3章「初夏の海と彼女の過去」2
今作品は、C90「よろづ屋本舗」にて販売した作品となります。
濡れたワンピースから白の袖がゆったりしたTシャツにショートパンツへ着替えた深雨がシートの上で大きく伸びをした。
「結局みんな集まっちゃったね。いつもと同じだけどこういうのもいいね」
「深雨さんが楽しいならいいけど、ゆっくりできてる?」
隣へ座るアルベルトが深雨のカバンから持ち運び用ポットを取り出して紙コップにお茶を注いだ。それを深雨へ差し出すと、
「ありがと。濡れてちょっと冷えちゃったみたい」
ゆったり昇る湯気を吐息で遊びながら水辺ではしゃぐクシャナたちへ目を細めた。
「クシャナちゃんたちカバン小さいけど着替えとかあるのかな……?」
「まぁ……近くにコインランドリーもあるし最悪そこで洗えば。そういえば深雨さん下着も濡れちゃったでしょ? どうし――ぐふっ」
脇腹に少し強めの肘が入る。詰まった息に続くはずの言葉がかき消されてしまった。
「そういうのは聞かないの」
「えっ……ということはもしかして」
そんな馬鹿な。人目があるのにそれだけは……そ、それだけは! 夢があるな……!
アルベルトが多少の期待と興奮、そしてホコリカス程度の不安を瞳に宿して深雨をチラ見。パッと見、そんな事になってるように見えないが、つまりそういうことだろうか?
興奮で鼻息が荒くなり、チラ見からガン見へ変わっているアルベルトへ、深雨がジト目を流す。
「期待してるアルトにいいこと教えてあげるね」
「い、いいこと……」
なんて甘美な響きなのだろう。
ゴクリと無意識に喉を鳴らした直後、
「あのね……」
海辺で遊ぶクシャナたちから隠れるようにした深雨から吐息多めの声が溢れ、風が運んだ熱と一緒に耳たぶを掠めた。
間もなく全ての事実が解明されようという緊張感がアルベルトの心音を早める。ここは聞くべきか、それとも聞かずに妄想力を研ぎ澄ませるか――自分の中の正義と悪を戦わせていると、
「女子更衣室に洗濯機と乾燥機あったんだよね」
「はい……?」
思わず間抜けな声が口をついた。
小悪魔めいた微笑みへ首が傾く。
「なに期待しての? 正直に教えてくれたら確かめてみてもいいよ?」
「た、確かめる……な、なにを?」
「わかってるくせに。気になるんでしょ? 付けてるかどうか」
「使ったんだよね……」
「どうだろねぇ~。触ってみたい? 気になるよね?」
「き、気にはなるけど……」
「気になるんだぁ」
今にも頷いてしまいそうになる誘惑を振り切るように両目を固く閉じた。が、そのせいで耳元の声がより鮮明に脳へ届くようになってしまう。もう頷いて楽になろう、その一心で薄目を開けると、
「なんてね。彼女だからってなんでもするわけじゃないよー」
イタズラ成功、クスクス笑う横顔が映った。
「……洗濯機と乾燥機あってよかったね」
アルベルトが枯れ果てた声で言うと、背後から野太い男の呻きが聞こえて来た。
「んっす!! んっす!!」
振り返った先へはアロハシャツを脱ぎ捨てたギブソンが全身に汗の雫を滴らせて腕立て伏せをしている。しかし片手で、だ。全くどうしてこんな場所で。
その疑問を抱いたのはアルベルトだけではなかったらしい。
「あの人はどうしてここで筋トレしてるの?」
「んー、趣味だから……かな?」
投げられた質問へ曖昧な返答しかすることができない。コトハなら何か知ってるかも、彼の少し後ろで流木へ座るコトハへ目線で訴えるも、ふるふる首を振るだけ。
せめてもう少し離れてくれると暑苦しくもないんだけど……。
「ん、どうしたアルベルト」
視線へ気づいたギブソンが腕立てを中断して、首へかけていたタオルで汗を拭った。
「どうして筋トレしてるのかなって。別に魔物とかもいないのに」
「戦わなくていい世界って言ってもわからないだろ? いざって時のために鈍らせないようにしねぇと」
「そ、そう」
「お前もどうだ?」
「い、いや遠慮しとく」
「そうかい」
腕を伸ばしてストレッチするギブソンはそれ以上何も言わず筋トレを再開した。黙々と身体を鍛える姿を見ているのも退屈でアルベルトが深雨の横へ座り直そうとした瞬間、
「アルトさぁーん。秘密のお話ですか? 店長さんがいるのに感心しませんねぇ」
誰かに背中へ飛び付かれる――さっきまで波打ち際で遊んでいたクシャナだ。
服の上からでも立派に見えていた胸を無防備に背中へ押し付けるものだから、アルベルトもそれなりに反応してしまう。それを悟られぬよう、クシャナへ目線だけで応える。
「ど、どうしたの?」
「アルトさんが浮気してるのを見つけたので。なに話してたんですか? 浮気はよくないですよ?」
「浮気じゃないよ。なんでおれがこんな筋肉だるまと浮気しないといけないのさ」
「でもでも、禁断の恋とか燃えるじゃないですか! いや、萌えると思うんですよね。それでギブソンさんと何話してたんです? 店長さんも気になりますよねー」
「えっ、わたし……? うーん、確かに気になるなぁ」
こちらへ首を回した深雨が興味ありげに目を細めた。アルベルトはようやく重さから解放された身体を起き上がらせて、着替えたばかりの服へくっついた砂を払い落とす。
「なんで海に来てまで筋トレしてるの……とか」
「思ったより普通ですね。つまらないですよ、深雨さんもつまらないですよね!」
「それは個人の自由じゃないかな。でも言葉が違うだけでこんなにわからないものなんだね。今のって英語? ギブソンさんたちはどこの人なの?」
「えっ!? あ、あぁ……え、えっと」
言葉を濁したせいで、深雨の顔がより興味に呑まれてしまった。クイズ番組の正解を待つような期待感にアルベルトが口辺を引き攣らせる。
「ぎ、ギブソンたちは……え、えっと」
言葉を詰まらせ続けるアルベルトが必死に手頃な言い訳を考え続けていると――レイネたちを待たせているのを思い出したクシャナがアルベルトの手を掴んだ。
「まぁいいや。あの今からビーチバレーやろうって話なんですけど、アルトさんもどうです? 店長さんも一緒に」
「えっ、お、おれは……」
クシャナへ腕を掴まれながら、深雨へ片目をやると、
「行ってきな。わたしは待ってるから」
「えぇー、店長さんもやるんですよ?」
「わたしは荷物見てないといけないし……」
「こんな誰もいないところで荷物取ろうなんて人いませんよ。いても気づきますって」
アルベルトと一緒に膝を立てて座る深雨の腕までも掴んだクシャナは続いて、スクワットで全身に汗を浮かべるギブソンとコトハを向いた。
「ふたりも一緒にどうです?」
当然ギブソンとコトハが何を言っているかわからず顔を見合わせて首を捻る。しかし、彼女に言葉の壁は存在しなかったらしく、何も返さない二人の腕も巻き込んで海辺へ。
そして始まるビーチバレー。青空へ高々と打ち上げられたバレーボールが太陽をふわっと隠した。




