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ぼくだって生まれた時からニートだったわけじゃない。
この世に生を受け、この待機労働者管理センターに至るまでにはそれなりの紆余曲折があったわけさ。
子供の頃はこんなんじゃなかった。
どこにでもいるようなごく普通の少年だった思うよ。
あのころは人生が輝いていたね。
友達もそれなりにいたし、世の中のあらゆることに興味をもって生きていた。
躓いたのはやっぱり、学校生活なんだろうね。
勉強するのは勿論、世の中の役に立つ立派な社会人になるためだ。
だけどぼくには学校で教えているような授業が社会の役に立つとは到底、思えなかったんだ。
例えば国語。
漢字の書き取りとか何の役に立つの?
紙の無駄だよ。
あと読書感想文とかも苦手だった。
『作者の気持ちになって答えなさい』とか言うけど、そんなの絶対にわかりっこないじゃない。
人の気持ちがそんな簡単にわかるなら、誰も苦労しないよ。
そして数学。
計算機を使えば簡単に答えが出るようなことをなぜ人間の頭でやる必要があるのさ。
そもそも、人間が不完全だから〈グノーシス〉にこの国の管理を任せている訳だろう?
まったく、馬鹿げた話さ。
一番、意味が解らなかったのが英語だね。
この国が鎖国して何年になると思う?
生まれてこの方、ぼくは外国人何てみたことがない。英会話の技術なんて必要ないし。今では一部の専門用語で使用されているだけだ
体育とかも苦手だったな。
体を動かすってこと自体は嫌いじゃないんだけど、集団行動ってやつが大嫌いだった。
美術や音楽とかも苦手だったね。
あれって結局、教師たちの
要するに、勉強と名のつく物すべてが嫌いだった。
学校では勉強を教えてくれるけど、勉強のすることの意味までは教えてくれなかったからね。
まるで完成図がわからないジグソーパズルをやっているような気分だよ。
できないからやりたくない。
やりたくないからできない。
悪循環の中、気が付けばぼくは何もできない人間になってしまった。
この国の子供たちの人生は、義務教育の九年間で決定されてしまうといってもいい。
機能性と合理性を追求した教育システムを元に、〈グノーシス〉は個人の能力と適性を正確に判別してくれる。
そして、義務教育が終了すると同時に〈グノーシス〉が能力適性によって職業区分にそれぞれ振り分けるというわけだ。
職業区分は大まかにして四つ。
即ち『士農工商』だ。
まずは『農』
これは農業を意味する。
漁業や畜産業。林業なども含まれる。
労働者の中でも農業従事者は人口が一番多い職業区分だ。
狭い国土のわが国において食料の確保は重要な位置を占める。
次に『工』。
これは専門技能を有する技術者達のことを指す。
医者や科学者。料理人や芸術家なんかもこのカテゴリーだ。その職業分野は多岐にわたるので、一口で言い表すのは難しい。
技術立国、日本を支えているのは彼らの存在あってこそである。
マイスター制度の導入により、技術者たちは国によって手厚く保護されている。
国家認定のマイスターの地位を手に入れれば、一生安泰ってわけさ。
そして『商』
商人。経済や金融関係の仕事だ。
街の小売業から大企業の経営者、そこに勤めるサラリーマンなどこの国の経済を支える仕事。
世界経済崩壊以後、自由主義経済は日本国内においてのみ細々と受け継がれている。
ビジネスの世界が実力主義と熾烈な過当競争によって成り立っているのは今も昔も変わらない。
商人は能力次第で大金持ちになれるが、常に失業と隣り合わせのリスキーな職業でもある。
安定志向の国民性からか、イマイチ人気のない職業だ。
最後に『士』。
ようするに公務員だ。
この国の政治や〈グノーシス〉が取り仕切っているので、政治家や官僚と呼ばれる人間は存在しない。
〈グノーシス〉が提案する政策を実行するのは、管理局と呼ばれる組織だ。
実質的にこの管理局の職員が公務員と言うことになる。この国のエリート集団ってわけさ。
中でも司法官と呼ばれる職員は管理局の中でも選りすぐりのエリートとされている。
安定した収入と、手厚い社会保障制度のお蔭で一番人気のある職場だが、その分競争倍率も高く数は少ない。
全くと言っていいほどに学業に身を入れてこなかったぼくには、当然のことだが能力適性なんてものは存在しなかった。
義務教育が終っても、ぼくの進路は決定しなかった。
そして、ぼくは待機労働者――ニートと判定された。
ニートって言うのは昔と今とでは、違う意味で捕えられている。
昔はただの怠け者扱いされていたらしいけど、現在ではある種の精神疾患、適応障害の一つとされているんだ。
義務教育期間中、学校生活に適応できず一定の成績が収められない場合は精神的に病んでいると判断されるのさ。
病人扱いするのは差別的な扱いになるので、公的には『待機労働者』っていう和らいだ表現を使っているわけだ。
昔は自己責任の名のもとに放置されていたらしいけど、現在では政府によってニートは手厚く保護されている。
いや、管理されていると言った方が正しいかな?
生活能力のない人間を社会において
そしてぼくはここ、待機労働者管理センターほうりこまれたってわけさ。
待機労働者管理センターって言うのは、大雑把に言って三つの意味がある。
すなわち病人であるニートを治療するための病院であり、労働力の無いニートに技能を与える職業訓練所であり――そして労働の義務を果たさないニート達を収容する刑務所でもあるわけだ。
待機労働者管理センターでの生活は、全くと言っていいほどに快適だった。
学習の時間は『強制お勉強システム』のおかげで、横になるだけで終わっちまう。
運動訓練はまるっきりシューティングゲームだ。
形だけの職業訓練を半日こなせばあとは自由時間。
夜は遅くまで起きて深夜アニメを見て――最高じゃないか!
外に出られないのは不自由かもしれないが、慣れてしまえばどうって言う事は無い。
生活に全く不自由は無い。
食事は一食だけどちゃんと食べさせてもらえるし、ゲームや電子書籍とか最低限の娯楽も提供してくれる。
ここまで快適だと、むしろ外に出るのが怖くなってくるね。ここに居れば、わずらわしい人間関係に悩まされることも無い。
将来に対しての不安なんてものは一切ないね。
なぜなら、ぼくがここに居続けていることには、何か意味があると思っているからさ。
働きアリの法則って知っているかい?
アリっていう生き物は働き者だ。でも、実際に働いているのは全体の八割。残りの二割は何もしていない、いわばニートってわけだ。
このニートアリを排除しても、残りの働きアリ達の中から、働かないアリが必ず出てくる。比率は常に一定で、二対八で統一されているのさ。
きっとぼくがここに居るのは能力が無いわけでも、怠け者だからでもない。
単に働く順番が回ってこないだけなんだ。そんな風に考えると気が楽になってこないか?
ぼくが働かないことによって、誰かが職を得る。そんなことにむしろ僕は喜びを感じるのさ。
いつか、ぼくにも順番が回って来るに違いない。
そして、その時こそがこの部屋を出て行く時なのさ。
あの扉の向こうにはぼくの力を必要としてくれる人がいて、ぼくでも出来るような仕事を用意してくれている。
そんな未来をぼくは、想像していたんだ。
少なくとも、司法官採用試験に付き合わされて殺されるなんて、これっぽっちも想像して無かったよ。