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きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第二章 冷戦の幕開け
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第一話 狙ってる相手

「出席取るから席つけー」


 アメコミのTシャツの上に黒いパーカーにジーンズという出で立ちで、細谷教授が教壇に立つ。

 美大の教授だからこそ許されるのだろうラフな格好は、妙に様になっていた。

 少し癖のある長めの前髪を片手でがしがしと掻き上げる仕草は、男っぽいを通り越して雄っぽい。作品ではなく細谷教授本人のファンの女子たちの溜息が聞こえてきそうだ。


 さすがは人気授業というべきか、三十人の席はひとつも欠けることなく埋まっていた。偽物が混じっていなければ、だが。

 それを危惧してか、細谷教授は欠伸でもしそうな気怠げな態度ながら、有坂から順に名前を呼び上げていく。

 基本、この授業の出席は点呼形式だ。

 態度からいっても、細谷教授が全員の顔を覚えているとは思えなかった。だが、ひとりずつこうして呼ばれる形式の授業で、代返をしようという強者はそうそう出てこない。

 それに、細谷教授が気づかずとも学生たちは気づくだろう。


 何せ映像表現実習は週に二コマある上に、学生同士、話し合いの場を設けられることも多かった。

 おかげで人の名前と顔を覚えるのが苦手な流空も、この授業のメンバーだけはある程度見分けがつくようになっていた。

 ようやくラストである流空の名前まで呼び終えると、細谷教授は『二十分』とホワイトボードの中央に殴り書きをする。


「この授業の最終目標が、これだ」


 書いたばかりの二十分の文字を、手の甲でノック。

 二十分とだけ言われても、なんのことかわからない。

 二十分で何かを作るのか、二十分の何かを作るのか。

 まさかこの授業を二十分で終わらせたい、というわけでもないだろう。

 学生たちが出方を見守っていると、細谷教授がにやりと口角を上げた。


「お前たちには、前期の間に二十分の映像作品を制作してもらう」


 学生たちの目の色が、明らかに変わる。


「題材はなんでもいい。出来上がった作品は前期試験前辺りから全員で鑑賞し、その後講評を行う。一応言っとくが、試験はしない」


 わ、と教室内が喜びの声であふれた。しかしすぐに、細谷教授のよく響く低音がそれを遮る。


「テストがないってことは、提出した課題が評価のすべてになるってことだ。出さなかった奴は問答無用で落とす」

「それって、出席率は……」


 怖い物知らずの学生が、おずおずと手を挙げた。それに、忘れてたという顔を隠しもしないで細谷教授が腕を組んだ。


「そういやそうだな。七対三くらいにするか。課題だけじゃ優はつかないし、逆に課題を出さなきゃ出席率百%でも落第だ」


 歓喜の空気が一転、それぞれが反応を見るように顔色を窺っている。

 流空が美大に入ってから難しいと思ったテストのひとつが、自由創作の作品提出ものだ。

 ペーパーは勉強すればある程度点数が取れる。

 けれど、創作ばかりは評価の基準が推し量れない。

 基礎的なことをクリアしていれば、あとは教授の好みによると言ってもいい。

 芸術家が聞いたら怒りそうな発言だが、流空からすれば採点する教授の趣味によって点数がつけられているとしか思えなかった。


「安心しろ。成績は絶対評価でつける。周りと比べてつけるってこたねえから、自分の中の最高作品をぶつけて来い」


 こういうところが、この人も芸術家だなと思う。

 ぶつけるようなものがない者のことなんて、端から頭にない。

 課題を提出しさえすれば、それがどんな駄作でも可はつくのだろうか。

 周りの学生が闘志に燃え始めている中、流空は冷めた頭で考える。


「教授、課題は実写だけですか?」

「実写でもアニメでもなんでもいいぞ」

「やった! クレイアニメでもいいってことですよね?」

「二十分作り切れんならなー」


 映像表現実習は選択科目なので落としたところで即留年とはならない。

 しかしコマ数が多いだけに、全体の単位数に響いてしまう。

 この授業を申し込もうと思った時にある程度覚悟していたことではあったが、地味に痛かった。


 創作に対する情熱がない流空がこの授業に申し込んだのは、細谷教授の撮る映画が好きだったからだ。

 ガラスというより、シャボン玉のような繊細さ。

 乾いた指で触れると割れてしまうのに、濡れた指ならば割れずに寄り添ってくれる。

 まるで優しくする相手を選ぶかのような空気感に、何故か惹かれた。


 あの映画を撮る人が何を考えているのか、間近で見てみたい。


 彼の授業を自分の道に活かそうと思っている学生からしてみれば、不純な動機だろう。

 流空もそう思っていたので、抽選に落ちたならそれでいいや、くらいの気持ちで申し込んでいた。

 その結果こうしてこの教室にいるのは、運によるものだろう。


 流空がぼんやりと考え事をしている間も、教室内は細谷教授と学生のやりとりで盛り上がっていた。

 確かに同じ空間にいるのに、ガラスの向こう側を見ているような距離を感じる。


「はい」


 不意に目の前に現れた白い紙に、はっと目を上げる。

 身体を捻った姿勢のまま、小夜が怪訝な顔をこちらに向けていた。

 一テンポ置いてから、プリントが配られたのだと気づく。

 いつまで立ってもプリントを受け取ってもらえないから、仕方なく声をかけた、といった雰囲気に慌てて手を伸ばした。


「ごめん」


 流空が受け取ったのを確認してから、小夜は前へと向き直る。

 目はとっくに逸らされていた。

 机の上に紙を放り出さない辺りが、妙に律儀だと思う。


 受け取った用紙をひっくり返してみたが、何も書かれていなかった。

 真っ白なコピー用紙だ。

 ぼうっとしている間に何かの課題が出されたのかもしれない。


「なあ、この紙何に使うの?」


 小声で野本に聞くと「聞いてなかったのか」と呆れた顔をするのに、身を乗り出して教えてくれようとする。

 やはり人がいい。


「自分の名前と学科。撮りたい映画の傾向と、できること。もし指名したい奴がいたらそいつの名前を書いて、提出だってさ」

「できることって?」

「シナリオ書けますとか、編集得意とかそういうのだろ。俺だったら、絵コンテ切れるとか」

「え、すごいね」

「アニメ科なめんな」


 相当自信があるらしく、野本は胸を張る。

 課題をアニメ映画にする奴には、かなり心強い相棒となるに違いない。


「指名っていうのは?」

「もう組みたい奴が決まってるならって話。あ、言っとくけど俺は駄目だぞ」

「どこからくるの、その自信」


 思わず吹き出しそうになるのをかろうじて堪える。

 けれど、表情までは隠せなかった。


「笑うかー? そこで」

「好意的な笑いだよ? 面白いなと思って」

「上からだなー、おい。俺を指名したいって奴はきっと山ほどいるって。けど、そうじゃなくて。ふたり組のうち、片方は映像学科の奴にしろってお達しがあったんだよ」

「え、なんで?」

「映像学科がいないと、いくら二十分でも映画を撮るなんて難しいからじゃん?」


 どうやらそこについては詳しい説明がされていないらしいが、野本の説明には説得力があった。


 この授業を受講している学生たちはみんな、基礎的な座学は履修済みでも実践的なことは学科によってやってきたことが違う。

 写真学科で言えば、動画についての知識はおまけ程度のものしかなかった。

 一応機材の使い方や製作工程は頭に入っているが、いきなり映画を撮れと言われても途方に暮れてしまうだろう。


「映像学科とペアか……」


 一瞬、視線が勝手に前を向きそうになった。その視線の動きには気づかずに、


「なに、誰か狙ってる奴いんの?」


 流空の呟きを野本が耳ざとく聞きつける。

 マイクみたいにして突きつけられたシャーペンの尻を、そっと手で横に押し流した。


「そういう当てはないよ」


 『映像学科』と聞いて、真っ先に小夜のことが頭に浮かんだ。

 もしも彼女とペアになれれば、必要以上に空いてしまっている距離が、少しは縮まるかもしれない。

 あの日向けられた視線の意味も、聞くチャンスができる。

 もっと上手くすれば、友達に。


 そこまで考えて、溜息と共に淡い期待は吐き捨てた。

 いくら流空が指名したところで、相手にされもしないだろう。


 それに、試験の変わりになるくらいの課題だ。

 二十分の映画制作がどれほど大変なものか流空にはピンとこないが、残りの前期授業時間をその制作にあてがって終わる程度のものなのだろうか。


 そもそも、細谷教授は前期の間に課題を出すと言っただけで、この授業の時間をすべてその課題制作に当てるとはひと言も言っていない。

 教授の性格から想像するに、授業は授業として行われる可能性が高いと流空は踏んでいた。


 とすると、課題制作には個人の時間を割く必要が出てくるだろう。

 つまり、ペアの人間とは授業どころか、下手をすると休日まで一緒に過ごす羽目になる。

 それだけ長い時間を共に過ごす相手に毛嫌いされている相手を指名するのは、無謀というものだ。


 真っ白な紙を見つめ、また溜息をつきそうになった。

 流空が埋められないのは、指名の箇所だけではない。


 撮りたいものも、特になかった。


 写真ならばまだ書けたかもしれないが、映画となるとイメージすら浮かばなかった。

 こんな中途半端な人間と組まされる相手は気の毒だな、と他人事のように思う。

 細谷教授も、どうせ課題を出すのなら個人製作にしてくれればよかったのに。


 身勝手なことを考えながら、ひとまず自分の名前と学科、学籍番号だけを真っ白な紙に書いていく。

 野本はすでに書き終えたらしく、反対隣りの学生と談笑していた。

 さすがに撮りたいものを何も書かないわけにはいかず、紙に向き直る。


 二十分で撮れるもの。


 アニメは絵が描けない時点で無理だとして、実写なら噓でできた物語がいい。

 フィクションよりもよほど破天荒な現実には興味がなかった。

 映像の中でくらい、優しい物語を見ていたい。


 だから、撮りたいものは「フィクション」とだけ書いた。

 特技は「人に合わせること」と書きかけて、消した。


 悩んではみたがそれ以上書けることもなく、紙はやたらと白の面積が多くなる。

 ようやく書き終えて顔を上げると、視界がやけに開けていた。

 小夜が、机に覆い被さるほど姿勢を低くしていたからだ。



 ──毎日毎日、ビデオカメラを回し続ける。



 この現実世界の中に、彼女は何を見ているのだろう。



 希望用紙は、授業終了後に各自教壇に出すことになった。

 一番後ろの席の学生が自分の列の学生分を集める形式ならよかったのにと思う。

 そうしたら、小夜の書いたものを盗み見ることもできた。

 我ながらせこいことを考えると思うが、気になるものは仕方がない。


 ペアの調整は細谷教授によって行われ、来週発表されるとのことだった。

 特に希望も熱意もない自分と組む相手に、今から謝っておきたい。

 せいぜい足を引っ張らないよう、特技になり損ねた協調性だけは発揮しようと思う。


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