第2話 副業×老婆(2)
前回の続きです。
老婆の霊との決着編になります。
―――陽炎町某所―――
陽炎町は飲み屋街で有名な町だ。
所狭しと建っている雑居ビルの中には様々な店が入っている。
この町の雑居ビルにBarボンボンはあった。
平成初期頃に建てられたビルで今にも崩れそうな印象を受ける程、古びている。
和馬がエレベーターで3階に上がると、廊下にはスナックや居酒屋の看板が薄暗い廊下で光っている。どこかの店でカラオケを歌っているのか、勢いよく外れた音程で歌う声が廊下に響いている。廊下の突き当りにショッキングピンクに白い丸文字で『Barボンボン』と書かれている看板を見つけた。
Barボンボンの押し扉を開けると、ジャズの音楽が聞こえ、同時に甘い香草のような独特の香りがした。
店内は薄暗く、カウンター席とソファ席がいくつかあり、少し狭い印象を受ける。
カウンターの壁には間接照明で照らされた変わった形の酒が並んでいる。
ソファ席にはガラの悪い中年の男3人と若い女2人が騒がしく酒を飲んでいて、そのうちの男2人が煙草をふかしている。どうやら店内の独特の香りはこの男達の煙草の臭いなのだと和馬は気づいた。
「おい!こっちだ!」
和馬が店内できょろきょろしていると、カウンター奥のバックヤードから男が声をかけてきた。
依頼人の高田俊彦。36歳。
Barボンボンの経営者でトキコの孫。
短めのツーブロックの髪型で白シャツに黒いベストとスラックスを履いてバックヤードから手招きしている。
バックヤードは息がつまるような狭さな上に、壁際に酒やジュースなどが入った箱が積みあがって置かれていることで更に圧迫感に拍車をかけている。
空いている少しのスペースにパイプ椅子が2つと小さな丸いサイドテーブルが置かれている。俊彦はパイプ椅子に座って煙草とウイスキーロックを飲んでいた。
「ご苦労だったな!なんか飲むか?」
バックヤードに入ってきた和馬に俊彦は聞いた。
「いや、大丈夫です。」
「それで?ババアの霊は退治できたのか?」
パイプ椅子から身を乗り出し、期待に満ちた顔で笑みを浮かべながら俊彦は聞いた。
「あと一歩というところです。実は…」
「どういう意味だ?退治したからここに来たんじゃねえのか?」
和馬が話しているのを遮り、さっきまでの笑顔が嘘のように凄むような顔で和馬に詰め寄る。
俊彦の表情の変わりっぷりに困惑しつつ、和馬は続けた。
「えっと、もう一息って感じでして…。それについて話したい事があって…」
俊彦はいきなり立ち上がり、和馬の胸ぐらを掴んで壁際の在庫の箱に押し付けた。
壁に押し付けられるのはこれで何回目だろうと和馬はふと考えた。
「ふざけてんのか!?こっちは今日中にババアの家に入らなきゃいけねぇんだよ!!!退治できるって言ったのはお前だろ!!」
「そ…そんなのあんたの都合だろ!!こっちは時間がもう少し欲しいって言ってんだよ!!いいから話を聞けって!!」
「俺は今日中にババアの金が必要なんだよ!!!あの家にあるって親父たちが話していたから、取りに行けるようにお前にババアの退治を頼んだんだろうが!!今日が退治する期限だ!!今すぐ退治して来いよ!!!」
「期限なんて初耳だっての!!!依頼の時にそれを言え!!それに!成仏するかどうかはトキコ次第だ!!」
「てめえ!!!!ババアを呼び捨てにすんじゃねえよ!!!」
「あんただって呼び捨てみたいなもんだろ!!」
「なんだぁ!?」
2人は揉み合いながら、言い争っている。
「とにかく!!続きを話すから落ち着いてくれ!!」
和馬は胸ぐらを掴んでいる俊彦の腕を掴んで外そうとする。
「落ち着いてられるか!!金がいるんだよ!そうしないとっ…!!」
話している途中で俊彦の左頬に鈍い痛みが走る―――
頬の痛みと同時に気が遠くなるような感じがした。
一瞬何が起こったのか分からず、思わず和馬の胸ぐらを掴んでいた手を放し、床に崩れ落ちる。
「とぉしぃひぃこぉぉ―――――!!!!!!!」
聞き覚えのある声がバックヤード中に響いた。
見上げると怨霊トキコが俊彦目掛けて突進してくる―――
ばあちゃん…
そう思ったのも束の間、俊彦はそのまま意識を無くした。
――――――――――――――――――――――――
俊彦が目を覚ますと、日差しが温かく降り注ぐばあちゃんの家の縁側にいた。
今は荒れ放題の庭もきれいに整えられており、縁側の近くの花壇には、ばあちゃんの大好きなパンジーが咲いている。爽やかな春の風がパンジーをそっと撫でていた。
起き上がった俊彦の体は子供の頃に戻っている。
懐かしい。よくここで昼寝したっけな。
そう思いながら、俊彦は周りを見渡した。
「俊彦。」
優しくて温かい声に俊彦は振り返った。
ばあちゃんだ。
ばあちゃんは、お盆の上に浅井商店で買ったあんぱんと急須に入ったお茶、車のイラストが描いてある子供用のコップ、ばあちゃんのお気に入りの金魚柄の湯飲み茶わんを持ってきた。
「おやつ食べるかい?」
3時のおやつはいつもばあちゃんの家の縁側で1個のあんぱんを半分こしてお茶をするというのが日課だった。
「俊彦、今日もお父さん遅くなるみたいだから、ばあちゃんのとこに泊まっていきな。」
ばあちゃんはいつものように半分にしたあんぱんを俊彦に渡しながら話した。
「今夜は俊彦の好きなものを作ろうかね。何がいい?」
「きんぴらごぼう!」
子どもの俊彦は屈託のない笑顔で答え、あんぱんにかじりついた。
甘いあんこが口いっぱいに広がる。
甘さの余韻と幸せを噛みしめながら、俊彦は目を閉じて味わった。
――――――――――――――――――――――――
再び目を開けると、背中を強く押されて転び、膝と手のひらを擦りむいた。
後ろを振り向くと、いじめっ子の同級生、谷口がにやにやしながら立っていた。
小学5年なのに体が人一倍でかくて、意地汚くて、周りをからかったり、いじめたりすることを生きがいにしている本当に嫌な奴だった。
「おまえ、ばあちゃんの家で暮らしてるんだって?親はどうしたんだよ?」
谷口はニヤニヤしながら、俊彦を見下ろして言った。
「こいつ親から捨てられたんですよ!」
谷口の子分、尾島が笑いながら谷口に話した。
「おまえ、いかにも弱そうだもんな。そりゃ親から捨てられるわ。」
そう言って、谷口はゲラゲラ笑った。
「こらぁー!!あんたたち何してるんだい!!」
遠くからばあちゃんが愛用の手鏡を手にして走ってくる。
「高田のばあちゃんだ!にげろー!!」
谷口と尾島は一目散に逃げていった。
俊彦は、立ち上がり膝と手のひらの砂をはらった。
「まったく、悪ガキ共が!俊彦、大丈夫かい?」
ばあちゃんは俊彦の肩に手を置くも、俊彦に振り払われてしまった。
俊彦は一言も話さず、ばあちゃんには目もくれず、走って帰った。
家に入ると、ばあちゃんの優しい香りに包まれて安心したのと、ばあちゃんに同級生からいじめられている姿を見られた恥ずかしさと、弱い自分の不甲斐なさで涙が止まらなくなった。
――――――――――――――――――――――――
涙を拭って目を開けると、今度は斗南警察署の入り口付近の長椅子に座っていた。
所々汚れている高校の学ランをきており、唇やこぶしに鈍い痛みが走っている。
工業高校に進学してから悪い友達とつるむようになって、毎晩のように遊び歩くようになった。強さの意味を履き違えて喧嘩三昧の日々で一番荒れていた。
警察署に入ったばあちゃんは俊彦を見つけるやいなや、急いで近づいた。
「俊彦!何があったんだい?」
「俊彦君のおばあさんですね。お待ちしてました。連絡した斗南警察署の一ノ瀬です。」
俊彦を補導した中年の警察官がばあちゃんに話しかけた。
「お孫さんは隣町の片倉工業高校の奴らと喧嘩になったようです。今回は厳重注意ですが、次は補導するだけでは済まなくなりますよ。悪い連中とはこれを機に縁を切るようお家でも話してください。」
「よく言い聞かせます。ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。」
ばあちゃんは深々と頭を下げた。
その姿を見た俊彦は、立ち上がり、ばあちゃんを置いて入り口に向かって歩きだす。
「こら、俊彦!すみません、失礼します。」
外に出ると、しとしとと雨が降っていた。
雨の匂いが妙に落ち着く。
傘なんて持っているはずもなく、そのまま雨の中、ばあちゃんの家まで歩いていく。
雨が傷口に触って、ちくちく痛む。
「いってぇ。」
俊彦は雨で濡れた顔を学ランの袖で拭った。
――――――――――――――――――――――――
拭って目を開けると、目の前に高校の同級生で遊び仲間の安達が立っていた。
「とし、お前、Barやりたいって言ってたろ?俺の先輩で何件か店を持ってる人がいて、店長を探してるんだってよ!お前、話聞いてみないか?」
俊彦は高校を卒業してから、キャバクラのボーイをしたり、barでバイトしたり、あてもなく生きていた。
いつも金がなく、競馬でつくった借金もあった。
「俺、金なんてねぇぞ。」
「安心しろ、雇われ店長だよ。今夜、先輩の店で飲むからお前も来いよ。」
特に予定もなく、俊彦は話だけでも聞いてみることにした。
安達の先輩、鮫島の店は陽炎町の雑居ビルの中にあった。
高級会員制Barで店の前には大柄で強面の男が入り口に立っていた。
「あの…、今日ここに来るよう言われて。」
俊彦が恐る恐る入り口の男に話しかけた。
「高田様ですね、中にお入りください。」
見た目とは違い、丁寧な言葉で話す男に面食らう。
男は重厚な扉を開け、俊彦を中に入れた。
中に入ると、赤い絨毯が敷かれた長い廊下になっており、廊下の先は黒いカーテンで仕切られている。
カーテンを開けるとやっと店内に入れた。
店内は開店直後にも関わらず、多くの客が酒を飲んでいる。店の奥はVIP席なのか、少し階段を上った先にブースとして区切られたソファ席があった。天井からは豪華なシャンデリアがいくつも下がっていて、カウンターには高級な酒がいくつも並べられている。
「とし!こっちだ!」
安達が駆け寄ってきて、俊彦をVIP席に案内した。
「鮫島さん、俊彦きました。」
鮫島と呼ばれた男は、グレーのスーツを着て、腕には高級腕時計、指には金色の指輪を付けており、VIP席の真ん中に鎮座していた。鮫島が笑うと小麦色の肌の上で真っ白な歯が光って見えた。鮫島の周りは20代の若くてモデルのように綺麗な女が4人と鮫島の子分であろう男が5人いた。
「おう、来たか。俊彦だったな?鮫島だ。」
そう言いながら鮫島は立ち上がって俊彦と握手を交わし、俊彦の肩に手を回して肩をバンバン叩いた。
「なんだ、随分痩せてるな。ちゃんと食ってんのか?」
「うっす。」
「飯食ったか?」
「いやまだっす。」
「よし、うまい寿司頼んでやるからな!おい、川島!としに寿司頼んでやってくれ!」
特上寿司を食べた後、俊彦は鮫島からBarの経営について話を聞いた。
雇われ店長ではあるものの、いずれは自立することも可能であることを聞き、その場で店長になることを決めた。
「明日から早速準備を手伝ってもらう。今日はわざわざ来てくれてありがとな。これでなんか好きなもん買え。」
帰り際に鮫島は俊彦に札束の入った封筒を渡した。
「鮫島さん、こんなにもらないっすよ。まだ店長で働いてもいないのに。」
「いいから、取っておけ!俺ら、もうファミリーじゃないか。お前には期待してるんだ!」
「うっす!」
鮫島さんは陽炎町では知らない人がいない程の有名人だった。
怖い噂もいくつかあるものの、権力のある先輩から可愛がられるのが嬉しくて、誇らしかった。
鮫島さんはとにかく優しかった。
青二才の俺が生意気なことを言っても、怒るどころか、逆に可愛がってくれた。
鮫島さんに一生付いていこう、そう決めていた。
――――――――――――――――――――――――
Barボンボンを任されてから1年程経った頃、安達が窃盗で捕まった。
安達自身も鮫島さんの店を任されており、経営が厳しいという声は聞こえてこなかった。
刑務所に収監された安達に会いに行った俊彦は、衝撃を受けた。
安達は見間違える程にやつれて、ぐっと老けてみえた。
「安達…?何があったんだよ?」
安達は下を向いたまま何も話さない。
「どうしたんだよ?店の経営も問題なかったんだろ?鮫島さんの顔に泥を塗るようなことして、出所したら一緒に鮫島さんのところに謝りに行くぞ。」
鮫島の名前を出した途端、安達の表情は一変し、怯えたような顔でガタガタ震えだした。
「俺は行かない…俺は行かない…俺は行かない!!!!」
安達は半狂乱に叫び出した。
「ど、どうした!?安達!落ち着け!」
安達が大声を上げたため、看守が何人か入ってきたが、安達がそれ以上叫ぶことはなく、暴れたりしなかったため、すぐに出ていった。
「鮫島さんから逃げろ。お前はこうなるな。巻き込んで本当にごめん。」
安達は震えた声で静かに話した。
「どういう意味だよ。」
しばらく沈黙が続いた後、安達はぽつりぽつりと話し始めた。
安達も鮫島の店の店長として働いていた。
最初は順調に売り上げを伸ばしていくことができ、鮫島からも可愛がってもらえた。
しかし、1年程経ったある日、鮫島からノルマを課せられるようになった。
たかがノルマだと思っていたが、達成できない場合は、ノルマに届かない分の金額を調達するよう強要され、それができなければ、鮫島の裏稼業を手伝うよう命令されることもあった。
その裏稼業というのが、恐喝や窃盗等、ありとあらゆる犯罪行為だった。
裏稼業の手伝いを断ると、鮫島の手下からひどい暴行を受けるため、安達は仕方なく犯罪に手を染め続けてしまった。
安達も俊彦も高校時代は警察にお世話になることもあったが、犯罪を犯すまでの度胸はなく、バカ騒ぎをしたりして遊ぶだけの、ただのやんちゃな若者だった。
――――――――――――――――――――――――
「とし、ここまでよく頑張ってくれたな。来月から少し目標金額を決めようや。」
安達の話を聞いた翌月、鮫島がBarボンボンを訪れ、ノルマの話を提案してきた。
「目標金額?」
「お前、頑張ってくれてるからな。期待してんだ。お前なら目標金額なんて屁でもないぞ。」
鮫島さんは煙草をふかしながら、ウイスキーロックを飲んだ。
「いや…どうっすかね…。目標金額なんて決めなくても、売り上げは問題ないと思うんすけど。」
「とし、実はお前だけに話すんだが、安達があんなことになっちまって、安達に任せていた店の売り上げが全くない状況なんだ。このままだとファミリー全体の運営に影響が出ちまう。他の奴らに話すと、不安にさせちまうだろ。こんな話、冷静なお前にしか話せないんだ。俺と一緒にファミリーを支えてくれるよな。」
「…うっす…。」
「さすが、俺の見込んだ男だ。期待してるぜ。」
鮫島はウイスキーを飲み干して、店を出ていった。
――――――――――――――――――――――――
「とし、来週で売り上げの閉めになるが、どうだ?目標達成できそうか?」
1か月後、再び鮫島は店に来て、変わらず煙草とウイスキーロックをカウンターで飲みながら俊彦に聞いた。
「そ…そっすね、達成はできそうっす。」
俊彦はグラスを洗いながら、答えた。
本当は目標金額に到底及ばない状況だった。
素直に言おうか、そう思ったものの、憔悴した安達の姿が頭をよぎり、思い留まった。
「ちなみに、達成できなかった場合はどうしますか。」
俊彦には、どこかで鮫島を信じたいという気持ちがあった。
優しくて、兄貴のような存在の鮫島を失いたくなかったのだ。
「達成できなかった場合か…。そいつは、何かで穴埋めしてもらわないとな。」
鮫島の目がギラリと光った気がした。
今までに見た優しい鮫島とは違う、残酷な一面を見てしまったような気がした。
「あ、穴埋めっすか。」
「とし、俺らファミリーはいくつかの店を経営している。全ての店で順調なら問題はないが、1つでも足を引っ張る店が出ると他で補填しないといけねぇ。今は安達の店が全然売り上げがない状況で厳しい状況だ。目標の金額はファミリー全員が幸せになるために努力する金額だ。それが達成できなきゃ、そこを自分で穴埋めしてもらうしかない。それがファミリーの一員としての責任だ。お前もわかるだろ。」
鮫島の鋭い視線は全てを見透かしているかのような感じがして、俊彦は生唾を飲んだ。
鮫島さんは売り上げが足りないことを知っている。
そのことに気付いて動揺したためか、洗い終わったグラスを床に落としてしまった。
グラスは俊彦の足元で粉々に割れる。
「すみません!」
そう言って、俊彦は片付けようと床にかがんだ。
――――――――――――――――――――――――
かがむと、店の床から見慣れた玄関タイルに変わっていた。
ばあちゃん家の玄関で靴を履くためにかがんでいるところだった。
「俊彦、店の経営は大丈夫なの?最近、お金ばっかり貰いに来て…。」
そうだ、この日は目標金額を達成できなくて、ばあちゃんに金をもらいにきたんだ。
これで何度目だろうか。
「もっと真っ当な仕事についたら?ばあちゃん心配だよ。」
真っ当な仕事。
自分なりに頑張って仕事をして、一人前の男になった気でいた俊彦は、ばあちゃんの言葉にひどく腹を立てた。
「俺の仕事が真っ当じゃねぇって言うのかよ。」
俊彦は立ち上がり、睨みつけるようにばあちゃんを見た。
「知ったようなふりして店の経営に口出すんじゃねえよ!店は順調なんだよ!金は全部キャバクラの女に貢がせてもらってるよ!経営が苦しいって言えば、すぐ金出してくれるからな!かわいそうで可愛い孫を演じてやってんだよ!人のこと気にしてる暇があったら、早くくたばれよ!!」
そう言って、俊彦は勢いよく出ていった。
走ってばあちゃんの家を出ると、雨が降っていた。
雨にうたれながら、走っていると、鮫島から逃げられない自分の情けなさと感情に任せて思ってもいないことをばあちゃんに言ってしまった後悔がこみ上げてきた。
浅井商店前まで来ると、あの日のあんぱんが変わらずに売っている。
ばあちゃんと一緒に食べた甘いあんぱんと濃くて渋い緑茶の味を思い出し、涙が溢れて止まらなくなった。
「ばあちゃん…ごめん。ごめん。」
俊彦は涙を流しながら陽炎町へ消えていった。
――――――――――――――――――――――――
「そうだったんだね。俊彦。もうばあちゃんがいるから大丈夫だよ。」
俊彦の頭にばあちゃんの声が響いて、再び俊彦は気を失った。
「おい、あんた大丈夫か?」
トキコがぶん殴って倒れた俊彦に向かって、和馬は恐る恐る聞いた。
「とし!!どうした!?大丈夫か!?」
店内にいたガラの悪い中年の男3人が入ってきた。
「おいお前!!としに何した!?ただじゃ済まねえぞ!」
荒ぶる男3人が和馬に詰め寄る。
「いや、俺は何もしてないって!」
「お前ら何してんだ?」
そこにもう1人、男が入ってきた。
いかにも高そうな白のスーツを着た小麦色の肌の男だった。
「鮫島さん!この男がとしを殺したんです!」
男の1人が和馬を指さして言った。
「いやいや!死んでないって!気を失ってるだけだろうが!」
和馬は倒れている俊彦を指さして言った。
すると、倒れていた俊彦は目を覚まし、ゆっくり起き上がった。
「やっとわかったよ、俊彦。あとは、ばあちゃんにまかせな。」
俊彦が話しているのに、声は俊彦のものではなく、トキコの声だった。
俊彦の体に取り憑いたトキコは鮫島と男3人を睨みつける。
「鮫島ってやつはどいつだい?」
「とし、どうした?この俺の顔を忘れたのか?」
鮫島は半笑いで聞いた。
「祓い屋、あれをよこしな。」
トキコは和馬から愛用の手鏡を受け取ると、鮫島のところへ歩み寄る。
「あんたが、うちの孫をいじめたんだってね。」
トキコは不敵な笑みを浮かべた。
「孫?とし、どうした、本当に大丈夫っ…!!!」
パコ――――――――ン!!!!!
テニスのサーブのような音が響き渡り、鮫島が高速回転イスに乗っているかのように回転しながら、吹き飛ばされ、ジュースが入っている段ボールにめり込んで倒れた。
殴ったのが鮫島の口元だったらしく、自慢の白い歯はほとんど折れてしまった。
「鮫島さぁぁぁぁん!!!!!!!!」
そのまま気を失っている鮫島を見て、手下の男3人はひどく動揺し、次々にトキコに殴りかかる。
「としぃぃ!!てめぇ!!!」
パコ――――――――ン!!!!
スコ――――――――ン!!!!
パッコ――――――――ン!!!!!
トキコは殴りかかる3人を蝶のようにかわし、華麗なるステップでテニスのスマッシュを決めるように次々に殴りつけては、容赦なく歯と鼻をバキバキに折っていった。
「…はぁ!!!すっきりした!!!やっぱりストレス発散には人を殴るのが一番だね!」
トキコは一仕事終えた爽快な笑顔を和馬に向けた。
「すげぇ」
俊彦の体に取り憑いたトキコの動きをみながら、和馬は驚いていた。
最初にも説明したが、物体のない霊が物を動かすことは不可能であるが、トキコは物を動かす、人と話すだけでなく、取り憑いた人を思うままに動かすこともできる。和馬は祓い屋として関わってきた中で同じくらい力の強い霊にこれまで会ったことがなかった。
「でも、1発じゃ足りないね…」
トキコは気絶している鮫島にさらに殴りかかろうとする。
「待て待て待て!!!これ以上やったら死んじまうぞ!!!落ち着けばあさん!!それに、なんでこいつらまで殴ってんだよ!」
和馬は慌ててトキコを羽交い絞めにして止める。
「俊彦があたしに金をせびりに来たのは、女遊びなんかじゃなくて、こいつらに脅されていたからなんだよ!泣いてる孫を見たら、いじめた奴らをぼこぼこにするのがばあちゃんの務めってもんだろ!」
「どんな務めだよ!!それに、ここで殺しちまったら、俊彦さんが殺人罪で捕まるんだぞ!」
「あぁ…それもそうだね!」
お転婆な笑顔を見せてトキコは笑った。
和馬とトキコは一先ず、狭いバックヤードから出る。
「俺の作戦では、ばあさんが俊彦さんをぼこぼこに殴って、俊彦さんから謝ってもらい、これまで渡した金と俺の依頼料を払ってもらうはずだったんだが、状況は一変したな。」
「俊彦は、バカな孫だよ。うまい話にまんまと騙されて、悪い連中に利用されて。あたしの金なんて戻らなくていいのさ。孫に嘘をつかれた、それが悲しかったんだ。そう、怒っていたんじゃなくて、あたしは、ずっと悲しくて、寂しかったんだよ。」
遠くを見つめながらトキコは話し、近くのソファに座って深呼吸した。
すると、どこからともなく優しい風が吹いて、俊彦の体からトキコが離れた。
俊彦の体から出てきたトキコは生前の穏やかな姿に戻っていた。
俊彦はまだ目を覚まさない。
「ありがとね、祓い屋さん。」
トキコは優しい笑顔で和馬にお礼を言った。
そして、俊彦の横に座ると、優しく頭をなでる。
「俊彦、もうバカなことするんじゃないよ。あんたのばあちゃんになれて、あたしは幸せだよ。ありがとう。」
気を失っている俊彦に優しく話しかけると、トキコの体全体から光を放ち、砂が風に吹かれるように消えていった。
「依頼完了…で、俊彦さんを起こして、依頼料をいただければ万々歳だ。」
「俊彦さーーん!俊彦さん!起きてー!依頼完了だ。依頼料払ってくれー!」
和馬はソファーに座って目を覚まさない俊彦の肩を何度もゆすったが、なかなか起きない。
霊に取り憑かれるのは、体力的にもかなりキツイ。ましてや、トキコみたいな力の強い霊が体に入ったのであれば、体力は相当消耗する。普通なら1週間以上は寝込んでしまうだろう。
このまま帰って、後から請求するか。
そう思って立ち上がったところ、バックヤードから物が落ちる音が聞こえた。
和馬が振り返ると、バックヤードから鮫島がふらふらと出てきた。
その手には拳銃が握られている。
「おまえ…ころひてやる…」
歯がほとんど無くなってしまい、うまく聞き取れないが、脅されているのは分かる。
まずい…殺される…
ハーブティー専門店をオープンさせて3か月、俺は志半ばで、歯抜けのおっさんに殺されるのか…なんて不条理なんだ…
バタン!!!!!
「警察だ!!!!!全員動くな!!!!」
和馬が死を覚悟した瞬間、店のドアが勢いよく開いて、刑事や制服を着た警官が数十人踏み込んできた。
「銃を置け!!早く置け!!」
同じく拳銃を持った刑事数人が鮫島を取り囲む。
拳銃を持っていた鮫島は、よたつきながら拳銃を床において、両手を挙げた。
良かった!!助かった!!
和馬は安堵した。
ここは一旦帰って、後から俊彦さんに請求しよう。
和馬は荷物をまとめて、そそくさと店の出口に向かうも、刑事に呼び止められる。
「君、ここの客?」
「いや、ちがいます。別件でここにいただけで、すぐ帰りますんで。」
「帰ってもらっては困るんだよ。一緒に警察署に言って、話を聞かせてもらうよ。」
そう言って、刑事は和馬の腕を掴み、制服警察官へ引き渡そうとする。
「え?お…俺、ほんとに関係ないんですって!店長の高田さんに用があって。」
「ここは犯罪現場だ。関係がないかどうかは、この後、署で話を聞くよ。それに、高田俊彦は重要参考人だ。」
「おい、高田俊彦も連行しろ。」
混乱している和馬をよそに、刑事は制服警官に和馬の身柄を託した。
「高田さんからお願いされた仕事の依頼料を受け取りたいんですけど。どうしても今日依頼料を受け取らないと、借りてる店舗を追い出されちゃうんですけど…なんとかなりませんか。」
制服警官にビル前に止めてあるパトカーまで連行されている中、和馬は必死に訴える。
「高田俊彦から今日中にお金を受け取ることはできないと思うよ。しばらくは無理だろうね。」
制服警官は淡々と話しながら、和馬をパトカーに乗せる。
「うそだろぉぉぉ!!!!」
和馬を乗せたパトカーは斗南警察署に向けて出発した。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
次回、新しい依頼人が登場します。




