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81話 恋のむきだし

 俺の指先が熱いのか、赤城さんの頬が熱を持っているのか、わからなかった。

 ただ、触れている箇所だけが、いやに火照っているような気がした。

 いつか俺の手を握ってくれた翠の、安心する低温とは逆で、ともすれば、やけどしそうだと恐れてしまうほどに、熱い――。


 思考と時間が、両方とも止まったかのような感覚。

 それが解除されたときに、俺はようやく、手を離した。


 ――なんということを。

 許可なく相手の皮膚に触れるなど……それも女子を相手にするなど、まったく委員長的な行為ではない。


 俺は、自分に愕然とした。

 どうかしている。

 俺の委員長ロールを壊しうるのは……いつだって、赤城さんだけだ。


「いや。す、すまない。蚊がいたような……いや、ちがう。蚊ではなく……蚊のようにみえるなにかが、あったようにみえてしまい……」


 焦りのせいか、俺の弁明はお粗末どころの騒ぎではなかった。

 それにもかかわらず。


「ふふっ。あんがと!」


 赤城さんの反応は――笑顔とお礼、であった。

 ……意味が、わからない。普通は、かなり嫌がりそうなものだが。


 反省はあとだ。

 俺は、冷静を装って口にした。


「赤城さん。きみのお母さんについて、ひとつ頼みというか、お願いしたいことがある。もしかしたら、出過ぎた発言になるのかもしれないが」

「ぜんぜんいーよ。なに?」

「きみを連れ出す前に、俺は約束してしまったんだ。どうにかして、俺がうまく話をまとめてみせると。そしてそれは、嘘や方便ではなく、ほんとうにそのつもりなんだ。つまり、赤城さんを連れて出したことが、赤城さんにとっても、赤城さんのお母さんにとっても、最後にはいいことになってほしいと、そう思っているんだ」


 娘を勝手に外に連れて行った悪い高校生――そういうふうに思われてしまっているかもしれないが、そうだとしたら、どこかできちんと挽回する必要がある。

 それは委員長ロールとしてもそうだし、俺個人としても、ぜひそうなることを望む話だった。


「赤城さんには、当初の予定どおり電甲杯に出てもらって――いっしょに優勝して、QGという場所を守ってもらう。そのうえで赤城さんには、お母さんともういちど話し合ってほしいんだ。そしてお母さんにも、赤城さんには大会に出てもらってよかったと、納得してもらってほしいんだ。もし時間がかかるかもしれなくても、いつかは、そう思ってもらえるように」


 そこまで言ったとき、赤城さんはプッと噴き出した。


「どうして笑うんだ」

「もー。いやだって、そういうふうに言われたら、あのひとに怒る気もなくなるじゃん。冷静になると、やばいことされたーって、ちょっとムカついてたのに。あと、うちの家のこと、いいんちょくんにおねがいされるっていうのもヘンで草生えるし」


 赤城さんは、もういちど目元を拭くと、俺に向き直す。


「でも――わかった。そういうことなら、やってみる。電甲杯終わったら、もういっかい話してみる。あたしも、ママの本音、気になってるし」

「ああ、よろしく頼む」

「だから、頼まれているのもヘンなんだってば」


 バシバシと、俺は赤城さんに肩パンされた。

 なにがそんなにツボなのかはわからないが、とにかく了承してもらえたのならば、こちらとしてはOKである。

 

 ハーと、赤城さんは深く息を吐き出した。


「てか、さっきのごめん。ほんと。あたし、涙腺どうかしてんのかな。ああやってポロって涙出ちゃうの、すっごいはずかしいんだけど」

「はずかしがることではないんじゃないか?」

「はずいよ。だってさ……引かない? 言ってること、超重いし。や、自覚あるから嘘ついちゃったっていうのはあるんだけど。正直に言われたら、逆に負担になっちゃうかなぁとかも、思っちゃって」


 そこで赤城さんは、ぶんぶんと首を振った。


「いや……やっぱり、ごめんじゃなくて、ありがとう、だよね。でもなんか、聞いてもらえてよかった! あたし、はじめてちゃんと、ひとに昔の話ができたかも。引かれたぶん、自分は勝手にスッキリみたいなw」

「引かないよ、赤城さん。それに、赤城さんの話を教えてもらえて嬉しかった」

「……ほんと? やっぱ引き受けなきゃよかったとか、思ってない?」

「思わないさ。だって、俺はクラス委員長だ――クラスメイトの頼みは、俺にできるかぎり聞いてあげたい」


 そうだ。俺自身は、なにひとつ変わっていない。

 俺の存在意義――いつか学園長が口にしたところのレゾンデートルとやら――も、不変のつもりだ。


「……クラスメイトの、頼み」

「そうさ。ああもちろん、進級してクラスが替わったからといって、あとはいっさい聞きませんということはないから、そこは安心してもらいたい。俺にできることなら、いつだって協力するつもりだよ」


 そうだ――委員長であり続けるために、俺は委員長を遂行する。

 もっとも、さっきは少々、変なエラーを起こしてしまったが……。

 だからこそ、きちんと立て直すべきだろう。

 たとえば委員長はこうして夜更けに話しこんでしまったときに、きちんと手遅れになる前に軌道を修正できる生き物だ。


「さて、そろそろ戻ろうか、赤城さん。あしたは本番だし、寝不足でプレイすることになっては元も子もない」


 頃合いとみて、俺は腰を上げた。

 赤城さんも立ち上がったので、先導して戻ろうとする。

 そのとき。


「――待って、いいんちょくん」


 と、Tシャツの裾を引っ張られた。


「おねがいを聞いてくれているのって、あたしがクラスメイトだからって……。ほんとうに、それだけ?」

「? そうだが」


 それ以外に、なにも他意はないはずだが。


「……そっか」


 赤城さんが、裾を手放した。

 そのかわりに、俺の背中から腰にかけて、なにかが当たった。

 そう――なにかである。

 ヒントは……赤城さんの腕とおぼしきものが、俺の腰に回されていることか。


 この状況から答えを導くなら。

 俺はおそらく、背後から、赤城さんに――。

 しかし、それはほんの一瞬のことだった。

 すぐに、俺は解放された。今のはおまえの幻覚だと言われたら納得してしまうほどに。


「……だったら、いつか」


 振り向けば、消え入るような声で、赤城さん。


「いつか。……あたしだからおねがいを聞いているって、言わせたい、かも」

「……赤城さん、それはいったい、どういう」


 俺が聞くと、彼女は顔を上げた。

 その表情を形容する言葉を、俺は持たなかった。後悔しているような、恥辱を受けているような――なぜだか、自己嫌悪しているような。

 最大にふしぎだったのは、その後の彼女の行動だった。


「――ごめん、やっぱ今の、ぜんぶうそっ」


 そう口にして、俺のとなりを抜けて、さきに戻っていってしまう。

 それきりだった。

 俺は、衝撃を受けていた。


 まさか、嘘はよくないものだと考えている人間の真実の告白を聞いたあとに、今のはぜんぶ嘘だという捨て台詞をもらうことになるとは……。

 なにより、さっきの接触まがいのことは……よもやほんとうに、俺の幻覚だったのだろうか。それとも、赤城さんにはなにかべつの意図が……?


 やはり、赤城さんというのは、いつまで経っても俺の想像を超えていく御仁であるようだった。







 部屋に戻った俺は、すぐにベッドに入った。

 さきほどまでとは違い、滞りなく入眠できそうな雰囲気を感じていた。

 つむる目のなかで、眠りかける脳のなかで、俺は嘘という言葉について考えている。


 欺くことのみならず、意図的な隠し事も、やはり嘘に分類されるものだろう。

 眠気に冒された頭で、俺はエニグマについて考えてしまった。


 とうに死んだエニグマのことを、俺はまだ、どこかで忘れられずにいる。

 やつの泳いだ夢のなかを、その日の俺は追従する。深く潜ろうとさえしなければ、それはある種の甘い夢であるようにさえ錯覚させてくれる。

 プロゲーマーになれたと思っていたときは、なんと楽しかったものだろう。


 そして俺は、あくる朝にはいつも思い知ることになるのだ。

 夢とは、いつか醒めるから夢なのであると。


 その先に待っているのは――まごうかたなき、現実という高い壁であることを。





 ――――電甲杯本戦は、あす、開催。

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