ゲームスタート
暗く閉ざされた部屋の中に朝霧蒼太はいた。
身長は低く、十六歳で高校一年生ながらも、未だに中学生らしさが残る顔立ちをしている少年が今、何をしているかというと。
「やべぇ、結構削られた」
ゲームをしていた。
画面の中には大剣を持った細身の男と、ガッチリした体格を持つ空手家がいた。蒼太が操作しているのは剣士の方である。
画面上部に二つのHPゲージがあり、その二つに挟まれた形でタイムが刻まれ、画面下部には必殺技ゲージも存在する。いわゆる、格闘ゲームというやつだ。
蒼太側のHPは残り三割。それに対して、相手のHPは満タン。これはオンラインで開催された最強の座を決める大会の決勝戦。蒼太がボロボロなのは、決して弱いからではない。蒼太は狙っているのだ。
相手にコンボ技を決められ、HPが残り一割になったとき、状況は動き出した。
剣士が突撃する。相手はそれに合わせて攻撃するも、剣士が直前で止まり、空を切る。
「残念、ハズレ」
その隙に蒼太は下蹴りからの空中コンボ技を繰り出し、相手のHPを減らした。空手家はすぐに起き上がって、攻撃しようとするが、逆にカウンターを与えコンボを繋げる。
「これで……フィニッシュ!」
今になって相手も焦り始めるが、時すでに遅し。必殺技を発動して相手のHPゲージを削りきった。
【YOU WIN!】
立て続けに打ち上げられる花火と赤いリボンが解かれる演出。大会の優勝者だけがお目にかかれる豪奢な文字は蒼太の心をちっとも満たさない。
「相手が弱すぎると、こうもつまらないのか」
玄人ならば、皆自分なりのプレイスタイルが存在する。蒼太は逃げ回ることによって、その思考パターンを読んでいたのである。自分が動くときに相手がどう反応するのかを。結果、相手は何も出来ずにただただ攻撃されるのみ。しかし、相手が本当にゲームの上手いプレイヤーならばこんなものは通用しない。臨機応変に行動パターンを変えられ、あっさり負けるのがオチだろう。
とある有名なオンライン格闘ゲームで頂点に君臨した蒼太だったが、それには三つの理由があった。
一つは、蒼太があらゆるゲームで二位になっていたことから、〈永遠の二番〉と呼ばれているように、今回のゲームでも二位であったこと。
二つ目は、先程のように三位以降のプレイヤーが全員弱かったこと。
そして最後の一つは、このゲームで元々頂点に君臨していたプレイヤーが別のゲームに移転したこと。
今やあらゆるゲーマー達がある一つのゲームに集中している。蒼太もそのゲームをやりたいのだが、一つ大きな問題があるため出来ずじまいだ。
ラベルの剥がされたペットボトルのお茶を一息に飲んで、次のお茶を一階の冷蔵庫から調達しようと立ち上がったとき、三つの出来事が同時に起こった。また三つだ。
来客が来たことを知らせるインターフォンが鳴り、大会で優勝した景品を送るための住所入力画面がパソコンに表示され、起動していたオンラインゲームでフレンドチャットが届いたのである。
来客は無視し、安全だろうが他人に自分の住所を教えたくないがために表示を消し、真っ先にオンラインゲームのチャットを開く。
部屋の状況と蒼太の行動から察しが付くかもしれないが、蒼太は重度の引きこもりだ。家から一歩も出たくないのはもちろんのこと、宅配業者と会うのも嫌悪し、ネットの世界にリアルの情報は絶対に漏らさない徹底ぶり、辛うじて家の中では自由に動き回るのが幸いだろう。それでもやはり、親と会うのは忌避している。
そんな現実の思考から逃げるようにゲーム画面の情報を一バイトたりとも逃さずに頭へ詰め込む。大勢のアバターの中で熊のぬいぐるみを身にくるんだ女アバターがチャット相手だ。
【あのゲームは手に入った?】
蒼太はキーボードをカタカタと鳴らして、返答する。
【いいや、まだだ。でも今日手に入りそうなんだ】
【良かったね! 私はもうプレイしてるから始めたら教えてよ!】
喜びを表現するエモーションには反応せずにチャットを続ける。
【ああ、そうしてみる。それで、どうなんだ?】
【面白いよ! これはやってみないと伝わらない!】
この妙にエクスクラメーション・マークが多い女アバターは蒼太と一緒にオンラインゲームをプレイすることが多い相棒のような存在だ。永遠の二番なんてあだ名が付くぐらいなのだから蒼太はゲーム界では有名であり、リアル情報が一切ないのにそのゲームの腕前だけで自己を主張できる。
だからなのか、この女アバターは何度も蒼太を見つけてはパーティを組むなどしていつの間にか相棒のようになっていた。ちなみに女アバターは基本下手だが、たまに別の人間が操作しているのではないか? と思わせるようなゲームの腕を披露することがある。
【もう落ちるよ。また明日ログインする】
【うん! また明日ね!】
ログアウトする前にやるべきことを思い出したように済ませて、メニューからログアウトボタンをクリックする。後は流れるようにパソコンをシャットダウン、一息ついて、背もたれ付きの移動いすに体を預け、ゆったりモードに入ってからお茶がないことを思い出す。
これが蒼太の日常。お茶がないのは常ではないが。
女アバターことプレイヤー名アスカは今までにないぐらい女のように振舞っているが中身は男だ。確認したわけではないため推測の域は超えないがほぼ間違いないと蒼太は勝手に決め付けている。ゲーム内の女は全て男か醜い女と考えた方がゲーム自体を楽しめるのだ。
(こっちは出会いを求めてゲームをやっているわけじゃないし、それに男だったら、騙されてるよこいつ、なんて笑われかねないからな。屈辱すぎてボコボコにしてやりたくなっちまう)
ゲーム内での性別が女だからと期待するのはもうやめた。初めてプレイしたオンラインゲームで女だらけだから公式サイトにて男女比を調べると真逆だったことに絶望したのは今でも覚えている。
「はぁ…………」
(しかしさっきのは惜しかったな。あれはきっとあのゲームが届いたんだ。母さんが家にいればすぐにでも始められたのに……)
これが出来ずじまいになっている問題、すなわち引きこもりであるがゆえにゲームが手に入らないことだ。
非常に情けないことだが、外に出れないのなら購入手段はネットしかない。しかし、先程のように宅配業者に会うことすらも嫌悪してしまう蒼太は母親がいなければ受け取ることが出来ない。母親は家を留守にすることが多く、長い間宅配の日にちを合わせられなかった。今日は家にいる予定になるも、出かけてしまった。今日が無理となるとあのゲームが手に入るのはいつになることやら。
(なんで手に入りそうなんて言っちまったのかな……今すぐ訂正したい)
部屋を転がりそうなところを止めたのは玄関から伝わるギギィッという古びた音だった。
「ただいまー」
そんな呑気な声を出す人こそが蒼太の母親だ。そして、階段を上がって来たと思ったら部屋のドアをノックして返事も聞かずに入ってきたのも蒼太の母親だ。
「蒼太宛てに荷物が届いていたわよ?」
「あのさぁ……」
母親は蒼太の態度で何を言いたいか理解したようだ。
「あら? 今日はノックしたわよ?」
「ノックすりゃいいってもんじゃないでしょ」
荷物を受け取っていたことは大変喜ばしいし、別にやましいことはしていないが、ここはビシッと言っておかなければならない。しかし、母親はニヤニヤしているのを隠すように手を口元に当てて全てを流す言葉を放った。
「お盛んなのね」
「違う!」
「それよりも荷物どうするのよ?」
母親のペースに飲み込まれまいと必死に抵抗するのは無駄だと悟ったのも男女比の絶望と同じ頃だったか、それ以来蒼太は流れに任せるように会話を続けようと努力してきた。
「ありがとう、そこに置いといてくれよ。そして、さっさと出てってくれ」
「ごめんなさいね、早く続きをしたいわよね? 息子の感情の機微に気づけないなんて……母親失格だわ」
言ってから母親は今度こそ隠すように口元を覆った。
「…………もう出てくれ」
引きこもりの蒼太には重い話だ。まさか明るい雰囲気からここまで重くされると正直こたえる。これこそ上げて落とされる感覚なのだろう。
その発言をした当の本人も気まずそうに部屋を出て行った。
(よく考えてから発言しろよ! たくっ、まあいいさ。あれは俺の手中にあるんだからな)
母親が置いていった箱に視線を向けてほくそ笑む。
箱の宛名シールにはその中身――あのゲームだ――の名称が記されていた。
〈アルトへヴン〉
それはゲーム業界、いや世界を震撼させたモンスタータイトル。
製作技術が向上していく中、頭一つどころか体一つ飛びぬけた技術を有しており、多くのゲーマーを魅了した。
まるで実写のような映像美、まるでリアルのような動き、まるでリアルのようなゲーム性、その〈まるでリアルのような〉を極限まで突き詰めたゲームがこれだ。リアルを二次元に近づけるVRとは違って二次元をリアルに近づけるこのゲームはあくまで画面に映るキャラクターをコントローラーで操作するという往来のゲームの体裁を保つ、というのがアピールポイントらしいが、それだけではない。蒼太も少しばかりの情報を頂いている。
それによればゲームの流れ自体はかなり単純らしい。街の外に跋扈するビーストを倒して素材を手に入れ、その素材で装備を作り、対人戦でレベルを上げて、より強い敵と戦う。他にもやることはたくさんあるが大まかな流れはこんな感じ。
対人戦。
そう、これは市販の家庭用ゲームでありながらオンラインゲームなのである。最近はこの傾向が強く、ネットに繋げられない家庭ではゲームが出来ないなんて弊害が起きている。オフラインゲームがあるにはあるが、有名タイトルはほぼオンライン、つまりゲームの楽しさを共有できないのだ。引きこもりの蒼太には関係ないことではあるが。
(そんなことはどうでもいい! それよりもアルトへヴンだ!!)
腹を空かした猛獣のごとく蒼太はガムテープを引き剥がし、念願のおもちゃの箱を開けたかのように目を輝かせた。
気泡緩衝材――通称プチプチ――に包まれたパッケージとマイク付きヘッドホンを手に取りながら移動いすを足で引く。何に使うかよくわからないヘッドホンは机に置いておき、パッケージを凝視する。
今の蒼太の目と同じくらい輝いているタイトルが中央で鎮座し、その背景に街の絵が描かれていた。どこかの街道なのか、石で出来た塀や道、何の素材で作られてるかもわからない奇妙な形の建物や見慣れた建物――つまり近代の建物――や武家屋敷のような建物が左右に立ち並んでる。よく見ると奥のほうでは道の材質が少し変わっているようだ。時代が判別できない。だけど、それだけこのゲームが多様性を含んでいることを前面に押し出していた。
中身にはディスクだけで説明書の類は入っていなかった。いろいろと不親切と文句を言われてるゲームだったが、なるほど、と蒼太も納得した。
そんな不親切も吹き飛ばすほどの面白さがあるはずなのだ。そして、それはきっとあの女アバターが言っていたようにやってみなきゃ伝わらないのだろう。
今年の夏に親からもらった誕生日プレゼントである最新ゲームハード――このときはサプライズだったため、ソフト購入の予定は合わせられなかった――を起動させ、ディスクを差込む。無事読み取れたことを確認してから、いすに尻を押し付ける。
「くふっ、くくくははは!」
どれだけ、どれだけ待ったと思っている。一年間、ゲーム仲間がどんどんアルトへヴン移っていく度に悔しい思いをしてきたが、それも今日でおさらば。これほどまでに渇望したゲームが手に入ったのだ。理性が飛ぶような喜びを表現しても何もおかしくはないだろう。
「くかっ、このゲームの常識ってやつをぶっ壊してやるよ!! さあ、ゲームスタートだ!」
見るものが見れば通報してしまうほどの狂気を孕んだ言動。ただし、これもまた蒼太の日常なのだ。そして、これもまた常ではない勢いで蒼太はスタートボタンに指を叩きつけた。




