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きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第二章 冷戦の幕開け
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第二話 人生の九十%ははったりでできている

「それで、ほぼなんの主張も書かないで出しちゃったの?」


 コーヒーの香ばしい香りの漂う店内には、今日も古めかしい蓄音機からクラシック音楽が聞こえている。

 閉店に近い時間ということもあり、客はふたりほどしか残っていなかった。

 そのうちのひとりは、気持ち良さそうに船を漕いでいる。


「下手なこと書くよりマシだと思ったんですけど」

「そうかもしれないけど、それで前期の運命が変わっちゃうと思うなあ」

「運命って……大げさですよ」


 マスターは流空の大学での話を聞くのが好きだ。

 恋愛が絡んでいるともっと嬉しいらしいが、生憎と提供できるような甘酸っぱい話のネタがない。

 元より、恋人がいる時期でもマスターが望むような少女漫画染みた雰囲気になったことはないのだが。


「せめて特技くらい書けばよかったのに。女の子を撮らせたら天下一品とか」

「噓じゃないですか、それ」

「はったりも生きていく上では必要だよ。僕なんて、人生の九十%くらいはったりでやり過ごしてきたからね」


 残り十%は何で乗り越えてきたのだろう。

 実力にしては少なすぎないか、と聞くのも微妙な気がして笑って流した。


「見栄を張ってあとで苦労するくらいなら、正直に生きますよ」

「渡会くんはそういうところあるよねえ」


 そういうとはどういうところだ。

 グラスを磨く手を止め、視線だけ横に投げると存外柔らかい瞳にぶつかった。


「自分に噓がつけない不器用な感じ。人には簡単に噓つきそうなのに」

「……マスターって、たまに僕に厳しくないですか?」

「褒めてるよ」

「どこがですか。とにかく、変に主張して舵取りするより、人に合わせたほうが上手くいきますよ」

「人に合わせるねえ」


 マスターはまだ何か言いたげな顔をしていたが、時計の針が閉店時間を指すとレコードを変えにカウンターを出て行った。

 店内に、ショパン作曲の別れの曲が流れ始める。

 ベタな選曲だとは思うが、これが流れると残っていた客は何も言わずとも自分から帰り支度を始める。たとえそれがうたた寝をしていた客でも。


 最後のひとりを見送ると、裏からタオルを頭に巻いた厨房担当の槇が顔を出した。

 やけに逞しい怒り眉をしている上にがたいもいいので勘違いされやすいが、調理の際に出た果物や野菜の切れ端をいつも店の裏に設置してある鳥小屋に置いてやっているくらい心優しい人物だ。

 エトワールを肥えさせた張本人でもある。

 店に顔を出すと怖がられるからと、客がいる間は絶対に厨房から出てこない。

 元来、気が小さいのか、槇は声も小さかった。

 せめて見た目の持つ迫力の半分でも声量があればいいのに、とはマスターの言だ。


「今日の賄い、何がいいですか?」


 遠慮がちに聞かれ、マスターを呼ぶ。

 グラスマティネでは、早番なら昼に、遅番なら夜に賄い飯が出る。

 昼は問答無用で全員同じメニューになるが、夜は客に急かされることもないので基本好きな物を作ってもらえた。

 そのせいか、遅番は人気がある。

 流空もバイトに入る時は遅番にしてもらうことが多かった。

 ひとり、家で食べるご飯にはもう飽きた。


「そうだなあ」


 手早くレコードをサティのジムノペディに変えてから、マスターが薄っぺらい自分の腹を手で擦りながら戻って来る。

 腹の虫との相談の結果は、半熟卵のオムライスらしい。


「渡会くんは?」

「僕も同じものをお願いします」


 調理の都合上、同じメニューのほうが手間は少ない。

 今から作ってくれる槇への気遣いもあったが、正直言うとリクエストするほど「これが食べたい!」という希望がないからだった。


「……少し待っててください」


 同じものを。

 そう流空が言うと、何故か槇は少しだけ怒り眉を下げる。

 理由はなんとなくわかっていた。

 たぶん槇は、流空が遠慮していると思っているのだろう。

 そして遠慮させているのは自分のせいだと思っているようだが、それは違う。

 誰が厨房の時でも、流空はリクエストをしなかった。


 なんでもいいからリクエストすれば槇の気も晴れるのかもしれないが、ついメニューを聞かれるとそのことを忘れてみんなと同じものを頼んでしまう。

 厨房に戻っていく槇の大きな背中は、心なしかしょげているように見えた。


「あ~あ。また槇くんのこと泣かして」

「人聞きの悪いことを言わないでください」


 泣かしてはいないが、がっかりはさせているかもしれない。

 その自覚があるだけに気まずく、布巾を手にカウンターからフロアへ出た。


「たまには注文してあげればいいのに」

「たまたま、僕もオムライスの気分だったんですよ」

「ふうん。でも……」


 途中で切られた会話が気になり、テーブルを拭いていた手を止めてカウンターを振り返った。

 マスターはそれを待っていたように目を細める。


「人に合わせるのと、協調性があるっていうのは別物だからね?」


 え、と呆気に取られている間に、


「槇くん、僕サラダは柚ドレッシングがいいな~」と、マスターは流空を置いてさっさと厨房に行ってしまった。


 やはり、マスターは流空に優しくて厳しい。

 この年になると誰も本当のことなんて教えてくれないからある意味では有り難いが、言われた言葉が重くのしかかる。


「……知ってますよ、それくらい」


 だから、特技にも書かなかったんじゃないですか。

 負け惜しみめいた言い訳は、面と向かって言えるはずもなかった。



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