27話 翠、すいすい
その後。
三十分後に再集合という約束をして、俺はとある用事のために学校を出た。
念のため、先方には連絡を入れておく。どうやら思っていたとおりの場所にいるらしいと把握すると、俺は覚悟を決めて学校に戻った。
赤城さんは、メディア棟の二階ラウンジでスマホをいじって待っていた。
「やあ、待たせた」
「あ、いいんちょくん、おかえり! で、どこに行くんだっけ?」
「すぐ着くよ。同じメディア棟だから」
きょとんとした顔の赤城さんを、俺は四階に案内した。
突然だが、うちの高校における部活の話をしよう。
部活動。それは、わが校にとってはなんともいえない微妙な存在だといえる。
LC学園には、スポーツ入試の枠はない。学校全体としても、リアルスポーツを奨励するような動きはほとんどないといえる。
eスポーツに全力なかわりに、運動にかんしてはほとんど無干渉ということだ。
そして大半の生徒たちが、べつにそれで困っていなかった。
ゲーマー特待枠の生徒が放課後にやることといえば、配信活動か競技シーンの練習か、せいぜいそのどちらかであるため、そもそも部活の数が多くない。
一般入試組の生徒たちが入っている運動部はあるが、規模としては同好会に近いもので、当人たちも懸命に打ちこむというよりも、趣味に近い楽しみ方をしているようだ。
電車が好きすぎるあまり自分で鉄道のゲームを作ったという酔狂な鉄道部を筆頭に、いくつか名前を聞く部活動はあるのだが、それらを含めても、あまり全体として目立ってはいないのが現状だ。
にもかかわらず、メディア棟のワンフロアが、部室用の空間に割り当てられている。これはひとえに学園の資金力——すなわち、学園長の途方もない財力に起因するものだろう。
そして俺の目的地は、その部室フロアの一角にあった。
「……じみにあたし、ここ初めて来たくない? こんなとこあったんだ」
赤城さんが、物珍しそうにフロアを見渡した。
「で、ここにいるわけ? いいんちょくんのおともだちは」
「ああ、ここだ」
俺は、とある扉を指さした。
そこには〈アマチュア無線部〉と、やけに立派な書体で刻まれていた。
「ナニコレ? どゆ意味?」
「簡単にいうと、ラジオをいじる部活のことだ。ラジオ好きのアマチュアが電波をいじって、どこかの基地と交信したりするんだ」
「らじお……が好きなひとなの?」
「いや、そういうわけではない。むしろ、ほとんど関心がないだろうな」
「???」
赤城さんの頭の上にはてなマークが増えた。
が、俺はとくに解説しなかった。事情が複雑だし、重要な情報でもないからだ。
「翠。俺だ。いるか?」
俺がとんとんとノックすると、少しして、解錠する音がした。
音もなく扉が開く。
ごくごく小柄な女子が立っていた。肌が雪のように白い、人形のような女の子だ。夏の制服を、一切崩さずに着こなしている。
さらりと揺れるのは、肩ほどまで伸ばした薄紫色の髪。
そいつはいつものように無表情で俺を見上げると、次に、となりに立つ赤城さんに視線を向けた。
その双眸が、ほんの少しだけ丸まったことに、俺は気づいた。
「え、え? いいんちょくんのともだちって、女の子だったの⁉」
と、赤城さんが露骨に驚いた。
「ああ、そうだ。言っていなかったか?」
「聞いてない聞いてない。え、てかびびったー、まじ」
赤城さんは目をぱちくりさせると、あらためて翠の姿を見た。
「あ、でも、あたしわかるよ。絡みはないけど、たぶんC組とかだよね? 名前は、たしか……」
「――相戸翠。相戸が苗字で、翠が名前」
と、翠は澄んだ声で答えた。
「とにかく入って。鍵をかけるのを忘れないで」
翠がスイーとなかに戻っていく。俺たちは、それに続いて入室した。
アマチュア無線部の部室は、よく冷房が効いていた。中央には広い机があり、ずらりと参考書が積み重なっている。窓際にはコーヒーメーカーと給湯器と、小型の冷蔵庫。壁の棚には、ラジオを筆頭に無線機材が敷き詰められていた。
壁際の床には、一台のモニター。その前には、家庭用の古いゲーム機が三つ、コードに繋がったまま置かれていた。それと、座椅子と座布団がひとつずつ。
うん――いつもどおりの翠の城だ。
「なにここ……すご、ほとんど私室じゃん!」
「まあ、アマチュア無線部の部員は翠ひとりだからな」
あまり吹聴しないでほしい話だから、あとで釘を刺しておこう。
「どうしよう。クマ以外の来客があるとは思わなかったから、椅子が足りない。クマ、いつものところでいい?」
翠がテレビの前の座椅子を指した。俺のお気に入りのゲーミング座椅子だ。
「ああ。俺はどこでもいい」
「なら、お客さんはそちらに」
翠は机の勉強道具をどかすと、ゲーミングチェアの背を引いた。
ちなみに、この学校にはゲーミングチェアが多い。学園長の率いるチームが有名メーカーとスポンサー契約を結んでいるのが関係しているのだろうか。
「飲み物を淹れないと。コーヒー、紅茶、おいしい水、いろいろある」
と、翠が言った。
「え、いいの? ならあたし、紅茶がいいかも!」
「俺が淹れよう。翠は座っていてくれ」
翠はこくりとうなずくと、座布団にぺたりと座った。
俺は棚からマグを、その下からティーバッグを取り出した。アマチュア無線部の部室は、俺も勝手知ったるところだ。だいたいの物の場所や使い方はわかっている。
俺は茶を用意しながら言った。
「紹介が遅れたな。翠、こちらは赤城愛莉さん。俺のクラスメイトだ」
「はろはろ~」と赤城さんが手を振った。「席、あんがとね。勉強してたの? どかしてもらってごめんね」
赤城さんはちらりとノートに視線をやって、その細い眉をゆがめた。
「……え。めちゃむずくない? なにこれ、なんかみたことない記号が書いてあるんですケド」
「翠はものすごく頭がいいんだ。入学以来、一度も学年一位の座を譲ったことがないほどだ」
思わず、俺は少し自慢げに言ってしまった。
「うっわ、まじ? え、じゃあたぶん学年で有名なはずだよね? うへー、あたしなんか、だれが頭いいのかすらわかんないレベルなんだけど」
「そういえば、期末の返却ももう終わるな……」
「やめて! ベンキョーの話は禁止にしよ? 蕁麻疹出ちゃう。てか、この部屋で頭よくないのあたしだけじゃん、はっずー」
赤城さんが縮こまった。
が、疎外感を感じる必要はないといえる。
なぜなら、俺もけして成績がいいほうではないからだ。なぜかあまりバレていないだけで、俺は委員長キャラのくせに成績上位組にはいちども名を連ねたことがない。
もちろん、わざわざ申告する意味もないから黙っておく。
「クマ。お茶、ふたつしか淹れてない」
俺がふたつのマグを持っていくと、翠がそう指摘した。
「いいんだ。翠が飲むのは、これだからだ」
俺は、手提げのなかに入れて運んできたメロンフラぺを取り出した。
ついさっき、蔦屋書店のスタバで買ってきたものだ。
よくわかっていない顔で、翠が受け取った。
「なんと、あのスタバの飲み物だ。俺もこのあいだ初めて飲んだが、おいしかった。ぜひ翠も飲むべきだ」
「こ、これが、あのスタバの」
翠はおそるおそる口をつけると、こくんと嚥下した。あまり表情は変わらなかったが、なんどもうなずいてからまた口をつけたので、気に入ったのが伝わってきた。
「これはとてもよいもの。それに高価そう。ありがとう、クマ」
「気にしないでくれ。今から翠には、ちょっと無理な頼みをすることになるから」
「それは、例の大会の話?」
「そうだ。あらためて説明するから、聞いてくれ」
俺は赤城さんにもマグを渡すと、機材が敷き詰められている棚に背を預けて、簡単に事情を説明した。