【第36話】★仮面の奥のまなざし★
デイジアの“仮面”が、静かに揺らぎはじめる。
ノウス近衛からジェイドに突きつけられる“監視”という選別。
仮面の笑顔の裏で、視線は絡み、沈黙が語り、
そして──屋上にて、少女は独り言を呟く。
これは、「演じる者」の物語。
ごゆっくりお楽しみください。
──午後一時。講義棟第2教室・廊下側。
午前の導入ガイダンスが終わり、候補生たちは次の実技課題に向けて各自の教室へと分かれていく。
その間、教官や事務官たちはひっきりなしに書類と生徒名簿を手に移動していた。
喧騒と規律の中に、淡い緊張感が漂う。
そんな中。
ジェイド・レオンハルトの元に、ひとりの制服職員が足を止めた。
「──レオンハルト候補生。これを、至急お受け取りください」
職員は、誰にも聞こえぬような小声でそう言い、封蝋された一通の封筒を手渡す。
それは深緑の革紙に包まれ、黒銀の蝋印が押されていた。
「……ノウス近衛、グラウス発信?」
(やっぱり来たか)
ジェイドは、無言で封筒を受け取り、礼だけを残してその場を離れた。
──中庭へ抜ける渡り廊下。
アイリスが急ぎ足で追いついてくる。
「ジェイド様、いまのは……?」
「非公開任務だってさ。ノウスから直通。ロータス大統領の近衛隊が発信元」
アイリスは息を呑む。
「……行くつもりですか?」
ジェイドは数秒だけ沈黙し、そして小さく笑った。
「“選ばれる”ってのは、良い意味だけじゃない。でも──拒めないよな。こういうのは」
彼女の顔に、不安の影が落ちる。
「なら……わたしも一緒に──」
「だめだ」
ジェイドの声が少しだけ硬くなった。
「アイリス、これは俺の“試験”だ。たぶん、そういうものなんだ。最初から」
アイリスは口を開きかけて、だがすぐに閉じた。
彼女には“守られること”が、今は必要なのかもしれない。
けれどそれでも、彼女は小さく、はっきりと言った。
「……必ず、戻ってきてください。ジェイド様」
「約束するよ」
言葉は短く、けれど確かに“結ばれた”。
──午後一時三〇分。士官学校裏庭・旧演習場。
人の往来がほぼない場所。かつての訓練施設の跡地だ。
雑草が風に揺れる中、ジェイドは指示された位置に現れた。
そこにいたのは、一人の男と、無言の影──
「よく来たな、レオンハルト候補生」
男は鋭い声を持っていた。
長身、白銀の外套、胸に“ノウス近衛”の徽章。
「グラウス・ダリオン。ノウス近衛隊の第伍席。君の“選定”を任された者だ」
ジェイドは静かに頭を下げた。
「……どういった、任務を?」
「任務ではない。“監視”だ」
その言葉に、一瞬空気が張り詰めた。
「君には、特例観察対象として──監視官が一名つくことが決定された」
グラウスが手を差し出す。
その背後から、もう一人の人影が前に出る。
黒い外套、無表情の青年。
その目は感情の光を完全に失っている。
「彼が“ソルヴェン”。君の担当監視官。
指導者でもあり、必要な場合には執行官でもある」
ソルヴェンは無言で一礼した。
その動作さえ、まるで機械のように精確だった。
(──執行官、か)
その言葉に、ジェイドの背筋が冷える。
選ばれた。だがそれは、自由の保証ではない。
むしろ“特別視”とは、常に“管理”と“制御”の対象であるという証だった。
「君の魔力量は“中等、安定値”と報告された。──だが、我々はそうは見ていない」
グラウスの言葉に、ジェイドの心が小さく震えた。
「……どういう、意味ですか」
「“封じられている”。そう判断した者がいる」
「…………」
ジェイドは返答できなかった。
図星だった。
自分でもそう感じていたからこそ。
「これは脅しでも、敵意でもない。君がもし、我々の判断を超える存在であったなら──それを“証明”するための任務でもある」
「つまり、これは試験の延長線……」
「その通りだ」
グラウスはわずかに笑った。
「その力を、証明してみろ。偽りでも偶然でもなく、君自身の意志で」
ジェイドは、ゆっくりと息を吸った。
「……わかりました」
答えは静かだったが、明確だった。
──時刻は午後二時。
講義棟の最上階、中央塔を見下ろす長廊下。
デイジア・ノクターンは、一人静かにその場所に立っていた。
誰にも気づかれず、物音一つ立てずに──
彼女の視線の先には、裏庭の訓練場。
草の波間を割るようにして、二人の姿が並んで立っている。
ジェイド・レオンハルト。
そして──ノウス近衛の男、グラウス。
彼らの口の動きは読めない。
けれど、その立ち位置と空気の緊張だけで、彼女には察することができた。
(“選別”ね……なるほど。そういうルートに進んだのね、君)
紅と金の瞳──オッドアイが細められる。
風が彼女のスカートをかすかに揺らす中、その姿はまるで舞台の袖から舞台を見つめる“裏の演者”のようだった。
「ふふ……面白くなってきた」
誰にも聞かれないように呟く。
──演者は一人じゃない。
この学園、この国、そのすべてが、舞台。
そこに配された“役者”が、今ひとつずつ動き始めている。
デイジアは、背後の柱の影からもう一つの視線を感じ取っていた。
振り返らずともわかる。そこにいるのは──アイリス。
彼女の魔力は極めて微細で、気配を殺す術に長けている。
だが、“視線”はごまかせない。
(……あなたも気づいてるのね)
ゆっくりと振り返る。
その動作に驚いたように、アイリスが身を引いたのが見えた。
「こんにちは、アイリスさん」
その声は、あくまで無邪気に。
「ここ、景色がいいですよ。風も、よく通る」
アイリスは返事をしなかった。
ただ、その紫の瞳がまっすぐにデイジアを射抜いていた。
「……どうして、ここに?」
「偶然です。ジェイド様の姿が見えたから……」
「そうなんですか」
にこやかに、けれどその笑顔には一切の揺らぎがない。
アイリスは、何かを読み取ろうとした。
その声の裏、瞳の奥、肌の張り詰めた気配──
だが、何も掴めなかった。
それはまるで、
“この少女の中には、何も存在しない”とでも言うような、空虚な仮面。
(……この人は……“本当に笑っていない”)
その確信が、冷たくアイリスの背筋を撫でた。
そして、デイジアはもう一度──外を見下ろした。
訓練場でジェイドが何かを決意したように立ち上がる姿。
その背を見つめながら、彼女は低く、小さく、呟いた。
「エンドスターの残響。
次の“鍵”は、君なのね──」
その言葉は、アイリスには届かない。
けれど、その視線の重みだけは、確かに彼女に伝わった。
アイリスの胸が、何かに締めつけられるように痛んだ。
(ジェイド様を……取られる)
その感情が、嫉妬なのか恐怖なのか、それとも予感なのか。
アイリスにはまだ、答えが出せなかった。
だが──
彼女は、デイジアから視線を逸らさなかった。
──その日の夕刻。
寮の屋上、誰もいない時間帯。
陽が落ちる直前の空は、燃えるような朱に染まり、学園の建物群を金色に縁取っていた。
静かな風が吹き、背中に冷たい感触を運んでくる。
その屋上の端に、デイジア・ノクターンは立っていた。
高所から見下ろす校舎の風景は、あくまで整然としていて、何もかもが平和に見える。
だが、その中に“伏せられた情報”と“選別された役者”たちが紛れ込んでいることを──彼女だけが知っていた。
(塔の影。ノウスの目。エンドスターの残響。すべて揃ってきた)
そして、ジェイド・レオンハルト。
あの少年がその“軸”になる。
彼女の右手の中で、銀の指輪が赤く脈打った。
生き物のように、脈動するそれは、まるで彼女の内側と呼応するかのようだった。
「“舞台”はもう動いてる。なら、私も──“役目”を演じないとね」
彼女はゆっくりと指輪に口づけをした。
その瞬間、背後の空気が微かに震えた。
振り返ると、屋上の影──かつて処刑塔だったという石柱の背後に、一つの“気配”が立っていた。
人ではない。
けれど、姿を持つもの。
赤い瞳、黒衣の影。
それは明らかに“この学園の構成要素ではない何か”だった。
「……まだ監視を続けるの? あなたたち、“天の犬”は、本当に執念深い」
影は何も答えない。
ただ、そこに“在る”。
それだけで、警告となる。
デイジアは、ふっと息を吐いた。
「構わない。どこまでも見ていればいいわ。私は“仮面”を被る。
完璧に、丁寧に、優等生として振る舞う。
それが、今の私の仕事だから」
空に目を戻す。
赤が、藍に変わろうとしていた。
夜の帳が降りる前──
彼女の中で、微かなためらいが消えていく。
「次は、いつまで“笑っていられる”かしらね。ジェイドくん──」
その言葉は、自分に向けたものか、彼に向けたものかすら曖昧だった。
彼女の微笑みは、変わらず柔らかかった。
だが──その裏にあるものは、誰にも読み取れない。
なぜなら、それが**“演じる者の役目”**だからだ。
やがて、鐘が鳴る。
一日の終わりを告げる、静かな合図。
デイジアはその音に合わせて、ゆっくりと歩き出した。
屋上の扉へ、
日常という仮面の裏側へ──
その足音の先に、どれだけの血と嘘と真実があるかを、まだ誰も知らない。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
第36話では、デイジア・ノクターンの視線と仮面の意味を深く描きました。
本話にて“監視官ソルヴェン”が正式登場し、
“赤い指輪”と“天の犬”というキーワードも新たに加わります。
構造派・考察勢の方は、ぜひ読み返しと推察を楽しんでください。
次回【第37話】では、再び“塔の影”が動き出します──。
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