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53・ ありがとう、本当に、ありがとう

 ハァイ! ジュール&フロリアの旦那様はやっぱりネコ派の方、()ロリアです!

 春になりました。

 冬の終わりのあの昼下がりから、旦那様と私は少しずつではありますけれどようやく夫婦らしくなってきています。

 先日は初めて喧嘩もしたんです。旦那様ってば今まで怒らなかったくせに、春用の服を新しく作ろうとしたらいきなり不機嫌になっちゃって。

「どうしてあなたは私のものばかり作ろうとするんだ」っておっしゃったんですよ。

 推しの新作の為なら財布が空になるまで貢ぎたいヲタ心を理解してませんねー、旦那様は。

 気持ちはうれしいけどもっと自分の為に使って欲しいとか、資産は大事にして欲しいとかおっしゃるので、それも旦那様の優しさだと思って渋々注文を控えめにしておきました。

 

 そんなに心配しなくても、私はこっそりデザイン料で儲けているんですけどね。

 ハイネン家の夜会に現れた〝レイラ〟の存在は何故か社交界で語り草となってしまったようで、もちろんあの衣装を手掛けたキャシーさんには即身バレしていたようです。

 商魂たくましいテーラーデルシュカから〝レイラ〟専属テーラーである事を公表させてほしい。ついでに新作のデザイン画も描いてくれたらデザイン料も払うと提案されましたので、もちろんOKしました。

 お父様が持たせてくれたヲタ活資金も無限にあるわけではないので、少しでも自分でお金を稼げればこれからも惜しみなくヲタ活に使う事ができますもの。

 つい先日も邸からあまり出られない冬の間に書き溜めたデザインを納めたのですけど、〝レイラ〟自らが手掛けたデザインということで評判は上々らしいです。


 旦那様のとの距離が縮まった事で、最近は使用人たちとの距離もぐっと近くなりました。

 そんな訳で、私は今調理場に顔を出しています。

 もちろん、私が料理をする訳じゃありません。調理人のゲイリーさんに食べたいものをリクエストしに来たんです。

 こちらの世界でよく食べられているものならセバスさんに伝えれば良いのですけど、一般的ではないものは私が直接説明した方が早いですから。


「はあ……芋の薄切りを油に入れるんですか」

 ゲイリーさんはそう言って首を傾げました。

 基本的にこの支領周辺で調理に使われる油は動物性の物が主体なんですよね。

 植物油も存在しますが、流通の関係上それなりに高価なんです。

 イメージ的には日本の北の方の地域に似ているのでしょうか。狩猟も盛んですから、ジビエ料理も数多く存在します。捕らえた獲物は余すことなくは基本ですから、どうしても油も動物性に偏りがちです。


「そう、このオリーブ油を熱して、芋の薄切りを揚げて欲しいのです」

 私はそう言って、先日実家の伝手を使って取り寄せたオリーブ油の入った瓶を調理台の上に置きました。

 ええ……私は今、どうしてもポテトチップスが食べたいのです。

 何故だかわかりませんが、とにかく無性にポテチの口!

 調理工程もそんなに難しくないですし、材料さえそろっていればそれらしいものは出来るでしょう。


 作り方を説明すれば、そんなに難しい物ではないと理解したゲイリーさんも頷いてくれました。

 私は調理場の椅子に座って、うきうきで出来上がるのを待ちます。

 私が調理場で何かやっていると聞きつけた手の空いた使用人たちも、ちらほら覗きに来ています。

「奥様出来上がったらお部屋までお持ちしますよ」ってリーナさんに言われましたが、やっぱりアツアツを食べたいじゃないですか。

「できたてを食べるのが美味しいのよ」って返せば、素直なリーナさんは「なるほど」って答えて、私の隣で出来上がるのを待っています。はぁ~楽しみぃ。


 揚げすぎてしまった物も多少できましたが、さすがはプロの調理人です。ほぼイメージ通りのポテトチップスが目の前のボウルの中でこんもりと山になっています。

 熱いうちに塩を振りかけていましたら、そこに旦那様がひょっこり顔を出されました。

 あ、そう言えばもうアフタヌーンティの時間でしたね。


「こんなところに居た、フロリア」

「お帰りなさい、旦那様。仕込みの方はいかがでした?」

 お父様に頼んでいた蒸留の知識を持った職人は、今までの給金の二倍の報酬を支払うという契約で無事へッドハンティングに成功しました。

 本格的な蒸留器も彼の提言を受けて導入し、今日は春先まで数か月醸造していたシードルを朝から蒸留に掛けていたのです。その様子を見に行くと言って、旦那様は早朝から出かけていらっしゃったのですが、今戻られたのですね。

「特に問題なく終わったよ。まだ樽が残っているから全量ではないんだけどね。熟成不足で尖っているだろうが、試作品として少し持って帰って来た」

 そう言って、旦那様は手にしたボトルをこちらに見えるように掲げられました。


「で、あなたは一体何をしているの」

 そうでした、私はおやつを食べようとしていたのでした!

「ゲイリーに珍しいお菓子を作ってもらっていたんです。昔噂話で耳にしたものを思い出したので、食べて見たくて。今出来上がったばかりなんです、できたてを食べるのが美味しいらしいので、旦那様もぜひご一緒に」

「へぇ……では味わってみようか。ちょうど何か口にしたいと思っていた」

「はい」

 

 二人揃ってポテトチップスに手を伸ばします。

 口に含むと、サク、と軽い音が耳の奥に響いて懐かしい味が広がります。あー、ポテチうまッ。

「これは……旨いな」

「ええ、とても美味しいです。さぁ、あなたがたも一緒に」

 固唾をのんで見守っていた使用人たちに声を掛けると、最初は遠慮していた彼らも、旦那様の「遠慮するな」の一声でそれぞれ手を伸ばし始めました。


 皆美味しそうに感想を口にしながら味わう姿を見ていると、作ってもらって良かったなって思います。

 さて、私ももう少しいただきましょう。

 もう一枚、と手を伸ばしたそれを口に入れた瞬間です。


「う……」

 なんでしょうこれ……ものすごく気持ち悪い。作ったばかりのポテチだし、同じものを食べている私以外の人達は何ともなさそうだし……。

 だめだ、吐きそう。

 私は思わず口元を両手で押さえます。どうしましょう、みんなが美味しそうに食べているところで汚いものなんて見せられません。


 慌てて調理場を出て、玄関口近くの来客用の化粧室を目指します。

 調理場からは少し離れていますし、ピンチと言う事もあっていつもより遠く感じます。

 どうにか化粧室までもたせましたが、トイレまでは我慢できませんでした。

 手洗い台の水溜め(ボウル)に嘔吐してしまいました。おそらく昼食だったものが流れて行きます。

 吐き気が収まるまで体に任せるままに出し切って、ふと我に返れば私の後ろに侍女のリーナさんがついて背をさすってくれていました。

 旦那様も、化粧室の入口で心配そうに見守っておられました。


「奥様、まだ出そうですか?」

「いえ、随分楽になりました。口をゆすぎたいので水をもらえますか」

 そう言うと、リーナさんは調理場から水を持って来てくれました。この化粧室は来客用ですので、手洗い用の水はあってもコップがないのです。

 手渡されたそれを口に含んで、嘔吐したあと独特の嫌な後味を洗い流します。

 何度か口をゆすいで、ようやく落ち着きました。

 なんでしょうね、油が合わなかったのかな……。


「奥様……もしかしたら、ご懐妊されたんじゃないですか」

 ん? 妊娠? えええーーーー!!!



 その後はもう邸中大慌てです。旦那様はソワソワしちゃうし、セバスさんは医者を呼ぶって聞かないし、リーナさんはとにかく寝台に横になれって服を脱がそうとするし。

 まぁ、吐いたから少し消耗していますし、リーナさんの言うことを大人しく聞いておきました。彼女に手伝ってもらって寝間着に着替え、寝台に横になって一時間程経った頃、セバスさんの指示を受けて村まで馬車を走らせたケンがお医者様を呼んできたようです。

 それを待っている間、旦那様は寝台の脇に書き物机の椅子を持ち込んできて、ずっと傍についてくれていましたが、ちょっと心配しすぎだと思いました。

 いや、そんな事口が裂けても言えませんけどね、ええ。

 

 お医者様に診てもらって、月並みな質問をされました。月のものはどうですかみたいな。

 落ち着いて考えてみれば、ここ二か月程止まっていました。

 結局、おそらくご懐妊でしょう、みたいなゆるーい診断をして、安定するまでは体調が変化しやすいから無理をしないように、と言い残してお医者様は帰って行きました。

 ま、そんなもんですよね。超音波エコーも検査薬もないですしね。


「新酒の試作品が出来上がった日に、懐妊が分かるなんて凄い偶然だね。だけど驚くことに、子を持つことをあんなに恐れていたと言うのに、今は少しも不安じゃないんだ。きっとあなたのおかげだ。この事業が上手く行く保証はないけど、あなたとなら乗り越えていけると思うし、私たちの子が生まれてくるのだと思うと絶対に成功させるんだと言う気持ちになるんだ」

 旦那様はしみじみとそうおっしゃって、柔らかく笑われました。

「もう……まだ安定期にも入っていないのに、気が早いです旦那様」

 そう、妊娠初期に流れる事も珍しい事ではないってお医者様もおっしゃってましたし、無事に生まれて来るかもわからないのです。

 そう考えると、妊娠出産ってとても奇跡的な事ですよね。


 前世では、母は女手一つで育ててくれたのに、私はうっかり早世してしまいました。

 今となってはその後母がどうだったのか、それを知るすべはもうありません。

 それでも私は運よくこの世界に転生でき、自分にはもったいないくらいの旦那様に巡り合うことが出来ました。

 こちらの母も、あちらの母ももう会えないけれど、私は幸せだから心配しないでって伝えたいです。転生GJな神様、私のお願い聞いてもらえませんか? 

 母達に、私に奇跡をくれてありがとうって、伝えてくれたら嬉しいです。


「名無しの試作品、一緒に飲めなくなってしまったね。その代わり、胎の子が大きくなったら皆で飲もう。きっとその頃には熟成されてもっと美味くなっているはずだ。そう考えると、凄く楽しみだ」

 ゆっくりと時間をかけて、角が取れ、深みと丸みを帯び、味わいを増して行くのでしょう。

 旦那様と私も、そんな風に深みを増せますように……。

「ええ、楽しみですね!」

 

 行きますよ、旦那様!



 おわり

最後までお付き合いいただきありがとうございました。活動報告に、あとがきめいたものと、フロリアが劇中で叫んでいたヲタネタの答え合わせを掲載します。気が向かれましたらそちらもご覧ください。

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