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繭の少年

灰色の空からぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。

ザザーと音を立てて降りだすと、通りを行く人の影はほとんど消えていた。


スクール前のバス停の待合所には、アーチ状の屋根の下、エマリーという少女が横になっていた。

彼女は黒いエナメルの靴をベンチの上に投げ出して気怠げにしていたが、体調が悪くてそうしているわけではないことは、近くに誰も寄せつけまいとする彼女の鋭い眼光から察せられた。


(みんな嫌いよ、どっか行っちゃえばいいのに)


心の中でいつもの口癖を呟いた。


くちゃくちゃとクランベリー味のチューイングガムを噛む。

ぷうと赤い風船を膨らませて、飽きて、ペッと地面に吐き捨てた。


とてもじゃないがお上品といえる態度ではない。

それでも彼女は、高潔で、非常に美しい少女だった。

陶器のような白い肌にスラリと伸びた手足。

背中まである絹のようなプラチナの髪。

そして、気高い反骨心を秘めた琥珀色の瞳。


全体的に色素が薄い彼女には、今着ているミッションスクールの格式ばった濃紺の制服がよく似合っている。つまり、どうふるまおうと、彼女が由緒正しきお嬢様であることには変わりはなかった。


バスが停まり、ブザー音と共にドアが開いた。


「おい! 乗るのか乗らないのか!?」


無反応なエマリーに運転手がぶしつけに怒鳴った。


国の法令で、学生からはバスも電車も運賃を取らないことになっている。

そのため客とみなさず、ぞんざいな応対をする運転手が多い。それにこの時間帯、バス停にいるのはサボりの不良学生と相場が決まっている。


「……チッ!」


わざとドアを乱暴に閉め、バスは発車した。


再び、静寂と雨音。


もし、先程の運転手が注意深い男だったなら、エマリーのお嬢様然とした佇まいや、制服の胸元の紋章に気づいたはずだ。

魔法学科をしめす、白薔薇の蔓で縁取られた『M』のエンブレムに。


まったくの想像力の欠如である。アルカナ、つまり魔力を持つ人間が停留所でバスを待つはずがない。

―――彼らは自由に空を飛べるのだから。


舌打ちした相手が、あの『ダーク家』の令嬢だと知ったら、バスの運転手は、雨で濡れた地面に額をこすりつけて、その非礼を詫びたに違いなかった。


カー…ンッ……。


エマリーが目をやると、缶ジュースが転がっていた。天から降ってきたのだった。


空中に浮かぶふたつの影。

ふたりの男子生徒がホウキに跨がり、じゃれあいながら飛行中だった。

ホウキの先に大きなこうもり傘を、縄でぐるぐる巻きにして括り付けてある。雨避けのつもりだろうが、傘は風にあおられ振り乱れて、彼らを雨から守る役割を果たしていなかった。


(呆れたわ……)


エマリーは頭が痛くなった。


ごく初歩の空間固定魔法すら使いこなせないなんて。

飛行で手一杯で満足に傘をさすことすら出来ない。

あんな無様な飛行を晒すぐらいなら、素直に地上を歩いた方がマシというもの。


………それに、誰が掃除すると思ってるのよ。


ガムを吐き捨てことなど忘れて、エマリーは灰色の空を睨みつける。


(なんてブザマで、傲慢な、アルカナのガキたち……)


プライドは人一倍のくせに、自らの魔力の低さを晒す醜態を気にもとめない。雨でずぶ濡れになろうが、地上を歩く人間より自分たちは上等だと信じて、平気でゴミを投げ捨てる厚顔無恥。


お父様、この世界は、だんだんダメになっていくみたい。あのみっともない連中も『家族』ですか? さっきの運転手も?

………………。

…………………みんなどっか行っちゃえばいいのに。



「あ……の…………」


雨音にまじって消え入るような声がした。

エマリーはベンチの上で少しうたた寝していたらしい。

気がつくと、目の前にか細い少年が立っていた。


少年は傘もなく、雨に濡れた哀れな仔犬のような佇まいだった。

同じミッションスクールの制服を着ている。

『M』の紋章の有無を確かめるまでもなく―――魔力を持たないコモンの生徒だ。


「すみ…ません…バスは…もう、出てしまった…のでしょうか……?」


弱々しい声で少年が訊ねた。


「ええ、ついさっき」


エマリーはツンと答えた。

無視しても良かったが、意地悪な返答ならスムーズに出た。


「そ…んな……」


見た目も弱々しい少年は、絶望の声を漏らす。青ざめ足元をふらつかせている。


(え?…この子、具合でも悪いのかしら?)


ひと目ですぐ分かりそうなことを、基本他人に無関心なエマリーがやっと気づいた瞬間、少年の躰がグラリと大きく揺れた。


そして倒れかかってきた。―――ベンチで横たわっていた彼女の胸元に。


「えええええっ!? ちょ…っ…と……!!」


突然覆いかぶされ、エマリーはパニックになった。

彼女の控えめな膨らみが、少年の頬で押しつぶされている。


あと少しでエマリーは、普通の女の子のように「キャー!」と悲鳴をあげて、少年を突き飛ばしそうになった。

しかし、それを踏みとどまったのは、少年の躰があまりに高熱だったのと、近くで見る彼の顔が、やけに少女めいて映ったためである。


雨が滴るネイビー色の髪、頬を上気させ、苦しげにまつげを伏せる様は、儚げで可憐ですらあった。


「あ……ごめん……僕は……」


少年がうつらうつらと口を開く。


「なによ!? いいからはやくどいて!」


興奮したエマリーの呼吸に合わせて、胸元の少年の顔も上下する。


「……僕は……これから……」


「え!?」


「…たぶん…眠って……しまうので……」


「はあ!?」


「……お手数を…おかけ……します……が………スー……スー………」


言い終える前に、既に寝息をたてていた。


苦しげな表情は消え、エマリーの胸を枕にして、安心しきった顔で眠っている。


「……………。う……ううううううう~~~!!!!」


エマリーはうなり声をあげ、はげしい怒りで震えてきた。


「―――ヘンタイ!!」


少年の体調などお構いなしに、力任せにドンっと躰を突き飛ばした。


しかしベンチから乱暴に突き落とされても、なお少年は昏々と眠り続けている。

静かな寝息をたてながら、ゆっくりと躰を丸め、まるで母体の中で眠る胎児のようなポーズをとった。


「……何なのよ、コイツ……」


呆気にとられてしまう。でも躰はすごく熱かったのだ。

やはり具合が悪いのかもしれない。

心配になったエマリーは少年を揺り動かしてみた。


「ねえ、ちょっと起きなさいよ……」


次の瞬間。少年の背中から、幾筋もの糸のようなもの―――光の繊維が、ぶわっと吹き出した。


「!?」


思わず、少年の肩から手をどかし、エマリーは後ずさった。


「なに……これ……」


少年の背中から湧き出る糸は、噴水のように溢れ、生き物の如く蠢く。

眠り続ける彼の躰を、その光の絹糸で優しく包み込んでいった。

やがて先程まで少年が転がっていた場所に、乳白色の糸の塊―――大きな繭玉が完成した。


「……………」


糸が少年を完全に包み込んでしまうまでの、ほんのわずかの間、エマリーは息をのみ、一連の出来事をただ凝視していた。頭の頂部がぽおっと熱くなっていた。どこかのぼせた心地で、何かとても神聖な儀式に立ち合ったみたいな感覚におちいっていたが、すぐに彼女本来の冷静さを取り戻した。


(……あ、思いだした。これは『アレ』だわ)


エマリーの知識の中に、少年の繭玉があった。


(ふうん……。この子、『アレ』だったのね。実際目にするのははじめてだけど)


少年の正体が判明し、エマリーは急につまらなそうな表情をつくった。

この世界で、こうした少年……『アレ』は非常にまれな存在である。

が、稀少であるからといって価値があるわけではない。

世間では、無意味な、つまらないものだと認識されている。

だからエマリーも反射的にそうした表情をつくってしまったわけだが、内心は子供っぽく無邪気に弾んでいた。


だって実際に見るのは、はじめてなのだもの。はじめてはワクワクする。


にしても、なんて不用心なのかしら、この子。こんな所で繭をつくってしまうなんて。もし私が悪い奴だったら、どうするの? 馬鹿ね。

エマリーは繭玉の少年を見下ろし、自然と笑みを浮かべた。


身元を調べるために、少年が持っていたスクールバックから生徒手帳を取り出し、めくった。


「名前はリリーベル、か……変な名前」


正しくは、リリーベル・Dと書かれていた。『D』の文字は『ダーク』の略字だが、これは無視していい。この略字は『家族』であることを示すために皆つける決まりになっている。


「……それにこの住所って、うちの屋敷じゃない。どういうこと?」


エマリーの微笑みが深くなる。ますます面白くなってきた。

わけが分からないけれど、これは色々と素敵な偶然、そして出会いだわ。


(さてと。……では、帰りましょう。この子と私の家に)


軽やかに立ちあがり、彼女が拳をにぎると、そこにタクトが出現した。

雨に濡れるのも気にせず前の道路に足を進める。

そして、ちょうどこちらに向かって走ってきた高級車の前に少女は躍り出た。


車のクラクションがけたたましく鳴り響く。


スピードを落とさず突進してくる車に向かって、彼女は軽くタクトを振るう。

すると青白い光の文様、巨大な魔法陣が出現し、衝撃波を放った。


ドオオオン……。


高級車は強制停止した。ボンネットを、思いっきりへこませて。


「ふざけるなよ! アルカナのクソガキめ! 私を誰だと思っている!?……はああ~私の車がぁぁ……。クソッ! これが遊びで済まされると思うなよ! いくらアルカナだろうと、この街一帯の商会を取り仕切っている私にこんな真似をしたからには……」


当然、車に乗っていた金持ちの紳士は猛烈に抗議したが、


「いいから、手を貸しなさい」


眉ひとつ動かさず、エマリーは命じた。


「私は、エマリー・ダークよ。手伝ってほしいの」


紳士はヒュッと息をのみ、怒りで紅潮していた顔面から一瞬で血の気がひいた。


エマリー・ダーク……。


名前のあとにわざわざ『ダーク』をつけて名乗る者は、この世界の創始者、ダーク家の人間しかいなかったからだ。



※1話と元々あった2話を結合、再構成しました。

調整はしていますが、内容の大筋は変わっていません。

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