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*初稿テスト。
*最終稿・連載版は、2027年1月開始予定の『ガールフレンズ・ワンダーランド/柊木陽介の冒険』に掲載予定です。
二〇〇八年のクリスマス、彼女、佐倉八千代は幸せだった。
その朝、彼女はまだ五才だったが、起きると枕元には、きっとサンタクロースが届けてくれたのだろう、そのころ大好きだった犬のキャラクター、青い目と耳が特徴的なそのぬいぐるみが置かれていた。
彼女は、そのぬいぐるみを両手いっぱいに抱きしめると、トタトタトタ。と階段を下り、台所で朝食を取っていた両親に、昨夜サンタが来てくれたこと、彼が自分の願いを聞き入れてくれたこと、いま自分はとても幸福で、この幸福を色んな人に伝えたい、出来得るならば分かち合いたい、みたいなことを、言葉にもならない言葉、感情の前駆体のようなものを駆使しながら伝えた。すると両親は、
「はいはい、よかったわね」とまずは母親がわらって言い、「顔あらって、朝ごはん食べちゃいなさい」
「今日はおばあちゃん家に行くんだからね」と次には父親も微笑して言った。「その子も連れて行くなら、失くさないにしないとな」
と言うのも彼らは、毎年クリスマスになると、となり町にある祖母の家まで行き、一緒に夕食をとることになっていたからである。
「はい。オッケー、かわいいわよ」と八千代の髪を結び終えると母親は言った。「その子といっしょね」
彼女は無理を言って、問題のぬいぐるみと同じツインテールにしてもらったのである。
「いっしょ?」彼女は訊き返した。彼女の髪はルビーのように真っ赤で、ぬいぐるみの髪は青いガーネットのようなブルーだったからである。
「色はちがうけどね」苦笑しながら母親は言った。彼女の髪を軽く持ち、「でもほら、かたちは一緒、姉妹みたいよ」
「きょうだい?」鏡の中の自分たちを比べ彼女はほほ笑んだ。嬉しそうに、「きょうだい?」
「おーい、ふたりともー」玄関から父親の呼ぶ声が聞こえた。「そろそろいくぞー、車に乗ってー」
車で大通りを走っていると、大きな荷物を持った親子が目についた。この日の空は、前日の雨から一転、強い冬の日差しが届く澄んだ青色をしていたが、それでも通りを渡る風は冷たく、コートや手袋、マフラーなんかが手放せない日でもあった。
「くそっ」とそれからしばらくがして父親は言った。祖母の家へと曲がる手前でUターンして、「やっぱり見てられん!」
「どうしたの?」母親が訊いた。
「さっきの親子だよ」父親は答えた。「この寒い中、子どもの方はうすいワンピースだったじゃないか」
それから父親は、問題の親子のところまで戻ると彼らに声をかけた。父一人に娘一人、娘の方は多分八千代と同い年だった。
「駅まで送って行きますよ」父親は言った。「ここからまだ何kmもある。そんな大荷物、大変でしょう」
彼らは、富山にいる親戚の家へと向かうため、三つ先の駅を目指しているところだった。
「さあ、遠慮しないで乗って」父親は続けた。「あなたは助手席に。お母さん、すまない。その子と八千代と後部座席に座ってくれ」
八千代と母親は女の子をはさんで座るような格好になった。たしかに女の子はうすいワンピース姿で、着の身着のまま家から歩いて来たという感じだった。すこし震えていた。
「では、仕事の当てはあるんですね?」八千代の父親が訊いた。
「いとこの話ではなんとかなるだろうと」親子の父親は答えた。「とにかくこっちへ来い、と言ってくれまして」
それから彼らは、自動車会社の生産調整や雇い止め、米国発のなんだか難しいお金の話をはじめ、八千代は女の子と学校やなんかの話をした。彼女は八千代のぬいぐるみをうらやましそうに見ていた。
「いえ、さすがにそれはいけません」親子の父親が言った。
「そんな遠慮なさらず」八千代の父親は応えた。「夕食と言っても粗末なものばかりですし、母も喜ぶでしょうから」
彼は、祖母の家のクリスマスの夕食に、この親子を誘おうとしたのである。であるが、
「すみません、佐倉さん」と親子の父親は、この招待を固く断わった。「さすがに、さすがにそこまでご厚意に甘えるわけにはいきません」
そのため、それからふたりは、すこし静かになると、金融だか経済だかの話の続きを始めた。失われた十年がどうとか、そろそろ二十年ですねとかなんとか、失われた世代がどうとか、厳しい時代が去ってはまた来る、それの繰り返しですよ、とかなんとか。
「バス代は? 大丈夫ですか?」駅に着くと八千代の父親は訊いた。
「ええ、はい、それくらいならなんとか」親子の父親は応えた。
それから八千代の父親は、コートのポケットに手を入れると、ちょっとしたお金を取り出して親子の父親の手に握らせた。するともちろん、相手はそれを彼に返そうとしたが、彼は彼で頑なにそれを受け取ろうとはしなかった。二人でなにか食べ物を、とか、娘さんになにか温かい服でも、とかなんとか。
すると、そんな彼らのやり取りを見ていた八千代は――くり返しになるがこの日、彼女、佐倉八千代は幸福だった――手にしていたぬいぐるみ、今朝サンタのおじいさんから貰ったばかりのぬいぐるみを、目の前にすわる彼女、うすいワンピースの女の子に持たせた。
「なに?」女の子が訊いた。
「あげる」と八千代は応えた。「なまえはガーネット。なかよくしてあげてね」
*
さて。
わたしがここに、右のような昔話を書いた理由は、例によって例のごとく、脱線をやらかしては字数稼ぎをしてやろうと考えたわけではもちろんなく、今回語る物語、二〇二五年のクリスマスに起きた、とある事件を語るに際し、我らがヒロイン・佐倉八千代嬢の性格、あまりの幸福に手にしたばかりのぬいぐるみを見知らぬ女の子にあげてしまう彼女の性格を、先ずもって読者の皆さまに印象付けたかったからである。なぜなら、そうしておかなければ、これから語る本編の中での彼女の行動が、あまりに唐突、あるいは調子っぱずれ、あるいはまるでおとぎ話の主人公のように見えてしまうから、とそう私が判断したからである。
そう。
これから話すお話の中で、彼女は一貫して、至ってまったく正気であったし、であったがこそ、それに関わった森永久美子女史、そうしてあるいは柊木陽介氏が取った行動も、まったくの正気の沙汰だったのである。
*
二〇二五年十二月二十五日の正午過ぎ、私は、手島通りにある柊木陽介さんの事務所を訪れていた。
「すみません、散らかっていまして」と柊木さんは言った。
このとき彼は、白のドレスシャツに細身の黒のジーンズ、それに紫のウールカーディガンを羽織っていたが、それはいつもの、スーツ姿でピシッとした彼のイメージからは少しはなれ、どこか休日の、昔のロックスターかなにかを想わせるものであった。リビングの長椅子には、しばらく横になっていたのだろう寝跡が付き、その横のサイドテーブルには、くしゃくしゃになった新聞の朝刊と電子タバコ、それにスマホと片目用のルーペ、さらにはピンセットと一枚のトレーディングカードのようなものが置かれていた。
「こちらこそすみません」私は言った。「ひょっとしてお仕事中でしたか?」
「あ、いえ」柊木さんは答えた。テーブルの上のトレーディングカードをポケットにしまいながら、「つまらない事件で。それもほとんど謎が解けたところなんですが」とここで、私のうしろに立つ女性に目を向けた。「そちらが今回の依頼人?」
そう。このとき私はひとりではなかった。切羽詰まっている彼女、森永久美子さんと一緒だった。彼女は言った。
「樫山先生からお話を聞いて」その声は少し震えていた。「あなたなら頼りになるだろうと、必ず彼女を捜し出してくれるだろうと、それでこうしてお願いに」
「彼女?」柊木さんは訊き返した。「すみません、お嬢さん。樫山先生のメールには『頼みたいことがある』とだけあって、まだ事件の詳細までは聞いていないのですよ」
「え?」と驚いた顔で森永さんがこちらを見た。私は応えた。
「ごめんなさい、森永さん、柊木さん」とふたりに。「彼女の名前を出すと柊木さんが会ってくれないと想ったもので……」
すると、このセリフだけで事情を察したのだろうか柊木さんは、
「ちょっと待って下さい、樫山先生」と少し難しい顔になりながら言った。「それはつまり、佐倉さんのことですか? 佐倉八千代さん?」
「は、はい! そうです!」私の代わりに森永さんは答えた。「彼女が、昨夜別れてから彼女と、彼女との連絡が取れないんです。まったく」
*
森永さんの話はこうだった。
「昨日、クリスマスイブの昨日は、夕方から『シグナレス』でちょっとしたパーティーがあり、私も八千代さんに誘われて参加していました。『仮装して来るように』とのことでしたが、そこは恥ずかしかったので、茶色の服にトナカイのカチューシャだけを着けてお店に行きました」
いま名前の出た『シグナレス』とは、要は、いつものあの喫茶店のことで、そこでは、クリスマスになると必ず、常連の方々を呼んでは、いつもよりちょっと豪華な食事と飲み物をいつもと同じお値段で提供、プレゼントの交換や、お客さんによる手品や歌など、ちょっとしたい隠し芸大会みたいなことが催されていた。で、恥ずかしがり屋の私や森永さんと違い、八千代ちゃんはもちろんあの性格なので、
「彼女は全身サンタクロースの格好で、しゃべり方もおじいさんみたいな感じにして」
いつものように笑顔を振りまいては、いつものようにウェイトレスのお仕事をしていた。
「私は、そんな彼女の様子をほほ笑ましく見ながら、他のお客さんたちと食事やおしゃべりをして過ごし、遅くなり過ぎる前に帰ろうとしましたが――」
*
「えー、森永さんもう帰るんですかー?」と言う八千代ちゃんに止められたのだという。「八時半には上がれますから、一緒に帰りましょうよー」
「え? あ、でも――」と森永さんはすこしためらったが、
「駅前のライトアップ、昨夜見たら結構よくてー、一緒に見に行きません?」と続ける彼女の笑顔に負け、結局最後までいたのだと言う。
*
「なるほど?」とここで柊木さん。電子タバコに手を伸ばそうとしてそれを止め、「失礼ですが、おふたりのご関係は?」と彼女に訊いた。「たぶんにご友人でしょうが、すこし年が――十才くらいですか?――離れている。彼女は普通の……というと語弊がありますが、普通の大学生。あなたはマンガの……しかもあのカトリーヌ・ド・猪熊先生のアシスタントだ。喫茶店の客とウェイトレスという以外の接点もあったのでは?」
すると、この質問に森永さんは、「ええ、はい、実は」とそのまま答えを返そうとしてハッとなり、「え? あれ?」と私の方を向いた。
「あ、ちがう、ちがう」私は返した。「私からはなにも。こういう方なの――柊木さん?」
「え?」と彼は応え、森永さんに謝った。「これは失礼。職業柄、会った方の素性をついつい推理してしまう癖が――」
「で、でも」彼女は訊いた。「どうやって猪熊先生のことまで?」
「あ、いえ、初歩的な推理ですよ、森永さん」彼は答えた。「まず、あなたが持たれているそのカバン。かなり大きく、旅行カバンにも出来そうな頑丈なキャンバストートだ。しかもかなり年季が入っている。がしかし、あなたご本人はそれほど旅行が好きというタイプには見えない。であれば、通いや泊まり込みの多い仕事か趣味を持たれているのだと推測できる」
「はあ」
「上衣はゆるく、肩回りが突っ張らないものを着られている。日頃から腕を大きく動かす仕事をされているからだし、色が濃いめなのは、きっと汚れてもいいものを着慣れているからでしょう」
「なるほど?」
「椅子に座られたとき、若干腰をかばうような動きをされた。軽い腰痛があり、長時間椅子に座っている仕事だと分かる」
「あ……たしかに」
「右手にはペンだこ、カバンにはコピックかなにかの染みがあり、絵を描くお仕事、服の件とも合わせて考えると、アナログ的な絵のお仕事をされていることが分かる」
「猪熊先生のアシスタントと言うのは?」
「あの喫茶店の常連と言うことは、この辺に住まれているか、近くにメインの仕事場があるからだし、またあなたは、大変聡明な顔立ちをされてはいるが、個人で立つには少々気の弱い感じを受ける。このあたりでいまだアナログ作画にこだわり、長い期間おなじアシスタントを雇える余裕がある方を想い浮かべろと言われたら、私は、カトリーヌ・ド・猪熊先生くらいしか想い付きませんね」
「はあー」とここで森永さん。とても感心し、「あ、いえ、まったくその通りです」
すると柊木さん、ここで止めておけばよかったものを、
「ああ、あとご年齢については、かばんの使い込み具合と、あなたの肌のご様子から判断させて頂きましたよ」と続け、少々顰蹙を買うことにもなった。「顔のつくりが幼いので少し戸惑いましたが、三十か三十一、どうです? 当たっていますか?」
(続く)




