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もう戻ることはありません! 〜 実家と婚家で冷遇されてきた地味令嬢は、辺境伯領で薬学の知識を振るいます 〜  作者: 鳴宮野々花


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12/12

12. 出会い

 テオ先生に挨拶に行った数日後。ついに私はローゼン男爵領を去ることになった。

 両親はすでに王都のタウンハウスに戻っており、家令のオットーと使用人たちだけが見送ってくれた。領地の作業小屋で、ともに新薬作りにいそしんだフリッツ一家も、わざわざ足を運んでくれた。


「リエラ様、どうか道中お気を付けて」

「ええ。ありがとう、オットー。あなたたちには感謝しているわ。元気でいてね、皆」


 子どもの頃からそばで仕えてくれていた使用人たちが、涙ぐんでいる。家族に見捨てられたような環境の中でもどうにかやってこられたのは、皆がいてくれたおかげだ。

 フリッツ一家は、皆一様に心細そうな表情をしている。


「リエラお嬢様……」

「……ごめんなさいね、エマ。ずっとそばで見守りながら、一緒に作っていきたかったけれど……」

「いいえ、そんな。いつかはお嬢様のご助力なしでも、薬の品質を保っていかなければならないのですから!」


 エマがほんの少し強張った笑顔でそう言うと、フリッツおじさんも同意するように頷く。

 

「ご心配なさらず。領主様に相談しながら、どうにかやってまいりますので。どうぞお嬢様も、お元気で」

「……ありがとう」


 この先の不安を押し殺すようにこやかに見送ってくれる皆に、私も笑顔を返し、馬車に乗り込んだのだった。


 用意された馬車は一台だけで、御者も一人。

 同行するのは、領地のローゼン男爵邸に長年勤めている女性の使用人と、護衛が一人ずつ。

 荷物もごく少なく、嫁入りにしてはあまりにも簡素な旅支度だった。

 けれど、私の処遇などいつもこんなものだったから、別に驚きはしなかった。

 いくつもの街で夜を明かしながら、馬車は十日かけ、北の地、リングレン辺境伯領へと辿り着いた。


(さ……、寒い……)


 冬の訪れはまだ先だというのに、随分と肌寒い。これからどんどん寒くなるのだろう。同乗している使用人と、互いの体調を気遣う言葉をかけ合った。

 馬車の小窓から、外の景色をそっと窺う。なだらかな丘と深い森、遠くには灰色がかった山並み。

 南側の領地で見慣れていた景色とは全く違い、まるで別の国のように感じる。

 道の脇には低い家が点々と並び、時折通りすがる人々の服装は、私が今着ているものよりかなり厚手の恰好だった。

 やがて、道が大きく開けた。

 その先に現れた堅牢な建物に、私は思わず息を呑む。


(な、なんて大きいの……)


 なだらかな丘の上には、灰色の石で築かれた巨大な建物がそびえ立っていたのだ。

 分厚い壁に囲まれ、いくつもの塔が空に突き刺さるように伸びている。


「……ここが、リングレン辺境伯邸……?」

「さようでございますね……」


 思わず小さく呟いた声を、同行していた女性の使用人が肯定する。気付けば私の心臓は、痛いほど激しく脈打っていた。

 まるで城のような大きさの辺境伯邸は、とても頑丈そうに見えた。長い年月、雪や風と戦いながら、この地を守り続けてきたのだろう。

 馬車が近づくにつれ、その大きさはさらに際立った。見上げるほど高い重厚な門の前には、武装した衛兵らが立ち、こちらを見据えていた。

 敷地内に入った馬車が、ゆっくりと進んでいく。

 そして屋敷の玄関ポーチの前で、静かに停車した。


「到着いたしました。どうぞ、お降りくださいませ、お嬢様」


 御者に声をかけられ我に返り、私はおそるおそる外へと足を踏み出した。

 冷たい風が、頬を撫でる。極度の緊張状態にある私は、肌寒さも相まって全身がガクガクと震えていた。

 周囲の花壇には、背丈の低い野花のような、可愛らしい花々が咲いている。寒さに強い品種なのだろうか。

 花壇から玄関扉へと視線を向けた、その時だった。

 扉が開き、中から背の高い男性が現れた。


(──っ!)


 目が合った瞬間、思わず息を呑み、硬直する。

 その方は、まるで物語に出てくる王子様のような、凛々しく美しい殿方だったのだ。

 目が合った彼は、こちらへと一歩ずつ歩いてくる。

 陽光を浴び、金色の髪がきらきらと輝きながら風に靡いている。青い目は見惚れてしまうほど深く澄み、穏やかな光をたたえていた。

 その目を見た瞬間、不思議な感覚が胸をよぎった。まるで、以前この方にお会いしたことがあるかのような、懐かしい既視感。


(一体、どなたなのかしら……)


 仕立ての良い濃紺の上衣に、銀糸の刺繍が施された外套を羽織っている。どう見ても、ここの使用人といった雰囲気ではない。

 リングレン辺境伯に、同居しているご家族がいるという情報は聞いていない。けれど、どこからどう見ても高貴な立場であろうこの方に、私はどう挨拶するべきかを悩んだ。


(と、とにかく、ひとまずはカーテシーを……)


 このお若い殿方が、辺境伯のお身内なのか、それとも客人なのかは分からない。けれど、挨拶をせずに辺境伯閣下に恥をかかせるよりは、した方がいいに決まっている。

 にこやかにこちらに歩み寄ってきていた美丈夫が、ついに私の目の前までやって来た。

 私は不慣れなカーテシーを、おずおずと披露した。


「……ロ、ローゼン男爵が娘、リエラと申します」


 すると、頭上から低く穏やかな声が降ってくる。


「はじめまして、リエラ嬢。長旅ご苦労様。そんなに畏まらなくていい。我々は夫婦になるのだから、どうか気楽に」

「…………」


(……ん?)


 夫婦に、なる……?


(……今、何ておっしゃった? この方)


 無意識に顔を上げ、私はその殿方の目を見つめた。

 完璧なまでに均整のとれた美しいお顔に、困ったような笑みを浮かべた彼を見て、また私の中に不思議な既視感がよぎる。


「随分と薄着で来たね。寒いだろう。ローゼン男爵家の家令からあらかじめサイズは聞いていて、衣装は十分に用意してある。まずは部屋に案内しようか。着替えるといい。……おいで」


 そう言って屋敷の方を向き歩きだそうとしたその方は、ふと立ち止まり、再び私の方を振り返る。


「失礼。こちらが自己紹介をしていなかった。レオンハルト・リングレン辺境伯だ。……ようこそ、我が屋敷へ」





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