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19.すれちがい

「悪いね、本当は和也も一緒に行かせたいところなんだけど」


 勤務時間終了の2時間ほど前。

 隣の小学校へ向かうと告げた私に副校長がそう言った。


「学芸会まで後10日ですからね」


 予定外の出張なんてしている暇はないハズ。


「向こうの副校長も一緒だし、妙なことにはならないと思うけど、注意してね」


 あれ。

 ちょっとひっかかった。


「もしかして『妙なこと』になりそうな人だったりします?」


「さあ。直接会ってないからなんとも。ただ………」


 副校長は辺りを軽く見回し、誰もいないことを確認しながら声をひそめた。


「事情はどうあれ、女性の方が浮気したことには変わりないわけだし? 人間、自分に都合の悪いことは口をつぐむものだからね。あえて話してないこともあるんじゃないかって気はしてる。偏見かもしれないけど」


 あ~。うん、まあ、そうなるかなあ。


 実は、不倫だの浮気だのと聞くと、うちの副校長はほんのちょっと不機嫌になるのだ。初対面の人にはわからないくらいほんの少しだけ。


 自分が奥さん大好き人間だから全くもって共感できないのだと、以前酔っぱらった時に言っていたっけ。


 自分で奥さん大好きとか言っちゃう辺りなんだかな~という感じだけど。


「……偏見かどうかわかりませんが」


 慎重に言葉を選ぶ。


「先入観は正確な判断を狂わせますから、予断を持たずに接することにします」


「ああ、そうだね。ごめん、変なこと言った。忘れて」


「ハイ。では行ってきます」


 一礼して校門を出ると、スマホの地図アプリを起動する。


 この辺りの道は入り組んでいて、初めて行くところは、これがないと間違いなく迷うのだ。自慢にならないけど。


 あ、充電やばいかな。

 地図アプリはガンガン充電が減るから心臓に悪い。


 と思ってたら、スマホが軽く振動して、メールが届いたことを知らせた。


「あ。アドバイザーさんから……」


 最近活動してませんが、どうしましたか? という内容だった。


 あはは。

 そういえば退会手続きしてなかったわ。


 今日、帰ったらしなきゃ

 でも今はとりあえず、お仕事お仕事。






 その小学校の副校長は女性だった。

 優しいお母さんタイプ。


 この人ならきっと、DV被害の女性も話がしやすかっただろう。

 それも見越しての転入だったのかもしれない。


 約束の時間に少し早かったので、面談前に、取りまとめた例の資料を確認していただく。

 事実だけを淡々と連ねたその資料は、既にうちの副校長のOKはもらっていた。


 女性副校長も一読して、にっこりOKを出してくれた。

 良かった。


 この資料は既にスマホに転送済みだ。

 本人の了解が得られれば、いつでも長谷川さんに送ることができる。


 面談はかなり長引いた。

 ほとんど懺悔だった。

 懺悔というか愚痴というか。


 女性の副校長は、うん、うん、と親身になって話を聞いていたが、正直、私は途中からちょっとイラついていた。


 要するに彼女は、誤った情報による思い込みで、飛び出してしまったのだ。


 長谷川さんに何も言わずに。


 一言尋ねれば、誤解とわかることを確かめないままで。


 話が前後したり脈絡もなく遠くへ飛んだりする非常にわかりにくい話をまとめると。


 彼女がDV男から、自分が長谷川さんの足手まといになっていると聞かされたのが始まりだったらしい。




 長谷川さんに、海外出張の話が出ている。

 それを受ければ出世間違いない。


 でも、彼は君がいるからとその話を受けようとしない。

 彼のためを思うなら、ここで身を引くべきだ。


 だが、あなたのために身を引きますなどと言えば、当然、引き留められる。


 だから、君が嫌われればいい。

 一番簡単な方法は、僕と浮気をすることだ。




 って、そう言われてマジで浮気するってわけわかんない!

 とすごく言いたかったけど我慢した。


 そしてその後、DV男の言われるがまま、何も言わないで出て行ってしまったそうだ。


 なんだかな~。

 この人、自分で何か考えるとかしないで全部人任せしてたんじゃないかな~。

 言われるままに流され過ぎだよ。


 でまあ、その後。

 結局海外出張の話とかは全部嘘だということが分かって、でも、いつの間にかDV男と入籍しちゃってたので戻れず、出産報告のハガキの隅に、ごめんなさいと書くのが精いっぱいだったと。


 いや、だから簡単にハンコ押すなよ!

 押す前に内容確認しなよ!


 押してないのにいつの間にか押してあったって、変でしょ!

 自分が押した覚えがないなら訴えようよ!

 もしかしなくても有印私文書偽造だよ!


 と、思ってしまうのは、私が公務員だからでしょうか? 違うよね?


 長谷川さんのことを聞きたいと言われた割には、さっぱりその話にならず、いかに自分が騙され、傷ついたかという話に終始していた。


 うーん。

 長谷川さんも傷ついてるっていうことに思い当たってない気がする。


 長谷川さん、別れて正解じゃね? とか思っちゃったよ。申し訳ないけど。


 話がようやく一段落したところで、女性副校長が、長谷川さんに、事情を説明していいかと尋ねた。


 連絡先を教えてくれれば、自分で事情を話しますという彼女を、女性副校長が優しく押しとどめた。


 DV男が長谷川さんを見張っているかもしれないと言われて、ハッとした顔になった。


 ああ、その可能性、考えてなかったのね?


 結局、彼女は女性副校長の提案を全面的に受け入れた。渋々だったけど。


 彼女が帰宅した後、思わず大きなため息をついたのは許してほしい。


「では、送信させていただきますね」


「ええ、お願いします」


 女性副校長のOKをいただいて、私はその場で、長谷川さんあてに用意していた文面を送信した。


「佐々木さん。正直、自業自得って思ってない?」


 う………。

 見透かされてしまった。


「……すみません。顔に出てましたか?」


「いえ、それは大丈夫。さすがね」


「えーと、ありがとうございます?」


 褒められているんだよね、一応?


「あの人もね、今はわかってるの。自分が何も考えてこなかったからだってこと」


「……そうなんですか?」


「彼女、女は黙って男に従え的な教育を受けてきたらしくて」


「いつの時代ですか、それ」


「今でもいるのよ、そういう人。たまに」


「………まあ、いますね、確かに」


「でもね、彼女も『母親』になって、ようやく気が付いたのよ。このままじゃダメだって」


「そうなんですか?」


「そうなの。彼女なりに、変わろうとしてるのよ。今まで避けていたことに向き合おうとしているの」


「………そう、なんですね………」


「傍から見てると、まだまだ足らないし、もどかしいけど、でも、子供のために頑張っているんだってことは理解してあげてね」


「………はい」


「そうそう。良かったら、子供の写真を見てもらえるかしら」


 え?

 あ、もしかして。


「………親子鑑定ですか?」


「まあ、そんなところ」


 言いながら女性副校長が、マル秘とかかれたアルバムをめくっていく。


 ああ、こういうのはどこも一緒だな。


「あ、あったあった。この子よ」


 示された写真を覗き込む。

 正直、見ても分からないだろうと思ってたんだけど。


 うん。

 間違いなく長谷川さんの子だわ。


「面影、ありますね」


 そう言うと、女性副校長は満足げにうなずいた。


 ええと。

 もしかして私がわざわざここに来た理由って、それですか?


 だったら面談に付き合う必要、なかったよね?


 ……って、言いたかったけど絶えた。


 いつかどこかで一緒に仕事するかもしれない相手に啖呵切るほど若くないです。ハイ。


「あ」


 スマホが振動した。

 長谷川さんからだった。



題名:連絡ありがとう

内容:


 うん。

 それ以上は無理だよね。


 多分、今ものすごく葛藤しているだろうな………。




「色々ありがとう、佐々木さん」


 女性副校長に礼を言われつつ、私は帰宅の途についた。


 って、すっかり暗いし!


 一応、うちの副校長に、何とか終わった旨、電話する。


 遅いけどいるだろうなと思ったらやっぱりいたよ。

 教員って本当にハードだ。


 それにしても、マジで充電ヤバイ。

 帰り道も地図アプリのお世話になってるから。


 いざとなったら、コンビニで充電器、買おう……。






 駅を降りて。

 いつも通り自宅へ向かおうとする足を、慌てて方向転換する。

 和也さんのアパートに行かなきゃ。


 ポストの前で、念のためメッセージカードを確認する。



 ハッピーバースデー!

 突然ですが、日曜日の映画の予約席

 実はプレミアムペアシートです!

 ちょっと遅いけど誕生日プレゼント!

 本当は今日、お祝いしたかったけど……。

 忙しいから仕方ないよね。

 学芸会まであと少し!

 体壊さない程度に頑張ってね!(^▽^)ノ



 うん、まあ、こんなものかな。


 封筒に入れ、シール(ハートはちょっと恥ずかしかったので四葉のクローバー)で封をすると、「森」と表札の出ているポストにコトン、と落としこんだ。


 帰りはいつかな。

 今日中に読んでくれると嬉しいんだけど。


 今、何時だろう。


「あ………」


 取り出したスマホはすっかりブラックアウトしてました。






「たっだ-いま!」


 玄関を開けると同時に声をかける。


 誰もいないとわかっているけど、無言のまま家に入ると、一人暮らしだとばれるから、必ず声をかけるようにと、教わって以来の習慣だ。


 また、万万が一、留守宅に誰か侵入していた場合、声をかけて侵入者に逃げる隙を与えて、鉢合わせを避ける意味もあるらしい。


 以上、学校の不審者対策訓練の時に警察の人に聞いた話でした。


 さあ、みんなも今日からレッツトライ!

 って、何の話だ。


「さあてと」


 自宅に入り、部屋着に着替えると、途中で買ってきたおにぎりを片手に、PCの電源を入れる。


 お気に入りに設定していたゼロネットのサイトに入ると、データが届いていた。


 うーん、申し訳ないけど放置だ放置。


「さて、退会手続きは………これか」


 ポインターをあわせてクリックしようとしたその時。


 呼び鈴が鳴った。


「え?」


 こんな時間に誰だろう。


 ドアスコープから外を覗く。


「……え、和也さん!?」


 そこには、どことなく焦った感じの和也さんが立っていた。


 慌ててドアを開ける。

 会えて嬉しいけど、どうしたんだろう。

 なんでそんなに焦ってるの?


「良かった。帰ってて」


 でも、その顔は、私を見て、明らかに安堵に変わった。


「え、あの……」


「メールの返信もないし、電話にも出ないからどうしたかと思って」


「メール………あ!」


 スマホ、ブラックアウトのままだ!


「ご、ごめんなさい、充電切れ!」


 そう言うと、和也さんはあからさまにホッとした顔になった。


 うわ、すっごい心配させちゃった? もしかして………。


「あ、あの! 片付けるから、5分待ってください!」


「え……それって、上がっていいってこと?」


「あ…………」


 も、もしかして、玄関先で帰るつもりだった?


「えっと、あの………」


「待ってる」


「え」


「待ってるから、片付けておいで」


「はい………」


 と、とりあえず片付けよう………。






 諸々クローゼットに押し込んで、どうにかこうにか格好が付いた部屋に和也さんを招き入れる。


「もしかして駅から直接こっちに?」


「当然だろう?」


 ってことは、まだポストは見てないのか……。


「えっと、狭いですけど、適当に座ってください」


「うん、ありがとう」


 何故かご機嫌の和也さんは、ベッドの脇に腰を下ろすと、布団に鼻を近づけた。


「………綾の匂いがする」


「は、恥ずかしいことしないで!」


「え~」


「い、今、お茶を入れますから」


「お構いなく」


 狭いキッチンでお茶を入れて戻ると、和也さんがじっとパソコンのディスプレイを眺めていた。


「………和也さん?」


 後ろから覗き込むと、画面に現れていたのはゼロネットのトップページ。


「あ………」


 そう言えば、電源入れたままだった。


 省エネ設定で暗くなっていた画面が、和也さんが座った衝撃か何かで明るくなったのだろう。


「………まだ、退会してなかったのか」


 和也さんが、さきほどと打って変わって不機嫌な声で呟いた。


「……忘れてたの」


保険キープ?」


「違う!」


 冷たい声に青ざめる。


 キープ?

 なんで!?


 なんでそう言うこと言うの!?


「本当に、うっかり忘れてただけ!」


 ああ。

 さっさと退会しておけばよかった。


 パソコン消しておけば。

 せめて退会画面になっていれば!


「ふぅん」


 固まる私をよそに、和也さんが届いていたデータを開く。


「へえ、こいつ俺より若いのに年収凄いな。こっちは……へえ、医者? この年で医者で独身ってマジかよ」


「………」


 なに。

 なにが言いたいの。


 そんなデータ、知らない。見てない。

 ずっと放置してたんだから。


「こんな条件が良い奴を紹介してくれるなら、キープしときたくもなるよな」


「…………」


 信頼、されてない?


 私、信頼されてないの?


 そう思った途端、すぅっと寒くなった。


 胸の中に氷の塊が埋め込まれたみたいに。


「………ひどい」


 小声で呟くと、踵を返し、手にしていたトレイを丸ごと流しに投げ捨てた。


 すごい音。

 多分、湯のみ、割れた。


「綾!?」


 びっくりしてかけよる和也さんを振り払う。


「帰って」


 自分でも驚くくらい、冷たい声が出た。


「あ……あ、や?」


 流しに置いた手に、ポタポタと液体が落ちる。


 ああ。

 私、泣いてるんだ。


「帰ってください、森先生(・・・)


「あ………」


「帰ってよ!」


 顔をあげられない。


 涙が止まらない。


 視界の隅に、和也さんの手が見える。


 私の方に手を伸ばしかけてはひっこめるのを何度か繰り返して。


 そして。


「………ごめん」


 傷ついたような小さな声と共に視界から消えた。


 ややあって、玄関のドアが開き、また閉まる音。


 ほんとに、出て行っちゃった。


 自分でそう言ったのに。


 自分がそうしろって言ったのに。


 何故かものすごく悲しくて。


 私はそのまま床に座り込んで、泣き続けた。

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