復讐の終焉に彼女は何を見た
社長補佐を勤めて3年。なるほど石の上にもとはよく言ったものだ。
無理な受注生産、過負荷、労働量の急激な増加。私が入ってきた時よりも酷い労働環境は、効率的で正しく動く環境に適応した会社を殺した。
次々に倒れる社員達。行き詰まる生産。崩壊するスケジュール。中には死ぬ者もいた。過労死も、過労による事故もあったが等しく過労による死だ。
彼らが直接悪いわけではないが、犠牲は付き物だ。許して欲しい。気づけなかった上司達が悪い。まあ、恨んでもらって構わないが。
会社は完全な機能不全に陥った。全ての工場のラインが停止した。いくつかは辛うじて低率生産を行えたが、それで賄えるわけがない。
私は矛先を向けられる前に辞めた。我ながらとんでもない事をしたと思ったが、桃を殺された事に比べればなんのこれしき。
最初から予定していた事だ。労基署か警察が動けばこうはならなかった。私のせいだが、私のせいではない。
とにかく、会社は私がいなくなった後に正しい立て直しを図ったが、無駄な足掻きに終わった。ホールディングスは下請けをも巻き込んで壮絶な最期を遂げた。
桃を殺した張本人の前社長と、その子供である現社長には莫大な借金が残された。豪邸と高級車を売り払っても足りないほどの借金が。
あれでは自己破産するか、首をくくるしか無いだろう。確実に殺せるわけではないが、多分、あの種類の人間はプライドの高さゆえに耐えられずすっぱり死ぬはずだ。
私は全ての務めを果たした。こちらのダメージは無し。そろどころか、荒稼ぎしたおかげで資金はたっぷり。上々だ。
私は幸せだった。桃といた時間ほどではないが、人工授精の成功を聞いた時ほどでは無いが、幸せに包まれていた。
肩の荷が降りていく。ああ、そうだ。娘に会わなければ。生まれたのは女の子だと聞いている。
まだやる事は多い。娘を見捨てるような真似をしてまで、復讐に咲いた人生だったのだ。謝らなければならない。
許してくれるか、娘が今後どうするかは娘に託そうと思う。
私は代理母に電話する。何度目かの着信音で、相手が出る。
「ああ、もしもし。鈴木春奈と申します。あなたに子供を託した、鈴木です。お久しぶりです。先日仕事を辞めまして、ようやく時間ができたため娘に会いたいのですが……」
そこまで言って、私はカレンダーを見る。最近物覚えが悪くなってきた。ああそうそう、20日だ。
しかし私が日付を伝える前に、相手が口を開いた。男の声だった。
『貴女の娘は、死にました』
今にも泣きそうな声で告げられる、ザラついた事実に喉が絞まる。
死んだ、とは何事か。目の前が赤くなる。一つの言葉も出てこない。
相手は、代理母の夫らしき人は叫ぶのをなんとかかんとか抑えているようだった。
『貴女の娘は、貴女の会社に殺されたんです! 貴女の会社はとんでもない負担を下請けの会社にも押し付けたんです。その下請けで働いていたのが貴女の娘だ! あの子は一人暮らしで働き……誰にも看取られず死んだんです!』
口が、情けなくパクパクと開いた。今、何と言ったのか?
私が、会社を壊すために動いたせいで、桃と私の娘は死んだ?
何を、言っているのか?
『あんた、偉くなっていたんでしょう!? なぜ止めなかったんですか! 無謀な成長戦略であると叫ばなかったのか! これじゃ会わせたくても会わせらんないですよ! 』
電話は、今にも泣きそうな男の声をそこまで吐き出して、一方的に切れた。
私には、娘に会えないという事実だけが残る。
目の前が暗い。頭が働かない。私が、私が一体何をしたと?
私はフラフラと椅子から立ち上がる。何が、何が。
何が起きた。
躓く。転ぶ。痛い。この痛みを全身に、心臓に患って娘は死んだのか。
「あ……あああああーーーーー!」
しわがれた声が喉から吹き出してくる。世界が歪む。誰だ、こんなにしたのは誰のせいだ。一体誰だ。
戸棚の皿を手に取って投げる。虚しく壁にぶつかり跳ね返る。足を滑らせ、もんどり打って転倒する。情けない、なんて情けない。
復讐だけに駆られて何も見えなかったとはなんと滑稽か。娘を自分の手で、他人と一緒にまとめて殺してしまうとは。
娘の顔は、娘の声は、娘の元気な姿はどこだ、どこにある。桃と私の結晶はどこにいる。
何故だ!
「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!」
私は駄々をこねる子供のように何度も疑問を繰り返し手足をじたばたと動かした。
これだけ桃を愛した。人生を捧げた。早く娘に会いたいと頑張った。それがひとつも報われないのはどうしてだ!
そうか、私のせいか。
ふ、と闇が晴れ思考に光が射す。
私が、殺したのだ。二人を。
私が桃を止めていれば、あるいは私が桃と一緒に暮らさなければ。桃は自由なまま生きていられたから、転職も出来た。
または、彼氏が稼いできてくれて、働く必要が無かったかもしれない。彼女はバイだった。レズじゃない。
私が桃とセックスしたから、桃の疲労が頂点に達したんだ。私がこの体で桃を殺したんだ!
私は桃と娘を殺した! 親は、両親は私が復讐に燃える間に死んだ! 私の父母も、桃の父母も、私が何もしてあげられない内に死んでしまった!
私は全てを失った! 私が! どこで間違えた!
私は涙が枯れ果てるまで涙を流した。昼から夜まで、疲れ果てて眠り、だが起きたらまた泣いた。昼まで床を叩き、拳を握り怨嗟の声を漏らし続けた。尿便を漏らすのも気にならなかった。
私は泣き終えたあと、身体を綺麗にすると壊した会社のビルへと向かった。何も持たず、スマホ一つで。
受付を強行突破し、エレベーターに乗ると最上階を押す。着いたら、手すりもないビルの端に足をかける。
怖くはない。失うものはもう、何も無い。空きが出たビルに、ここぞとばかりに事務所を構えた様々な企業には謝りたいが。事故物件にしてしまう。
躊躇はしない。バンジージャンプでもするかのように、楽しげに飛んでみる。もう、何でもよかった。
身体が回転する。その瞬間、私は目を見開く。
「えへへ」彼女は笑った。ビルの屋上で、えへえへ笑っていた。
その隣にいた女の子は、娘か。桃によく似て、笑顔の似合う子だ。
一瞬で二人の姿は見えなくなる。青と灰色が交互に入り混じる。私の視界は絵の具をぶちまけて混ぜたように、色が混ざる。
「ありがとう」
言葉は自然と出ていた。
こんな私を、見守ってくれた。こんな私に笑顔を向けてくれた。最期の最期に、これ以上ない幸せをくれた。だから、ありがとう。
ありがとう、今、行く。