2章「品田アルトとアルベルト・シュナイダー」1
今作品は、C90「よろづ屋本舗」にて販売した作品となります。
急に深雨を襲った頭痛は、彼女が言った通り一時間程で嘘のように治まった。陽が落ちる頃には普段通りの体調にまで回復し――二人は駅傍のスーパーへ来ていた。
「だから大丈夫って言ったのに~。お店まで閉めなくてもよかったんだよ?」
買い物カゴとメモを手にした深雨が口元へ手を当てて、最初から何もなかった風にくすりと笑った。しかし隣を歩くアルベルトから不安が拭われることはなく、
「もう何回もあるんでしょ? 病院とか言ったほうがいいんじゃない?」
平然とした顔で少し先を行く背中は無理をしてるんじゃないか、アルベルトが心配になり袖を引く。振り返ったポニーテールが「平気だよ」と笑い踊る。
「そこまで大ごとにしなくてもいいよ。薬飲んで少し休んだらよくなったんだから」
「でもなにかあってからじゃ遅いし……」
「心配性だなぁ。でも……アルトがそう言うなら、病院行くのも考えないとだよね」
精肉コーナーを抜けた深雨が徐々に歩幅を狭くし、惹かれた袖に遅れて応じる様に足を止めた。彼女を追うような流れを作っていた何人かの主婦がこちらへ見向きもしないで横を抜けていく。店内のBGMが鮮明に聞こえる沈黙を誤魔化すようにアルベルトが深雨の手にある買い物カゴを手に持つ。
「アルト……?」
「次、頭痛起きたら病院連れてくから」
「はぁーい。お母さんみたいなこと言うね」
「そう思うならもう少しおれにも色々手伝わせて欲しいんだけどな」
「はいはい、考えておきますよ。とりあえず今日のアルトは荷物持ちってことで」
しょぼんと落ちていた顔へひとさじ程度の笑みを乗せた深雨がゆったり買い物を再開させる。本日二度目の役目を得たアルベルトもまた、穏やかに目を細めて鮮魚コーナーを目指す。
そしてそんな帰り道。雨宿りの店舗用の正面入口の扉へ手をかけたときだ。
「電話……?」
「だね。お店の電話がなるなんて珍しいなぁ」
二人、顔を見合わせながら首を傾げて屋内へ入る。より大きく聞こえる愉快な着信メロディに店の子機を流し見る。しかしこちらは静かな平穏の中に眠っていた。
そうなると考えられるのは一つ。
アルベルトが片手の買い物袋を窓際の座席へ置いて、適当な足元を注意してみる。
「あったよ、忘れ物かな。うわぁ、ストラップ多いな……」
小さなぬいぐるみやラバーストラップ、キーホルダー、その他もろもろがごちゃごちゃ結ばれたそれは、スマホの忘れ物というより、ストラップ郡の忘れ物と呼んだ方が相応しい有様だ。
「誰のかわかる?」
「また増えてる……それね、レイネちゃんのなの」
「へぇ……えっ!?」
受け取った深雨が困り顔で頬を抑える姿に思わずスマホと深雨を二度見してしまった。テレビか何かで女子高生がこのスマホみたいにストラップをごちゃごちゃ付けることがあるのは知識として知っていたが、まさか彼女とは……。
「これ電話しにくいのによく増やすよね。絶対電話してて手が疲れちゃう」
「てか……これだけつけてなんで落とすんだろ。気づかないかな、普通」
「まぁまぁ。今から届けに行ってくるね。夜ご飯とお風呂ちょっと待ってて」
よいしょ、買い物袋を置いた深雨が扉へ回れ右。アルベルトを背中した。
「買ったの冷蔵庫とかに入れてもらっていい?」
半身で微苦笑を作る深雨の手からスマホをひょい、と奪い取る。
「病人は大人しく家にいてよ」
「でも荷物持ちさせちゃったし疲れてるでしょ? レイネちゃんの家なら行ったことあるから、わたし行くよ?」
「荷物持ちくらいで疲れる身体してないよ。家なら住所教えてくれればいいし、深雨さんこそ休んでて。病院行くの嫌でしょ?」
まさか深雨を嗜める日が来るとは……。
全く想像していない事態に吹き出すのを抑えて、咳払いで誤魔化す。深雨はしばらくスマホについていたぬいぐるみを手で遊んでから、「アルトにはかなわないなぁ」と息をついた。
「じゃあお願いしていい? レイネちゃんの家は……ちょっとメモするから」
扉からカウンターテーブルへ身体を回した深雨がサラサラボールペンを走らせた。
「レイネちゃんの家は西口の方だから。マンション多くてわからないかもだけど、その時は電話してね」
そう送り出されたアルベルトが扉を後ろ手に締めた。彼女の困った顔の中でうっすら覗いた嬉しそうな微笑がまだ残っている気がして振り返ってみる。
「子供扱いされてんのかなぁ……」
小さく手を振る深雨へ頷いて応じる。すると、満足したのか買い物袋を持った深雨が二階居住スペースへ上がっていくのを見届けて、
「早く済ませるか」
帰り道に利用しているサラリーマンや学生の流れへ逆らうように足を出した。
瞬間、全身の毛穴を強引にこじ開けられる緊張感が背筋を走り抜け、思わず足を止めてしまう。実に三ヶ月ぶりの感覚――アルベルトの額へ汗が吹き出て首筋を伝っていく。
三ヶ月でこんなにも変なものに感じるんだ……。
慣れ親しんでいたものなはずなのに、拒絶するように警鐘を讃える自分自身へ溜息してしまう。気配の出処を探すべく、至るところへ目を配らせていると、
「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!」
「おいおい、なんで潜ったはずなのに落っこちてんだよクソッタレがァァァァ!!!」
艶の乗った女声と野太く苦味を含ませるおっさんの声が真上から降って来た。
咄嗟に顔を上げると、月を隠すように二つのシルエットが重なっており――そう認識した次の瞬間にはアルベルトの真横、雨宿りの花壇へ頭から突っ込んでいた。
「いたたぁ。何この世界……わたしの魔力操作を無視してゲート開くとかありえない」
紺碧の空を借りた髪色の女がクッション代わりになった男へ目もやらずに商店街のレンガ道へ立った。鬱陶しそうに漆黒のマントや短いスカートへついた土を叩く。
「最悪……折角新しいの着て来たのに、こんなので汚れるなんて」
女のぼやきへ、今度は月明かりに禿頭を光らせる男が腰を上げた。浅黒い肌にがっちり纏った筋肉の鎧はこの世界で言うところの格闘家にしか見えない。しかし、違う。
土を被っても汚れ一つ見当たらない純白のフード付き神官服を纏う男は一人しか思い当たらない。漆黒のマントに身体を隠す女性も、だ。
アルベルトが胸の内にじわりと広がる温かいものを堪えるように、
「二人とも……」
そっと呼びかける。しかしアルベルトの声へ答えることなく、二人は向き合ってそれぞれ両目を強ばらせていた。こんなところまで相変わらずだ。
「オイクソアマ。俺はテメェの座布団に転職した覚えはねぇぞ」
神官服の襟を正す禿頭へマントの女が鼻を鳴らす。
「ハゲは黙りなさいよ」
「うるせぇ、スキンヘッドは俺のポリシーなんだよ。ったく……本当にこの世界にアイツがいるのかよ」
月の高さから落ちてきたのに、この軽快なトークはもう間違いない。耳によく馴染む言語は懐かしさで言葉を失いかけるほどだ。
久しぶりの再会にアルベルトが詰まりに詰まってグズグズになった声を改めてかけようとすると、
「いたみたいね」
「よぉ。久しぶりだな、アルベルト。なんだ、簡単に見つかったじゃねぇか」
二人の視線と重なる。
「ふ、二人ともどうしてここに……?」
かつて魔王討伐に拳を掲げて死線を共にしたコトハとギブソンだ。
しかしどうして二人がこの世界、日本へいるんだ? 確かにあの時アレボスへ置き去りにしてしまったはずなのに……。
うまく言葉を作ることができず喘ぐような声を漏らすアルベルト。しかし、おそるおそる二人へ触ると、急に現実感が胸をいっぱいに満たした。
「ほ、ほんとうにいるんだ……ここに」
濡れっぽく呟いたアルベルトへギブソンが微苦笑でオーバーに肩を竦める。
「おいおい、そんなに俺たちが恋しかったのか?」
「そんなんじゃないよ。ちょっと驚いただけだよ」
「そうかい。ちょっとコトハの空間転移で飛んできたんだ。魔王の空間転移魔法の痕跡を辿って行き先を追ってたら遅くなっちまった」
「なんでこんな筋肉だるまと一緒なのか理解できないけどねぇ~」
「ほかのふたりは?」
他にもう二人、一緒に戦ってきた仲間がいるはずなのだが、どこだろう? 一緒に転移した様子も、どこかへ落ちた痕跡も見当たらない。
アルベルトが首を傾げると、腕を組んだギブソンが唸るように吐息する。
「アイツ等はアレボスに置いてきた」
「置いてきた!?」
「魔王がいなくなったとはいえ、アレボスはまだ平和とは言えない状況なのよ」
ギブソンへ変わってコトハが眉間へ薄いシワを寄せて言う。
ということは、こうしている今も彼女らはアレボスで血を流していることになる。
アルベルトは日本での生活が長引いたせいで、すっかり常識レベルで植えつけられた平和思考が朝靄のように晴れていく感覚を抱いた。そうして見えてくるのはただ戦いに明け暮れるだけの日々。
「ふたりは今も……」
嘆きに近い声にコトハの首が横へ動く。
「違うわよ、アルくん。あの後、なんとかみんなで戦って……魔物の驚異は去ったわ」
「本当の戦いはアイツらとじゃなくて……俺たち人間だったってわけだ。これをチャンスとばかりに横行する強盗やらほかの馬鹿どもの取締中ってことだな」
「おれがいない間に色々進んでるんだね」
「そういうもんだ、戦争の後ってのはいつだってな。で、魔王は見つけられたのか?」
アルベルトが剥がれそうな苦笑を投げる。首を少し横へ動かしただけで二人が全て察したようで、誰からともなく溜息が落ちた。
「そんな簡単に見つかったら苦労しないわよね。この世界にはいるの?」
コトハの問いへしばしの間を作り――やはり首を横に動かす。
「そう。でもアルくんが無事でよかったわ」
アルベルトはゆったり向く微笑みに申し訳なさがより一層濃くなり俯き気味に目を逸らした。
「待たせちゃってごめんなさい」
コトハへ抱き寄せられたアルベルトの顔がシャツを破らんと膨らんだ胸へ沈む。
「いや……大丈夫だよ。なんとかこの世界でやれてるからさ」
胸を押し返すように顔を上げて、頼りなく笑うと――カランコロン。
か、カランコロン?
カウベルの音色をコトハの奥へ聞き、奥から出てきた人影に心臓が凍りかける。
「アルトー? さっき外から大きな音がしたけど……えっ? あ、アルト……?」
「み、深雨さん。えっと、ち、違うんだよ。これは……」
コトハ越しに目が合った深雨が彼氏の浮気現場へ直面したように両目を強ばらせた。かと思えば、途端に目尻を下げて無理矢理作った笑みをこちらへ流す。悲しみに塗り替えられた深雨の瞳が短い間隔で瞬く。
「何が違うの? ねぇ……ちゃんと説明して、アルト?」
アルベルトはいつか見たドラマを思い出し、その登場人物と完全に立場が一致し、途方もないやっちまった感に打ちひしがれた。
「ち、違うんだよ、深雨さん。この人たちはえっと」
「何が違うの? そんないぴったり抱きついて……」
「えっ、そうじゃなくて」
思い出したようにコトハから飛び退く。
「えっと……こ、この人たちは……」
深雨を下目で見つめたまま必死に頭をフル回転。
「旅してる時に知り合った友達で……丁度日本に来てるからって挨拶に来てくれたんだ。抱き合ってたのは……えっと海外じゃ当たり前の文化じゃない?」
しどろもどろ、かなり無茶があるのを承知で絞り出す。
「そ、そうなの?」
しかしマジかよ――途端に表情を緩めた深雨が安堵に笑みを取り戻したのだ。しかし、それもほんの束の間。数えて三秒ほどだ。
「じゃあアルト、ちょっと昔のこと思い出したんだね」
両手を胸の前で合わせた深雨が、今度は喜色で顔をいっぱいにしたではないか。コロコロ変わる表情が愛らしく、つい彼女の歳も忘れて「かわいい……」なんて思ってしまったアルベルトだが、そうじゃない。
「えっ……あぁ。うん、す、少しだけど……」
「記憶戻ったんだぁ……久しぶりにお友達に会えたからかな」
「そ、そうかも。あ、あははは……」
これはまずい、と顔が引き攣る。そういえば記憶喪失でやり過ごしてたんだ、なんてことを思い出す。明らかなボロに全てがバレたのでは、と身構えるが彼女の微笑みは相変わらず。
「でもわたしに会ったときは何ともなかったよね」
「えっ、そ、それは……あ、あの」
「なんて、冗談。ごめんね、ちょっと意地悪しちゃった」
――ごまかせた、かな?
アルベルトが背後で沈黙してくれている二人をチラ見。コトハもギブソンも互いに苦笑を滲ませるだけで何も言ってこない。なら、是非二人にはこのまま黙っててもらおう。
「駅前のホテルに泊まるらしいんだけど道に迷ったらしいから、ついでに送ってくるよ」
話がややこしくなる前にアルベルトは二人の手を取って駅へ歩き出した。




