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閑話休題8『ケンベルクと愚王の過ち』

 クロの眷属やツェーヴェなどがフォレストリーグの膿を吐き出した後、その影響でガハルト公爵領の公都は暗雲が広がっていた。実際に暗雲は公都上空に立ち込めて、長雨を降らせているのではあるけども……。

 本来ならばとうにガハルト公爵領から出兵し、王都の本隊と合流しなくてはいけない。なのだが、公都と王都の間に流れている大河の橋が大雨で流され、さらに東の港湾都市でも同様に橋が流れてしまっている。合流したくとも合流できない。それよりも深刻なのが長雨による不作と、農民を中心とした生産者の流出だった。まず、大きな理由は長雨での日照時間の不足だ。もともと痩せている土地に、小作農には魔石を買う費用も無いため全く作物が育たない。そうなれば稼げない。稼げなければ生活ができない……。悪循環は小作民だけに留まらず、荘園の管理をしている主にも良い影響は与えない。中には荘園主自ら率いて土地を捨て、南の土地への旅路についている場合さえある。

 そうなると、さらに上層部で問題が発生することになるのだ。

 その直下にあるのが、現在集結中のガハルト公爵領軍である。簡単な話だ。兵糧が足りないのである。もともとこのガハルト領を中心にしたミズチの大河以南の領地は、北方の王都寄りの領地よりも比較的に……いや格段に食料生産量は多い。気温が温暖な事もある。そのため、この土地が不作となると王都は悲惨な状態なのだ。輸送されてまかなわれていた食料が滞るのだから。


「どうなっている?! 何故こんな長雨が続く?!」

「解りません。しかし、このままでは集結させている領軍を一度解散させねば公都が持ちません」

「ぐぬぬぬ……。しかし、本来なら既に王都に馳せ参じておらねばならぬのだ。これ以上遅れる訳には……」


 その時、公都を蝕んでいたのは食料不足のみではなかった。北から南へ逃げ出す者は増え続け、公都の人口は激減している。働き手が減り、さまざまな物が回らなくなっているのだ。特に職人の流出が止まらない。亜人差別は先代、今代の王から広がっている悪習であるため、最近はドワーフやエルフの職人や調薬師が辺境へ移り住み、ただでさえ人手不足の上に拍車をかけていたのだ。

 それは一般の住民の生活を圧迫することは言うまでもなく、その根源たる理由は緊急動員されているラザーク侵攻軍だ。本来この土地に居ない兵士が多く駐屯すれば、それだけの食料が必要となる。遠征用の兵糧や薬剤、武器などの調達もここで行われるのだ。物資不足は必至。問題があるとすれば南からの物資が完全に止まっているからである。……魔の森からの重要な上質な資源が。

 それはガハルト公爵領だけではなかった。

 ミズチの大河を境に南に領地を構える諸侯は、兵を出す取り決めのために一度各領都に兵を集結させて進軍し、王都で合流する。……が、ミズチの大河がいきなり増水して橋が破壊され、どの領主もミズチの大河を越えられずに足止めを食らっていたのだ。どこの領も一応は兵糧備蓄のために租税を増やしたことから何とか回ってはいるが、直に生産が追い付かなくなる。王都からの早馬もこちらからの伝令も、ミズチの大河が阻んで連絡が取れないのだった。


「どのみち相互的な連絡も取れません。私共だけではなく、ミズチの大河以南の諸侯もみな足止めを受けて待機している様子です。今は待つしかありませぬぞ」

「しっ、しかし……。以前の失点を回復せねば私の立場が……」


 現ガハルト領主、ケンベルクは焦っていた。それもそうだ。国王からも兵を借りた一世一代の開拓事業。その晴れのデビュー戦を何もなすことなく大失敗。問題はそれだけではなく、蛟という神龍の怒りを買うと言う大きな失態を演じたのだ。命じたのは国王ではあるが、実働はケンベルク。その責任は現場指揮をしていたケンベルクに全て擦り付けられた。その時の被害は甚大。領軍の兵もかなりの数を失い。大暴走を抑えたのは、自身の領軍や王軍の精鋭でもない。無双の美女神、蛟だった。

 その情報を抑えることなどできようもなく、ケンベルクは手を出してはいけない物に手を出した……。と醜聞ばかりが広がっている。現在ではこの長雨もケンベルクが蛟の怒りを買ったせいだと言われている始末。……まぁ、実際は蛟ことツェーヴェはほとんど関係ない。この長雨はツェーヴェを母と仰ぐ新たな雨の申し子、ゲンブによるもの。しかも、その方向性はケンベルクという個人を狙ってではなく、戦争を食い止めると言う遅延工作に過ぎない。ケンベルクは身に余る欲を増長したことによる自滅から、これからも徐々に人知れず立場を失っていくのだった。


 ~=~


「まだ連絡は来ぬのか?!」

「はっ!! ミズチの大河以南の諸侯全ての軍と連絡が滞っております」

「陛下……、この大雨では伝書鳩も飛びませぬ。早馬も大橋が二本とも落ちておりますので、諸侯は動くことができぬのでしょう。遠視の魔法使いの話によれば、諸侯は領都で軍を待機させておるようです」

「はあ~……。これでは計画が遅れてしまうっ!! 魔の森を切り拓けぬのならば『黒の森』はどうだ?」


 現在の国王はどう考えても不才の王だった。

 現在のファンテール国王は父より受け継いだだけの王で、政治的な手腕も武に秀でるでもなく……。優しく言っても凡才。実際、隣でとりなしている将軍も苦笑いだ。何故なら、その黒の森は現王の父が開拓しようと手を出し、大暴走を引き起こして近隣の町村を数個放棄させるほどの被害を生んだ魔境なのだから。将軍は内心で、『自分の父親のことくらい知っておけよ』と考えていたことだろう。

 気づかれないように溜息をつき、遠回しに、できるだけ遠回しに自身に気づかせた。その将軍は『黒の森』についての失敗を学ばせる。しかし、この王は学ばない。いや、自分でやるまでは納得しないとでも言おうか。子供のような性質がまだ残っている。

 遊びの中で転び、学習して転ばなくなる……。これが理想だ。しかし、この愚王は転んだことが無い。正確には前王の子供達全員がだ。このように蝶よ花よと育てられ、急死した国王の座を長男のこの男、リックスが受け継いだ。誰が国王となろうとも変わらなかっただろうと、一部の重臣は知っていた。そういう者は愚王の陰で甘い蜜を吸っている害悪なのだが……。


「のう、それでもじゃ、アラクネをテイムした男を取りたてたのであろう? ならば、黒の森ならば侵攻路を作ることはできるのではないか?」

「い、いえ、さすがにそれは……。いくら上位の魔物アラクネであろうとも、個が群に勝ることはありませぬぞ」

「ふぅむ、本当にそうかのう? ならば、外縁から侵攻路を拡げようではないか。アラクネと我らが軍さえいれば問題なかろう?」

「で、ですが……」


 結局、この将軍は数日後に軍を辞し、現在移動できる最南方へ家族と共に移住していった。冒険者として狩りを行いながら生活費を稼ぎ、家族を養うことを選んだのだ。この選択がただ一つの正解で、このファンテール王国が完全な機能不全に陥る直前での最後の岐路であったと、知っているのはごく一部であった。

 現在、ミズチの大河以北の諸侯が出した軍勢と、国王軍直営の軍団によりおおよそ半数が揃っている。ラザーク王国はセンテン高地と西の大湿地帯に防衛線を構えるのみで動くことはない。

 ならば今のうちにより大軍を通せるように、黒の森を削り取るという愚案を無理やりに押しとおしてしまったのだ。直後、賢い将の一部が何名も辞任し、野に下って行った。それでも、愚王は気づかない。学ばない。解っていないのだ。魔境という物がどういう土地で、魔境に手を出すという事がどういう事かという事を。

 愚王は理解していなかった。直前にやらかしたケンベルクの愚行を事細かに聞いていたにも関わらずだ。現在のフォレストリーグが存在している事、生き残りのガハルト公爵領軍が半壊以上であっても生き残っている理由。それが蛟や他の魔人級の者が、個人的な理由から『生かした』からに過ぎないのだ。その助力が見込めない、ただ単に人間の意思一つで魔境へ手を出すと言う事の愚かしさを……。今ここに体現してしまうのだった。


「おう、母君、速報がきたぞ!!」

「あ、え、あの……。まだタケミカヅチとの婚姻はできてないのよね? それならまだ……」

「うん? 聞いておらぬのか? まずはお友達からではあるが、ちゃんと妾とタケミカヅチは距離を縮めておるぞ!!」

「う、うん。それで? 速報は? テュポーンちゃん」

「おっと、申し訳ない。ミズチ大橋とフォベミ大橋が落ちておる故、諸侯の領外縁部、特に南方から夥しい移民が移動を始めておる。勢いは止まらぬぞ。それから……こちらは確定ではないのだが、愚王がやらかしたかもしれぬ。魔境、黒の森に手を出しおったようだぞ」

「それホントッ?!」


 この時、エリアナが救援部隊として、数名の魔人を招集して派遣しなかった場合……。ファンテール王国の王都にまで届いていた虫魔物の大暴走により、ファンテール王都は壊滅していただろう。……ファンテール王都は助かった。しかし、各領から派遣された兵卒や、王都より西側にある都市や町村は壊滅している。愚王はその原因を認められるのだろうか? 解らない。

 また、その答えを出すのは王ではない。

 その答えを出すのは生きている人々の個々人であるのだ。こうして、バラバラの各所で大きな変動に見舞われ、クロやエリアナの周囲に集まる人々の周囲はさらに大きなうねりに晒されることとなる。それを受け止め、時に避け、諦め、時々の形に合わせて彼らも生きていく。

 これがファンテール王国崩壊の序曲となり、新生ファンテール女王国、……またの名を『ノエ・エリアナ迷宮国』が芽吹いた瞬間でもある。世界の影で、人類を阻む魔境より芽吹いた大きな芽は、これから大きな渦を造り出しながら成長し、大きな波とぶつかりながら生きるという事の難しさを学んでいくこととなる。

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