第6話 古のI LOVE YOU
「どうしたの?なんかスッキリした表情してるけど」
うぐっ。さすが理系。私の細かい表情の変化まで見逃さないなんて、さすが実験で経過観察しているだけある。
「お手洗い行ってきたからじゃないかな?」
我ながらいい言い訳。口が裂けてもあんなことしてたなんて言えないからね。
「そっか。じゃあ続きをやろうよ」
そうだった。今回は勉強会が目的だったのを忘れていた。あわよくば勉強会が終わったあとに買い物でも……と考えていると理君が肩を揺らして、私の目の前で手を上下に上げ下げする。
「大丈夫?なんかぼーっとしてるよ。熱でもある?」
そう言って彼の手のひらが私の額に触れる。
「ひゃっ」
声にもならない音が私の喉を通る。理君に聞こえたかどうかは分からないが、聞こえていないことを今は祈る。
「うーん、ちょっと熱っぽいかな」
ちょっと悩んだ顔をして理君はそう言うと、さらに言葉を紡ぐ。
「よし。理系科目はここまでにしよう。で、ちょっと文系科目やったら帰ろうか。身体が弱ってるときは菌が入って来やすいから」
テキパキと理君は机に広げていた参考書をしまう。
それを眺めている私の心の中はただ一つ。
理君のせいなんだよ!あと、弱ってるのはどちらかというと、心の方。
恥ずかしさや疲れは押し殺し、できる限り普通の表情を作る。仮に油断すればどんな表情になるか自分でも分からない。
私は、鞄を広げて教科書を取り出す。
「私が骨の髄まで叩き込んであげる。楽しみにしててよね」
そう言って彼に教科書を向け、開く。
チラリと彼に視線を向けると…ワクワクした顔をしている。悪くはない。私の作戦にとっては。
今回考えてきた第二の矢、その名も『夏目漱石について色々教えて言わせよう作戦』
テスト範囲である夏目漱石。この人が言っていた格言を織り交ぜつつ、楽しい勉強会にしてみせる。
勉強始めて十五分。明らかに彼の顔に曇りが見え始めてきた。手も先ほどまでとは比べものにならないくらい動かなくなり、心なしか周りの空気もどんよりしている。
「理君。ちょっと飽きてきている君にこんな格言を授けよう。『あなたがいま蒔く種はやがて、あなたの未来となって現れる』と、かの有名な夏目漱石は言っていた。今頑張ったら必ず、将来の役に立つから。少なくともテストでは」
なかなかいい話ができたと思う。ここから国語に興味を持たせ、ゆくゆくは吾輩は猫であるを暗唱させる事も夢に追加しておこう。
「じゃあ気分転換も済んだことだし、続けようかな」
そう言っては私は教科書の端に載っているコラムを指さす。
そこに書いている事は、一生忘れられない思い出の日、授業でやったところだ。
「ここのコラム、めっちゃ重要だから覚えておいてね。夏目漱石が教師だった頃、彼の生徒がI LOVE YOUを我君を愛すと訳したの。けど、彼はそれを否定し、言い直した。
『日本人はそんなことは言わない。月が綺麗とでも訳しておけ』ってね。ここが語源になってるんだよ」
思わず夢中になって早口で喋ってしまった。引かれたかな。けど、これで意識を植え付けられるはず。I LOVE YOUの認識も無いままに言われても意味などない。
本当に良かった。なぜって?
彼はまるで初めて聞いたかのリアクションをとっているからだ。口は空いていて、目も開いている。そういえばあの授業の時に寝てたようなきがする。
そこからは話が早かった。私が出す問題にはサクサクと答えている。まるで国語が大の得意の人のように。
「ねえ、このままゲームセンターにでも行かない?」
私は一通り勉強を終えると提案する。
「ほら、ここの飲み物おごってくれたお礼的なやつで…」
あのときは勉強教えてくれるお礼とか言われて身を引いてしまったが、ここは譲れない。
果たして、返事はどうなんだ。
彼はちょっと悩んだ顔をしている。
1秒2秒3秒。私の心が曇り始める。
「いいよ。行こう」
思わずに笑みがこぼれる。
「やるからには、本気で取るから。理系の空間把握能力舐めないでね」




