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メリトクラシア  作者: Lancer
第5章:希望の階段
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【番外編】★静かな耳が聞いたもの★

本編【Ep38】直後──

塔の内部探索の裏で、キールとフィーネは塔外の物資搬送と監視を任される。

一見平穏な任務の中で、二人の価値観がぶつかり合い、やがて初めての連携へと繋がっていく。

これは、軽口と真剣が交わる、二人だけの境界線の物語。

(※本編Ep37直後のキール視点はSS-KIEL「塔の外で見た影」、フィーネ視点はSS-FIENE「静かな耳が聞いたもの」を参照)

人混みのざわめきは、彼女にとってはただの騒音ではなかった。

会話や足音、その下に沈むように──説明できない別の音が、いつも混じっていた。


幼いフィーネは、それを“濁った水の底で響く鐘”のように感じていた。

誰にも聞こえないその音は、時に遠く、時に耳元で囁く。

けれどそれが何なのか、どうして聞こえるのかはわからない。


だから彼女は、人の多い場所を避けた。

市場よりも森の小道、宴よりも川のせせらぎ。

静寂の中なら、その音は輪郭をはっきりと持つ。

風が枝葉を揺らす音に、鳥の声が重なり、さらにその奥に“混じり気”が現れる。


ある日、それを家族に話してみたことがあった。

けれど返ってきたのは、困惑と恐れの混じった視線。

「……また空耳だろ?」

その一言で、幼い心はすっと閉じた。


半分人間、半分エルフ──彼女自身が二つの世界の境界に立っている。

だからこそ、その音は彼女を選んだのかもしれないと、今では思う。


修行時代、耳を澄ませていると、師の足音が静かに近づいてくる。

「混じり気を恐れるな」

いつも最初の言葉はそれだった。


フィーネは眉をひそめたまま、答えを待つ。

師は彼女の横に腰を下ろし、続ける。

「それは境界のささやきだ。純粋なものは脆い。だが、混じったものは──時に境界を越える力を持つ」


意味は半分もわからなかった。

けれど、師の声には“聞き逃してはいけない”響きがあった。


ある日、訓練場でのこと。

風の音に鳥の声が重なり、さらにその奥で低い唸りのような音が混ざった。

それは人間にもエルフにも属さない、第三の存在がそこにいるような気配だった。

思わず目を開くと、師が静かに頷いていた。


「今のが混じり気だ。形を持たぬ境界の声だ」

フィーネは息を呑む。

境界──人とエルフ、そのどちらにも完全には属さない自分と、同じ響き。


「覚えておけ。お前の耳が、それを道しるべにするときが来る」

その言葉は胸の奥に沈み、長い残響を残した。

理解はできなくても、“混じり気”がただの異常ではないことだけは、確かに刻み込まれていた。


灰色の空が塔の尖端を覆い隠し、その輪郭を霞ませていた。

塔前広場は緊張した空気に包まれ、鎧のきしむ音や命令を交わす声が、乾いた石畳に反射する。


フィーネは列の端で、耳を澄ませる。

金属音と声の向こう、風に混ざる砂のざらつき──そして、その奥に、低く長い重奏があった。

高音と低音が互いに押し合い、絡まり合い、まるで二つの世界が境を奪い合っているようだ。


視線を少し動かすと、キールがこちらを見ずに塔を睨んでいる。

肩が硬く張りつめ、その指先はわずかに震えていた。

反対側ではジェイドが隊列を確認しながらも、時折フィーネに視線を送ってくる。

仲間たちの呼吸の速さや動きの僅かな乱れが、耳に乗って届く。


音は強まり、胸骨の奥で反響した。

幼い頃から聞き続けてきた“混じり気”が、今ここで明確な形を取って迫ってくる。

背筋が粟立ち、指先に汗がにじむ。

塔の影が足元へとじわりと迫り、その黒が膝下を包もうとしていた。


恐怖は確かにあった。

けれど、それ以上に胸を満たしたのは、この場に立つ仲間を一人も欠けさせたくないという感情だった。

ジェイドの姿、キールの背中──その輪郭を、あの音から守り抜きたい。


塔の影が長く伸び、石畳を這い、足元を覆い始める。

冷たいものが足首に絡みつく感触。

鼓動が一拍遅れて脈打ち、耳の奥で“混じり気”の重奏が笑うように揺れた。


フィーネは息を吸い込み、一歩前へ踏み出す。

靴底が影を踏みしめた瞬間、凍えるような冷たさが脛を駆け上がる──しかしその奥で、心がふっと軽くなるのを感じた。

恐れはまだそこにある。けれど、それ以上に確かな意志が温かく燃えている。


やがて合図が下り、隊列が塔の内部へと動き出す。

仲間たちの足音が背中に重なり、その響きが冷気を押し返すように胸を満たした。


境界のささやきが、確かに近づいている。


塔の内部探索が始まったその裏で、塔外の物資搬送と監視任務が割り当てられた。

塔前広場から少し離れた物資集積所──積み上げられた木箱と樽が、灰色の空の下で規則正しく並んでいる。


「……ま、雑用だな」

木箱を肩に担ぎながら、キールが軽口を叩く。

その声はいつもの調子だが、周囲をちらちらと観察している視線が油断のなさを物語っていた。


フィーネは無言で次の箱を手に取り、足元の石畳に伝わるわずかな振動を感じ取る。

遠くから響く低音──塔の影響が地面を伝ってきているのか、それとも別の何かか。

耳の奥に小さな違和感が残り、彼女は荷物を置く位置を微調整した。


監視任務といっても、視界に入るのは兵士と作業員ばかり。

だが、指揮官からは「この区域は決して手薄にするな」と念を押されていた。

理由は告げられなかったが、塔の影響範囲に関わる何かがあるのは明らかだった。


「なぁ、こういうのってさ──静かすぎると逆に不安になるよな」

キールが樽の上に腰を下ろし、空を見上げる。

フィーネは小さく頷き、その耳は遠くの物音を探り続けていた。


木箱を最後の一段に積み上げ、キールは手を払った。

「よし、これで終了……ってわけじゃないのが面倒だよな」

軽く伸びをしながら周囲を見回す。


「任務はまだ終わっていない」

フィーネの声は低く、視線は広場の向こうを射抜いている。

耳を澄ませるその姿は、まるで塔そのものの鼓動を探っているかのようだった。


「なぁフィーネ、そんな真面目に張り詰めてたら長持ちしないぞ」

「……これは張り詰めているのではない。聞き逃さないためだ」

「聞き逃さないって、何を?」

「……混じり気だ」


その言葉に、キールの口元がわずかに引きつる。

彼もまた、その音を知っている。だが、口に出すことはない。

「……まぁいいや。俺は笑ってやり過ごす派だ」

「笑いで塔の影を避けられるなら、誰も苦労しない」


短い沈黙。

キールは口の端だけで笑い、視線を落とした。フィーネの横顔は動かず、長い睫毛が微かに震えている。

彼女は一度、小さく息を吸い込むと──

「でも──私が守りたいのは、自分だけじゃない」


その声は芯がありながら、微かに揺れていた。

キールは視線を逸らしたが、その瞳の奥に小さな波が広がるのを自覚していた。

胸の奥で、鈍く短い音が一度だけ響く。

何かが変わる予兆のように。


物資搬送がひと段落し、二人は集積所の周囲を巡回していた。

その時、低い唸り声が風に乗って届く。

フィーネの耳が瞬時に音を拾い、足を止めた。

「……複数。速い」


キールは腰の短剣に手をかけ、視線を前方の路地に向ける。

そこから、牙をむき出しにした野犬の群れが現れた。

毛並みは逆立ち、目は血走り、泡を吐きながら地面を蹴る。

塔の影響か、動きは異様に速く、吠え声が不協和音のように耳を刺した。


「こりゃ……普通じゃねぇな」

キールが低く呟く間もなく、先頭の一匹が飛びかかる。

フィーネが素早く横へ避け、矢のように短剣を抜いた。

その動きと同時に、キールは反対側へ回り込み、背後の二匹を牽制する。


「左、三!」

フィーネの短い声に、キールが即座に反応。

蹴り飛ばされた木箱が転がり、進路を塞いだ。

隙を突いてフィーネが二匹目の足を払う。


数分も経たないうちに、群れは散り散りに逃げていった。

路地に残ったのは、荒い息と、石畳に残る深い爪痕。


キールは短剣を納めながら、ちらりとフィーネを見た。

「……悪くねぇな、コンビってやつも」

フィーネは息を整えながらも、わずかに口元を緩めた。


野犬の群れが去ったあと、二人は集積所脇の石垣に腰を下ろした。

冷たい石が背中に触れ、戦闘で上がった体温をじわじわ奪っていく。


「……お前、あの動き、前からやってたのか?」

キールが水筒を差し出す。

フィーネはそれを受け取り、一口飲んでから頷いた。

「森で暮らしていた頃、似たようなことは何度もあった。静かにしていれば、危険は避けられる。でも……避けられない時もある」


短く笑うその声に、わずかな苦味が混じる。

キールは視線を遠くの塔に向けたまま、ぽつりと答えた。

「俺も……昔、一緒にいた奴が消えかけたことがある。あの影でな」


それ以上、詳しい説明はしなかった。

けれど、フィーネはそれだけで十分だと感じた。

言葉の奥にある冷たさを、自分も知っているからだ。


風が二人の間を抜け、しばし沈黙が続く。

その沈黙は重くなく、むしろ心地よい余白だった。


「……また組んでもいい?」

キールの問いに、フィーネは迷わず頷いた。

その仕草だけで、互いの距離は少し近づいた気がした。


夕暮れが広場を染め始め、塔の影が長く伸びていく。

物資搬送も監視も一区切りつき、兵士たちはそれぞれの持ち場へと戻っていった。


フィーネは石垣の上から塔を見上げた。

灰色の輪郭は空と溶け合い、その境界が曖昧になっている。

耳を澄ませると、遠くでまた“混じり気”の重奏が揺れていた。


隣に立つキールも、黙って同じ方向を見ている。

彼の横顔には笑みも皮肉もなく、ただ静かな視線があった。


風が吹き、二人のマントが同じ方向になびく。

その瞬間、言葉を交わさずとも通じるものが確かにあった。


「行くか」

短くそう言って、キールは塔から目を離す。

フィーネも立ち上がり、並んで歩き出した。


背後で、塔の影がゆっくりと彼らを追う。

それでも──その足取りは揺るがなかった。


































この番外編は、本編【Ep38】〜【Ep39】間に挿入されるキールとフィーネのサイドストーリーです。

互いの価値観がぶつかりながらも、塔影響下での小さな連携を経て生まれた信頼が、後のチーム行動(Ep39以降)に繋がります。




番外編まとめページ:

(note) https://note.com/lancer_meritocracia

(X/Twitter) https://twitter.com/lancer_merito








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