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82話 電甲杯、開幕

【現在】


 脳が、震えていた。

 それでも、戦わなければならない。

 誠心誠意、つねにがんばらなければならない。

 なぜなら、俺は委員長で――委員長は、途中であきらめたりしないからだ。

 そう――頭では、わかっている。

 だが、実際には、俺は武器を握れてすらいなかった。

 FPSプレイヤーにとっての武器、マウスやキーボードが、この手にはない。

 ……モニターすら、遠い。


 なぜ、遠い。

 そうだ――――理想のゲームというものは、いつだって、俺からは遠い。

 しかし、なぜ。

 ようやく本戦まで来ることができて、どうして、俺はまともに。

 まともに、ゲームをすることすら……。


『おぉ――――っと。これは……Quiet BearSの選手、体調不良でしょうか? 席から倒れてしまったようです』

『うわ、だいじょうぶですかね……心配ですね』

『展開次第では逆転も狙える位置だったのですが、これは惜しいです。QB_Airi、これにて孤軍奮闘となるのでしょうか。ラウンド4、各チームは決戦地のドロップエンドに向けて着実に集まっております。さて、ステージ南では……』


「……くんっ! いいんちょくんっ!」


 どこかから、赤城さんの声がする。それは水面のなかで響くように、くぐもって聞こえる。俺の耳が、遠くなっていく。

 そのときになって、俺はようやく気づく。

 自分が、倒れていることに。

 冷たい床の感触に、全身を支配されていることに。



 そうして俺は――――


    委員長にも、ゲーマーにもなれないまま、




            ――――意識を、うしなった。








   ***










【9時間前】


 

 ――SHIBUYAコンテンポラリー・ホール。


 渋谷区は渋谷、明治通りの脇に入るキャットストリートの入り口にある、商業施設に併設された、イベントホールの名である。

〈渋谷に文化を〉のキャッチコピーで、某大手鉄道会社を主導にして設置された同ホールは、その意義を存分に満たすためか、屋外ガーデン、シアター式の多目的ホール、ラウンドリー型の大型ホールの、三つのスペースが設けられている。

 八月の中旬、このホールはとあるイベントのために、一週間の貸し切りとなっていた。


 第四回電子機甲戦杯。

 ――そう。電甲杯の会場が、ここである。

 

 午前十時。会場前に浮かぶバルーンと、そこにプリントされた電甲杯のロゴを、俺たち三人は見上げていた。

 周囲には、わんさかと人が会場――というより、コンテンポラリー・ホールに併設されている商業施設に呑みこまれていた。


「――なつかしいな。なんだか、帰ってきたってかんじする。ひりつくね」


 そう言って目元のサングラスをずらすのは、われらが赤城さんである。

 制服姿にサングラス、それに口元で膨らませているのはチューインガム。

 ……なんだか、非常にかっこいい感じであった。


 なお、サングラスは正体隠しのため。チューインガムは、大会の日はものを食べないという赤城さんの、貴重な糖分摂取のアイテムであるようだった。


「赤城さんは、去年も出場していたのだったか」

「そ、QGのメンバーでね」

「結果はどうだったのだったか」

「それ聞いちゃう?w プレファイトで敗退だよ。もう、だいぶボロボロだったなぁ。雰囲気に呑まれたのもあったけど、ほんと、経験したことないくらいレベル高かった。優勝したのも、今プリンツでエースやってるティージーさんだったしね」


 軽くだけ下唇を噛む赤城さん。


「だが、赤城さんも今年はひと味ちがう。そうだろう?」

「そのつもり。それに、最強の助っ人もいるしね! もちろん翠ぴだって――って、翠ぴ? なにやってんの」


 離れた場所で、なにかの試供品を配っているプロモーションコーナーに興味を示していた翠を、赤城さんが引っ張ってくる。


「会場広いんだから、ふらっとしているとはぐれちゃうよ!」

「あなたといっしょにしないで。わたしは、あのベンガルトラのぬいぐるみがかわいいと思って眺めていただけ。あのキャンペーン商品の清涼剤が写るかたちでSNSに写真をUPすると抽選でもらえるらしいから、あなたがやってみるべき」

「やー、いくら大会前はリラックスしたほうがいいっていっても、翠ぴはちょっと平常運転すぎるかな……あ、でもいっしょならいいよー? 翠ぴ、ぜんぜん撮らせてくんないし」


 ひょいとサングラスを額にずらす赤城さん。

 そのとき、てこてこと俺たちの近くを歩いていた幼女が、足を止めた。

 じーっと見上げるのは、いやがる翠に顔を寄せて自撮りしている赤城さんである。

 そのあとで、


「あ! くあいえっとがーるずの、あいりん!」


 と、大きな声を出した。

 途端、周囲にいたひとびとが「えっ!」という反応で、俺たちに注目した。

 幼女は、きらきらとした目で赤城さんを見上げるばかりである。


「赤城さん、知り合いか?」

「んーん、知らない子。ね、キミ、どしたの。パパかママはいる?」


 しゃがんで、幼女と目線を合わせる赤城さん。


「たいかい、みにきたの。ママ、そこ」

「すみませーん、うちの子が……。って、あ、あいりんさん!?」

「こんにちはーw あ、あたしのこと知ってますか? やだうれしー」


 やってきたおとなの女性に、赤城さんはしゃがんだままにこやかに挨拶した。


「ええ。あの、わたしがというより、こどもがファンでして……。この子、See Mee Soonがだいすきで、もう家でずっと歌っているんです。どうしてもあいりんさんがみたいというので、連れてきていまして。まさか、入り口でお会いできるなんて」

「そうなんですか! えー、ありがとー。たぶん最年少オタクちゃんかもw って、ああそっか、配信のほうはみてないのかな」

「みて、あいりん、これ。もってる」

「え、あたしのアクキーじゃん! リュックのとこつけてくれてるんだ? やだかわいー、ほんとありがと。すごいうれしーよ」


 いいんちょくん、ペン持ってない、ペン! と聞かれて、俺はあわててスクールバッグを開けた。委員長の生態その6〈なぜか筆記用具をつねに完備している〉のため、俺がペンケースを欠かしていることはない。

 赤城さんは、マジックペンのキャップを抜いた。


「ね。せっかくだから、アクキーの裏にサインいれよっか。お名前、なんてゆーの?」

「りんな!」

「りんなちゃんねー、かわいい名前だ? じゃあ……りんなちゃんへ、QG_Airiより、愛をこめて……で、トクベツにニコちゃんラブマークも描いちゃお。はい!」

「やったー! あいりん、あれやって、あれやって、Seeのやつ、ピースのやつ」

「あー、これ?」


 赤城さんが、例の大バズりしたMVの、俺でも知っているサビのポーズを取る。

 きゃっきゃと喜ぶ幼女と、その子の頭を撫でる赤城さん。

 それ自体は、かなり微笑ましい光景だと言えるのだが……。


 俺は、周囲に目をやった。

 いつのまにやら、会場前の広場には、俺たちを囲むようにしてずらりと人だかりができている。若い男女客が、一様に赤城さんに視線をやっていた。


「やばい、まじでいたじゃんw」「配信そのままだわw」

「ナマあいりんだー」「顔ちっさ」「超かわいくない?」

「サインやってる、サイン!」「え、もらおもらお!」


 ……なんだか、まずい流れになっていそうだ。

 幼女とひとしきり戯れていた赤城さんが、手を振って親子とバイバイする。

 それからようやく、事態に気づいたようだった。


「ねえ、いいんちょくん……って、ありゃ?」


 赤城さんが立ち上がったとき、なにやら微妙な空気が場を包んでいた。ファンとおぼしき集団は列が作られていないためか、だれがどう動けばいいのかわからずに、全員が周囲の様子をうかがっている。

 それでいて、いつ爆発してもおかしくない雰囲気だ。


「ど、どうしよ。せっかくサングラスしてきてたのに、翠ぴが取らせるから!」

「それをわたしのせいにするのはお門違い」

「こういうときは、いつもどうしているんだ? 赤城さん」

「わ、わかんない。イベントのときって、だいたいいつも宇野ちゃんといっしょだったし」


 じりじり、じりじりと集団が近づいてくる感じがした。

 契機となったのは、ひとりの男性の声だった。


「あ、あの! おれ、ずっとあいりんのファンで。よければ、サインくださ――」

 この男が言い切る前に、

「あたしも!」

「俺もです!」


 と声が続いて、怒涛の勢いでひとが押し寄せてきた。

 いつぞやのゾンビ軍団を思い出す殺到ぶりである。


「わ、わ! ちょ、ちょっと待って、せめてひとりずつ――!」


 慌てふためく赤城さんの声は、ファンたちに届かないようだった。

 ま、まずい――!

 なにはともあれ、俺がふたりの身代わりになろうとしたときだった。


「はい、ストップ! それ以上近寄らないで、下がってください!」


 だれよりも通る声を発して、いまにも暴徒化しそうだったファンたちのあいだからひとりの女性がやってきた。

 俺も知っているひと――宇野マネージャーだった。

 彼女は集団に向けて頭を下げると、


「もうしわけありません。愛莉はこれから準備がありますので、ファン対応はいたしかねます」

「えー! でもさっきは……」

「もうしわけございません。告知したとおり、午後にファンミ―ティングを予定しておりますので、ご希望のかたは整理券のほうをお求めください。――さ、ほら」


 しらけた場から逃げるように、宇野さんは赤城さんの首根っこを掴んで運んでいった。俺と翠もまた、そのあともついていく。


「もう、あなたってひとは。いいかげん、ただのインフルエンサー程度の知名度じゃなくなっているって自覚を持ちなさい」

「ごめーん、宇野ちゃん。すぐに待ち合わせ場所行くつもりだったんだけど、なんか見当たんなくて」

「待ち合わせは、正面口じゃないほうの入り口を言っていたの! 目立たないようにって。ちゃんと書いたでしょ? いやな予感がして来てみて正解だったわ」


 赤城さんがマネージャーと待ち合わせるという話は俺も聞いていたが、どうやら手違いをあったようだ。

 念のため、俺も謝っておいた。


「あの、すみません。俺も、ただみていることしかできなくて」

「亜熊さん。もちろん、だいじょうぶです。愛莉に自覚がないのが問題なんですから。それにこの子、けさはホテルにいないという連絡すらしていなかったんですよ。おかげで、てんやわんやでした」

「やー、ごめん、それも忘れちゃってて……!」


 それは問題だ。うちに泊まることは、マネージャーさんは知っておかねばならなかっただろう。

 しかし、赤城さんといえば連絡がマメなイメージだったが、仕事関係だと案外そうでもないのだろうか?

 俺のときは、だいたい一分くらいで返ってくるのだが。


「亜熊さん。今後のスケジュールは把握されていますね?」


 イベントホールの関係者用の入り口で、宇野さんが振り向いて聞いてくる。


「ええ。完璧に把握済みです」

「たのもしいです。わたしはこのまま愛莉を借りていきますが、選手集合の時間までには戻しますので。もしなにかあれば、連絡をください」

「いいんちょくん、翠ぴ、あとでねー!」


 マネージャーにずるずる引きずられていく赤城さんに、俺は軽く手を振っておいた。

 電甲杯本戦の当日、その初っ端から、えらい騒ぎであった。

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