仇 / “穿鋼”ガドッカ
人形を砕くと同時に、ぐにゃりと世界が回り歪む。同時に覚醒が起こった。握りしめた力は失われなかった。
軽く体を動かすと張り付いていた茨が色を失い、ぼろぼろと崩れて落ちていく。そのまま失ったはずの肉体をぎちぎちと立ち上げる。歯車が回転し、油が全身をめぐっていく。視界も戻っているが、雑な造りの硝子なのだろう。歪みが強すぎて、視界が狭い。近視のような状態だ。
首を回して辺りを見ても、調整するための替え玉もない。
見れるのは雑然とした工房、くすんだ姿見、だらんと腸詰のように垂れ下がるねじ曲がった銅線の類、ごろごろと転がった歯車やネジ。酒瓶を片手に床に寝転がっている技術者。その横に備え付けの溶接機や圧接機材が離れた位置に雑にまとめてある。自身が横になっていた寝台の横には、外装の素材だろう、不揃いな形の鉄板が木箱にごちゃごちゃと詰まっている。
その影に小さな女の姿があった。疲れ果ててしまったのだろう、細い体を不用意にも鋼鉄の箱に寄りかかって少女、リオナが眠りこけていた。小さく“ろけっとらんちゃあ”と書いてあるが、安全装置はしっかりと固定されている。それでも寄りかかるには物騒なものだ。
ぎちぎちと体が動かす。おそらく“患者”のために設置された姿見の前に立つ。本来なら自身の状態確認程度、“そふとうぇあ”が動いていればできるのだがそれもないからだ。写る姿は予想通りとも言える。
粗雑な義体だ。寸胴鍋が直立したら、こういう義体になることだろう。頭部は丸底の鍋を乗せたような代物だ。一応、首に当たる部分が在っただけマシだ。腕も脚もその重い体に合わせてか、太く短い。足先は革で内部を保護した上にただ鉄靴を履かせただけの代物、手先は二股で、親指以外ひとまとめになっている。中身もそれに応じて簡易化されたものだ。とりあえず物は掴めるだろうが、細かい動きは無理だ。
だが、行かねばなるまい。
リオナの小さな体をできる限り、そっと持ち上げた。細く小さい。無理をさせたようだった。時分はわからぬが、大分最後に見た時よりも痩せたように見えた。その薄っぺらい肉体をそっと寝台へ置く。
慎重に一息を吐き、背中から蒸気がぽふっと漏れる。やはり声は出ない。発音ができるほど上等な義体ではないようだ。
もう一度だけ蒸気を吐くと、慎重に体を動かして外に出る。
男が待っていた。禿頭の、魔術師であった。鋭い瞳をこちらに向け、杖を握っている。その佇まいには、剣を抜き身で構えているような圧がある。
「助太刀はいるか」
ガドッカは手を開いて突き出した。留まれ、不要だ。そう意思を伝える。あとはそのまま、進んでいくだけだ。重い体であるが、リオナたちが必死に組んでくれたものだ。それだけで力が湧いていくる気がした。
一歩街へと踏み出せば灰が舞い、付けたばかりの足に張り付いた。すっかり見上げればあるのは故郷の空だ。やはり帰ってきていたらしい。大分、遠回りさせてしまった。苦味が舌のない口にも広がった。
灰の薄く積もった道を踏む。
家や工場から伸びる煙突から立ち昇った灰色は重苦しい帳のような雲に飲まれる。聖なる灰が風に乗って、街の色合いをより鈍いものへと染めていく。それでも暗くはないのは、分厚い雲の奥に隠れた太陽が中天にあるためだろう。
皆、工場か炭鉱あたりに仕事に出ているのだろう。歩く人は少ない。その数少ないものも昨日降っただろう聖なる灰、その残りを文字通りにかき集める孤児らしき子供ぐらいだ。こちらの駆動音に視線を投げかけてくるが、手を止めるほどでもないらしい。奇異というか珍しいものを見た、程度の反応だ。欠損を埋めるために部分的な義肢は多いが、全身となると故郷の文化圏では珍しい。だが、皆無というほどではない。
視線を後に灰を巻き上げながら、真昼の街から外れていく。そうするほど灰が深く積もっている。聖堂の印が焼き記された大袋が集められて、いくつも積まれている姿は墓地の入口特有のものだ。
墓地があれば冥界に繋がることもある。かと言って、身内をわざわざ死者の溢れる塀の外へ放り出すことなど出来るはずもない。だから、いつ死者が立ち上がってもいいようにしっかりと備えてあるのだ。
だが、ただただ袋ばかりが並んでおり、墓守や派遣されているはずの聖堂騎士の姿がない。踏み込めんでいけば“行きたくない”“必要ない”と体に指示が飛んでくる。人払いというものだろうが、認識すればどうということはない。鉄板を擦りながら大股で境界を超える。
少し進めば、墓守達が常にいるはずの小さな見張り小屋が見えた。少し開いた窓から、中を見れば誰もいない。ただ大量に血の痕だけ残っている。
脳に伝わる苦味が強くなった。やはり、ここなのだろう。
弱々しい茨の絡みついた鉄柵、錆止めで黒く塗られた門扉をゆっくりと開く。油が差されていないためだろう、開いていけば鉄の悲鳴が響いていく。
並んだ墓石の間に蒸気だけを残して進む。灰で薄く覆われた小道を踏みしめていく。すでに家族もおらず、無縁の死者となったものが葬られる慰霊碑があった。彼らは何年か土の中に葬られて、肉を完全に腐らされて溶かされた後、骨を焼く。聖なる灰の影響だろう、この地の腐敗は非常に遅く、土の中であっても数年から十年はかかる。そうして、ようやくぼろぼろになった遺体を掘り起こし、再び埋葬する。
普通は墓石の下に納められる。しかし、縁者も金もない人間は細かく砕かれて、慰霊碑の近くに散骨するのが一般的だ。この辺りにはきっと聖なる灰に交じって、遺骨が含まれているに違いなかった。あの火事と襲撃で死んだ老僕も混じっているかもしれない。彼に縁者はいないはずだ。
慰霊碑から少し離れた場所に進む。遺体を腐敗させるための土葬するための聖域にして穢れの地だ。土葬した遺体の覆う鉄籠がいつくも並んである。死体泥棒を防ぐための籠で、地中からの強奪を防ぐために、埋まっている棺の四方を囲んだ檻になっている。この檻は万が一、不死者となって立ち上がったものがいても出られないように聖別が施されているものだ。死体より価値があると、籠ごと盗んだ愚か者もいた。
その頑強なはずの鉄籠が、無理やりに壊されて転がっている。掘り起こされ、冒涜された棺の中に腐敗した小さな体があった。骸骨だけは奪われている。
だが、その数歩先に力なく転がった人形と、骸骨があった。人形は頭蓋骨を片手で握ってはいるが、頭はすでに砕かれてぴくりとも動かない。被っていた道化のような仮面はめり込んでいる。夢の中で殴打されたためだろう。
怒りが冷たく、心の芯に突き立った。それでも今すべきことは、怒り狂うことでも仇討でもない。
そっと頭蓋骨を人形から奪い、彼女の腐敗した肉体を棺から引き揚げた。
彼女を再び土の中へと埋葬はできない。人形遣いは再び、彼女を利用しようとするかもしれない。そもそもこれだけ荒らされていては、不死者として立ち上がったと噂され、まともに弔われるか、分からない。
慰霊碑の前に、彼女を抱き上げたまま立つ。
『ザオウよ』
短い声なき祈り、それが届いた。雷光が手のひらから溢れる。朽ちかけた遺体に電流が走ると青白く燃え上がり、灰へと変わり零れ落ちていく。燃えていく彼女を見つめていく。 悼む間もなくすべてが灰として零れ落ちた。義体が熱によってわずかに歪んでいたが、ガドッカには愛おしく見えた。小さく体を屈めながら、歪みを撫でた。風が吹くと体からだんだんと去っていく彼女。いくら握っても灰はこぼれ行く。
見送りが終わるまでは、立ちつくす。
その間だけ“彼”はガドッカはであることを辞めた。




