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鋼の声で歌って  作者: 五部 臨
最果ての風を聞け
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錆びた引き金  / “- - - - - - -”




 服を着替えるたびに、違和感がのしかかる。姿鏡を見る。張り付けられた水銀に写るのは不健康な薄い肌、硬い人形のような顔、細く頼りない四肢。両親から受け継いだ金髪ばかりが映えている。青い瞳は姉と同じ色のはずなのに、鏡の中からどんよりとした視線ばかりを送り付けてきた。

 息を吐き、目をそらす。

 今日は珍しく外に出る日だ。この薄い体に全身を覆うような服を着る。分厚いゴムでできた不格好なもので潜水服に近い。ボンベを背負うわけにはいかないから、空気をろ過するためのマスクを被る。

 きぃっと扉を開け、階段をのっそりと降りた。小さく狭い玄関に、より縮こまった人影があった。


「坊ちゃん、外に馬車が待っております」


 老躯を引きずり、御者がへこりと一礼する。くしゃくしゃの鳥打帽を片手に握り、杖をついている。老僕は体を傾けながら、外へと向かう。ぎこちないのは、長年の労役のせいで重心が偏っているためだ。

 その鈍い動きについて行くのにも少年は必死だった。それでも一歩、外へ出る。ざらりとした灰の感触、石畳の上に積もったそれを踏みながら進む。上を見れば、白く濁った空から灰が降ってきていた。雪のようにしんしんと降り注ぐ。火山灰ならともかく、草木灰がこのように降る地域は珍しいと聞いた。だが、少年にとっては雨より慣れ親しんだ天気だ。


 週に一度、安息日には必ずこの灰が振るのだから当たり前である。この灰は害毒と穢れを払う。実際、この灰が降る間ならば壁の外に彷徨っている不死者達を寄せ付けない。皆が安心して外に出れる日ではあるが、歩きづらいのは事実である。


 重い足裏をゆっくり引き上げて、馬車の中へと昇る。どさりと体を投げ出して座り込んだ。一息吐くとマスクがひゅーひゅーと鳴る。ただこれだけで何かがごっそりと削れた気がする。

 誤魔化そうとマスクの隙間から、義兄から貰った飴玉を入れ込んで舐めた。親ほど年が離れていて付き合いもないが、稀にこういったものを送ってくれる。口の中で転がせば甘味が広がり、わずかに苦しみが削れていく気がした。

 その義兄がたまには会いに来いとのお達しだった。わざわざ半死人、隔離したものを呼び出すのだから大事なのだろう。そろそろ父に代わって当主になるのだろうか。だが、父は相変わらず元気に動き回っている。

 わざわざ呼ばれる理由がわからない。


 疑問を後に引きづりながら馬車が進み始める。灰の中にわだちが生まれていく。

 覗き窓から外をぼんやりと眺める。灰の色に染まった街の中に子供や寡婦たちの声が聞こえる。元気そうに馬車の横をずだ袋を抱えた子供達が通り過ぎる。それを追うように底の広いスコップを片手に墓守達が進んでいく。灰を死霊除けの品として、かき集めて売るためだ。寡婦と子供、そして墓守にしか許可されていない仕事である。この仕事のおかげで、道が灰だらけになったままということもない。


 馬車が止まる。前に視線を向ければ、子供たちがわいわいと動いている。どうにも目の前で灰の掻き出しが始まったらしい。貴族も大商人も、この権益ばかりは冒せない。しかし、馬車が来たのにわざわざ手を止めないのは何故だろう。

 ぼんやりとした思考のまま、目を滑らせているといつの間にか子供に交じって緑色の影があった。墓守の色合いではない。深緑の長衣を揺らして、杖を構えた魔女だ。


「貴方、まだこんなところにいるの」


 呆れたようなかすれ声が耳朶を打つ。何度も何度も聞いたはずの声だが、少年には思い出せない。問いかけを返そうとすると、彼女がいる位置を子供がすっと入り込み、そしてすり抜けた。

 魔女の像が湾曲した硝子に写ったように歪む。そのまま、手をひらりと振った。


「早く、戻りなさい。貴方の子守なんてゾッとしない」


 一方的に言い放つと、緑の影は歪んだままぐにゃりと消えた。白昼夢だったように、何もない。ただ灰が静かに振り続けるだけだ。思考が疑問に沈む。


「おあッ! おんぞーし。奇遇じゃん」


 にぎやかな声が灰の中から盛り上げる。子供達をかき分けて、少女が顔を出す。にへらと笑い寄ってくる。


「ん。君は灰掻き、なんだ。珍しい」

「あーなんか煙突掃除の親方がさー、えらい人が通るからって、この通り灰掻きしろってさぁ。まあ、実入りもいいらしいしー」

「えらい、ひと」


 別の疑問が浮かび上がる。今日はそれほど灰は多くない。通れないほどでもないのにわざわざ、掻き出しを依頼するとは考えづらい。そもそも、安息日は大概の人間が休む。壁の外からお客でも来たのだろうか。だが、それなら多少の話題は耳に入るはずだ。

 辺りに降る灰とともに違和感が積もっていく。


「火だ」


 誰かが声を出した。それにざわめきが続く。見れば近くの建物から火が上がっている。


「坊ちゃん、これは」

「え、なにこれ」


 前からも後ろの建物からも炎が赤々と立ち上がっている。四方から、不自然な音を立てて火があがっている。石造りの建物すら溶けるように燃えていく。

 灰が熱風で巻きあがる。


 炎のあがった建物から、ぞろりと甲冑姿のものが歩き出してくる。それは火を纏い、のそりのそりとこちらへと向かってくる。

 灰に触るたびにその火が強くなるが、それも気にしない。痛覚のない人型の怪物だ。そのようなもの、見たことはない。だが、この街に住むものならば誰もが知っている。


「不死者ッ!」


 どこから声を出したのだろうか、老僕が悲鳴のように叫ぶ。杖を片手に、御者台から飛び降りると燃え立つ死者の前に立ちはだかった。いつもとは全く違う足運びのまま、杖を槍のように構える。

 だが、少年にはその先の結果など、既知のことであった。

 目の前が一瞬赤くなり点滅する。古い記憶が波のようにあふれ出し、彼に告げた。すでにここは不死者の群れに取り囲まれている。警告、警鐘が動悸となって、少年である彼の肉体を苛んでいく。

 熱で歪んだ視界のふちに、じゃらじゃらと鋼が擦れて唸っていく。それはただただ、彼を食い尽くすための音色であった。

 老僕が吹き飛ばされて、馬車に叩きつけれた。ひっ、と少女が短い悲鳴を上げた。ゆっくりと、着実に近づいてくる鎧姿の不死者。降り注ぐ灰にごうっと燃え上がるが、それでもなお殺意を生者に向けている。

 それでもなお、少年はただ座り込むことしかできなかった。


 できなかったのだ。


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