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きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第二章 冷戦の幕開け
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第三話 ご用命はメールで

 金、土、日とバイトで時間を埋めている間に、映像表現実習での出来事を流空はすっかり忘れていた。

 だから、火曜に教室に入った時の、妙にそわそわした空気に首を傾げた。


「いよいよだな」


 挨拶もそこそこに野本に言われ、さらに首の角度が深くなる。

 それを見て、野本は呆れを通り越して憐れみの表情を浮かべた。

 軽く周囲の様子を伺い、ようやくペア決めのことを思い出す。

 流空には期待もない分、不安もなかった。


「今日だっけ」


 気の抜けた流空の返事に、野本はこれみよがしにがっくりと肩を落とす。

 アニメ染みたその動作も、野本がやるとどこか洗練されていて愛嬌があるからいい。


「お前ね、ペアを組むヤツ次第で前期の運命が決まるんだぞ!」


 それはもう聞いた。と内心で苦笑する。


「そんなこと言っても、自分で選べるわけでもないんだから慌ててもね」

「そうだよ! もう、どこの誰と組むか決まっちゃってるからこそ、落ち着かないんじゃん! あ~神様仏様、三次元の女子を俺に……!」

「……期待してるのそこなの?」


 てっきり、凄腕の映像学科の学生と当たることを期待しているのだとばかり思っていた。


「こんな機会以外にどうやってリアル女子とお近づきになれって? 世の中の男がみんなお前みたいにモテると思うなよ」


 どうやら、これ以上この件には触れないほうがいいらしい。

 明らかな八つ当たりを避けようと、話題を先に進める。


「まあ、女子のほうが微妙に人数多いんだし、確率は高いんじゃない?」

「だよな! アニメ科調べによると、三十名中女子は十六人。さらにそのうち映像学科はなんと、十一人。つまり……その十一人の枠にさえ入れればいいことになる!」


 男は十四人いるので、女子と組む確率はかなり高くなる。

 と言いたいところだが、男も映像学科が一番多いのだから、男同士、女同士のペアが作られてもなんら不思議はない。

 冷静になればそのことに気づいただろうに、野本の脳内ではペアと言えば男女、という固定観念ができあがってしまっているようだった。

 何も、わかる前から傷口に塩を塗り込むことはない。

 そっとしておこうと、流空は曖昧に頷いた。


 野本と組む相手は、男女どちらでもきっと楽しく課題に取り組めるだろう。

 この短い付き合いだけでの判断だが、たぶん間違ってはいない。

 野本がなおも熱弁をふるう中、小夜が友人と共に教室に入って来るのが見えた。

 撮りながら来たのか、ビデオカメラを手に持ったままだ。

 昨日、同じ授業の時に一方的に顔を見てはいたけれど、こうしてちゃんと顔を合わせるのは土日を挟んでいる分、久しぶりな感じがした。


 小夜は前のドアから入ってきたので、必然的に流空と顔を合わせてから席につくことになる。

 視線が合えば挨拶のひとつもしたいところだが、これまでこの授業で小夜と目が合ったのは、初回のただ一回だけだった。

 あとはカメラを向けて怒られた時もあるが、あれは目が合ったというより「睨まれた」が正しい。


 小夜の友人が自分の席に向かうと、小夜はビデオカメラをさりげなく横に向けてから、細い通路を歩いてくる。

 教室全体を撮るためかもしれないが、流空には自分が映り込むのを避けているように感じた。

 撮られたいわけではないからいいのだけど、いいのだけど……もやもやする。

 目を眇めそうになっている自分に気づいて、小夜のカメラと同じように流空も視線を前から横へと向けた。

 思ったよりも、被害妄想が強くなっている。

 意識しないようにとわざわざ横を向いたというのに、その流空の所作で野本が会話を切り、前に視線を向けてしまった。

 お、と眉が軽く上がる。


「おはよう、鷲尾さん。今日の発表、緊張すんねー」


 いつの間に、挨拶をするような仲になっていたのか。

 知らず、流空の肩に力が入った。

 誘惑に負けて、小夜の様子を窺う。

 挨拶を寄越された小夜は、目を丸くしていた。

 なんだ、別に仲良くなったわけじゃないのか。とほっとしかけて、何故ほっとする必要があるのかと首を傾げる。


 その間に、小夜が「うん、少しだけ」と返事をした。


 その声が、流空に向けられるものとは違う温度なことに、地味にダメージを受ける。

 もしかしたら、男子全般に厳しいタイプではないのかという、心のどこかで抱いていた期待はあっさりと裏切られた。

 小夜はさっさと席につき、ふたりの会話はそこで途絶えた。


「挨拶くらいすりゃいいのに」


 小声で野本に言われる。流空だって、できる雰囲気ならしていた。

 だが、完全に流空をいないものとして接している相手に、横から「俺も緊張するー」などと横やりを入れるような度胸は備わっていなかった。

 野本なら、できたのかもしれないが。

 それにしても、この積極性とコミュニケーション能力があれば、何もペア制度に頼らなくてもすぐに恋人ができそうなものだけど、と思う。


 流空があまり会話に乗ってこないので、野本はつまらなそうに肩を竦めた。

 話し相手を失ったので前へ向き直ると、小夜の小さな背中が目に入る。

 何をしているのかまでは見えないが、緊張感だけは伝わってきた。

 それは、さっき言っていた『少しだけ』というには無理のある緊張具合に思えた。

 流空以外に対しては対人関係で苦労しているようには見えなかったが、ペアで三、四ヶ月も組む相手が決まるとなると心構えが違うのかもしれない。



 ──流空とだけはペアになりませんように。



 そう祈られていたらどうしよう。

 ふと、そんな考えが脳裏をかすめる。

 あながちないことでもないなと、苦笑いしそうになる。

 どうしようも何も、嫌われているのなら仕方がない。

 興味があるだけに残念だ、とすでに小夜とペアになることは諦めている自分がいた。

 もし小夜のペアの相手が野本だったら、小夜がなんの映画を撮ろうとしていたのかくらいは教えてもらえるかもしれない。

 あとはそこに賭けようと、勝手に他人に望みを託した。


 教室内が奇妙な期待感で息苦しくなってきた頃、ようやく細谷教授が顔を見せる。

 始業のチャイムとほぼ同時だった。

 いつも通りに出席を取り、いつも通りに授業に入る。

 その五分後、堪えきれなくなったらしい男子学生が勢いよく手を挙げた。

 それを見た途端、教授が吹き出す。


「わーってるよ。組み合わせが気になるんだろ?」

「わかってるなら、もったいぶらないでください!」


 もっともな意見に、そうだそうだと声が上がる。

 男子学生のみならず、女子も大半がそのノリに乗っかっていて、ちょっとした一体感ができあがっていた。


 流空と、小夜を除いて。


 自分が輪に入れないのはわかっていたが、小夜も傍観者側に回っていることが意外だった。

 自分たちの周りだけ奇妙に温度が違う。

 流空からは小夜が見えているおかげで、孤独感や疎外感は薄かった。

 けれど、前を向いたまま微動だにしない小夜はどうなのだろう。

 それとも流空が勝手に親近感を覚えているだけで、そこに共通意識なんてものはないのか。

 ひとしきり学生に騒がせてから、細谷教授が軽く手を振った。

 それだけで教室が静まり返る。


「若いってのは馬鹿っぽくていいねえ。そんだけ期待されると引き延ばすのも酷か」


 さりげなく酷いことを言われた気もしたが、発表を待つ学生たちにすればどうでもいいことらしい。

 わっ、と歓声が上がる。


「じゃ、今からふたりずつ名前呼ぶから、呼ばれた奴らは順に左前から座ってけー。前のほうの奴らはもう後ろ移動しとけよ。邪魔んなるから」


 大雑把に仕切られ、前の席の連中がわたわたと荷物をまとめて後ろへと移動してくる。あっという間に教室の左半分がガランと空き、流空たちが座っている席辺りの人口密度が急上昇した。

 荷物持参なので、狭苦しいことこの上ない。


「有坂ー、橋本ー。まず一番前から詰めてけ。次回以降、この席にすっから、忘れるなよー。あ、左側に映像学科の奴が座るようになー」


 ふたりめの名前が呼ばれた時点で恐る恐る野本を見ると、机の上で組んだ手に、額を強く押しつけていた。


 ひと組目はふたりとも──男。


 それだけ、野本が女子と組む確率は上がったことになる。

 しかしそれは、男同士のペアもあり得るのだという現実を突きつけられたことにもなる。

 野本が何かぶつぶつ言っている。

 呪文のように聞こえるそれには、聞こえないふりをした。

 ここまで真剣に祈っているのを見てしまうと、叶えてやってほしいと他人事ながら思う。

 神様なんて、いないのだろうけど。


 次々と生まれる男同士、女同士のペアに、野本の手がいよいよ震え出す。

 まさか、男女ペアを作る気なんて細谷教授には初めからなかったのか。

 そんな考えが浮かび始めた頃、野本の名前が呼ばれた。

 水城、というのが野本の前に呼ばれた映像学科の学生の名前だったが、流空にはそれが男女どちらなのかわからなかった。

 けれど野本が立ち上がると同時にガッツポーズを取ったので、女子だったことが判明する。


「神は俺を見捨てなかった……!」

「よかったね」

「お前も、まだ望みはあるぞ」


 勝者のみができる晴れ渡った笑みで、野本は席を移動していった。

 それを、残った男たちとすでに男ペアにされた者たちが羨ましげに見送る。

 野本とペアになったの子はどんな子だろうと、目で追った。流空の座っている席から、三つ前の席に野本が座る。

 そこまで確認して、ようやく残っている人数が自分も含めて、あと六人しかいないことに気がついた。

 流空の席的にわざわざ立つ必要もないだろうと座ったままだったせいで、残りの人数に気づかなかった。

 そっと後ろを見ると、席を離れていた小夜が目に入る。


 小夜がまだ、残っている。


 野本のことばかり気にしていて、自分と組む相手が誰になるのかまで意識がいっていなかった。


 残っているのは六人きり。

 これはもしかしたら、もしかするかもしれない。


 まさかの成り行きに、どうでもいいと思っていたはずのペア決めが急に緊張感を伴うものになった。

 彼女とペアになりたいのか、なりたくないのか、自分でもよくわからない。

 いつも何を撮っているのか、映画では何を撮りたいと思っているのか。

 小夜とペアになるだろう誰かにあとで聞いてもらえばいいやと思っていたことを、自分が実行することになるかもしれない。


 勝手に意識し始めた流空のことなどおかまいなしに、名前は呼び上げられていく。

 今までの流れから、映像学科の学生の名前順に呼ばれていっていることはわかっていた。

 小夜の苗字は、鷲尾。


 一番最後である流空のひとつ前だから、最後まで名前を呼ばれなければ──流空とのペアが確定する。

 ひとり、またひとりと名前を呼ばれていくのを、まんじりと待った。


「鷲尾ー」


 小夜の名前が映像学科最後の学生として呼ばれた時、流空はすでに席についていた。

 ただし、一度も立ち上がりもしなかった。


「渡会ー……は、そのままだな。よし、これで全組完成だ」


 教室の中が、またすぐに騒がしくなる。

 旧知の中だった相手との組み合わせにはしゃぐ者、お互い値踏みするように距離をおく者。そして……、


「……これからよろしくね」


 一度拒否された挨拶を繰り返そうとする者。

 意地みたいに前を向いていた小夜が、ぎこちない仕草で流空に顔を向ける。

 さぞ、不満そうな顔をしているものと思っていたのに、その顔は不満よりも不安、もっと言えば途方に暮れたような色をしていた。


 見知らぬ森の中で迷子になった子供みたいな、そんな顔。


 けれどそれも一瞬のことで、小夜はきゅっと唇を真一文字に引き結ぶと、鞄からメモ帳のような物を取り出して猛然と何かを書き付け始めた。

 短い何かを書き終えると、一枚破って流空へと寄越す。


「これは……?」


 メモ帳に書かれていたのは、メールアドレスだった。



「ご用命はメールで」



 短い言葉のあと、小夜はまた前へと向き直る。

 もうこちらを向く気はないようだった。

 わいわいとにぎやかな教室の中、流空は一枚のメモを手に溜息をつかずにはいられない。



 これから、どうしたらいいのだろう。



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