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第九話 『正しい理由』

「姫咲透華さん」


 咲希が名前を呼んだ。


「いくつか確認をさせてください。立ったままで結構です」


 透華が、候補席で立ち上がった。

 咲希は手元の紙に目を落として、読み上げるように続けた。


「姫咲グループが、本学園の新校舎建設に協力を申し出ていること。宮坂市の再開発事業に、姫咲系列の企業が複数参加していること。学園の人事や施設計画について、姫咲側から要望書が出ていること。その一部が、館を通さずに、直接学校側と協議されていること。そして姫咲さんご自身も、転入後、先生方と個別にお話をされていること」


 咲希が紙から顔を上げる。


「事実関係として、間違いはありませんか」


 講堂がざわついた。

 俺は壁際で動けずにいた。


 列挙された内容自体に驚きはなかった。どれも大体知っている。原作の設定資料にほとんどそのまま載っていることだ。姫咲家は学園の最大の後援団体で、宮坂の再開発にも絡んでいて、透華の転入自体が家の意思と本人のヴィーナスへの意思の重なったところにあった。


 嘘は一つもない。

 透華が静かに口を開いた。


「はい。父は協力を打診しています」


「宮坂の件も、姫咲が関わっています。先生方とも、お話ししました。転入のご挨拶と、ヴィーナス候補としての活動について」


 隠す素振りがまるでない。


 当たり前だ。透華にとって、これはやましいことなんかじゃない。母の後を継いでヴィーナスになるためにこの学園へ来た。姫咲の家として学園と町に関わるのは、目的そのものだ。


 だから、問われれば答える。それだけのことでしかない。


「さすが姫咲のご令嬢。正直に堂々とお話しいただいて」


 咲希も形式上は丁寧に受けていた。


 認めましたね、と言わなかっただけ。

 壇上で追及するのではなく、透華が自ら引くことを期待しているのだろう。


「誤解のないように申し上げますが、私は、姫咲さん個人を責めたいわけではありません」


 咲希はマイクから少し離れて、講堂全体を見た。


「ですが。次代のヴィーナス候補が、学園の運営にこれほど大きな影響力を持とうとされている以上——ご本人にやましい意図がなくても、慎重でなければならないと思うのです」


 ざわめきが、一段階だけ大きくなった。


「姫咲さんが、先生方と直接お話しになったことも、根回しだなどと言うつもりはありません。ただ、理事会を差し置いて、それを進めてしまうだなんて、白薔薇会としては放ってはおけません」


 咲希はすこし間を置いてから、続けた。


「白薔薇会は、開かれていることを大切にしてきました。この会は生徒たちと、責任ある立場である、我々との大事な繋がり。力のある方ほど、一歩引くべきです。疑われる前に、疑われようのない立場を作る。それが、この館の作法ですので」


(——知ってる。生徒会の自治を強めるために、有名財閥の子女を理事がわりに置いて、協力しあうという設定)


 知ってるどころじゃない。その慣例は、俺たちが作った。企画会議で、制度に良心を持たせるために。


 権力を持つ側ほど自分を縛る、その一点で白薔薇は信用されてるんだって、そういう理屈で。


「ですので、白薔薇の立場としては」


 咲希の声は、最後まで柔らかいままだった。


「姫咲さんには当面、学校方針の決定には参加していただきません。透明性と権力集中を避けるための対応ですから」


 講堂がざわつく。姫咲の悪評を皆が口にしている。


 透華は立ったままだった。表情はここからではよく見えない。


「候補生としての、活動は」


「もちろん、続けていただけます。姫咲さんの候補資格について申し上げているわけではありませんので」


 今も候補ではある。

 ヴィーナスとしての正しさを証明するチャンスも、きっとまだある。


 ただ本来いるべき場所には戻れない。

 透華は、しばらく黙っていた。


 悪評に反論する材料がないんだ。事実は全部、透華が認めた通り。白薔薇の理念だって、この館が誇ってきた伝統そのものだった。


「……分かりました」


 透華は一礼して、座った。

 俺は壁際で、拳を握っていた。


(透華は何も悪くないだろ。どうして親の悪評を背負わないといけないんだ)


 きっと諦めたんじゃない。責任を感じて、それを受けたんだ。本当なら真っ直ぐで、親にだって食ってかかる。だから、透華は引けない。そういう人物として、作られているから。


 その間——


 壇上の席で、小柄な生徒が一度、側面の補佐席の方を見た。


(……久下戸、真依)


 名前が出た。地域側の窓口。商工会長の孫娘。あいつの掛け合いなら俺も何度か書いた。その真依が見ていたのは、あの男だ。


 真依だけじゃない。咲希が言葉を区切るたび、前の方の席の何人かが、同じ方向を見る。


 補佐席のあいつは、何も言わない。


 軽く頷いただけ。それから隣の生徒に、何かを短く言った。


「では、次第に戻ります。今年度の運営計画について——」


 咲希はそのまま、何事もなかったように白薔薇と生徒会の実務説明を始めた。


 公開サロンの開放時間。意見箱の設置。当番と協力者の募集。行事のときの講堂の使い方。

 

 学校活動への白薔薇基金の申請手続き。成績優秀者への奨学金や修学旅行支援金の割当。

 

 宮坂産業プロジェクトへの生徒派遣や、次世代事業創出への合同コンペの開催など。


(……この説明パートは、合ってる)


 質疑の時間になった。生徒が一人、部活動での部費支援について聞いた。咲希が答えた。「理事会からも要望書を預かってます。次の会でまとめて扱います」と補足した。


 閉会の挨拶。連絡事項。俺の書いた流し方、そのままで、白薔薇会は終わった。


 椅子を畳む音が始まる。


「姫咲って、やっぱそうなんだ」


「そうって何」


「だから、全部、金で解決するって話」


 出口へ向かう流れの中で、そんな声が交差する。壁際では教師が二人、「館側でそう判断したなら、学校としても当面はその形で」と、事務連絡みたいに話していた。


(……高木と、同じだ)


 出来事自体は、何一つ捏造されてない。出資も、再開発も、原作にはあった。変わったのは、同じことであっても、それが「何のためにやったことか」っていう評判だけ。


 高木のときは「地域を守りたい」が「姫咲になら何をしてもいい」に変わっていた。


 咲希は——「候補を公正に扱う」「疑われる前に開示する」が、「姫咲透華に罰を与える」「透華を晒しあげる」に変わっている。


 性格を書き換えられてるだけじゃない。

 こいつらが元々信じていた、正しい理由ごと書き換えられている。


 そして。


(この会だってそうだ)


 俺が書いていたのは、こんな悲しい場面じゃない。


 候補が前に出て、方針を話して、質問を受けて、皆が賛同してから、納得して終わる。

 たとえ強い権力であっても、きちんと開かれてるってことを、皆に見せるための式次第だった。


 その式次第が、そっくりそのまま、姫咲の悪行を晒しあげるために使われていた。


 悪意によって、書き換えられてる。

 そしてそれを皆がまったく疑わないんだ。


 記録館で見た、あの重なった文字たちを思い出した。元の文の上に別の文が被さって、続きだけを変えてしまう。まるでこれは——イベント版だった。


「白薔薇の各自は二階にお願いします」


 咲希の声で、我に返った。


 講堂の脇。壇に近い側の壁に、上へ続く古い階段があった。


 咲希が上がっていく。真依が続く。補佐席のあいつと、取り巻きの生徒が数人。


 残った別の生徒たちは出口へと流れていく。二階に何があるのか、気にする様子もない。

 残る立場と、帰る立場。何もかも最初から決まっていたかのように、皆が分かれていった。


 そして、透華は——今は帰る側にいた。


 出口に向かう流れの中を、背筋を伸ばして真っ直ぐに歩いていく。二階を振り返りもしない。


 俺も、同じ流れの中にいた。

 向こうは、モブの俺に気づきもしないけど。


 階段の方を見た。咲希が、上がりかけた足を止めて、身体を捻るようにして、こちらを見ていた。


「——佐藤くん、だっけ」


 小さく、咲希の口が動いた。距離があったのに、なぜか明瞭に聞き取れた。


 返事をする前に、咲希はもう前を向いて、階段を上がっていってしまった。


(……なんで、モブの名前を知っている)


 答えは出ない。俺は白薔薇館の奥へと消える背中を、階段の下から見ていることしかできない。


 なぜなら、俺の書いたシナリオは、この階段の手前で終わってしまっているからだ。


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