なんという仕打ち【20話】
魔王城の一室。
窓から差し込む夕日を背に、がろは古びた聖書を広げていた。
教会から持ち出したこの本には、一般的に知られている伝説とは異なる記述が残されていた。
「……おかしいな」
何度読み返しても、そこに書かれている内容は変わらない。
〝勇者と魔王は、互いに争い続けなければならない。どちらかが倒れた暁には世界の均衡は崩れ、やがて世界は崩壊するだろう。〟
それが聖書に記された伝説だった。
しかし一般的に広く知られている伝説では、勇者が魔王を討ち倒して世界に平和が訪れたことになっている。
(なんでこんなに内容が違うんだ?)
聖書の記述が正しいのなら、魔王が倒されたことで世界の均衡は崩れているはずだ。それなのに、世間では魔王が討伐されたことを平和の象徴として語り継いでいる。
そもそも、なぜ本来の伝説が人々に伝わっていないのだろうか。
「……ガッデムさんに相談してみるか」
がろは聖書を閉じ、広間へと向かった。
そこでは魔王ガッデムが杖を片手に何やら考え込んでいた。
「ガッデムさん、少しいいですか?」
「なんだ」
「教会から持ち出した聖書についてなんですが、少し気になる記述を見つけまして」
「ほう。申してみよ」
がろは手にしていた聖書を開いた。
「この聖書には勇者と魔王は戦い続けなければならないと記されています。両者が存在し、争い続けることで世界の均衡が保たれるそうです」
「ふむ」
「ですが一般的に知られている伝説では、勇者が魔王を倒して世界に平和が訪れたことになっています」
がろは聖書へ視線を落とした。
「どうして、こんなに食い違っているんでしょうね」
ガッデムは腕を組み、しばらく黙り込んだ。
「つまり世に広まっている伝説そのものが誤っている可能性があるということか」
「あるいは何か意図的に隠された事情があるのかも…?」
「なるほど……」
ガッデムは聖書を覗き込んだ。
「その書物には、他に何か書いてないのか?」
「残念ながら、詳しいことまでは。古い記述だし失われた部分もあるようで」
がろは聖書を閉じた。
「もう少し調べてみます。何かわかったらまた報告しますね」
「うむ」
がろが立ち去った後、ガッデムはひとり広間に残された。
(……世界の均衡、か)
魔王と勇者が争い続けなければならないというのなら、今代の勇者が現れた以上魔王もまた必要になるということなのだろう。
「ふははは!我輩もなかなか重大な役目を担っているようだな!」
ガッデムは威厳たっぷりに笑ってみせた。
(……いや待て。そもそも本物の魔王はどこにいるんだ?)
その後、がろは聖書を片手に城内を歩いていた。
一般的に知られている伝説と、聖書に記された伝説。その食い違いについて考えてみたがどうにも答えが出ない。
(……だめだわからん腹減った…)
ふと、ひとりの人物が頭に浮かんだ。
「……謎さんなら、何か知ってるかも?」
あの不思議なローブをまとった少女なら、何か知っていてもおかしくない。以前から妙に物知りなところもあった。そう考えたがろは、彼女の姿を探すことにした。
しばらく城内を歩いていると、どこからともなく肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。腹の虫はそれを食べたいと唸っている。
思わず足を止めたがろは、匂いのする方へと足を早めた。
そこは魔王城の厨房だった。
中を覗くと、謎の少女が大きな鍋の前に立っていた。灰色のローブを身にまとい、フードを深く被ったまま慣れた手つきで料理をしている。
「謎さん」
「あれ、どうしたの?」
少女は手を止めずに返事をした。
「いやぁ、ちょっと聞きたいことがありまして!それ何作ってるんすか?」
「今日の夕食」
少女は当然のように答えた。
厨房の作業台には、こんがりと焼き色のついた鶏肉が並んでいた。
じゅうじゅうと音を立てる肉からは白い煙がゆっくりと立ち上る。
皮には食欲をそそる美しい焼き色がつき、表面には肉汁と香草を合わせたソースが艶やかに絡んでいる。傍らには摘みたてのみずみずしい野草や山菜が並び、鍋の中では野菜と香草を煮込んだスープが静かに湯気を立てていた。
「すげー美味そうですね。でも食材はどうしたんです?」
「ん?外で捕まえてきたよ」
「……捕まえて?」
「鶏をね。あと食べられそうな草も採ってきた」
少女は鍋をかき混ぜながら、何でもないことのように答えた。
「鶏を捕まえて、野草を採ってきたんですか……」
「うん。城の周りにも結構いろいろ生えてるんだよ」
「なるほど……」
がろは厨房に並ぶ料理を改めて眺めた。
どうやら目の前の料理は、城の周辺で調達した食材だけで作られたらしい。
「もうすぐできるから、味見してく?」
「いいんですか?!」
「うん。夕食用に作ってるんだけど、ちょっと味見してほしくて」
「なるほど。それなら遠慮なく!」
「ちょっと待ってて」
鶏皮はこんがりと焼けてぱりぱりに仕上がり、包丁を入れると中から透明な肉汁が溢れた。
小皿に取り分けられた鶏肉には、刻んだ野草と香草を合わせたソースがたっぷりとかけられている。添えられた山菜は軽く火を通され、ほのかな苦みと青々しい香りを残していた。
「はい、どうぞ」
「おお……!」
がろは目の前に差し出された料理に思わず感嘆の声を漏らした。
さっそく鶏肉をひと口頬張る。
ぱりっと小気味よい音を立てて皮が砕けた。直後に溢れ出す肉汁と、焼き目の香ばしさ。そこへ香草の爽やかな風味と、野草のほのかな苦みが重なり、濃厚ながらも後味は驚くほど軽い。
「……うまっ!」
「ほんと?よかった。自分で作ると味わかんなくてさ」
謎の少女は満足そうに頷いた。
「これ、夕食が楽しみですね」
「ありがと」
がろはしばらく料理に感心していたが、ふと思い出したように聖書を取り出した。
「あ、そうだ。今日はこれについて聞きたかったんですよ」
「ん?料理について聞きに来たわけじゃないんだ」
「はい。実は伝説について少し聞きたいことがあって」
がろは聖書を開き、教会で見つけた記述について説明した。
「聖書には勇者と魔王が戦い続けなければならないって書いてあるんです。でも世間一般に広まっている伝説では、魔王が倒されて平和になったことになっているんですよ。どうも腑に落ちなくて」
「ふーん。それで聞きに来たんだ?」
「はい。謎さんなら何か知ってるんじゃないかと思って」
謎の少女は少しだけ沈黙した。
「さあ、どうだろうねぇ」
いつもの調子で返ってきた答えに、がろは首を傾げた。
「……もしかして謎さんが伝説の魔王だったりして……なんて、そんなことあるわけないですよね」
冗談めかして笑うがろを謎の少女はローブの奥で、静かに見つめていた。
「どうしてそう思うの?」
「いやぁ、なんとなくですよ。謎さんって、時々妙に物知りですし」
「そっかー」
謎の少女は小さく笑った。
「でも、もしそうだったらどうする?」
「え?」
「なんてね」
彼女は何事もなかったかのように話を続けた。
「その聖書、もう少し詳しく調べてみたら?きっと面白いことが分かると思うよ」
「うーん、そうですね。もう少し調べてみます!」
がろは改めて聖書を抱え直した。
「それじゃありがとうございました。飯、楽しみにしてますね!」
「うん、またね」
がろは厨房を後にした。
謎の少女はその背中を見送りながら、誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
「さて……どこまで辿り着けるかな」
そのとき、廊下の向こうから足音が近づいてきた。
「む……この香りは……!」
厨房の入り口に姿を現したのは、魔王ガッデムだった。
どうやら先ほどから漂っていた肉の焼ける匂いに誘われてきたらしい。厨房に並ぶ料理を目にした途端、彼の視線は鶏肉へと釘付けになった。
「おお!これは実に美味そうだ!」
「ガッデム、どうしたの?」
「いやなに、我輩も少々腹が減ってな。ちょうどよいところに来たようだ」
ガッデムは当然のように料理へ近づこうとした。
しかし、少女はその前にすっと手を伸ばした。
「だめ。これは夜ご飯だから」
「な、何?」
「もう少しだから待ってて」
「…ほんの一口くらいなら問題ないだろう?」
「待てだよ」
「……むう」
あっさりと断られたガッデムは、料理と少女を交互に見つめた。
「我輩は魔王だぞ?」
「知ってる」
「ならば、少しくらい融通を利かせてもよいではないか」
「魔王でもお預けね」
「なっ……!」
ガッデムは言葉を失った。
厨房には、焼きたての鶏肉から漂う香ばしい匂いが満ちている。
目の前にご馳走があるというのに、手を出すことすら許されない。ガッデムの腹の虫は目の前の肉をお預けにされ、たいそう暴れ回っている。
(……くっ。なんという仕打ちだ)
「もう少しだから、いい子にして待っててね」
少女は何事もなかったかのように鍋をかき混ぜた。
「……子ども扱いするな!」
そう言いながらも、ガッデムは厨房から離れようとしなかった。それを見た謎の少女は満足そうに頷いた。
書いててお腹がすきました。




