61. 愛に満ちた夜
(レオン様……っ!?)
その声に心臓が大きく跳ね、私は慌てて寝台を下りながら返事をした。
「ど、どうぞ……」
するとすぐに、小さな音を立て扉が開かれる。
背の高いレオン様のシルエットが見え、ますます鼓動が速くなる。こんな時間に、こんな薄暗い部屋の中でレオン様と二人きりになるなんて、初めてのことだ。私は妙にそわそわし、急いで寝台のサイドテーブルにある小さな灯りをともした。
レオン様が、静かに私のそばへと歩み寄る。
「疲れているのにすまない。もう眠っていたかい?」
「いえ、まだ寝台に入ったばかりでしたので。大丈夫です」
答える声が、少し上擦ってしまった。……何だろう。妙に緊張してしまい、落ち着かない。
そんな私の様子に気付いているのかは分からないけれど、レオン様はごく自然な様子で寝台に腰かけると、私に「おいで」と言うように、隣を軽く手で叩く。
ドキドキしながら、私は彼のそばにそっと腰を下ろした。
レオン様が、私の顔をじっと見つめる。
気恥ずかしくて、私は静かに目を伏せた。
「帰路についてから君が落ち込んでいて、心配だった。……ずっとそばにいるなどと言っておきながら、君を一人にする時間を作ってしまった私のミスだ。嫌な思いをさせてしまって、本当にすまない、リエラ」
「っ! レ、レオン様は何ひとつ悪くありません……! 国王陛下のお呼び出しですよ? お断りできるはずがございませんもの! 私が軽率だったんです。まさかあの人たちが、あんな風に近付いてくるだなんて……」
レオン様の謝罪の言葉を慌てて否定しつつも、話題に出した途端、また彼らの顔が脳裏に浮かぶ。
「……リエラ」
私の些細な表情の変化を見逃さないレオン様は、優しい声で名を呼ぶ。
ふいに張り詰めていたものがぷつりと切れ、私は肩を落とした。言ったところでどうにもならない泣き言が、つい口から漏れる。
「……何だか、自分がとても情けないです。生まれた瞬間から疎まれていた私ですが、ローゼン男爵家の役に立とうと、精一杯頑張ったつもりでした。だけど、成果を出しても私の努力は認めてもらえず、兄や妹のように愛されることもないままで……。両親は自分たちが必要になった時にだけ、ああして私の力を都合よく使おうとして……。私には、家族はいないのですね」
するとレオン様が、間髪を容れずにきっぱりと言った。
「家族なら、ここにいるだろう」
(……レオン様……)
力強い口調に驚き思わず顔を上げると、ふいにレオン様が立ち上がり、私の正面に来て片膝をついた。そして私の両手を取ると、そっと包み込む。
「……っ!? レ……」
「そんな寂しいことを言わないでおくれ、リエラ。私もテオドールも母も、君の家族だろう。血が繋がっていないことなど、関係ない。君を大切に思い、ずっと一緒に生きていきたいと願っている。テオドールも母も、君がリングレンに来てくれたことを、心から喜んでいるんだよ」
「……レオン様……」
温かな言葉が心を満たし、私の目から突然涙が溢れた。彼らの言動によって負った心の傷が、レオン様の愛に満ちた言葉でたちまち塞がれていく。
彼は愛おしげに微笑みながら片手を伸ばし、私の頬を優しく拭う。
「君に出会えたことに感謝しているよ、リエラ。私たちが、君の本当の家族だ。……私だけは、少し意味が違うけれどね」
そう言うと、レオン様は私の手を持ち上げ、指先を自分の唇にそっと押し当てる。
(……っ! レ、レオン様……)
柔らかくて温かいその感触に、心臓が痛いほど大きく跳ねる。驚いて息を呑み、私はレオン様を見つめた。
小さな灯りに照らされた彼の目の中に、妖艶な光が揺れている。
「わたしは君の家族であり、恋人だ。家族としても君を大切に思っているし、一人の女性としても、心から愛している」
「────え……っ」
その言葉に、一瞬頭の中が真っ白になった。
そして、脳内で彼の今の言葉を反芻する。
(……一人の女性としても、心から、愛して、いる……? 愛して……)
「……へっ!?」
理解が追いついた途端、思わず素っ頓狂な声が出る。彼の優しい言葉に、ボロボロとこぼれていた涙が、たちまち引っ込んだ。
目を見開いて固まる私に、レオン様が困った顔で笑いながら言う。
「そんなに驚くほど、おかしなことを言ったつもりはないのだが。ダンスの時にも伝えたじゃないか。いや、それより前にも私の想いは話したけれど、覚えていないのかい?」
「いっ……! い、いつですかっ!? そんな記憶は、全然……っ」
本当に伝えられたのならば、そんな人生の一大事を私が忘れるはずがない。
レオン様は楽しげに口元を緩めると、再び私の手にキスをした。
「っ!!」
「君が夜遅くに工房から帰る馬車の中で、体調を崩して意識を失った日があっただろう。あの翌日だよ。看病をしている時に、君が私に想いを伝えてくれた」
「わ……私がですかっ!?」
「ああ。初めて好きになった人だと。そして私の気持ちはどうなのかと君に問われ、こう答えたよ。君はたった一人の、かけがえのない私の妻だと。心から愛していると」
「〜〜〜〜っ!?」
(な……何ですって!?)
信じられない。そんな大事な出来事を覚えていないなんて。
レオン様がこの私を……そんな風に想ってくださっていたなんて……!
そして、私がレオン様にそんなことを尋ねていただなんて……!!
一気に体温が上がり、肌が汗ばむ。心臓はけたたましく高鳴り、レオン様にまで鼓動が聞こえてしまいそうだ。
ぱくぱくと口を開けたり閉じたりしながら狼狽える私の姿に、レオン様が肩を揺らして笑っている。
「君は本当に可愛いな。ごめんね、リエラ。体調が戻ってから、改めて伝えるべきだった」
そう言うと、彼は笑みを引っ込め、真剣な眼差しで私を見つめる。
「愛しているよ、リエラ。健気で献身的な姿も、可愛らしい笑顔も、誠実で優しい君の心も。この腕の中に閉じ込め離したくないという衝動に駆られるほど、君を強く想っている」
「……レオン様……」
低く穏やかな彼の声が、一言ずつ優しく胸に沁み入ってきて、そのたびに私の全身が喜びで満たされていく。夢を見ているみたいだ。
かつて経験したことのない幸福感に、くらりとめまいがした。
私の唇が、自然と言葉を紡ぐ。
「……ありがとうございます、レオン様。私もです。私の方こそ、あなたのことが大好きです。好きでたまらないんです」
辛いばかりの人生に心が疲弊し、怯えながらやって来たリングレンの地。そこで初めて私を温かく迎え、受け入れてくれた人。
認められる喜びを、生きる意味を、私に教えてくれた人。
あなたにただ微笑みかけられるだけで、天にも昇る心地になる。
どれほど言葉を尽くしても、この想いの全てを伝えきれる気がしない。
伝えたくて、けれどこれ以上の言葉が出なくて。
想いを込めて見つめていると、私をじっと見つめ返していたレオン様が、ふいに私の手を離し、ゆっくりと立ち上がった。
そして再び、私の隣に腰かける。
縮まった距離に、心臓がひときわ大きく脈打った。
レオン様の大きな手のひらが私の頬に触れ、もう片方の腕が、私の腰に回される。
「……っ」
そっと見上げると、彼の端整な顔が、少しずつ私に近付いてきた。
これから何が起こるのか、心が知っているかのように、私の瞼がゆっくりと降りる。
柔らかくて熱いものが唇に触れた途端、世界から全ての音が消えた。
気が遠くなるほどの緊張と幸福感に、頭の奥が痺れ、体から力が抜けていく。
反対に、私を抱き寄せるレオン様の腕の力は強くなった。
何度も角度を変えるようにして押し当てられる唇を、私は抵抗することなく受け入れる。
頬に添えられていたレオン様の手が、私の髪を、耳を、顎や首筋をなぞっていく。その優しい感触に、体が溶けてしまいそうだ。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
ようやく二人の唇が離れ、私は何度か大きく呼吸をした。初めての口づけに、息さえほとんどできずにいたのだ。
ぼんやりとしたまま見つめるレオン様の瞳には、これまで一度も見たことのない熱が宿っていた。
きっとこれが、家族ではなく、恋人の眼差しなのだろう。
そんなことを思っていると、ふいにレオン様が、首筋に触れていた手を私の膝の下に入れた。
何事かと息を呑んだ途端、私の体はふわりと持ち上げられ、そのまま後ろの寝台へと横たえられた。
「……っ」
突然のことに、喉がひゅっと音を立てる。
仰向けになった私の上に、レオン様の姿があった。
私を見つめるその瞳には、先ほどまでと変わらぬ熱が宿っている。けれど、不思議と怖くはなかった。
その熱の中にある、私を想う彼の気持ちが、痛いほど伝わってくるから。
「……リエラ」
艶を帯びた低く甘い声が、私の名を呼ぶ。
私はそのまま目を閉じ、レオン様に全てを委ねた。
まるでこうなることが、とても自然なことのように。
レオン様の指先が、何も知らない私の体を気遣うように、肌の上を優しくなぞる。
夜が更けるにつれ、彼の情熱はより深く私を包み、私はその温もりに満たされていった。
窓の外では、夜風が木々を優しく揺らしていた。




