2章「品田アルトとアルベルト・シュナイダー」2
今作品は、C90「よろづ屋本舗」にて販売した作品となります。
商店街から駅方面へ抜けると、平和で日常的な静けを追い出したように賑やかなネオンと酔っ払いの声が辺りを賑やかに染め上げる。頭上の陸橋は駅を頂点に五角形を結ぶように聳え、ここだけ切り抜けば東京とそう変わらない発展ぶりだ。
この街へ転移した当初は収穫祭でも行われているのかと人の多さに驚いたアルベルトも今では日常の一部。この世界の常識と捉えることができるようになっていた。そのせいだろうか、興味津々至るところへ目を配らせるギブソンとコトハへ三ヶ月前の自分が否応なしに重なってしまう。
――おれも深雨さんに案内されたんだっけ。今ではおれが……。
時の流れの速さに目を細めていると、
「アルベルト。どういうことか説明してくれるか?」
「そうねぇ~お姉さんも知りたいなぁ~」
二人の訝る眼差しへ首だけを回す。
「なにが?」
「お前と親しげに修羅場を巻き起こしてた女のことだ」
「お姉さんがいながらアルくん、あぁいうのが好きなの?」
「別にそういうわけじゃなくて……なんていうのかな」
アルベルトが丁度赤へ変わった横断歩道に足を止める。スタートを待っていたように行き交う車やバイクを眺めていると――背後でまたしてもギブソンの素っ頓狂な奇声が飛んできた。
そりゃ、鉄の塊が馬の力もなく走っていれば当然といえば当然か……。
「おいおい、どういうことだこの世界は。鉄の塊が勝手に走ってやがるぞ」
「魔法? でもこの世界に魔力なんて感じられないのに……ロストテクノロジーの類いかしら?」
二人の意識が瞬間的にそれらへ向く始末だ。
子供のように身体を揺さぶられて酔いを覚えたアルベルトがこみ上げてきたものを飲み込んで言う。
「あれは車。この世界の技術で走る特殊な馬車だよ」
「なんてこった。アレボスの技術じゃ歯が立たねぇぞ」
「少し見ない間に博識になって。それじゃああの鉄の馬もそうなの?」
コトハが指差す大型バイクへも「そうだよ」と頷く。
間もなく青へ変わった横断歩道を渡り、直接改札前まで出れるエスカレーターへ足を掛ける。アルベルトは話を戻そうと二人へ振り返ったのだが、
「なんだこりゃ! 勝手に道が動いてるぞ。ダンジョンか!?」
足元を確かめるようにエスカレーターを何度も踏みしめるギブソンへそんな気が削がれてしまう。
「いや普通に街だけど……」
「これもこの国の技術なの?」
「エスカレーターって名前らしいよ」
「エスカレーター……強そうな名前だな。コイツの本体はどこにある?」
「今乗ってるのがもれなく本体なんだけど……」
てか、いつまでこれやるんだよ――。
何か起こるたびに大きなリアクションを起こす二人へアルベルトは人知れず溜息を零した。ただでさえ、アレボス言語で喋り、似合わない神官服にスキンヘッドで面白外国人と注目されているのに、より人の目を集めてしまうじゃないか。
まぁおれも同じだったし言っても無駄か……。
アルベルトはキョロキョロ周囲に目を輝かせる二人の注意を咳払いで引き戻す。
「話を戻すよ。あの人はこの世界でおれがお世話になってる水星深雨さん。あの家で一緒に暮らしてるんだよ」
「どうしてまたお前なんかを? 催眠魔法でも使ったか?」
「そんなことしないよ。というか、二人だって気付いてるでしょ。この世界のこと」
「えぇ……信じられないけどね」
二人が唸るように声を上げたことで、認識が重なったのを確認。アルベルトは緩やかに流れて駅舎へ消える景色を眺めながら言う。
「深雨さんの死んだ彼氏が……おれとそっくりだったってだけだよ」
そう、ただそれだけだ。
それまでのトーンを全て塗り替える一音に二人の顔から表情が無くなった。口を噤む二人から目を切って続ける。
「信じられないかもしれないけど……深雨さんは彼氏が死んだって信じてない、まだ生きてると思ってるんだよ。そこでおれが転移しちゃって、彼氏だと思い込んでるんだよ」
彼女がアルベルトへ向けているのは、品田アルトに対しての酷く歪でありながら、濁りの一つも見受けられない――純水と呼ぶに相応しい愛情のみ。しかし、それがなくてはこの世界でアルベルトは生きることはできなかった。
アルベルトはそれに対して何度も感謝を捧げる。だがその思いが届くことはない。
「あそこにおれはいないんだよ」
あそこにいるのは、水星深雨と品田アルトだけなのだから。
アルベルトがそう話を締めると同時にエレベーターが頂上へ到達した。右手へ改札、左手へ券売機を見ながら西口まで歩を進める。賑やかなネオンなどをとっぱらって人の営みが垣間見えるマンション群が視界へ飛び込む。沈黙を維持したまま道なりに沿って歩いていると、
「お前さんもなんか厄介なことになってたんだな」
バツの悪そうなギブソンの声が後ろから聞こえる。
「そんなことないよ。おれも深雨さんも互いに必要とし合ってるんだから」
「お人好しなこった。まぁなんでもいい。俺が聞きたいのはその女と話してたことだ」
「話してたこと?」
禿頭を撫で回したギブソンが言いにくそうな顔でコトハと目線のみのやり取りをしている。コトハが目を伏せたのをきっかけに、ギブソンがぴたりと足を止めた。
「お前、その深雨って女と何を話してたんだ?」
「別に大した内容じゃないよ。二人とはどういう関係なのって聞かれただけ」
「そうじゃない……そうじゃなくて」
うまく説明できずにイラだったギブソンへ変わってコトハの口が開く。
「わたしたち、アルくんの会話が理解できなかったのよ」
「……どういうこと?」
首を傾げたアルベルトへコトハが奥歯を噛み締めたような顔で眼光を強くする。
「言語が理解できないのよ。アレボスでも地方によって言語が違ったりってことはあったわ。でも言語理解のスキルがあったから普通に理解できのに……この世界の言語は全く理解できないの。アルくんはなんでわかったの、勉強したの?」
コトハの問へ対し、アルベルトは何一つ疑問を抱くことなく首を振ることができた。
「最初から理解できたよ」
「最初から……」
ついにコトハの声まで雑踏へ飲み込まれて聞こえなくなってしまった。アルベルトは二人を気にしながらゆっくり歩を再開。二人の控え目な足音に着いて来ていることを確かめて、振り向かずに言う。
「多分……おれの言語理解は異世界の言葉も理解できるようになってるんだと思う。だからコトハさんが理解できなかったこの世界の言葉も理解できるし喋れたんじゃないかな。これでも勇者だからね」
「勇者、か。なんか羨ましいなぁー、何話してたかすごく興味あったんだけど。それで、わたしたちどこ向かってるの?」
「おれたちとは違う世界から飛んできた――異世界人かもしれない人のところだよ」
眼前の道路を超えた先にある、一階がコンビニになっているマンションを見上げた。
レイネの部屋はそのマンションの四階左最新部だ。表札に筆文字で『大鳥レイネ』と書かれているため、間違えることはなかった。
「お待ちしてたでございますですよ。アルトさん……そして、おやおや」
玄関先に出て来たレイネが、ふふふ、と含みのある微笑を口元に作った。アルベルトの後ろへ並ぶギブソンとコトハを一瞥。
二人から居心地の悪さを示すように背中を肘でつつかれるも、アルベルトの意識は色違いの瞳に魅せられ、ギブソンたちに声をかけることさえできなかった。
「お、おいっ」
ギブソンが堪らずアルベルトの肩を掴んで前へ出ようとした途端、レイネの首が僅かに縦へ動いた。
「どうぞ、上がってくださいですよ」
ギブソンとコトハに何を見たのか――日本語でも英語でもない特殊な言語。彼女が生まれ育った土地のものと思われる言葉が紡がれた。
レイネへ続いて三人はワンルームマンションへ上がった。薄緑のカーペットに茶色系の家具、大小様々な観葉植物が並ぶ部屋は何となく森を連想させる。
アルベルトが二人へ挟まれて座ると、キッチンでお茶の用意をするレイネをチラ見しながらギブソンが重く口を開いた。
「アルベルト……このお嬢ちゃんはなんだ?」
「今日知り合ったばっかで俺も詳しくはわからない。でもさっきので二人もレイネさんが異世界人だってはっきりわかったよね?」
「そうね。でも私たち以外に異世界人がこの世界にいるなんて」
レイネが人数分のお茶を手に戻って来た。慌ててコトハが咳払いで会話を誤魔化すと、首を傾げたレイネが正面へ腰を下ろした。
「聞きたいことがある……そういうことでございますですね」
「あの……最初に確認なんですけど、レイネさんは異世界人なんですよね」
「ですですよー。レイネさんはエルフでございますからね」
口辺に笑みを浮かべたまま、耳を隠していた髪を指先で掬い上げた。すると、なんということか――人間のものじゃない、天を仰ぐように伸びる長い耳が顕になる。
「え、エルフ……。でもアレボスにそんな種族なんて」
アルベルトの言葉を否定するように髪を長い耳へかけた。
「レイネさんはアレボスじゃない、別の世界に住んでたのでございますですよ」
「な、なるほど……でもそれなら説明はつくか。そ、それじゃあ」
ここからが本題だ。
本題の入口――アルベルトがゴクリと喉を鳴らして、レイネを直視する。
「おれたちはレイネさんの特徴を見て異世界人ってわかりましたけど……レイネさんはどうしておれたちが異世界人だってわかったんですか? おれたちはレイネさんみたいに特徴があるわけじゃないし、この世界に来てまだ魔法を使ってないのに。いや、二人は転移魔法を使って来たから見抜けたのもわかるんですけど……」
そう、見抜けるはずがないのだ。
アルベルトはこの世界に来て一度も、魔力を必要とする魔法も聖剣も使用していないのだ。つまりそれは、体内から一度も魔力が放出されていないことを意味する。魔力反応を元に相手を探知する行為も可能ではあるが、反応がない以上、それは事実上不可能だ。
レイネはそんなアルベルトの思考を読んだかのようにオッドアイを細くさせた。
「この世界……日本に魔力が存在しないのはご存知でございますですよね?」
「そ、それは……はい」
ギブソンとコトハが当たり前だった常識が覆った確信的事実へ重く頷いた。
「ならば簡単でございますよ。本来そこに無いものが存在していたらおかしいでございますよね?」
どこかから鈴の音が聞こえてきそうな微笑みに、ついアルベルトが頷きそうになってしまう。僅かに動いた首を戻した。
それでもおかしい。
アルベルトが乾いた唇を舌で舐めて、胸の内にある疑問をぶつけようとした途端、レイネが先行する。
「あなたのいた世界でもレイネさんがいた世界でも……魔力はそこにあって当たり前のもの。空気にさえ含まれている自然物質の一つだったと思いますです」
何を言おうとしている?
レイネの唇が留めていた音を繋げた。
「魔力を使わなかったとしても、そこに魔力はあるでございますよ。あなたの息、体温、匂い、身体から出ていくあらゆるものにも魔力は含まれているですよ? 些細なものだとしても……無いものがある以上、わかる人間にはわかってしまうですね」
「ありえない……」
「できたのが何よりの証拠でございますですよ。レイネさんの世界の魔力の概念とあなたの世界の魔力の概念が同じだった……そういうことでございますねー」
疑問の一つは解消された。
ギブソンとコトハも文句なし、というよりも、何も言えないとんばかりに頷いた。
アルベルトが痺れた足を崩す。
「でもじゃあどうしてレイネさんから魔力が感じられないんですか」
「さっきも言ったですね。体内から漏れ出る魔力はとても弱いんでございますねー。意識しても感じ取れないほど、ですねー。でも、エルフ族は魔力を眼で見ることが可能なのでございますよ。強い幻覚魔法でもない限りは確実に捉えられるですねー」
「……そう、ですか。それじゃあこの世界でどうすれば魔力を補給できるかもレイネさんは知ってるってことですよね」
眼で認識できるなら、可能性はあるはずだ。
アルベルトは脳裏へ魔王を思い描きながらレイネへ強い目力を送る。
「補給でございますかぁ……。また難しい質問でございますね~」
ハーブティーを含んだレイネが考えること数秒。
「どうして魔力が必要なのでございますか? この世界で暮らす分には必要ないものでございますけど……」
キョトンと首を傾げるレイネヘアルベルトが決意を込めて抑揚を削ぎ落とした風な声で言う。
「転移魔法を使うためです。転移魔法を使って殺り逃がした魔王を追いかけて決着をつけないといけないんです。おれは……勇者ですから」
その言葉に左右へ並ぶギブソンとコトハが賛同して頷いた。しかしレイネの顔だけは険しい影を作っている。言う前に結論を見せられた気がして、アルベルトは焦るように彼女を見直す。
「レイネさん?」
「はい。言いにくいのでございますが、この世界で転移魔法を発動するのは……不可能なのでございますですよ」
「なっ……!? ど、どうして!?」
アルベルトが声を詰まらせ、立ち上がった。
転移魔法を使用することができないと言うことは、魔王を探すことはおろか、アレボスへも帰れないことを意味する。
「じゃあおれたちはどうしたら!」
「アルベルト、座れ」
「でも使えないって!!」
「いいから座れ」
ギブソンの鋭い眼光に喉元まで出掛けていたものを飲み込んで座り直す。
「ごめん……」
「いえいえ、レイネさんは大丈夫でございますよ。この世界へ転移してくるとき……なにか異変は感じなかったでございますですか?」
「異変……?」
コクりと頷かれる。
「おれは魔王の転移魔法に割り込んだ形だから、直接魔法に干渉できなくてわからなかったけど、二人は?」
窓際へ座るコトハがじっと紅茶の水面を見つめていた。こちらの声が届いていないのか顔を上げる様子もない。
「……心当たりがあるようでございますね」
更に大きくなったレイネの双眼へコトハが唇を噛み締めた。
「わたしが魔力操作を間違えたと思ったけど……それでもありえないわ。今まで一度も魔力操作を間違えたことなんてないんだから」
少し自慢を含んだコトハがゆっくり顔を上げた。
「この世界に転移するときの異変はなかったけど……こっちの世界に転移したとき座標を間違えたの。改めてこの世界で転移魔法を発動しようとしたら魔力が飛散して発動できなかったし」
「コトハサンとギブソンサンはアルトサンを探しに来たんでございましたね~。充分な魔力を使って、ここを目的に転移してきたんでございますね~」
レイネがひと呼吸置いて続ける。
「この世界は魔力の溜まり場みたいなところでございます」
「溜まり場……?」
復唱したアルベルトへ「ですです」とレイネが頷く。
「行き先を指定せずに転移したり、少ない魔力で無理矢理転移魔法を使うと、必ずこの世界へ行き着くですね。もちろん、ここを目当てに十分な魔力で飛んでくることもできるです」
レイネが補足し、先へ進める。
「魔力が存在しない、そんな世界で無理やり魔法を使ったところで本来の効果を発動させるのは難しいのでございますねー。本来の力を発揮させるには通常の何倍もの魔力を使う必要がある、これがレイネさんたちの推測でございますですよ。魔力消費が激しい転移魔法は事実上使用不可能なのでございますね」
レイネのスラスラ流れる説明に一同面喰らい、何か言うのさえ忘れてしまった。
魔力の燃費が悪い日本では向こうから転移ゲートが開くのを待つしか帰る方法がない。 与えられた言葉の刃が大きく、アルベルトは膝上の拳を固く握り締めた。
「そ、それじゃあ……どうすればいいんですか。補給すれば開けるんですよね」
「補給方法は……まだ調査中でございますね」
「そんな……」
アルベルトが萎むような溜息をするも、両隣のギブソンとコトハは澄ました顔で紅茶を啜っていた。ふぅ、と吐息したコトハが目元の髪を後ろへ払った。
「ありがとうございます。できれば、あなた以外の異世界人からも話を聞きたいんだけど、大丈夫かしら?」
「お二人は泊まる場所もないんでございますよね?」
「俺は適当に野宿でもって思ってたが」
「この世界で野宿なんてありえないでございますです。幸いこのマンションの管理人もレイネさんと同じ異世界人ですから、話を通しますです」
「そいつは助かる。アルベルト」
「ん?」
急に呼ばれ、目を上げる。禿頭をなで上げた筋肉だるまが口辺へ笑みを作って、でかい手の平をアルベルトへ下ろした。めちゃくちゃに髪をかき混ぜて、
「情報収集は俺とコトハがやる。だから今日のところはもう帰れ」
「おれも残るよ」
「いいから帰れ。あの女の様子じゃ今頃相当心配してるぜ? 彼氏なんだろ? 俺らに付き合って女を泣かせてる場合か?」
「彼氏って言っても仮だし……」
「それでもなんでも……あのお嬢ちゃんはお前さんを待ってんだよ」
「……でも」
「そうよ。子供はもう寝る時間よ?」
ギブソンへ続くようにコトハにも言われ、アルベルトは渋々重い腰を上げた。
「何かあったら連絡してよ」
せめて自分も情報収集の力になりたい、そう思ったがふたりは不要とばかりに手をひらひら振る。まるで邪魔者扱いされた気分だが、それがアルベルトを少しだけ帰りやすくさせた。
「さて、アイツも帰ったわけだし」
ギブソンが正座を崩して座り直した。
「それじゃあ本当のことを教えてもらおうか」
ギブソンの見透かすような眼差しに、レイネがお手上げと項垂れるようにテーブルへ目を落とした。すぐに苦笑を取り繕う。
「バレてましたですか」
「この世界にないものを補給なんて……無理だって気付くわよ」
「アイツは興奮して気付けなかったみたいだけどな。ないんだろ、その方法ってのが。調査中ってのも」
「現段階では……そうでございますね。ですが……ひとつだけ可能性はございますね」
レイネのオッドアイが静かに細くなった。