第十九話 辛いなら、言えば良い
お食事中に読む事はお勧めしません
と言う注意書きが必要な描写が在りますので
お食事中の方及び苦手な方はご注意下さい
あの後、退院迄美晴さんは毎日会いに来た。懐かれたらしい。
と言っても美晴さんの方は検査やら投薬やら活動制限やら有るらしく、一、二時間話すだけだったが。
そんな短い時間でも、美晴さんの家族愛の深さはよーーーーーーっく、わかった。
話す内容と言えば八割方夏川晴史の事や其の彼女ちー姉の事や母親の事。わたしの言動の端々に母親を思い出して涙ぐむ。
退院の際も寂しがって泣きに泣き、ぎゅうぎゅうと抱き締められた。
通院の際に病室に寄るからと、約束してやっと解放されたのだ。疲れた…。
三日も仕事を休んで復帰した訳だが、研究所の空気は相変わらずだった。
否、寧ろ、戻って来なくて良かったのに、と言う目で見られた。
其でもと歯を喰い縛って仕事に向かう生活を続けてひと月、わたしの身体は明確な異変を来たし初めて居た。
「…もう、食べないんですか?」
「ごめんなさい」
心配そうな顔をする佐原さんに謝罪しつつも、半ば以上残ったお弁当の蓋を閉じる。
深く息を吐いたが、堪えられなかった。
がたんっと音を立てて、立ち上がる。
「済みません、歯磨きして来ます」
「…田中一曹」
「はい」
荷物を抱えたわたしに、タナカさんが付いて来てくれる。
食事中に、申し訳無い。
荷物を片腕で抱き潰し、もう一方を拳にして唇を押さえ付けながら足早にトイレへ向かう。途中数人と擦れ違ったが会釈する余裕なんて無かったし、完全に敵地と化した気すらする職場で今更会釈する意味も感じなかった。
タナカさんが扉を開けてくれた女子トイレの中にひとの気配が無い事に微かに安堵しつつ、奥の個室に滑り込む。
大きな音を立てて戸を閉め、洋式トイレの便座ごと蓋を開ける。
前屈みになりつつ震える手を壁に伸ばし、届いたと思った時には滑り出して居た。
人工的な水音に紛れて、びちゃびちゃと不快な水音が立つ。
未消化の食物が、汚物と化して白い陶器の中に落ちた。
「…っ、…ぅ…ぇっ…」
漏れそうになる嘔吐き声を必死に押し殺しつつ、壁のボタンを連打する。
バレてる。わかってる。
でも、気付かれて居ない振りをしたかった。
明らかに減った食事量にも、食後の長いお手洗いにも、目に見えて肉が落ち始めた身体にも、気付かれない、はずが無い。其でも無言ながら全力で問い掛けを拒否し、目を逸らさせた。
心的ストレスによる、拒食。医者に掛かれば恐らくそう判断されるで在ろう症状。
…まさか、此処迄自分が弱っちいとは、ね。
朝のゼリー飲料以外、一切の固形物を身体が拒絶して居た。否、違うな。
ゼリー飲料どころか、カフェオレの牛乳すら、一切の養分を此の身体は受け付けない所存らしいけれど、大学入学から十年以上続けて来た習慣に対する意地で、無理矢理朝食だけは受け入れさせて居る。
一日一パックのゼリー飲料と一杯のカフェオレだけだろうが、栄養摂取が出来て居るのは僥倖だ。正直、仕事に出られて居るのが不思議な栄養状態だと思うが、辛うじて絶食状態ではないので、生きて居る。摂って居るのが牛乳とバランス栄養食なのも大きいと思う。
無論、体重は落ちた。
今迄気にしつつも此と言った努力は続かなかった減量に、呆気なく成功。ストレス式ダイエットで本を書いたら、売れるだろうか。
まあ、全くもって、お勧めはしないけどね!
胃液すら絞り出せなくなる迄吐き出して、荷物の中のお茶で口を濯ぐ。
あまりにも吐き過ぎて(何せ毎日夕昼食毎だ)、間に合わなかったり跳ね返りで汚したりと言った粗相はしなくなった。うん。リバースに関してはプロフェッショナルの領域に達しつつ在ると思うよ。褒めて良いね。
ついでにちゃっかり用足しも済ませ、何事も無かったかの様に個室を出て、歯磨きをする。
ちゃんとしないと、胃液で歯が溶ける。
しゃこしゃこと歯を磨いて居たら、背後で扉が開いた。
洗面台の大きな鏡越しに視線が合った瞬間顔をしかめたのは、頻度は少ないながら共に食事に行く事も在った程度の顔馴染み三人で、乱暴に逸らされた視線に歯ブラシを噛み締めた。
自業、自得、だから。
「良く、平気な顔してられるよね」
「わかる。神経疑うわー」
「化け物に気に入られる位だもん、化け物なんでしょ」
視線を逸らしたわたしの背後で吐き捨てられた言葉は、静かなトイレ内でとても良く響いた。
振り向かない。何も知らない顔でしゃこしゃこと歯ブラシを揺らし、通り過ぎるのを待つ。
無視、と言う逃げを打つわたしの代わりに、タナカさんが相手を睨んだらしい。
大人しめの外見とは言え戦闘職種からの睨みだ。研究職女子は対抗したりせずトイレへ向かった。
ぶくぶくした歯磨き粉の泡を吐き出し、ばちゃばちゃと口を洗う。
背後に立つタナカさんが、ぽつりと呟いた。
「辛いなら、言えば良いじゃないですか」
唐突な言葉に、手と口を拭いつつ振り向いた。
くいと首を傾げるわたしを見たタナカさんは、目許を歪めて声を荒らげた。
「生きたいのはあなただって変わらない!そんな風にどんどん独りで追い詰められて、誰にも頼れず、見付からない様にこっそりトイレで吐いて!誰もあなたの苦しみに気付かないからまた責められて!!そんな繰り返しじゃ何もしなくたって其の内死にます!!辛いなら言えば良い!ひとこと、助けてって助けを求めれば良いんです!!」
えっと。
此は、怒ってくれてる、んだよね?わたしの為に。
…マジか。
驚きながら、鏡に向き直って化粧の手直しをする。
吐く様になってから、匂い付きの消臭スプレーを持ち歩く様になった。香水の類は苦手だけれど、流石にゲロ臭い女は迷惑だから。
「タナカさんわたしの此好きじゃなかったはずじゃ…」
「其はあの時点での話です。仕事の為とは言え傍に居る人間に無感情で居られる程、仕事人間じゃ在りません。そんな、窶れてくのを見せられて、平気で居られる程、人間終わってないんです。…此の研究所の人間は、違うみたいですけど」
そうだった。
元々彼女は、わたしに同情してたんだ。
「なんか、ごめんなさい。見苦しいもの見させて」
ひとが憔悴して行く様なんて、見てて気持ちの良いものじゃないだろう。
女性隊員の彼女は、こうしてトイレ迄付き合わされる訳だし。
申し訳無くなって口を突いたわたしの言葉に、タナカさんは益々顔を歪めた。
「だから!白波瀬さんが謝る事じゃないって言ってるんです!!自分は醜く生きたがってるくせに、生きたがって足掻く他人を責める権利なんて誰にも無いんです!!あなたが今受けてる仕打ちは理不尽で、耐える必要なんか無い!!謝る位なら、辛いって、苦しいって、助けを求めて下さい!!」
タナカさん迄わたしや後藤さんみたいな事を…。
憤る彼女をどうどうと宥めて、言葉に迷いつつわたしは口を開いた。
しゅ、しゅと、消臭スプレーを身体に吹き掛ける。
「わたしが悪くないなら、誰も悪くないんです。大丈夫です、タナカさん。大丈夫ですから」
結局纏まらない儘、意味を成さない言葉を吐く。
わたしを責める同僚達も、其に憤るタナカさんも、悪くない。見解の相違が在るだけなんだ。
正しいものは其のひと毎に其々違って、神様でもないのに誰が正しいなんて断言は出来ない。
意味も無く大丈夫だと言って苦笑するわたしを、タナカさんは睨み付けた。
「何処が、大丈夫なんですか。まともに食事も出来なくなって居るくせに。食べた物全部戻して、其の儘じゃ近々栄養失調で倒れますよ?過度なストレスの所為でしょう。何故、ストレスの原因を庇うんですか!?」
トイレに響く声。
普段のタナカさんは、こんな風に声を張り上げたりしない。
多分、わたしが平気な訳じゃないのだと、個室の中の彼女等に訴えて居るのだ。
食事も受け付けない程追い詰められたわたしを此以上痛め付けるなと、庇ってくれて居るのだ。
でも、其は酷だ。
彼女達だって行き場の無い恐怖の感情を抱いて居て、防御反応としてわたしに吐き出して居るのだから。
わたしが辛いのはわたしが勝手に傷付いて居るだけ。
手近な犠に感情の捌け口を求めてしまう行為は褒められたモノじゃないけれど、責めて止めさせて解決する類の事柄でもない。
「…タナカさん」
優しい彼女には申し訳無いが、此処で騒いだって仕方無い。
此処で顔の見えない彼女等を責めたところで、状況が改善される保証なんて皆無なのだから。
自己犠牲精神なんて此っぽっちも無いけれど、わたしが耐えれば状況の好転も望めないながら取り合えずは酷い悪化もしないはずなのだ。ならば、余計な波風は立てない方が良い。
香りも含む化粧を終え、道具を片付けて顔を上げる。
ふにゃっと、笑みを浮かべた。我ながら、苛っとする笑顔だな。
「タナカさんはお手洗い、大丈夫ですか?」
「え?」
唐突過ぎる台詞に、怒りも忘れてタナカさんが呆ける。
笑顔が引き攣ってないか確認してから振り向いて、其の肩を叩いた。
「行くなら待ってますよ。研究所だし、女子トイレだし、危険も無いでしょうから。行かないなら、戻りましょう?早くしないと、タナカさんのご飯の時間が無くなっちゃいますから。ごめんなさい、食事中なのにお手洗いに付き合わせてしまって」
タナカさんとわたしで、身長は然程変わり無い。少しタナカさんが大きい位だ。肩を叩くのも容易だし、見上げなくても目線は合う。
目線の先で、タナカさんが微かに眉を寄せた。
「其があなたの返答ですか」
答えない。無言で、笑うだけ。
タナカさんは眉を寄せて少し泣きそうな顔をしてから、ぼそりと答えた。
「…お手洗いは、食事前に済ませました」
「じゃあ、戻りましょう?」
「はい」
タナカさんが扉を開けてくれて、お礼を言いつつくぐる。
お礼に、いえ、と答えたタナカさんが、また眉を寄せた。
「あなたは、あなたが自分で思って居る以上に精神的に追い詰められて居ますよ」
「?」
「いいえ。戻りましょう。白波瀬さん、他人が如何在れ、私は、あなたを殺したいなんて思いませんから」
「えぇ?何ですか突然?」
殺す殺さないの、話だっただろうか。
否、最近のわたしの周りは常に、殺すの殺さないのの話かも知れないけれど。
「あなたは化け物なんかじゃない。自分で言ったじゃないですか、悪人だって。悪人でも、ひとです。あなたは徒の、何の力も無い人間です。生きても死んでも何の意味も無い、でも、生きて居たら何か偉業とか成し遂げるかも知れない、性格が捻曲がった徒の一般人です」
…褒めてないな。うん。少しも褒めてない。
否、タナカさんなりの励ましなんだろうけどね?
「そりゃ、どーも?」
「如何致しまして」
わたしは、化け物じゃない。
そんなの、自分が一番わかってる。
でも、他人に化け物と言われれば不安になるし、誰かにあんたは化け物じゃないんだと保証されれば安堵する。ひとは人でなく人間だと、そう言う事だろう。
ひとの噂も七十五日とは言うが、残念ながら呟き騒動から七十五日が経過する前に侵略再開の期限は来る訳で、結局十月末日を迎えても、わたしに対する研究所の空気は変わらなかった。
二ヶ月と少しの、針の筵。
耐えきったわたしにも驚いたが、強攻策に出なかった春田さんにも驚いた。
だって、侵略再開期限で。わたしを差し出さなきゃ、絶望的な戦争が始まるのに。
ひとりを犠にするか、開戦か、隷属か。
わたしが犠になる事を受け入れない儘、其の日、十一月朔日は、やって来た。
拙いお話をお読み頂き有難うございます
一話で三ヶ月飛んでみたり二ヶ月飛んでみたり
時間すっ飛ばしまくってるのは
作者に空白期間を埋める能力が無いからですごめんなさい
突然時間が飛ぶ様な作品ですが続きも読んで頂けると嬉しいです




