20.最高の誕生日プレゼント
どのくらい、そうしていただろう。
ひとしきり泣いて落ち着いた私は、のろのろと立ちあがると、割れた湯のみを片付け始めた。
こんな風に泣いたのって、久しぶりだ。
もしかしたら、父さんの葬式以来じゃないだろうか。
「痛ッ………」
そんなことを考えながら欠片を拾っていたら、うっかり指先を切ってしまった。
痛い、と言っても答える声はない。
少し前までは当たり前だったのに。
なんだかすごく寂しい。
あ。
また泣きそう。
さっきとは理由は違うけど。
「………電話、しようかな」
呟いてから、スマホの充電が切れていることを思い出した。
「………はあ」
ようやく流しを片付け、のろのろとスマホを取り出し、充電ケーブルを差し込む。
細かく振動して充電が始まった。
「和也さんに、お誕生日おめでとうって言いたかったな………」
ベッドの端に腰掛けて、またため息をつく。
ポストに入れたカードに気付いてくれただろうか。
「……映画、どうしよう……」
こんなめんどくさい女、和也さんも嫌だよね。
………捨てられちゃうかな………
と、思ったその時、玄関の方で、ドアが勢いよく開く音がした。
「あ」
そう言えば、和也さんが出て行ってからそのままだ。
つまり。
カギ、かかってない!
一瞬焦ったけど
「綾!」
入ってきたのは、その和也さんだった。
「あ………」
ホッとしたと同時に、何故、戻ってきたのかと訝しむ間もなく、すごい勢いで抱きしめられた。
「ごめん、綾! ホントにごめん!」
「え、あ、の………?」
なんで、こんなに急変してるの?
あ、もしかして。
「綾………」
う……。ちょ、ちょっと締めすぎ……。
「和也、さ………、苦し……」
訴えると、少しだけ腕の力が緩んだ。
でも、ほどいてくれない。
肩口に顔をうずめたまま。
「………カード、見た」
うん、何となくそうだろうと思った。
「俺、自分の誕生日なんてすっかり忘れてて……」
だと思いました。
あ……れ?
和也さんの腕、震えてる………?
「不安、だったんだ」
呟く声も揺れている。
「せっかく付き合ってくれるって言ってくれたのに、あれからずっと忙しくて。同じ職場なのにメールのやり取りだけで………」
確かに、わざとかっていうくらいすれ違ってたよね。
「愛想つかされるんじゃないか、これだから教員はって、また言われるんじゃないかって。でも、時間が全然取れなくて、最終学年だし、手を抜くわけにもいかなくて………」
知ってる。最後の学芸会を成功させようと、必死になってること、知ってる。
「不安で、焦ってた。せっかく捕まえたのに、どこかに行ってしまうんじゃないかって。捨てられるんじゃないかって……」
いや、むしろ私が捨てられると思ってたんですけど?
「今日、ようやく少し時間ができて。せめて飯でもって思ったのに、いなくて。叔父貴に聞いて事情は分かったけど。でもメールしたのに返信がなくて。もう、変な想像ばかりして………」
すみません。
充電してなかったせいです。
「マンションの下まできて、明かりが点いててホッとした。でも、じゃあなんで返事がないのかって。やっぱり嫌われたのかって。部屋に来るのにすごく勇気がいった」
「勇気、が?」
「うん……。怖かったよ。すごく」
「うそ………」
「本当。充電が切れてただけだってわかって、安心した。家に上げてくれて嬉しかった。でも、ゼロネットのデータを見て、やっぱり俺じゃダメなのかって思ったら、カッとなって………」
「……いつも冷静なのに」
「仕事なら、どんな親でも対応する自信あるよ。でも、綾のことは冷静になんてなれない。いつだって余裕ないよ、俺」
そうは見えない。
いつも余裕たっぷりに見えるのに。
「あんなこと、言うつもりじゃなかったんだ。本当は………本当は、ただ、俺を捨てないでくれって………嫌わないでくれって……。ほんと、素直じゃないよな、俺」
「和也さん………」
「ショックだった。君が泣いてるのを見て。俺が泣かせたって。自分で自分を蹴り飛ばしたくなった。どうしていいかわからなくて。ただ、胸が痛くて。何を言っても、何をしても、君を傷つけてしまいそうで、怖くて」
和也さんもショックだったんだ………
私もショックだったけど。
「『森先生』って言われて、血の気が引いた。本当に嫌われた。拒否されたって。もうダメだって」
ええ、まあ、あれは確かに、拒絶の意味でわざとそう言いましたし。
「抱きしめたかった。でも、もう俺にそんな資格はないって。もう、言われた通り帰るしかないって………。帰りたくなんてなかったけど。でも本当にどうしていいかわからなかったんだ」
「和也さん………」
「家に戻って、ポストをみて、カードを読んで、後悔した。ものすごく、これ以上ないくらい悔やんだ。自分で自分を殴り倒したかった。胸が痛くて、張り裂けそうで、でも、どうしていいかわからなくて」
ふっと。
腕が緩んだ。
ゆっくり身体が離れる。
でも、解放されたわけじゃなくて。
和也さんは、私の二の腕を掴むと、顔を覗き込んだ。
「ただ、このままじゃ嫌だ、離れたくない、何とかしないとって、そればっかりで」
瞳が揺れてる。
というか。
………怯えている?
「そしたら急に思い出したんだ。長谷川さんの言葉」
「え?」
長谷川さん?
なんでまた。
「二度と失敗したくないから、言葉を惜しまないっていう」
「ああ……」
言ってましたね、確かに。
それも明らかに和也さんに向かって。
「それで気が付いた。何も伝えてないってこと。会いたかったとも、寂しかったとも」
「それは」
私も、という言葉は喉の奥に消えた。
「その途端、いてもたってもいられなくなった。ただ君に会いたくて。言葉を伝えたくて。謝りたくて………」
「和也さん……」
「綾、ごめん。傷つけてごめん。放っておいてごめん。キープとか言ってごめん。気持ちを疑ってごめん。」
ああ。
前にもあった、こういうこと。
こんな風に、誠実に、正直に、自分の想いを伝えてくれたことが。
「私も……ごめんなさい」
意を決して、口を開く。
誠実には誠実に。
正直には正直に。
「せっかく心配してきてくれたのに、帰れ、なんて言って。ゼロネットを退会してなくて誤解させちゃって」
「いや、それは俺の所為だ。君の所為じゃない。俺が勝手に、居もしない相手に嫉妬しただけ………」
「嫉妬………」
やだ。
なんで嬉しいの、私。
「綾。一緒にいたい。君に嫌われたくない。離れたくない。傍に居たい。泣かせておいてムシのいい話だけど」
え、あの。
これって、その。
なんか、プロポーズみたいなんですけど?
そういう、意味なのかな。
それとも違う意味………?
………どっちでもいいや。
私の答えは変わらない。
「………私も……同じ。会いたかった。寂しかった。でも、忙しい理由はわかってたから、ずっと我慢してた」
「綾………」
「私も、嫌われたくなかったから。わがまま言っちゃいけないって………」
「そんなの、わがままなんかじゃない」
「私が我慢すればいいって、思ってた。でも、違うのね。私も言えば良かった。会いたいって。ちょっとでもいいから会いたいって。こんなに近いんだもの、頑張れば、ほんの少しでも会えたのに」
「それこそ、俺のセリフだ。朝、出かける前に寄ることだってできた。帰ってから、ちょっとだけ玄関先で会うくらいできた。忙しいのを言い訳にしてた」
いつの間にか。
彼の片手が私の首の後ろを支えていた。
「綾………」
ゆっくりと、顔が近づいてくる。
「愛してる」
「私も」
愛してる、という返事は、彼の口の中へ消えていった。
「なあ、一緒に住まないか?」
「え?」
久しぶりの温もりに陶然としていた私は、突然のセリフに慌てて顔を上げた。
「一緒に住めば、毎日ちょっとでも会えるだろう?」
「それは、そうだけど………」
それってつまり、同棲ってことだよね!?
「俺の家なら、2人で住める広さだし」
「でも………」
私の荷物はハンパない。本とか、本とか、本とかで。
「だからさ、しばらく綾の部屋はそのままでいいから」
「……ここを荷物置き場にするの?」
「しばらくの間、ね。身一つでおいで。必要なものがあればその都度取りに戻ればいい」
「………いいの?」
「誘ってるのは俺の方なんだけど」
「………じゃあ、そうする」
答えると同時になんだか恥ずかしくなって、和也さんの胸に顔をうずめる。
「……合いカギ、作らないと」
「ふふ……そうね」
「学校の近くに合いカギ屋さんあったよな」
「あ……あそこじゃ無理。和也さんのとこのカギは、ディンプルキーだから、簡単には作れないはず」
「え、そうなの? っていうか、ディンプルキーって何?」
うわ、そこからか。
「カギの側面が凸凹してなくて、表面にくぼみがあるタイプのカギ」
「あ……そう言えばそうだ」
「あのタイプはね、専用の機会がないと合鍵が作れないの。あるいはメーカー取り寄せね」
「メンドーだな」
「その分、防犯力が高いもの。でもこの場合、契約した不動産屋さんに申請しないといけないハズよ。勝手に合鍵作ったり、同居人増やすのはダメだから」
「え、でも加藤先生とか結婚前に同棲してたよね」
「ちゃんと賃貸契約書の同居人欄に名前がありました」
「え……じゃあ、すぐには無理か」
「……合いカギは、そうだけど……」
「けど?」
「………と、泊りにいくのはアリかなって」
う……。
頬が熱い。
「…………ッ」
「か、和也さんが出勤する時に一緒に出て、カギを預かって、私だけ一旦ここに戻って支度して、帰りは私が先だから、その、預かった鍵で先に戻ってれば………」
「そうしよう!」
ぎゅっと抱きしめられた。
「そうすれば俺が帰ってきた時、部屋に綾がいるんだ………。それ、いい。最高」
「和也さん、大袈裟………」
「大袈裟じゃないよ。毎日綾に会えるだけで嬉しい………。あ、でも、そうすると綾が大変か。ここと向こうと行ったり来たりで」
「ずっと続くわけじゃないでしょ? 不動産屋さんの手続きが完了するまでだもの。それに………」
「それに?」
「私も、和也さんに毎日会いたい。そのためなら、ここと向こうの往復何て、全然大変じゃない」
「綾………。ありがとう」
苦しいくらいに抱きしめられた。
「最高の誕生日プレゼントだよ」




