搬送先で
火葬場を出てすぐに掛かってきた電話は楊からのもので、いつもの声音で相模原東署に来るようにとの言伝である。
武本が掃除をしていたそこに、空巣が入ったというのだ。
「あいつは無事か?」
「ぜんぜん無事。でもうちで保護しているからこっちに迎えに来てちょうだい」
そうして警察署に到着した俺が来訪者用の駐車場に車を回しかけたそこで、俺は相模原東署の制服警官に車を止められた。
「すいません。これから救急車が出ますので」
事実サイレンの音は聞こえており、それは音量を段々と上げながら俺に向かって来ており、俺の車を素通りして大通りへと踊り出て行った。
俺の何かがぞっとしたのは、その後ろを見慣れた黒のセダンとパトカーが回転灯を回して後を追っていってしまったからだ。
「何があった」
袂の中で電話が震える。
ただの電話だ、見てみろ「かわちゃん」だ、心配はない。
電話に出ながら、どうして自分の体がこんなにも震えているのだろうと訝しく思っていた。
あの救急車はただの救急車であり、後ろを追って走っていった車が楊の支給車だとしてもそれがどうだというのだ。
あいつは通報があれば動く刑事じゃないか?
「俺だ」
「百目鬼、すまない」
火葬場で受けた声とは違う楊の声であった。
かすれた、暗い声。
「一体どうした」
「すまない。百目鬼、落ち着いて聞いてくれ。武本がぶっ倒れて搬送中だ。署でなく第一病院の方にお前も向かってくれ」
俺は通話を切ってスマートフォンを助手席に投げると、アクセルを踏んで先程の隊列の後を追いかけた。
病院に着けば楊が俺を待っていたようで、病院の入り口ドアをくぐった所で、俺は彼に呼び止められた。
俺は呼び止められたまま体の動きを止めてその方向へ振り向くと、俺を呼び止めた楊はまっすぐに俺の元へと歩いて来た。
「すまない」
「何があった」
「すまない。すまないとしか言いようが無い。俺のせいでちびが殺されかけたんだよ」
「何があった?」
楊は口を開いたが話す事は無くそのまま閉じられ、彼は珍しく真面目な顔で俺をじっと見つめた後に再び口を開いたが、それは告白でもなんでもなかった。
「ベンチに座ってくれ。俺も座りたい」
俺は先に長椅子先に座った楊の隣りに腰掛けた。
座った時の動作で、自分の足が蒟蒻か棒っきれのように足の役目を果たしていなかったと思い知った。
この俺が椅子にどさりと音を立てて座ったのだ。
「それで?」
「本部の警部に殺されかけた。尋問中に足払いをね。髙が言うには、なんだけどさ。足の位置を動かされると重心が移動するものだろ。バランスの悪い背もたれのない椅子なら簡単にぐらっとなる。それを何度も繰り返すと、被疑者は怯えて何でも話すようになるっていう心理的拷問なんだってさ。何度もぐらぐらされると怖いだろ。髙が必死に尋問室を覗いていた訳がわかったよ。ただね、ちびはぐらっで済まなかったんだ。足を払われてバランスを崩したそのまま、咄嗟で自分を庇うことも出来ずにごつんと机に激突。胸と顔面を強打して、その衝撃で心臓が止まって、下唇を三針縫った」
「心臓って、あいつの状態は?」
「すぐに蘇生して、今は大丈夫だ。後遺症もないだろうって医者は言っている」
「その糞は?」
「髙のお預かり」
「あいつに会えるか?」
「検査中。看護師がここに呼びにくるだろうからもう少し待って」
大きく息を吐き、隣に座る楊に念を押すように尋ねていた。
「本当に大丈夫なんだな」
青い顔した楊は、無言のまま俺をじっとみつめてから、ゆっくりと頷いた。
「それで、空巣って一体何があったんだ?」
「空巣は空巣。なんだか物凄く怯えていてね。聞いてもいないのに林裕一君の殺害まで吐いてくれた。怖かったんだってさ。殺してからずっと祟られているようだってね。それからさ、ちびは何か薬を飲んでいる?」
「何の薬だ?あぁ、病院に薬を出してもらわないといけないからな。アレルギーもないし、持病もないから大丈夫だろ」
「あるでしょう。持病が。鬱ってヤツ。新型らしいじゃん」
「新型で薬を飲ませられないから、俺が相談役なんだろうが」
「え?新型でも鬱でしょう。どういうこと?」
「あいつの欝はね、ドーパミンみたいな体を活性化するホルモンが出てこないのが原因の一つでね、医者によると動かなくなった体に対して焦燥感やら恐怖に不安が押し寄せての、それで精神が鬱化するという流れだそうだ。鬱の薬は不安を落ち着けるためにドーパミン関係を阻害する薬だろ。かえって症状が悪化するじゃないか。薬を飲ませられない分、心の不安を抑えられないからカウンセリングがより必要。まぁ、あいつの場合は何でも話せる人間と見守りが必要って事だから、俺が相談役でいるわけだ」
「あぁ。それでか。納得。それでその診断をした担当医は誰だ?」
「お前の母校の三厩教授。」
「犯罪心理学の?」
「精神医学出の犯罪心理学者だろ。本物の精神科医。」
「どうしてちびがあの高名な先生の患者なの?」
「武本の父親の実家の住職が三厩教授のお兄さん。それから、三厩さんが武本の担当医であることは武本に内緒にしてくれ。」
「どうして?担当医で?」
「知るか。あのジジイがそう言うんだから仕方がないだろ。あいつは遠くからの観察と、俺の報告で診断していくそうだ。何それ、だろ?俺も武本家ルールが意味わからないんだよ。武本の相談役になってからね、あいつの親族とやらから武本宛の贈り物が次から次へと俺の家に届いてね、それも贈り主の事は武本には内緒にしてくれって手紙付きでさぁ。それでも俺が自分の懐にいれていると思われたら何だろ。それで俺がいちいち武本が贈り物持って喜んでいる姿を写真に撮って、そいつらに写真付きで礼状を送ってやっているんだよ。すると、今度は俺宛にお礼が送られて来るだろ。それにまた俺がお礼を送ってと、きりがねぇ」
「うっわ。面倒くさ」
楊が充分引いた所で、看護師が俺を呼びに来た。
武本の検査はもう少し掛かるが、俺に入院手続きと保証金を払えということだ。
これは警察の失態だろうと楊に振り返ると、彼の姿がいつの間にか消えていた。




