出逢い
-1-
さっきから鶏の鳴き声がうるさい。
闘鶏用に飼育していると誰かが言っていた。
エアコンがきかず、蒸し暑いコンドミニアムの一室に私はいる。
隣りには、私より15歳も若い男が、お行儀よく寝息を立てていた。
私は全裸のままベッドから立ち上がり、近くにあった
ウォーターボトルを手にして一気に飲み干す。
皮膚にはまだ、別の熱気がまとわりついているようだ。
火照った身体は、水を飲んだくらいじゃ収まらない。
つい先ほどまで身も心も翻弄していた熱い余韻を再び求めて、
臭気を放っている。
もちろん、これは私にしか分からない。
私は口に水を含んだまま、若い男の唇を求める。
わずかに開いた唇にそっと自分のそれを押し当て、
私の体温で温まった水を流し込む。
「う・・・ん」
彼は小さく呻くと、目を覚ました。
唇からこぼれた水が、ひどくセクシーで、私は再び自らの唇で掬い取る。
「アコ・・・ダメだよ。そんなことしたら・・・」
そう言いながらも、彼は力強く私を抱き寄せ覆いかぶさる。
「また、したくなっちゃう」
彼のセクシーな声と唇に私の肌は、再び熱を帯びた。
彼と初めて会ったのは昨日のこと。
日本での色んなしがらみに嫌気がさして、
全てを捨ててバり島に逃げてきたのが先週だとして、
それから1週間経ち、私は街の屋台で一人ビールを飲んで時間を潰せるくらい、
馴染んできていた。
いつもは現地人と欧米の観光客で賑わう屋台なので入ってきた日本人を見た私は
自分のことを棚に上げ、まず珍しいと思ってしまった。
そんな私の視線に気づいたのか、彼はビールを持ったままこちらに近づいてきて、
さらりと隣に座ってくる。
「観光?日本人の女性が一人、地元の屋台で何してるの?」
明らかに学生風の彼は、南国の馴れ馴れしさで話しかけてきた。
「別に。ホテルの食事に飽きてきたから、ちょっと外に出てみただけ」
私はつれないとも取れる受け答えをしてみせる。
なぜなら私は大人の女だから。
42歳の女に、この若さは、いささか眩しすぎた。
勘違いする気にもならない。
「へえ、行動力あるねー。一人旅で屋台だなんて」
そう言うと勝手に私の瓶と乾杯をし、ゴクゴクと美味しそうに喉をならす。
「あなたは?やっぱり旅行?」
一期一会。
私の脳裏に浮かんだ四文字熟語だ。
どうせもう会うこともないだろうと思えば、少しくらい年下男子とのひと時を
楽しんでもバチはあたるまい。
「いや。オレはこっちで観光客相手のガイド兼インストラクターしてる」
「住んでるの?」
「もう、3年くらい。日本とこっち行ったり来たり」
すっかり大学生だと思いこんでいた私は驚いて聞き返す。
「学生じゃないの?」
「まさか。そんなワケないじゃん。オレもう27だよ」
童顔の彼は、日焼けした顔をほころばせるとそう答えた。
15歳下か。。。
即座に年の差を計算するあたり、自分が何かを期待していたんだと思い知らされ
自己嫌悪に陥る。
そんな私の心の中を知ってか知らずか、彼は私の腰に手を回してきた。
「ちょっと・・・」
「お姉さん、名前は?」
耳に彼の吐息がかかる。
「亜子・・・」
久しぶりの甘やかな雰囲気に、私の本能が疼きだし止められない。
「アコちゃん、か。可愛い名前だね。雰囲気に合ってる」
「年上をからかわないの」
もっと余裕ぶった会話を楽しみたいのに、口から出た言葉は面白味も何もない
定型文。
基本会話ダイアローグ。
「からかってないよ。オレ昔からアコみたいなキレイな年上の女性が好きなんだ」
耳たぶに彼の唇が触れるか触れないか。
「アコがいたから、この店に入ったんだよ。初めから声をかけるつもりで」
いきなり人の名前を呼び捨てにする名前も知らない若者を牽制したいのに
できないくすぐったさ。
「また・・・ウソばっかり」
基本会話ダイアローグ、アゲイン。
彼は何も答えずに、代わりに唇が私の耳たぶを弄ぶ。
その心地よい柔らかさに引きずられるかのように、
私は自分の唇を差し出してしまう。
彼は若者特有の貪欲さで差し出された獲物に食らいついた。
貪るようにお互いの舌が絡みあい、吐息と唾液が交わる濃厚な時間を紡ぎ出す。
ここが日本なら、私の理性も働いただろう。
しかし南国バリ島の空気は、私に欲望の解放を許していた。
周りの客も、いち東洋人の戯れをいちいち気にはしていない。
「続きは・・・?」
唇を離したものの、ものすごく近い距離に私をとらえたまま彼は囁く。
「今日は帰らないよね・・・?」
さっきまでの強引さは鳴りを潜め、
その声は、許可を求める子供のように甘え口調だ。
私の目を覗き込んで、じっと返事を待っている。
うん。
素直にそう答えればいいものを、私も面倒くさい女だった。
「続きはまた今度。・・・今日は帰るわ」
少しでも年上女の威厳を保ちたかったのか、簡単に誰にでもついていくような女に
見られたくなかったのか、私はムリに理性を積み上げて、内なる本能を隠した。
本当は、それでも強引に私を求めてきてほしい。
という彼への熱い欲求があった。
キミが黙ってまたキスをしてくれたら・・・。
しかし彼は静かに私を捉えていた腕を外すと、おとなしく隣りに座り直した。
当てが外れた私は、すがるような視線を彼に送る。
意外な淡泊さを見せられて、さっきまでの情熱と潤んだ身体に
冷や水を浴びせられた気分だ。
「え。なんで・・・」
思わず私の口から非難めいた言葉がこぼれる。
「だって、続きしたくないんでしょ」
一緒にあの濃密な瞬間を作り上げた相手とは思えないほどの冷ややかさで
彼は言った。
「オレ、無理やりするの好きじゃない」
私の体温がサーっと下がっていくのを感じる。
自分の殻を破りたくて、わざわざバリ島まで来たというのに欲求に素直になって
ハメを外すことが怖くてできない。
昔から私は度胸がなく、消極的な女だった。
バリ島に来たのだって、自分を取り巻く状況から逃げ出したい一心からで、
南国という解放感ある響きに、
理想とする「自分を偽らない姿」を求めたにすぎなかった。
「・・・じゃあ、オレ行くわ。これ連絡先。また会いたくなったらいつでも連絡して」
そう言って、彼はカラフルな名刺をテーブルの上に置いた。
そこには「滝川仁人(Yoshihito TAKIGAWA)」とあり
所属しているエージェントの名前と連絡先が記載されていた。
「たきがわ、さん・・・」
初めて知る彼の名前を口にすると
「みんなヨシって呼んでるから、ヨシでいいよ」
即座に彼が訂正する。
「・・・ヨシ、さん」
「"さん"もいらないよ、アコ"さん"。」
そう言って面白そうにケラケラ笑う。
そして、おもむろに私の頭に手を乗せると「じゃあね、アコ。ヨシ、ヨシ」と、
自分の名前をジョークにしながら、楽しくて仕方がないと言った風で
撫でまわした。
完全に彼のペースに乗せられていると分かっていながら私も抵抗できない。
私が義務のように求めている「解放感」という言葉は、この状況と、
私が自分の欲求に自由になるチャンスをくれたヨシを逃すなと錯覚させている。
逃したら、また元の消極的な自分を肯定するだけだと。
私は、頭上の彼の手を掴むと自分も立ち上がる。
そして黙って、彼の唇に自分の唇を重ねた。
「ほらね」
私の濡れた唇を指で軽く拭いながら、ヨシはニヤリと笑う。
「アコが素直じゃないから、ちょっとイジワルしたんだよ」
店を出た私たちは、暗い路上を抱き合って、
時々キスをしながら少しずつ歩き続けた。
「絶対オレを追いかけてくるな、って分かってた」
「オレとしたくて仕方がないって目をしてたもん」
「今日、アコに出会えて良かった」
年下のくせに自信家の彼から発せられる言葉は、その全てが濃厚で甘くて
たちまち私の脳をしびれさせていく。
そうして、私たちは彼のコンドミニアムに着くや否や、
お互いの服をはぎ取って貪るようにその肌に吸いついた。




