【番外編⑦】君の膝のぬくもりは、夢より甘く
【夢の中で、君のぬくもりに触れた──それは甘い幻か、それとも……】
仮契約の夜。アイリスは、小さな不安と、胸に芽生えたあたたかさを抱えながら眠りにつきます。
夢の中で見たのは、彼女が“誰かに甘える”という、今までにない自分の姿──
そして目覚めたとき、彼の膝の上で……?
本編準拠ながらも、ほんのり糖度高めの番外編となっています。
アイリス視点だからこそ描ける「はじめての安心感」を、ぜひご堪能ください。
静かな夜だった。
王都の空は雲ひとつなく、屋敷の中庭に面した小部屋の窓からは、淡い月明かりが差し込んでいる。
その光に照らされた部屋の隅、アイリスは毛布にくるまり、ぼんやりと天井を見つめていた。
(……仮契約、完了……)
まだ信じられない。
わたしは、ジェイド様の“研修従者”として──形式上とはいえ、彼の傍にいることが許された。
あの時、震えながら尋ねた。
「わたしで、いいのですか?」と。
ジェイド様は、迷わず頷いてくれた。
「君がいい。俺が、君を守りたい」って──まるで、夢みたいな言葉で。
(でも……きっと、あれは現実だった)
この胸の奥に、まだじんわりと残っている。あたたかくて、くすぐったいような、初めての安心感。
……それなのに。
(どうして、こんなにドキドキしてるんだろう)
仮契約の手続きなんて、書類を一枚交わすだけだったのに。
おかしいな。誰かの“もの”にされたことなんて、一度や二度じゃないのに。
(でも……ちがう。今回は、ちがうんだ)
“道具”として連れていかれた過去とは、まったく違う。
わたしのことを“人”として見てくれる人に、初めて出会った。
……それが、ジェイド様。
……心が、ずっとふわふわしている。
まるで、熱に浮かされたみたいに。
「……ジェイド様……」
声に出した瞬間、胸がきゅうっとなった。
名前を呼ぶだけで、どうしてこんなに切なくなるの。
(あ……ダメだ。眠れそうにない)
体が熱い。顔も火照ってる。
足がじんじんしてるのは、今日ずっと緊張で立ちっぱなしだったせいかもしれない。
(ふくらはぎ、ちょっと重い……)
そう思って、そっと片足を伸ばしたその瞬間──
──ぽたり、と何かが落ちてきた。
涙、だった。
「……わたし、どうして泣いてるんだろ……」
わからない。
でも、泣きながら、少しだけ笑った。
……このまま、夢の中でもいいから。
ジェイド様の手に、触れられますように。
あの温かい声に、呼ばれますように。
ゆっくりと、瞼が閉じていく。
世界が、やさしく溶けて──
そのまま、静かに眠りへと落ちていった。
──トン、トン……
なにか、軽くてあたたかいものが、
わたしの脚を、優しく叩いている気がした。
心地よい重みと、ぬくもり。
まるで、柔らかい掌で包まれているみたい。
(……っ、あ……)
ふと、目を閉じたまま感じるその感覚に、身体がぴくんと反応する。
右のふくらはぎ。
そこを、ゆっくりと、丁寧に──揉まれている。
「や、……ん、っ」
声にならない吐息がこぼれる。
脚が、じんわりと熱くなる。
まるで、ふくらはぎから心の奥まで、あたたかいものがじわじわと満ちていくようで……
(……これ、マッサージ……?)
思考が追いつかない。
でもその手の主だけは、はっきりとわかる。
「……ジェイド、様……?」
目は開けていないのに、
彼の姿が、すぐそこにあるように感じられた。
優しい声と、やわらかい指先──
(気持ちいい……、けど……)
なぜだろう。
足の先だけじゃなく、胸の奥もドキドキしてる。
知らない感覚。変な感覚。……なのに、嫌じゃない。
ふくらはぎから、足首へ。
再びふくらはぎへ。
そして、今度は──ゆっくりと、指が上へと滑っていく。
「ん……あっ……♡」
太ももの、手前。
スカートの縁すれすれを、指がかすめた。
(だ、だめ……っ、そんな……)
「っ……や、あっ……♡ そこは……っ、ジェイド様……♡」
反射的に腰が逃げる。
でも、彼の手はとても優しくて、逃げきれない。
ふくらはぎを押しながら、まるで心まで解かれていくようだった。
「わたし……変になっちゃいそう……♡」
頭がふわふわする。
息が上手く吸えない。
手足が熱くて、思考が蕩けていく。
「そんなとこ、なでちゃ……ダメ、なのに……♡」
「……ダメぇ……っ♡」
ぽつり、ぽつりと、甘えるような声が漏れてしまう。
夢の中だから──だから許されると思っていた。
(わたし、こんなに……甘えてる……)
彼の手が動くたび、身体が小さく跳ねてしまう。
でも、やめてほしいとは思わなかった。
もっと……触れてほしい。もっと……優しくしてほしい。
「……ジェイド様……♡ わたし、あなたに、全部……」
ー現実の世界ー
「……ジェイド様ぁ……ん……♡」
その声は、とてもやわらかく、甘かった。
名前を呼ばれた本人であるジェイドは──
固まっていた。
(……おいおい……まじか)
彼の膝の上で、静かに眠っているアイリス。
その顔は穏やかで、夢の中にいることがよくわかる。
でも──さっき、確かに言った。
はっきりとした声で、自分の名を、あんな甘い声で……。
(落ち着け、落ち着け、落ち着け……)
心の中で何度も唱える。
表情は変えずに。呼吸も乱さずに。
けれど、耳の奥がじんわり熱い。
(……っていうか、俺の膝の上で……“あんな寝言”って……)
ジェイドの内心は、さながら嵐だった。
そして──そのまま、アイリスはゆっくりと目を開けた。
「……ふぁ……ん……?」
まだ夢の余韻が残っているのか、まばたきがゆっくりだ。
そして、自分の頭の下が「膝」であることに気づいた瞬間──
「…………っっっ!?!?」
アイリスの顔が、ぱぁんっと真っ赤に染まる。
「お、おはよう……アイリス。なにか、夢の中で叫んでたけど……どうしたんだ? 怖い夢でも見てたのか?」
ジェイドは、あえて何気ない声でそう言った。
けれど、その表情の端が、どこかぎこちなく見えたのは──
きっと気のせいじゃない。
(いや……さすがに、“甘い声で俺の名前呼んでた”とか……言えるわけねぇ)
夢の内容には、あえて触れない。
ただ、落ち着いた声で言葉を投げるだけ。
アイリスは、言葉も返せず、ただ小さく「ひゃう……」と震えたまま、
うつ伏せのまま顔を覆っていた。
(……でもまあ。悪い夢じゃなかった、か)
ジェイドは目を伏せて、そっとアイリスの髪を撫でた。
優しく、指先がほんの一瞬だけ、頬に触れる。
朝の光が、薄くカーテン越しに差し込んでいた。
まだ誰も起きていない静かな屋敷の一室。
ソファの上。
毛布を抱きしめたまま、アイリスはぼんやりと座っていた。
その視線の先には、目を伏せて座るジェイドの姿。
──さっき、彼の膝の上で眠っていた。
それだけでも十分に衝撃だったのに、
その間に、自分は──とんでもない寝言を……
(……思い出すだけで……っ)
アイリスは顔を伏せ、毛布の奥に小さくうずくまった。
(あんな声……出してたなんて……)
現実感がなかった。
でも、頬の熱さだけは、疑いようもなく“本物”だった。
「……ごめんな。俺、気づかなくて。
ずいぶん疲れてたみたいだな」
静かに、ジェイドが言った。
声の調子は、いつも通りだった。
変わらない。優しい。でも──少しだけ、距離を感じた。
(……さすがに、“聞いてました?”とか、聞けるわけない……)
ほんの少し、視線を上げると、ジェイドの手がすぐそこにあった。
無防備に、膝の上で。
(もう……ここには……寝ない……!)
強く誓った。
……けれど、心のどこかで、またあの場所に戻りたくなる自分がいた。
「……アイリス?」
「っ、は、はい……!」
「夢の中で、誰かに呼ばれてたような気がして。
……怖い夢でも、見たのか?」
「え……」
ジェイドは、あくまで淡々と聞いてきた。
その目に、茶化すような色はない。
ただ、純粋に、彼女のことを心配しているだけ──
(……ズルい。そんな風に優しくされたら、何も言えない……)
アイリスは、そっと首を横に振った。
「……大丈夫です。夢は……ちょっと、変だっただけで……」
「そうか」
それ以上、彼は何も聞かなかった。
沈黙が、少しだけ流れる。
けれど、その沈黙すら心地よかった。
膝の感触はもうないのに、まだそこにいるような──
あの温もりだけが、指先に、残っていた。
(……あれは夢。でも……)
夢の中で聞いた、あの声。
触れられた感覚。
優しさも、恥ずかしさも──ぜんぶ、残ってる。
(“ジェイド様”って呼んで……)
心の中で何度も名前を呼んで、
気づけば、またその人に触れたくなっていて。
夢の中のわたしは、まるで別人みたいだった。
(……でも、それでも──)
──現実でも、
その人の傍にいられるなら、それでいい。
朝の光が、もう一度、彼女の頬を照らす。
それは、夢よりもやわらかくて、
だけど確かに“現実”だった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
本編準拠でお届けした番外編⑦「君の膝のぬくもりは、夢より甘く」は、
アイリスが“従者”としてではなく、“ひとりの女の子”としての感情を自覚していく──
そんな一夜の“優しい事件”を描いたお話でした。
普段の彼女は、控えめで自己主張も少ないですが、
今回のように“本当の気持ち”があふれてしまう瞬間を、今後も大切に拾っていきたいと思っています。
なお、今回の夢パートをさらに深掘りした【IF版:夢の中のご主人様】の続編も、
今後「NOTE」の方で公開予定です!(https://note.com/lancer_official)
より“限界甘え”なアイリスを見たい方は、そちらもぜひチェックしてみてくださいね。
それでは、次回の更新でまたお会いしましょう!




