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58話 バーチャルリアリティヘル

 俺はおそるおそる、空中に伸びる板のうえに片足をのせた。

 一歩でも足を踏み外せば、そのまま何百メートルも下の渋谷の地面に激突となる。

 だが、こわがるな。これはたかがVRだ。

 つまり、偽物の映像に過ぎない。

 そう自分を説得するも、アトランダムに強さが変わる風、揺れる地面に襲われると、どうしても竦んでしまう。


「きゃー、クマ、たすけてー」

「……翠ぴさぁ、もうちょっとかわいくできん? ぶりっ子やれとは言わないけど、さすがにちょっと棒すぎってゆーか。もうちょいこう、男子をぐっとこさせる感じで」

「(けほん、こほん)んんっ……きゃー、こわい、クマたすけてー」

「わかった、それが限界なのね。りょーかい」


 なにやら赤城さんが翠に話しかけているようだが、焦る俺には内容がよく理解できなかった。

 ともあれ、きっと翠もおそろしかろう。シチュエーション的には、俺よりも過酷な状況にあるといって過言ではないはずだ。

 すでに空中に放り出されていて、自由もきかないわけだし。


 だが、はやくクリアしなければと思う反面、俺の足は動かなかった。

 ……こわい。

 正直、心の底からこわい!

 どうやら俺はVRゲームを舐めていたようだ。五感のうち三つも制御権を奪われると、理性として理解できていても、肉体は正直に反応してしまうらしい。


 まずい。翠を助けたいきもちと、高所の恐怖がせめぎあい、動けなくなっている。

 そして、刻一刻と制限時間はうしなわれていく。

 くっ。いったい、どうすれば……!


 俺が下唇を噛んでいると、


「いいんちょくん、がんばってー! ほら、だいじなだいじな翠ぴが落ちちゃうよ! いつもの委員長パワーでどうにかしないとー!」


 赤城さんの声が、ヘッドホンを貫いて俺の耳まで届いてきた。

 そうだ――俺が考えるべきは、いつだって委員長の責務じゃないか。

 いくらこわいからといって、同級生のために奔走しないなど、けして委員長的であるとはいえない。

 もしも障壁があるのなら、頭を使って解決するべきだ。


「そのためには、こうだ……! くおおおおおおおっ」


 恐怖は克服できないが、やわらげることはできる。

 そのために――俺は伏せると、足元の棒に捕まった。

 そのまま、全身で這うようにして翠のもとへと向かっていく。


「待っていろ、翠! 今行くからな!」


 われながら、これは名案だ。

 そうだ、律儀に立って歩こうとするからこわいのだ。

 こうすれば、落ちる心配はなくなり、少しは恐怖も薄れる!


「って、えええええーーー!! いいんちょくん、それはwww」

「いやーーw お連れさん、すごいですねw」

「あたしも予想外ですけどw てかあれ、ルール的にはだいじょうぶなんですか?」

「うーーん。まあ、違反ではないはずですねw 前例はありませんけどw」


 まずい、残り数十秒だ。急がなければ!

 傍からみれば恥ずかしい光景であることは自覚しているが、同級生のために恥も外聞もなくがんばるというのは、まさしく委員長像として正しい。

 俺はシャカシャカと虫のように這いつくばって、なんとか翠のもとへ辿り着いた。


 いちばん苦労したのは、いざ立ち上がるときだった。

 震える足を奮い立たせて、どうにか翠と目線をあわせる。


「翠。すまない、時間がかかったが助けに来たぞ」

「クマ、信じていた」

「ここの部分に触れればいいのか……?」


 もちろん、実際に翠が縛られているということはないようだ。その証拠に、VR画面上で強調されている紐に触れると、翠は自由になった。

 そのとき、アラームが鳴った。画面全体が赤くなり、危険信号が発せられる。

 まずい、残り10秒を切ってしまった!


「翠、はやくこっちへ! あのヘリコプターのはしごに触れなければ脱出できない」


 こうなってくると、躊躇していられなかった。

 翠の救出ポイントから脱出地点までは、目と鼻の先だ。

 迷わず、俺は身軽な翠を持ち上げた。


「えっ。ちょっと、クマ……!」

「すまない、こうするのがいちばんはやいんだ」

「こ、これは、さすがのわたしも、すこしはずかしい……っ」

「悪い。すぐに済むから、少しだけがまんしてくれ」


 俺は、翠をヘリの真下にあるクリアポイントに届けた。

 これで、翠はゲームクリアとなる。

 だが、俺のほうは……。


「クマも、はやくこっちに」

「……いや、俺はどうやらここまでのようだ。翠を送り届けたら、気が抜けて足にちからが入らなくなってしまった……」

「そんな、クマ……」

「翠、達者でな……」


 俺は満足だった。思わず、口元をゆるめてしまうほどに。

 制限時間が、0秒となる。

 ビルがいよいよ倒壊して、俺を空中に立たせていた板も崩れゆく。

 視界が激しく上下し、そのまま落下しようというところで――


「はーーい、ゲーム終了でーす。ざんねん、おにーさんのほうはゲームオーバーになっちゃいましたー!」


 ――ゲームが終了して、俺のヘッドギアがはずされた。

 当然、俺のいる場所は台のうえ。

 立っているのは、せいぜい高さ三十センチほどの平均台だ。それも、踏み外したとき用に分厚いクッションが左右に広がっている。


 ……いや、わかってはいた。

 もちろんわかってはいたのだが、いざ現実に戻ってみると、なんというか無慈悲だ。

 ヘッドギアをしていたときはあんなにリアルだったというのに……。


 おそるおそる、入り口のほうを向いてみると。


「やーーww めっちゃよかった、最高だったよ、いいんちょくんww」

「映画みたいだったー!」

「よかったよ、にいちゃーん!」


 赤城さんのみならず、なんだかギャラリーができていた。通行人が、奮闘する俺をみて興味を惹かれて鑑賞していたといったところか。

 なんであれ好評だったのならいいのが、赤城さんがあきらかにスマホで撮影していたと思われるのだけが気がかりだった。

 なんとか消してはもらえないだろうか、あれ。




 およそ一時間後。

 隅っこに設けられた休憩所で、俺はげっそりとしていた。


「にしてもおもしろかったなーw あたしらの撮影なんかめっちゃ無難に終わっちゃってたし、絶対にいいんちょくんを撮ったほうが再生数稼げると思うんだけど! ねえねえ、この映像Youtubeで使っていい?」

「それだけはかんべんしてくれ」

「あたし、いいんちょくんの反応だいぶツボかもw さっきの魔法の絨毯乗るやつもめっちゃおもしろかったし」


 あれからも、赤城さんは俺にいろいろなVRゲームをプレイさせては、その様子を眺めて楽しそうにしていた。

 どうしてここのゲームは高所を経験させるようなものが多いのだろうか。

 魔法の絨毯に乗って古代エジプトのような場所を飛び回るゲームも、あれで声を出さずにいられる人間がいるとは信じがたい。


「わたしが思うに、クマの思い込む力の強さが出ている」


 と、手元のライオンのぬいぐるみをもふりながら翠が言った。ついさきほど、そこの物販コーナーで買ったものだ。

 赤城さんがトイレに行っているあいだ、俺たちは休みながら話していた。


「どういうことだ? 翠」

「そのままの意味。委員長を演じるとき然り、クマはひとよりも物事……というより、物語に没入する能力が高い。だから、バーチャルリアリティの世界にも入りこみやすいのだと思う」


 なるほど、と思わされる推察だった。さすがは翠だ。

 だとすれば、仕方のない代償といえるのだろうか。委員長ロールに入りやすいという性質のためなら、多少のデメリットには目をつむるべきだ。


「ところで翠、そのぬいぐるみが気に入ったか」

「とても。クマ、買ってくれてありがとう。アニマルツアーはよいゲームだった。ライオンも、猫と同じでかわいい生き物。いつかいっしょに本物を触りに行く」

「俺は遠慮しておこう。翠も、噛まれたらよくないからやめたほうがいいぞ」


 ちなみに、アニマルツアーは俺もけっこう気に入っていた。

 理由は、高い場所にいる必要がなかったからだ。


「ごめんごめん、お待たせー! やー、だいぶ楽しんだね。どする、そろそろ退散しとく?」


 戻ってきた赤城さんの肌は、やけに艶がかっていた。たくさん笑って元気が出たのだろうか。

 彼女の問いには、翠が答えた。


「まだ帰らない」

「あ、そお? 翠ぴ、けっこう乗り気だねー。楽しんでくれてるならなによりだけど」

「たしかに、興味深いゲームコーナーではあった。でも、まだ残りたい理由はほかにある。わたしが思うに、あなたも見物ばかりしていないで、なにかプレイするべき」

「やー、あたしはべつにぃ……」


 どうしてか、ちょっと難色を示す赤城さん。


「やるにしたってどれにすんの? てか、まだやってないのあったかな……」

「ある。あなたがプレイするべきは、あれ」


 翠が指さした方向にあるのは――。

『VRホラー! 呪われた廃病院から脱出せよ』というゲームだった。


「えっ。ちょ、あれはちょっと……!」

「どうしたの」

「あたし、ホラーってあんまり好きくなくて……! ねえちょっと、押さないでよ、翠ぴ! ひとが苦手なことさせるのって、よくないって!」

「高みの見物は卑怯。あなたも当事者になるべき」


 いやがる赤城さんの背中を、翠が押していく。

 どうやら、そのうしろをついていかないという選択肢はないようだ。

 しかし、ホラーか。苦手というほどではないが、好きというわけでもない。

 俺だけプレイせずに外で待っているということはできないのだろうか。


「すみません、三人お願いします」

「ねーえー、翠ぴ、許してえ! なんかわかんないけど謝るからぁ!」

「翠、俺も行かないとだめか」

「あたりまえ」


 どうやらお留守番は許されなかったようだ。

 入口には、かなり強めに警告文が書かれていた。

 心臓の弱いやつはマジでやめとけ、倒れられたら困る、というようなことを血まみれの医者のキャラが言っている。

 ……いや、これだいぶ怖いんじゃないか? 店内もさっきよりひとが増えたようなのに、なんかここだけぜんぜん並んでないし。


「うそ。うそうそうそ、ほんとに入っちゃった! ヘッドギアつけちゃったよ!」

「VRゲームなのだから当然」

「なんか声する、どっかから声するよ!」

「それはスタッフのお姉さんの声」


 苦笑いするお姉さんの注意事項をいくつか聞いて、俺たちは内部に踏み入れた。

 VRとは言っているが、どうやらここはAR(拡張現実)の一種であるようだ。

 つまるところ、豪華なお化け屋敷といった感じだろう。

 ゲームとしては、廃病院の奥にある診察室で、とある秘密のカルテを持って帰ってくることが目的であるようだ。

 そして暗い道中には、もちろん――。


「いやあああぁっ。向こう、なんかいる! なんかいるって!」

「血まみれナース。ちゃんと挨拶するべき」

「ムリっ。ねえ無視しよ、無視して先行こ? てかいいんちょくん、ちゃんといっしょにいる? 腕掴んでいい? 守ってね、なんかあったら守ってね!?」

「赤城さん。なにかあったら守るというのはべつに構わないが、掴んでいるのは俺の腕ではないようだぞ」

「え……!? ってなにこれ、だれこれー!!? なんか知らないひとがいっしょにいるんだけどーー!!!」

「血まみれドクター。ちゃんと挨拶するべき」


 礼儀正しく、出会う化け物それぞれにぺこりと一礼する翠。

 もはやなにをみかけても叫び出してしまう赤城さん。

 かなり怖いと感じていたが、となりに自分よりも怯えている人間がいるため、思ったよりは平常心でいられて安堵している俺。


 ……チームワークという観点でいうなら、これはこれでバランスがいいのだろうか?

 十数分後、どうにかこうにか脱出に成功した赤城さんは、すっかり腰を抜かしてしまっていた。

 QGの撮影では取れ高がなかったと言っていたが、これを映せば大いにバズっただろうにな、と思う俺なのであった。

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