず、自室を太陽の光から遮る緑色のカーテンを確認してしまった。カーテンは閉めたままだった。
「ありがとうございましたー!」
開かれた自動ドアから威勢のいい声が飛び出す。
東地区中央広場と東の門を繋ぐビギナーストリート。
宿屋から数軒離れた三日月のオブジェクトが特徴的な道具屋はまるでスーパーマーケットのようだった。
古臭い宿屋と現代的なスーパーマーケットが同居する世界はおそろしく合っていなかった。こういうものは時代を統一させなければならない。このゲームはここまで完成度が高いのに素人臭さがところどころにあった。
フレンド登録をした後、リュウキ打倒のために蒼太は話を持ちかけたのだが、どうせなら一緒に食事しよう、と先に宿を取ることになった。
宿の契約料は12gで、所持金は10g。素材を売って2g分のお金を用意するために、こうして蒼太達は道具屋まで来ていた。
ただ、蒼太は道具屋で売るのは不本意だった。
素材を売る場所としては市場が理想である。市場というシステムは蒼太が知っている物とほとんど変わらないらしい。
ならば、市場は店とは違って完全なプレイヤー間取引。店で売るよりも市場の方がずっと高く売れる。
しかし、市場は参加料が必要だとミキに言われ、渋々宿から数軒離れた道具屋で素材を売った。
市場の参加料は10gだった。つまり、初心者は関わるなということである。
「全部売ってギリギリ2gか」
所持アイテムの一覧を見ながら、蒼太は浅いため息を吐いた。
そこには、キロからもらった【最初の剣】と、フレンドになったときにもらった物があるだけだった。残っている物がもらい物だけとは、少し情けない気がする。
その上には所持金かつ全財産である12gという数字が何の演出もなく表示されていた。gという見慣れぬ通貨単位が、ことさらにただの数字だと感じさせられた。お金を持っている実感が湧かなかった。
蒼太はこの問題をよく考えようとした。
よく考えるまでもなく、仮想のお金に実感など必要なかった。
(アルトへヴンのゲーム内通貨の単位はg。グラムって呼んでたし、Gではないんだよな)
初日、メニューに目を通している途中、蒼太はそんなことを考えていた。
唯一与えられていると言っても過言ではない情報を見ない選択肢はなく、初日の内にメニュー全てを頭に入れた。
無駄なぐらい移動に時間がかかるこのゲームはそういったことをする隙間時間がいくらでもある。
とは言うものの、初日の余裕は、馬車に乗っていたあの一時間だけであった。
街の外に出てからはキロを警戒し、あの黒騎士とも戦い、失意のどん底まで叩き落されて、何かをすることなど出来なかったのだ。
「うん……1gってすごい価値なんだなぁ」
「おい、他人事みたいに言うなよ。村では使ってなかったのか?」
懐かしそうに左上を見ながらリュウガは言った。
「通貨は使ってなかったぞ。そういうのがあるっていうのは知ってたけどな。木材とか米とか野菜とか……色んな物交換して……皆で生活してたんだ」
通貨を知っていた、という部分が強調されていた。ものすごくどうでもいい部分である。
「お前は何を生産してたんだ?」
「ラングドシャ」
「ラングドシャ?」
蒼太はその言葉を繰り返した後、リュウガに聞いた。
「それってお菓子の?」
「お菓子じゃないさ。シャキシャキしておいしいんだ」
(シャキシャキする? とすると……野菜とか、か?)
リュウガのよくわからない説明から、蒼太は推論を立てていく。
「野菜なのか?」
「野菜!? 違う、違う。おいしいって言っただろ?」
(こいつが食べ物をどういう基準で区別しているのかよくわかる発言だな)
「結局それは何なんだ?」
「さぁ?」
自分が作っていた物についてよくわかっていないらしい。致命的だった。
「さぁ、ってお前な……いや」
蒼太は考えた。
その結果、それ以上掘り下げても何も進展しないことがわかった。
「いつか見てみたいものだな」
蒼太はそう締めくくった。
朝は賑わっていた食堂も朝でも昼でもない中途半端な時間帯は人が薄れた。
大きな声さえ出さなければ秘密の話も出来る。そんな密度だった。
とりあえず、ゲームでの食事の時間帯が現実と同じだということがよくわかった。どうでもいいような情報に思えるがとても重要なことではあった。
食堂は全体的に古臭いデザインなのに、テーブルといすだけが新調したかのように白かった。清潔な印象を持たせるが、染みになれば目立ってしまうような挑戦的な白さだった。
ゲームだから汚れは自動的に消えるのかもしれないが。
「お手を煩わせて、すみません。食事はここに限定してますし、あまり贅沢も出来る立場ではないので」
ミキはペコッと頭を下げて謝罪した。「どうせなら、一緒に食事をしましょう」と言ったのはミキだ。「あれ、宿はここにするって言ったっけ?」とリュウガが言うと、ミキは、「違うんですか?」と不思議そうな顔をしていた。
リュウガは、「違わない」としか言えなかった。
「いや、ミキさんが謝ることはないよ。どっちみち、宿を取るつもりだったんだし。それに俺達も外食するほど贅沢できないからさ」
贅沢どころか、宿さえもギリギリだ。
宿は食事が食べ放題。その上で外食というのは、確かに贅沢と言える。
キロに食事を奢ってもらっていたが、あれはかなりのおもてなしだったのだ。
1gの価値が高すぎるせいで、一回の食事で最小単位通貨である1gでは釣り合わない。
そのため、多くの飲食店は回数券や、何日間かは食べ放題というような契約の形をとっている。
価値が釣り合うように調整しているため、1gだけで済むことはほとんどなく、大体はまとまったお金が必要なのである。
また、1gの価値が高いというのは売るときにも弊害が出た。
素材を選択しても、買取価格は0gのまま、半分ほど選択してやっと1gだ。
足りない、とそんな考えが蒼太の頭をよぎり、いくら選択しても変わらない数字に緊張感を味わわされた。
「これからは売る物を調整しなきゃいけないな」と蒼太は言った。
リュウガは言葉の意味を理解していないまま、「そうだな」と返した。
ミキとリュウガの二人が料理を頼むためにカウンターに列を作った。その列には二人しか並んでいなかった。
料理は頼むとすぐに出てきた。レンジで温めただけなのではないか、というほどの早さだった。
二人して、場違いなぐらい白い丸テーブルに料理を置いて、白いいすに向かい合って座る。
箸とフォーク、それとスープスプーンが入った箱は料理を置くと同時に出現した。料理は運ばせるのに、どうしてここは自動にしたのか、蒼太にはわからなかった。
リュウガはそれに驚いていたが、ミキは慣れた手つきで箱からスープスプーンを取り出し、眼前にあるミートドリアを掬った。
かき混ぜるようなことはせずに、左から綺麗に食べていた。
蒼太はテーブルマナーの知識を――実行できるかは別として――持っている。
ミキはその基本だけをおさえていた。つまり、極めて女の子らしい食べ方だったのだ。
リュウガが食べることを忘れて、それに見とれていた。リュウガの箸が進んでいないことに気づいたミキは顔を上げた。
二人の目が合う。
リュウガは慌てて、味噌汁を飲んだ。
(ふぅん、そうかそうか)
この宿はじつにいろんな料理を作れた。
和食を主としているようだが、ハンバーグやパスタ、ドリアなどの洋食もメニューに載っていた。その比率は食堂の内装とよく似ていた。
リュウガが数ある料理から選んだのは、から揚げ定食だった。
そこで蒼太も朝食のから揚げを食べていないことを思い出す。まだ湯気は出ていた。
お腹はあまり減っていない。蒼太は本題に入ることにした。
「リュウガ、彼女に」
「あれのことだな」
何を聞くかは事前にリュウガに伝えている。
「あの黒龍について、ミキさんは何か知ってるのか?」
ミキはスープスプーンを持つ手を止めて、フルフルと首を振った。
「すみませんが、私にもあれが何かまでは…………」
「そっか……」
(良い情報が聞けそうな気がしてたんだがな……気のせいだっか?)
どうやって情報を集めるか、と蒼太はすぐに次を考えた。
しかし、ミキの話は続きがあった。
「ですが、似たような物は見たことはあります」
ミキはそう言うと、少しだけミートドリアを食べた。
(あの黒龍に似た物、同じ系統の極限技ってことか?)
「どういうところが似ていたかを聞いてくれ」
蒼太はミキに直接聞くことは出来ない。そして、フレンドメールで聞くよりもリュウガを介して聞く方が断然早かった。
「どういうところが似ていたんだ?」
ミキが咀嚼していた物をごくんと飲み込んだ。
「そうですね……ピリピリした空気になること、でしょうか。私も極限技だと思ってたんですが……スタミナが減ってませんでしたので違うと思うんです」
「確かにすごい、ピリピリしてたな!」
リュウガはから揚げを一口で食べると、ご飯を掻きこんだ。ミキと比べて、ずいぶんと粗野だったが、汚いという印象まではいかない。良く言えば、男の子らしい食べ方ということになる。
(極限技とは違う、か。わからないな……話によれば、ミキは影響を受けていたってことだ。なぜ平然としていられたんだ?)
ピリピリした空気が似ている点。それはあの場において、ピリピリした空気を感じていたということ。つまり、あの黒龍の影響を受けていたということだった。
そのことを言う前にリュウガは口を開いた。
「あれ? でもミキさんは平然としてたよね」
(ナイスな質問だ、リュウガ)
「私には精神統一という技術があるんです」
「ふーん。その技術があれば俺も?」
「私では教えることは出来ないんです。その感覚は人それぞれですから」
ミキは申し訳なさそうにそう言った。
蒼太はマウスから顎へと手を動かした。
(精神統一……か。精神を統一すると流せる。精神が影響する。ということは……)
「リュウガはあの黒龍にビビッてたよな」
「ビビッてない!」
「ああ、もう! 話が進まねぇだろうが!」
(ていうか、完全にビビッてただろ!)
「とにかく、お前はプレッシャーを感じてたんだ」
「まぁ、そうだな」とリュウガは頷いた。
「プレッシャーから幻覚を見るという話を聞いたことがある」
「あの黒龍は極度のプレッシャーがもたらした幻覚なんじゃないかと思ってたんだ」
このゲームはどうにも、現実的な部分があった。ならば、本来ならしない現実的な考えを部分的に考えなければならない。
これはあくまで妄想の域を出なかった。ゲーム的に考えたらありえない発想だからだ。
しかし、ミキからの情報で蒼太は確信した。
「えっと?」
リュウガのためにかなり簡単に説明したが、これでもリュウガは理解できないらしい。今度教育を施した方が早いだろう。
「お前は黒龍にプレッシャーを感じてた! プレッシャーは幻覚を見せることがある! だから黒龍は幻なんじゃないか! 今ここ!」
「な、なるほど」
リュウガはコクコクと頷いた。頷くことしか出来なかったのだ。
「他にも出来る奴がいるってことは、だ」
「うんうん」
「お前もプレッシャーを出せるようになれば、幻を見せられるってことだ」
「おお!」
(そんなわけないだろ)
蒼太は心の中で悪態をついた。
プレッシャーと黒龍が因果関係にあることは間違いない。ただし、プレッシャーが全てであるなんてことは、ほぼ間違いなくないだろう。
(そもそもプレッシャーを出すってどういうことだよ。そんな努力するぐらいなら現実的なアプローチをした方が気休めになる)
精神統一なんて仰々しい技術があってもピリピリしてしまう――これは現実におけるプレッシャーと同等な――のだから、現実での対策法など意味はないかもしれない。
それでも、何もやらないよりはマシだ まずはプレッシャーに慣れるところから始めよう。
「それで、それで! 俺はどうすればいいんだ?」
リュウガは意気昂然として蒼太に続きを求めた。蒼太もだんだん、リュウガのことがわかってきていた。
「戦うんだよ」
「へ?」
蒼太はニィッと頬を釣り上げた。
「外に出て、プレッシャーを感じるような極限の状況を経験すれば、なるようになるだろ」
「おいおい、まじかよ」
顔面を蒼白させるリュウガにミキは首を傾げた。何の話かわからないという様子だ。
蒼太はメールアイコンから、ミキのプレイヤーへメールを送る。
【狩りを手伝ってほしい】
【いいよ!】
返信はすぐに来た。結構、軽い口調だ。
この口調を見ているとあの女アバターを思い出す。女アバターのプレイヤー名はいつもアスカだった。
(そういえば、アルトへヴンを始めてからあまり顔を出してなかったな……今夜インしてみるか)
画面の中ではプレイヤーが説明したらしく、ミキが楽しそうにリュウガと話していた。
「いやいや、死にそうな目に会ったばかりだぞ!?」
「私がついて行くらしいですし、大丈夫ですよ。では行きましょうか!」
「なんで、そんな楽しそうなんだ……」
そう言いながらも、リュウガは楽しそうな顔をしていた。
「…………」
移動する時間は暇になる。
(…………朝食が冷めちまったな)
蒼太は冷めた朝食を温め直すために一階に下りた。




