11 君の全ては手に入らない
「先生、有難うございました」
「いや、ゆっくりやっていこうね」
学校が終わってお袋を迎えに行って先生に挨拶して……先生は笑顔で俺とお袋に頑張って行こうと言ってくれた。
お袋の状態は前よりはかなり安定してるらしい。
確かに前に比べて泣き叫んだり塞ぎこんだりする事は無くなったと思う。嫌いだったテレビも最近ちょっと見るようになった。
少しずつ、何もかもが上手く行っていると思ってた。
11 君の全ては手に入らない
今日も病院の帰り道、お袋と食材を買いにスーパーに向かう。
最近この日常が当たり前になってきている。1つずつ物事に挑戦しだすお袋を見て安心してる。
少しずつお袋は回復していってるんだ。もうすぐ元のお袋に戻るかもしれない。
食材をあさっていくお袋の後ろをついて行く。何やら難しい顔をして色々買っていくお袋は昔のままだ。
少し可笑しくて笑えば「なぁに?」と言われて首を振る。そのやり取りが数回あった。
食材を買ってお袋と一緒に飯作って親父と3人で食って、何だか当り前の事が妙に懐かしくて嬉しい。
感謝の気持ちが大切だって親父が言ってたけど、こういう物なのかも。当り前の事だけど嬉しいことなんだよな。
何だか少しだけ幸せな気分に浸りながら、俺の1日は終わりを告げた。
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「ねぇ春哉君!あたし彼氏ができた」
「え」
次の日、近所に住んでる2歳下の幼馴染の女の子が嬉しそうに俺に報告してきた。
学校帰りにたまたま会ったその子は可愛らしく成長していた。
ちょっと待て。お前中3だろ。この時期に出来て大丈夫なのかよ。受験はどうした受験は。
嬉しそうに笑いながら彼氏を俺に見せつけて来る。
「格好いいでしょー春哉君の数倍格好いいよ」
「お前喧嘩売ってんのか」
「でねーもうキスもしちゃったんだー」
俺の話を聞け。え、キス……えぇ!?こいつ付き合って何カ月だ!?
「お、おい。お前いつから付き合いだしたんだ?」
「えー3日前」
はやっ!!3日って……えぇ!?
俺なんて付き合って1カ月もたってまだキスしてないのに……
その子はかなりのろけて俺に色々自慢してくる。でもそんなのを気にしてる余裕はなかった。
確かによく考えてみると、俺今まで付き合ってきた2人とは1週間以内にキスしてた気がする。
あれ?もしかして俺ってかなり遅い?よく考えたら告白した時に抱きしめて以来、幸とはあんま触れてない気が。
辛うじて手を繋ぐ程度はしたけど、雰囲気でできるかなと思って抱きしめようとしたら逃げられるし、正直キスできそうな雰囲気になっても駄目だった。
俺……嫌われてる?それとも手が早すぎる?
でも1カ月って普通に考えたら遅い方だし、俺の考えっておかしい訳じゃないはずだ。
何だか気になってしょうがない。
女々しいけど先に好きなったのも俺だし、ベタ惚れなのも俺だ。幸も俺の事を好きでいてくれてるのは分かるけど、でも焦ってるのは俺の方で、もっと恋人らしい事をしたいって思ってるのもきっと俺の方だ。
少し情けないけど、明日幸に言ってみようかな。うん女々しいけど。
そういう雰囲気になっても幸に避けられてるんだ。これはもう理由を聞くしかない。
目の前のこいつに後れを取るのは正直言って悔しい。中学生に負けるなんて!
とりあえずこいつに「ちゃんと勉強もしろよ」とだけ告げて、俺は明日の学校に備えた。
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「遅いな」
「……やっぱり?」
「あぁ。遅い」
次の日、俺は昼休みに石原を誘って屋上で弁当を食った。
石原に声をかけるのは少し気まずかったけど、幸の事を相談できるのは石原しかいない。
本人はあっさりOKしてくれて少し安心した。
でも相談したらバッサリと帰ってきた「遅い」の言葉。そう思うのは俺だけじゃないようだ。
「倉田さんが奥手なだけか、お前としたくないのか」
「……後者だったらマジでへこむ」
「まぁ本人に聞くしかねぇんじゃね?案外口が臭いとかかもよ」
「お前幸を馬鹿にしてんのか!」
「そんな訳ねぇだろ。口が臭いのはお前じゃねぇ?って事」
あぁそれなら納得……できるか!!ちゃんと毎日歯ぁ磨いてんだよ!
でも石原も聞くしかないって言ってるから、もう聞くしかない。
幸に放課後話を聞いてみようと心に決めて、俺は来る決戦に備えた。
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「で、話って何?早く帰ろうよ春哉」
放課後、幸を呼び出して30分、一向に話を切りださない俺に幸は少しいら立った表情を浮かべている。
クラスメイトも皆いなくなり、教室は俺と幸の2人しかいない空間になった。
そろそろいいかな。そう思って幸に話題を切り出す事にした。
「あのさ、俺達って付き合ってるよな?」
「……何いきなり」
よし、言うぞ。だって1ヶ月は経ったんだし。1カ月経ってまだキスもしてないって遅いよな。俺の手が早いんじゃないよな。
誰もいなくなった教室が夕暮れに包まれて赤く照らされていく。
俺の緊張が伝わったのか、幸の表情も不安げな物に変わる。
「春哉、どしたの?」
「あ、いやーさ……なぁ、その……キスしていい?」
こういうのって聞かないでムードに任せた方がいいんだろうけど、やっぱ1カ月待ってるのはこっちとしては正直不安になる。
でも俺の気持ちを知らないのか、幸はどこか逃げるように話を逸らした。
「いやーまだ早いかなぁって」
「もう付き合って1カ月経つぞ。遅いくらいだろ」
そう突っ込めば幸の顔が俯く。
そんなに嫌なのかな?それもショックなんだけど。口そんなに荒れてるかな?
モンモン考えれば、幸は泣きそうな顔をしていた。
「幸?」
「駄目、この身体は倉田幸のだから駄目。幸はまだ起きてない。ファーストキスが知らない間に取られてたら悲しいじゃん」
その言葉に頭に重い石か何かを落とされた気分だった。
そうだ。本当の人格はまだ眠ってる倉田幸。彼女を差し置いて勝手に身体を使う事をしたくないんだ。
でも俺はもっと幸とくっついてたいよ。
自然と落胆した俺の表情を見て、幸の表情が更に悲しみに染まっていく。
そのまま泣きだした幸を今更抱きしめる事も出来ない。何だか触れることすら駄目な気がしてきた。
誰もいない教室で幸の泣き声だけが響く。
悲しい、幸が好きだ。普通の恋人の様な行為をしたい。倉田幸なんていなくなれば……
そう思った自分が汚くて悲しくなる。
俺はとにかく幸を泣きやますべく、カバンを持って席を立ちあがった。
「まぁしょうがねぇか。行こうぜ幸、ラーメン奢ってやるよ」
俺は明るくそう言ったけど、幸は泣きはらした目で俺を見てる。
その表情は暗い。
そんな幸について来いとでも言うように、俺は教室を出た。
「春哉」
「ん?」
「窓の外に立って」
急に幸がそう言って来て、俺は言われるが廊下側の窓の外側に立った。
向かい側には教室から幸が窓を挟んで俺をのぞいてる。
廊下に人はいないとはいえ、滑稽な構図だ。
首をかしげた俺に、幸は泣きはらした顔で笑って窓に手をつけた。
「春哉、ちゅーしよ」
幸はそう言って唇を窓に押し当てた。
何だそりゃ。窓越しにキスですか。
呆れた俺を見て、幸が唇を離す。窓には痕が残ってる。
「痕残ってんぞ」
「拭けばいいじゃん。それより、ね」
もう一度幸が窓に唇をくっつける。
本当は窓越しなんかじゃないのがいい。それは幸も思ってくれてる。でも俺達はそれが出来ないんだ。
ゆっくりと俺も窓に唇を押し当てた。
窓は冷たくて硬くて感触なんてわからなかった。でも目の前に窓越しだとしても目を瞑ってる幸が立ってて、それが嬉しくて悲しかった。
自然と涙が頬を伝い、ただ夢中で幸にかぶさるように唇を押しつける。
少しだけでいい。温かさが知りたい。感触が欲しい。そう思っても無機質な感覚しか伝わらない。
それでも俺達は確かにキスをしたんだ。
虚無に包まれる水曜日、
望んだ物は手に入らないと悟った。