第三十八話 最高の芸術『奇跡の同期』
王石聖は、自身のトラックの荷室に構築した特製サーバの前に座り、ドローンから送られてくる飛来物のデータを凄まじい速度で解析していた。
ピピッ、ピピッ、と電子音が鳴り、モニターにターゲットの情報が展開された。
『ターゲット特定:大陸間弾道ミサイル・多弾頭型(MIRV)』
『総重量:三万五千キログラム / 落下速度:マッハ二十 / 着弾まで残り……三十四秒』
次々と弾き出されるスペックと、ドローンが捉えた風速、温度・湿度などの天候データや地形データを照らし合わせ、リーは鼻で笑った。
「大層な破壊兵器を持て囃しているようだが、所詮は人間が作った大味な工業製品だ。そんな不完全な代物だからこそ、私が計算し尽くした『奇跡の同期』という究極の手を加えることで、人類史上最後の芸術へと生まれ変わるのだ」
リーの目的は、ミサイルを撃ち落とすことではない。上空で弾頭の起爆コードをハッキングして強制的に連鎖爆発させ、それぞれの爆風と衝撃波の位相をミリ秒単位で完全に逆相でぶつけ合わせる。音波を相殺するノイズキャンセリングの原理を流体力学と爆轟工学に応用し、コアカプセル製造施設へ向かう衝撃波のベクトルをゼロにするという、神業のような物理演算だ。
だが、超高速で迫る複数の弾頭の軌道と、流体計算をリアルタイムで同期させるには、トラックのサーバだけでは圧倒的にリソースが足りない。
「ならば、世界中のリソースを使わせてもらう」
リーの指がキーボードを乱舞する。彼は瞬く間に残存する世界中のサーバやクラウドサービスのセキュリティを突破し、計算ノードとするバックエンドサーバとして強制的に連結させた。世界中の演算能力が、今この瞬間、リーのトラックに置かれたコントロールノードへと集約され、破壊兵器から放たれた弾頭一つ一つの軌道を精密に割り出していく。
だが、それでも数ミリ秒の遅延が発生する。それが、最終的な起爆タイミングの誤差を生む。衝撃波を完全に相殺するための寸分の狂いもない最終コントロールは、現場でしか成し得ないのだ。
「最後の仕上げだ。私の脳髄を使って、極限の同期を合わせる」
リーはトラックに組み込んでいた特大のオーディオシステムを起動し、静まり返った荒野に向けて、荘厳な交響曲を大音量で流した。ドヴォルザーク『交響曲第9番(新世界より)』。彼がこの生涯最高の芸術を彩り、そしてタケルたちが歩む新たな世界を祝福するために選んだ、至高のBGMだ。
「さあ、私の生涯で最高の、人類史上最後の芸術を始めよう」
そしてリーは一切の躊躇なく、未完成の生態同期ケーブルを、自らの首のポートへ深く突き刺した。
――ガァァァァァッ!!
彼の脳髄はネットワークを通じて世界中のミサイル防衛システムと直結し、アメリカ、イギリス、インド、日本の空へ同時に降り注ぐミサイルの弾頭をハッキングする。
脳神経を接続した瞬間、凄まじい電気信号の濁流がリーの脳細胞を焼き切り、両目と鼻からドロリとした鮮血が溢れ出した。視界が真っ赤に染まり、全身の毛細血管が悲鳴を上げる。
だが、リーの意識は極限の集中状態――『ゾーン』へと突入した。
空を引き裂き迫る複数の弾頭の軌跡。それらをただ同時に起爆させるだけでは、巨大すぎるエネルギーを殺し切ることはできない。だからこそ、連鎖させる。
最初の一発が起爆し、数千万度の熱と衝撃波が広がる。その波面が到達するコンマ数ミリ秒後、計算し尽くされた座標で次の一発を起爆させ、波の位相を相殺する。さらにその複雑な干渉波の余波を打ち消すために、三発目、四発目と連鎖的に起爆させていく。
最も複雑なドミノ倒し。そのすべての連鎖と、空気を押し潰して広がる衝撃波のパズルが最終的にゼロへと収束していく。その決定された未来が、研ぎ澄まされたリーの脳裏に完全に見えたのだ。
(ああ、神よ。かつて私は、己のくだらない芸術のために貴方たちの命を奪いました。……この命、今こそ貴方たちの遺した希望を守るために捧げます!)
血の涙を流しながら、リーの指がキーボードの上を舞う。
彼に見えている連鎖のビジョンと、現実の物理世界を、寸分の狂いもなく重ね合わせていく。
着弾まで残り三秒。二秒。一秒。
荒野に鳴り響く『新世界より』の旋律が、金管楽器の力強い咆哮と共に、圧倒的なクライマックスへと駆け上がっていく。
(完璧だ。これこそが、私の生涯で最高の芸術『奇跡の同期』だ)
リーは恍惚とした笑みを浮かべ、音楽の最高潮――オーケストラの全奏が弾けるその瞬間に合わせるように、血塗られた指で最後のエンターキーを力強く叩き込んだ。
次の瞬間、コアカプセル製造施設の上空で、一つ、また一つと、連鎖的に巨大な太陽が弾けた。超高速で迫り来る破壊兵器の弾頭が、荒野に響き渡るシンフォニーの旋律とミリ秒単位で同調し、まるでリーの指揮するティンパニの打音のように次々と起爆していく。閃光。轟音。凄まじい熱の膨張。空中で幾重にも発生した衝撃波が複雑に絡み合い、互いのエネルギーを喰らい合い、ドミノが倒れるように次々と連鎖して干渉していく。
世界中の空で同時に連鎖爆発が起こり、すべての拠点を覆い尽くそうとした破壊の炎が、リーの『奇跡の同期』によって完全に相殺され、ゼロへと収束していった。
そして最終的に、その全ての連鎖爆縮のベクトルは、まるで透明なドームに弾かれたかのように完全に相殺され、真下にあるコアカプセル製造施設にはそよ風一つ届かなかった。耳鳴りすら吸い込まれそうな、奇跡のような数秒の静寂の中。
「これが、神の御業か」
血の海に沈んだままその光景を見上げていた鈴木の口から、無意識のうちに感嘆の言葉が漏れ落ちた。国家のシステムだけを信じ、決して非科学的なものを信じなかった冷徹な猟犬が、生涯で初めて目にした『人智を超えた奇跡』。
「ははっ。見事なタクトだったぞ、イカれた殺し屋め……」
鈴木は、かつての因縁の男が命を懸けて成し遂げた究極の芸術に、ただ静かに、最大の敬意と共に笑いかけた。
「私の芸術、堪能していただけましたか、猟犬」
リーの唇が、自然と柔らかな弧を描いた。狂信者が最後に行き着く、一点の曇りもない微笑みだった。
「ああ、極上の音楽だったぜ」
鈴木は小さく笑い、力尽きた身体を無理に起こし、称賛の意味を込めた拳を天に掲げた。
その直後だった。
連鎖相殺の余波として弾き出された最後の一筋の衝撃波だけが、荒野に停まるトラックを直撃し、鳴り響く『新世界より』のラストコードごと、リーの身体を宙へと吹き飛ばした。
宙を舞う瓦礫の中で、リーの薄れゆく意識の先に、幻を見た。
炎に包まれた空に穴が開き、一本の光が差し込んだ。
その光の中から、美しい二人の天使が舞い降りてくる。
天使が、満面の笑みで彼に手を差し伸べた。
狂信的な守護者として生き抜いた天才は、最後に穏やかな微笑みを浮かべ、光の中へその魂を溶かしていった。
――そして。血の海に沈んだまま、その信じられない光景のすべてを、鈴木はしかと見届けていた。
冷徹な国家の猟犬として生き、決して非科学的なものを信じなかった男の瞳に、天へと昇っていくかつての因縁の殺し屋の姿と、彼を迎え入れる天使の美しい羽が、鮮烈に焼き付く。鈴木は、血に染まった口元を微かに歪め、不敵に、そしてどこか清々しそうに笑った。
「はっ。殺し屋が天使になるなんて、最高にイカれた世界だぜ……」
それは、世界の闇を生き抜き、最期まで任務を全うした誇り高き男が遺した、極上の皮肉と最大の賛辞だった。
鈴木は、澄み渡っていく新しい世界の空を見上げながら、静かに、安らかに目を閉じた。
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本編では語られなかった前日譚『天国の嘘・ゼロ ~深流の仮面~』をスピンオフとして公開しています!ぜひ見届けてください!




